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終章

「母上は寝たか?」

「ええ、少し気分が落ち着かれたみたいです」


 いきなり現れた千珠にどきりとしつつ、イブキは平静を装った。

 まだ和樹の死は自分たち以外知らないが、社長の不在を不審がるものは多かった。

今は千珠が和樹にかわり社長の仕事をこなしていたが、これからはきっと百合がしていくのかもしれない。

 そんな確信がイブキにはあった。


「……ひとつお聞きしてもよろしいですか?」

「ああ」

「なぜ私に知らせてくれなかったのですか。知っていれば……私は、」


 貴方を殺さずにすんだのに……。


「お前には無理だ」

「! なぜ」

「汚れなき俺の片割れ」


 細い指先がイブキの頬に触れた。


「欺くことも偽ることも知らないからこそどこまでも清らかで美しい俺の片翼。お前がいっそ闇の気配をまとっていたら……いや、そうであっても俺はお前を巻き込まなかっただろう」

「どうして……どうしてですか?」

「お前に仲間を殺せたか?」

「あ……」

「魔帝は愚かではない。抜け目なく、いつでもお前の側にいて探っていた。俺とお前が少しでも通じている証を得たなら、この勝利はあり得なかっただろう」

「おじい様は……亡くなったのですか? 島のみんなは……」

「――魔帝を信じ込ませるには本物の首が必要だった。それはアイツも承知していた」

「けれど、魂は二つあると!」

「知らなかったか? アイツは一度…昔に魂を手放している」

「そん…な……」

「俺が憎いか?」


 憂えた眼差しで突かれ、だれが否と言えよう。


「憎めたら…幸せでした」

「そうか……」


 そう呟いた千珠は、ふっと微笑した。


「あいつらを――島の住人を生き返らせたいか?」

「! もちろんです」


 千珠は優しく笑った。

 穏やかな、柔らかな笑みに、イブキはぼぅっと見惚れた。


「なあ、イブキ。俺はお前を愛している。だれよりも、なによりも……だが、お前はほかにも愛する者を持っている」

「それ、は……」

「イブキ。俺の愛しい半身」


 食い入るように千珠はイブキを見つめた。


「俺はお前になにをしてやれるかずっと考えていた。お前が最も喜ぶことをなしてやろうと思っていた。――やっと、その答えが見つかった」

「お兄様……?」

「俺の命と引き替えに島の者たちを救ってやろう」


 島を復活させよう。

 そう淡々と語る彼の顔は明るかった。


「そ……っ、イヤっ、イヤですっ」


 イブキは激しく首を振った。

 千珠が死ぬ?

 どうして?

 あまりにも衝撃が大きくて、涙すらこぼれ落ちなかった。

 千珠は駄々をこねる子供のようなイブキの両肩にそっと手を乗せた。


「俺が死ぬのは嫌か? 俺の命があればあいつらが生き返るとしても?」

「そ、それでも……、それでも貴方を失いたくない! どうして……? どうしてそんな酷いことを!」

「お前を愛しているから。なあ、イブキ、確かに寄り添って暮らせれば幸せだろうな。だが、お前の心にはいつまでも島のやつらのことがある。それは些細な闇かもしれない。だけど、いつかお前の清らかな心を食い尽くすものとなろう。それは俺たちを隔てる溝となるかもしれない。お前はいつか俺を恨むかもしれない。そうなったとき俺は耐えられないんだ。お前と過ごす幸せを、お前の側に在る喜びを知ってしまったら、俺は……」

「お兄様を憎んだりしない! こんなにも、胸が痛いのに、側にいるだけで心が震えるのにどうして憎むことができるの? お兄様はちっともわかっていない」


 睨みつけるように顔を上げたけれど、その顔は泣きそうに歪んでいた。


「今はそうだろう。だがいつか……わかるんだ、イブキ。俺には遠ざかっていくお前の姿がみえてしまう……」


 千珠の肩が震えていた。

 泣いているのかと思ったが、泣いてはいなかった。

 強い強い眼差しがイブキを射る。


「そん、な……」

「お前と俺はいつまでも供にある。忘れるな」


 そっと重なった唇。

 熱く。

 熱く。

 二人の情熱を燃やし尽くすかのように。






 翌朝、気づいたときには千珠の姿はどこにもなかった。

 きっと、彼はその身をもって、島を復活させたのだろう。

 けれど、そんなことはイブキは望んでいなかった。 


「お兄様……っ」


 慟哭が消えていく。

 みんなが生き返ったことよりも、兄がいなくなってしまったことが悲しくて…けれど、そう思ってしまう自分を醜く感じて、心が千切れそうだった。

 島の人達も、兄の命も、両方助けたかった。


「だめよ、諦めないわ……」


 イブキは、涙に濡れた目元を乱暴に拭った。

 島が復活できるのなら、きっと、兄の命も……。


「そうですよ、姫君。王は生きておいでです」

「! 鈴死!?」


 すっと姿を現したのは、兄の片腕であった。


「けれど、混沌と眠っておられる。その姿は私にも見えないのです。ですが、魂をわけた貴女なら、見つけ出すことが可能かもしれません」

「!」

「喜ぶのは早いですよ。困難な道のりです。貴女には、長としての役目も待っていましょう。王を救おうとするのをマダツの者が快く思うかどうか……。マダツの者と袂を分かつ心構えはおありで?」

「……お兄様は、私のために悪者になってくれたのです。私は何をおいてもお兄様を救うと誓います。鈴死、力を貸してくれますか?」


 静かに鈴死を見つめると、彼は、しばらく沈黙したのち、慇懃に頭を下げた。


「御意に。貴女が誓いを果たせるよう力を尽くします」

「ありがとう」


 イブキはわずかに声を震わせた。

 この先、どうなるかなんてわからない。

 兄を見つけられるかもわからないのだ。


 けれど、このまま諦めるのは嫌だった。

 死んでいないのならば、その僅かな可能性にかけたかった。


 イブキは、晴れ晴れしい気持ちで微笑んだ。


(お兄様、待っていてくださいね)



もう一つの未来…



「母上は寝たか?」

「ええ、少し気分が落ち着かれたみたいです」

 いきなり現れた千珠にどきりとしつつ、イブキは平静を装った。

 まだ和貴の死は自分たち以外知らないが、社長の不在を不審がるものは多かった。

今は千珠が和貴にかわり社長の仕事をこなしていたが、これからはきっと百合がしていくのかもしれない。

そんな確信がイブキにはあった。

「お前はどうしたい?」

「お兄様?」

「共に歩んでいくか?」

「……!」

 どきんと胸が鳴った。

 嬉しくて、嬉しくて。

 イブキは、笑みを覗かせた。

「はい……はいっ」

「神の血を色濃く受け継ぐお前と魔の血を色濃く受け継ぐ俺たちの未来はそう楽ではないかもしれない。だが、これだけは誓おう。お前を一生守り抜くと」

 愛の囁きは、だれが口にするよりも甘く胸に響いた。

 嬉しくて滲んできた涙を拭ったイブキは、窓から差し込む日差しに負けないくらいの明るい笑みを浮かべた。

 寄り添うように立つ二人を陽光が照らし続けていた。


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