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    その六

「――イブキ。和樹の命は奪うな」


 イブキは我が耳を疑った。幻聴だと思ったのだ。


「兄、様……?」


 声は聞こえても姿は見えない。

 イブキは視線をさまよわせた。けれど、見えるのは無残にも変形した地形と満天の星空だけだった。


「千珠か。我を(たばか)ったな」


 魔帝の怒気を通り越し、殺気を帯びた瞳が怜悧に光る。


「謀ったなどとは心外な。王は魔帝殿の一歩先を読んでいたのですよ」

「鈴死……?」


 やはり彼の姿も千珠同様見えなかった。


「姫君、なんとお労しいお姿に。申し訳ありません、千呪王を復活させるために時間がかかってしまいました」

「鈴死、謝罪はいいから、傷を治してやれ」

「御意」


 千珠の命令に鈴死が従う。


「姫君」


 次の瞬間、鈴死の声はイブキの横に移動していた。

 驚いたイブキは横を向いた。すると、パッと鈴死の姿が現れた。穏やかな笑み浮かべながら、細長い指先をイブキに向けた。白い光が指先から溢れだし、イブキの体を優しく包み込む。

 春風のように穏やかで暖かい光は、傷ついた体を癒し、裏切りや大切な人の死によって蝕まれていた精神を浄化してくれた。出血が止まり、傷が塞いでいく。頬の痣は白い肌へと戻り、血色のよい桃色の瑞々しい肌が蘇る。


「癒しの呪とは違うわ……。これはもっと別の呪術ね……」


 光に包まれて夢現をさまよっていたイブキは、まだ半ば夢心地で呟いた。


「小賢しい真似を――! なぜだ、なぜそなたたちはここにおるのだ。計画は上手く行っていた。なのに……!」

「だれにも気付かれずに計画を遂行出来ていると思っていたか? お前の時代は終わった。今は俺が魔の統率者であり、王だ。逆らうものは力でねじ伏せ、圧倒的な差を見せつけた。弱いものどもは愚かしくも俺の気を引くためにお前の情報を色々教えてくれた。だからお前は俺たちを操っていると勘違いをしていたようだが、事実は逆だ。俺がお前を動かしていた」


 空中に深い闇色の瞳が揺れていた。徐々にそれは人の形を取っていく。目の周りに顔の輪郭が現れ、瞳と同じ色の髪が柔らかく縁取った。透明だった肌に象牙色が鮮やかに色を成す。薄い唇、通った鼻梁、鋭いながらも惹きつけられる色香を称えた双眸。細身の体を覆うのは、漆黒の金糸やきらびやかな宝石がちりばめられた外套。光沢のある外套は、光によって宝石と共に輝いていた。

 まさに王者に相応しい威厳と風格を持ち合わせた千珠の姿は、思わず平伏したくなるほど神々しさを放っていた。


「何、を……」


 魔帝は怯んだ。

 先程まで支配していた側だったのに、千珠が現れてから支配される側となった。

 じっとりと額に汗が滲んだ。

 捕らえようのない焦燥感が胸を焦がした。


「姫君、王が待っておいでですよ」


 鈴死が、事態が飲み込めないイブキの腕を取り、地上に降り立った千珠の側に歩いて行った。


「イブキ」


 千珠が名を呼んだ。

 優しい声で。

 視線が絡み合えば、恋情を秘めた瞳が柔らかく見つめ返してくれる。

 魔帝を見ていた時の鋭さや冷たさはどこへ行ったのか。

 全身を包み込んでくれる暖かいまなざし。

 イブキは、夢を見ているのではないかと思った。

 幸せな夢。

 千珠がほほ笑んでくれる。

 千珠が優しく見つめてくれる。

 千珠が甘く囁いてくれる。

 千珠が……。

 イブキは瞳を潤ませた。

 夢なら覚めないで、と。


「イブキ?」


 千珠が突然泣き出したイブキに心配そうに声を掛ける。どこか痛いのか、と。

 夢よ、とイブキは再度思った。

 本物の千珠なら、こんなに優しい声で話しかけてはくれない。

 いつも冷たい瞳で拒絶して、冷淡な声音で近寄らせなかったから。


「夢だわ……」


 夢だと知るとやっぱり悲しかった。

 イブキは、溢れ出す涙を拭うことができなくて、俯いた。

 すると、千珠が笑った。


「夢じゃない。イブキ、俺は生き返った。ほら、温かいだろう?」


 千珠が俯いたイブキの顔を壊れ物でも扱うかのようにそっと両手で包み込むと上に向かせた。


「泣くな……。俺はお前に泣かれるのが一番辛い……」


 千珠は涙を拭ってやると困ったように眉を寄せた。


「私があなたを……」

「ああ、確かに一度死んだ。だが、死んだのは何百年も生き続ける長寿の魂の方だ。お前と生きるために必要な魂は残っている。これでもう、死ぬときも一緒だ」

「魂を二つ持っているのですか……?」


 抱き締められたイブキは、千珠の温かい体温に触れながら瞳を閉じた。柑橘系の香りは、間違いなく千珠が本物であることを示していた。

 嬉しくて、嬉しすぎてイブキは千珠の胸に顔を埋めた。


「お前は持っていないが、魔奪の者なら二つある。ただ、長以外その事実を知る者はいない。なぜなら、魂を二つ持っていても蘇らせる者がいなければ、無用のものだからだ」

「では……では、島の者たちも生き返ることができるのですね?」


 イブキは顔を上げた。

 瞳は生き生きと輝いていた。

 島の人たちが生き返るかもしれないのだ。


「いや……」


 千珠は言葉尻を濁した。

 代わりに鈴死が答える。


「私には無理ですよ。王は魔の血を色濃く継いでいらっしゃったので、私の力でも息吹を吹き返すことができたのです。魔の血も薄く、力さえ微量な者たちに私の力は届きません。王にも無理です。王の力には、魔の力が宿り過ぎていて、神の恩恵を受ける者には効きません」

「そんな……」


 イブキは絶句した。


「ですが――」


 鈴死は言葉を続けようとしたが、その途中で魔帝に遮られた。


「計画は狂ったが、まだ終わったわけではない! この身が滅びるまで、戦おうぞ」


 魔帝が叫んだ途端、地が揺れ始めた。

 小刻みに続く振動。

 それは次第に激しいものへと変わっていく。


「叔母様!」


 地割れが起き、百合の体が裂け目に落ちようとしていた。千珠に訴えるようにイブキは見上げた。


「大丈夫だ。お前は何も心配するな」


 とろけるような微笑を浮かべながら千珠が言った。そして、イブキを見つめたまま鈴死に命じた。


「鈴死、和樹の応急処置を頼む。最低でも三十分は持たせてくれ。大事な体だからな、毒が回られると困る」

「わかりました。百合殿には(れい)(じゅ)でもかけておきますか?」

「ああ、そうしてくれ。選ぶのは和樹だが、どちらを選択するのかは目に見えている。異空間に運んでおけ」

「御意――」


 鈴死は姿を消すと、呆然としている和樹の側に現れ、彼の体を空中に浮かべ百合の体ともども消し去った。そして、鈴死は千珠に向かって深々と一礼し、己も異空間へと身を潜めた。


「邪魔者は消したか。くくっ、これで心置きなく戦えるか? 人形は人形らしくしておればいいものを――」

「黙れ」


 千珠が鋭く一喝した。

 イブキは冷たい声音にびくっと肩を震わせた。イブキを拒絶していた時の声と一緒だったからだ。

 だが、千珠はそんなイブキを安心させるように抱き締めた腕に力を込めた。まるで、お前に言ったんじゃないと主張するかのように。


「! 我こそが真の統率者。若輩者に負けてなるものか」

「黙れと言ったのが聞こえないか?」


 素っ気なく言い放ちながら、その瞳は紛れもなく危険な光を宿していた。


「光と闇が生まれし時――」


 ふいに、冷気を纏いながら千珠が言葉を紡いだ。支配者特有の威厳に満ちた声が、空気を震わせた。瞬間、すべての時が止まってしまったかのように、しんと辺りは静まり返った。

 魔帝は何か見えない力に封じ込まれたように、身動きさえできず唇を震わせ、イブキは千珠の腕の中で不安そうに彼の顔を仰いでいた。

 緊迫した空気が漂う。

 けれど、千珠は気にした様子もなく、破滅の予言を口にした。


「大いなる災いの魔王が

 復讐という名の鎖に縛られ蘇る

 この地は混沌の闇に葬り去られ

 来世への血は途絶えるであろう」


 それも、千珠たちが勝つのではなく、魔帝が勝利の栄光を手にするという。


「兄様?」


 イブキが驚いた声を上げる。

 魔帝を振り返れば、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。瞳がランランと輝き、微かに上気した頬は喜色が滲んでいた。

 しかし、千珠が放った次の言葉を聞いた刹那、その顔は凍り付いたように動かなくなった。


「光と闇が手を結ぶとき

 魔王は怒りとともに滅し

 沈んだこの地には、

 新たな命の恵みが誕生し

 生命の女神が幸せのうちに

 真の魔王と手を取り

 統治する」


 言い終えると千珠は魔帝の顔に一瞥をくれた。


「これは魔奪島の長だけに伝わる秘伝書の中に記された予言だ。これを見てハスナギは俺たちが生まれたとき決心したのさ」

「どういうことです?」


 それが自分たちとどう繋がるのかと目で問う。


「つまり、光はお前のことを指し、闇は俺のことを示しているということだ。ハスナギは、俺たちが生まれた時、予言に出てくる光と闇だということに気付いた。そして、やつは俺に言った。呪われた未来を解き放つために力を貸してくれ、と」

「え……?」


 イブキは困惑の色を浮かべながら千珠を見た。


「お祖父さまはお兄様を殺そうとしたのでは……」

「あぁ、確かに俺たちは戦った。魔帝の目を欺くためにな。魔の血が色濃く受け継がれた俺は、生まれ出たときからすでに一人前だった。赤子の姿でありながら、呪力はハスナギと引けを取らなかった。俺は、ハスナギに挑むふりをし、手傷を負った体で島から去り、日本で時期が来るのを待っていたのさ」

「――そうか、そなたたちはわたしを最初から謀っておったのだな。まんまんとひっ掛かったというわけか。操っていたと思っていたが、実はわたし自身が操られていたとはな。なんとも愚かしい」


 魔帝は、先程までとは打って変わって、瞳の奥に剣呑な光を宿しながら嘲笑すると不気味な笑みを浮かべた。


「すべてが騙しあいか。なるほど、考えたな。イブキをわざと遠ざけ、憎むふりをしていたか。番狂わせは一体どこから始まったのか。いや、元よりこうなる運命だったか。だが、我に勝てると思うておるのか? 統率者としての威厳を失っていても力をなくしたわけではない。たかが二人――いや、三人か」


 千珠の後ろに頭を垂れながら姿を現した鈴死を一瞥すると、魔帝は体中から暗いオーラを立ち上ぼらせた。


「その程度の人数でわたしに勝てると思うか。見くびられたものだ」


 彼は、不敵に笑みを浮かべるとイブキたちに向かって呪を投げ付けた。闇色の鞭がしなりながらイブキたちに襲いかかる。

 けれど、千珠は余裕の顔で平然と突っ立っていた。恐怖に顔を歪ませるイブキの身体を抱き締めながら、彼は指を鳴らした。刹那、彼らに向かって伸びた鞭は反り返り、霧散した。


「弱いな」


 千珠は冷笑を浮かべると、鈴死に一瞥をくれた。彼は、千珠の言いたいことを察し、さっと動いた。それを視界の隅にとめると、千珠は呪文を詠唱した。


(ふう)呪縛印(じゅばくいん)


 唱え終えた千珠は、呪を魔帝に投げつけた。

 とっさに避けようとした魔帝は、体が動かないことに気づいて、目を見開いた。


「おのれ……」


 憎々しく見つめる先には、鈴死がいた。彼の手の先から、透明な糸が魔帝に向かって伸ばされていた。魔帝の動きを封じるかのように。


「言ったはずです。運命など変えてみせると」

「ぐっあぁぁっ……ば、かな……」


 千珠が投げた呪を真正面から受け止めた魔帝は、断末魔をあげながらもだえた死んだ。


「カスミ……」

「泣くな、イブキ」

「わかっています。カスミが存在しないことを。けれど、あの忠誠も、親身になってくれたこともすべて嘘だったとは信じたくないの……」


 華澄と過ごした日々が鮮やかに思い出され、そして消えていった。


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