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    その五

「馬鹿な」


 魔帝は舌打ちした。

 またしても計画外のことが起こったのだ。人を殺せることに歓喜していた彼の心は一瞬にして、不機嫌なものへと変わった。

 シナリオにはなかった招かねざる客を冷たく一瞥し、つまらなそうに唇を曲げた。





 魔帝が放った光の眩しさに目を覆っていたイブキは、光が消えると和樹の姿を探した。彼が自分を殺したがっていても、イブキには和樹を見捨てることはできなかった。なぜなら、彼は百合が愛している男性だからだ。

 しかし、次の瞬間、イブキは全身から血の気を引いた。


「叔母様」


 瞳を見開き、呆然と立ちすくんだ。

 和樹がいた場所には、ここにいるはずのない百合の姿があった。

 ぐったりと四肢を投げ出し、口からは血を垂らしていた。薄く開かれた瞳は輝きがなかった。

 イブキは激痛のする足を庇いながら歩いた。倒れている百合の横まで来ると、力が抜けたように座り込んだ。そして、百合の頭を優しく抱き起こした。


「しっかりして下さい! なぜこのような真似を……」


 イブキは、生きていて、そう全身全霊で願いながら、百合の血の気のない顔を叩いた。すると、少しだけ瞳に光が戻り、唇が微かに動いた。


「ごめ……さい。夫の過ち……許し……てね……」


 血が喉につまり、咳き込みながら百合は言った。そして、苦しそうに喘ぎながら、愛する夫の名を呼んだ。


「なぜだ……!」


 和樹は、鎮痛な顔で百合を見下ろした。臘のように白くなった顔を見つめると、体温を失いつつある百合の手を握った。


「愛して、る、から……」


 瞳から大粒の雫を流しながら百合は息も絶え絶えに微笑んだ。


「俺が何をしたか知っていても……?」

「それ、で……も……」


 声が小さくなる。

 瞳は焦点を失い、今度こそ本当に息を引き取った。

 イブキは、それが信じられなくて、百合の頬をまた叩いた。


「叔母様、目を開けて!」


 ぴくりとも動かない百合の体を揺さぶると、泣きじゃくった。

 大切な人を二人も失うのは嫌だった。


「そんな……嫌よ。叔母様――!」

「百合…、百合……ゆりぃぃぃぃ――――ッ」


 和樹も震える声で声を荒げた。

 もう、戻らない。

 何もかも。

 和樹は、自分の愚かさを呪いながら、涙を流した。





「くく、馬鹿な女だ」


 魔帝は、声も言葉遣いも元に戻すと、嘲笑した。深みのある低い笑い声が、悲哀の色で染まった雰囲気の中では場違いに聞こえた。


「愛されてもいないのに、一途に想っていたか。まあ、よい。女が一人死んだくらいで運命が変わったわけではないからな」

「……!」


 イブキは魔帝を睨み付けた。百合の命を軽く扱ってほしくなかったからだ。


「わたしが憎いか? そなたに忠誠を誓ったわたしが」

「あなたは兄様の手の者ですか」


 身の内から溢れ出す憤怒を押しとどめながら、イブキは問う。握り締められた拳は、白くなり、小刻みに震えていた。


「否。我は、遥か古の魔。魔奪(まだっ)島が魔奪島である以前より、あそこに住み、魔を統率していた者」


 イブキは顔を強張らせた。


「そんなはずありません。神より賜ったのがあの島です。その地が魔物のもののはずがありません……!」

「――くくっ、真実を知らぬはなんと愚かな」

「どういうことですか」


 魔帝の言葉の意味がわからずイブキは眉を寄せた。


「人の世など偽りばかりということだ」

「嘘です――!」


 イブキは、呪を魔帝目掛けて放った。しかし、彼の体にあたる前に霧散した。まるで、見えない壁が彼のことを守っているように。


「いや、事実だ。この世は作為によって生まれている。人の死は、だれかによって書かれた筋書きなのだ。魔奪の崩壊も、な」


 魔帝は、手を掲げると冷然と笑んだ。


「さあ、話はこのくらいにしよう。最後の仕上げが残っている。――そなたには死んでもらう」


 魔帝は手を鋭く振り下ろした。刹那、爆風と共に凄まじい風圧がイブキの体に襲いかかった。


「……ぐっ」


 イブキの体は、木の葉のように軽々と空に舞い上がると、激しい音を立てて地面に叩き付けられた。


「……ッ」


 態勢を立て直そうとイブキは懸命に体を動かそうとするが、貫くような激痛が体中を駆け巡り、立ち上がれずにいた。口の中に溜まった血を地面に吐くと、口の端から流れる血を拭いもせず、魔帝に視線を向けた。

 癒しの呪を唱えたが効かなかった。引かない痛みをぐっと堪えながら、歴然とした力の差を感じた。


「そなたは我が主。敬意を払い、時間をかけて切り刻もう。わたしが憎いか? 良き理解者であり、話し相手。時には、忠誠深い僕だったわたしが。くく、人間というのはおもしろい。表面上の言葉だけを真に受け、いともたやすくだまされるのだからな」


 ゆっくりとした足取りで魔帝がイブキの方へと歩く。凍て付くような冷たい光を宿した双眸が、今は愉悦を滲ませていた。


「すべてはわたしが仕組んだこと。そなたたちの行動を監視し、思い通りに動かしていたのだ。運命を選び取っているつもりでも、実際はわたしが考えた筋書き通り。そなたたちはわたしの操り人形にすぎない」


 魔帝はイブキの横に片足をつくと、苦しそうに呻き声を上げるイブキの顔を横から覗き込んだ。イブキの顔は血と砂で汚れていた。唇ははれ上がり、右頬は紫色に変色していた。


「あな、たは……」


 脂汗が体中の穴から吹き出すのを感じながらイブキは、地面に手をつき、起き上がった。点々と血が滴り落ち、焦茶色の地面を染め替えていった。

 イブキは、深紅に輝く瞳を真っ直ぐに魔帝に向け、激痛と戦いながら、それでも毅然とした態度を崩そうとはしなかった。


「何が望みです」


 魔帝は、立ち上がると小柄な少女を見下ろした。小さく、弱い存在。一捻りで殺せてしまうやわな体。

 くく、と魔帝は喉の奥で笑った。


「復讐だ。我が一族を生きながらに捕らえ、そなたらの内に封印した恨みは消えぬ。家臣の犠牲によって生き長らえた我が身を幸運と思うか? いっそ、この身は皆と共に滅んでいればよかったのにと、何度考えたことか。わたしは、そなたたち魔奪の者を殺すことだけを考えてきた。何百年もの間。ずっと。ただ、殺すだけでは駄目だ。じっくりといたぶり、嘆き苦しむ様を見なくては。だからこそ、この計画を立てたのだ。悠貴が生まれた瞬間から、そなたたちの運命は決まっていたのだよ。さあ、後はイブキ――そなたを殺せば我が復讐は終焉を迎える。わたしは仲間の元へ帰ることが出来るのだ」


 魔帝は剣を掌から取り出すと、イブキの心臓に焦点を当てた。イブキには、逃げる力は残っていなかった。


「……」


 イブキは死を覚悟した。

 魔帝の剣が心臓目掛けて突き刺す。その動作がイブキにはゆっくりと感じられた。


「やめろ――」


 その叫び声と共に、鈍い衝撃が魔帝を襲った。拍子に、剣を落としてしまう。あと一ミリでイブキの心臓を貫くという所だったのに、と彼は憤怒に燃えた瞳で邪魔をした人物の顔を睨んだ。


「和樹さん……?」


 イブキが、呆然と呟いた。和樹が魔帝に体当たりした事実が信じられなかった。

 和樹は自分のことを憎んでいたはずなのになぜ助けてくれたのかわからなかった。


「――失って気付いた。百合がどんなに大切な人だったか」


 和樹は、涙に濡れた顔を上げると、イブキに視線を向けた。その表情は何かが吹っ切れたように明るく、写真に写っていた頃と同じ輝きを宿していた。


「ずっと復讐だけを考えて生きてきた。百合を愛していた気持ちを押し殺して、心の底に封印してきた」


 復讐を遂げるために千珠と契約をした。

 そのために必要な力を千珠から授かる代わりに、赤子だった千珠の親となる取引をした。彼が悠貴の子だと知っても、実子として育てることにしたのは、千珠もまた復讐という名の鎖に縛られていると感じたから。

 千珠が人ではないとわかっていても、恐怖心はなかった。悪魔に魂を売ってまで力が欲しかった和樹にとって、千珠はまさに畏敬の存在だったから。

 千珠は、安住を手に入れる変わりに、蓮波一族を死に追いやる協力をすると契約したのだ。


「またしても邪魔が入ったか」


 魔帝は、地面に落ちた剣を、指を鳴らして消し去ると、不出来な人形を観察した。千珠が招き入れた侵入者が、こうも妨げになるとは思いもよらなかった。

 だが、と考えた。

 それも一興かもしれないと、指先に炎を浮かべながら思い直した。


「俺は愛する者を二人も失った。百合が俺を庇い、死んだ今、俺に生きている価値はない」

「そんな……! 叔母様は死なんて望んでません」


 和樹は死ぬつもりなのだろうか。

 『死』という文字が頭を横切り、イブキは首を振った。

 一体、この戦いで何人人が死ねばいいのだろうか。


「百合はお前のことをとても気に掛けていた。だから、俺は死んだ百合のためにお前を守ろう。それが百合に対するこれまでの精一杯の償いだ」


 和樹は、泰然と構えている魔帝に向き直ると、


「俺が相手だ。百合を殺した報いを受けるがいい」


 ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出し、それを開くと突進した。

 火の球を周りに浮かべていた魔帝は、それを軽々とかわし、楽しそうに哄笑した。


「力なき人間がわたしに勝てると思うか。歯向かうならば殺すまで」

「させません」


 イブキは、氷の矢を魔帝の心臓目掛けて投げ付けた。刹那、体ががくっと傾く。足が痙攣して、倒れそうになるのを叱咤する。


 まだ駄目……!


 血の気を失った顔が、紙のように白くなり、唇は紫がかっていた。呪を使うのも辛かったが、和樹を見捨てることはできなかった。守ってやる、という言葉がイブキに力を与えてくれた。


「くっ」


 至近距離から放たれた矢は、素早く避けた魔帝の左腕を抉った。ピキッと傷口が凍り付き、それが徐々に腕全体に広がっていく。一瞬、魔帝はその傷に気を取られた。

 和樹は、その隙を見逃さなかった。右手に持ったナイフを魔帝の腹部目掛けて刺した。肉を貫くいやな感触が手から伝わった。和樹は血にまみれたナイフをゆっくりと抜くと数歩下がった。


「あ……」


 その顔には、敵を討てたという喜びも、百合を失った哀しみも存在していなかった。驚愕に凍り付いた瞳の奥は、恐怖と困惑が葛藤していた。和樹はナイフに視線を落とすと左手で押さえ付けた。


「和樹さん?」


 イブキが和樹の不審な行動に気付く。


「右手は我が血を浴びた。我が命じぬ限り、血は貪欲に和樹の血を食らい、その身から一滴の血もなくなるまで吸い続けるであろう」


 イブキは唇を噛んだ。

 あんなに簡単に魔帝が刺されるはずがなかったのである。

 何かいい呪はないかとイブキは必死に記憶を辿る。だが、いくら探っても魔帝の血から解き放つことはできなかった。


「イブキ……」


 内部に流れる血を吸い取られ、青ざめていく己の皮膚を呆然と見つめながら和樹が呟いた。


「剣を」

「え?」

「剣で俺を殺せ」


 和樹が言う剣とは聖なる剣のことだろう。イブキは絶句しながら、瞳を見開いた。


「魔帝の血は俺の血を吸い尽くしたら、魔物に変幻する。そうなる前に俺を殺すんだ」

「何を言っているんですか……!」

「魔帝の血が俺に告げているのさ。この血は意思を持っている。早く、剣をだせ。まだ俺が正気を保っている間に」


 和樹は吠えるように叫ぶと、右手に爪を食い込ませた。

 イブキは逡巡した後、聖なる剣を取り出した。優しい力が柄を握った手から全身に流れ込み、束の間痛みを和らげてくれた。


「殺すのか? 己の手で人を殺めるか」


 腹部から血を流し、左腕は冷たい氷で覆われた状態で、魔帝は楽しそうに笑った。その笑顔に怪我の痛みは微塵もなかった。こんな傷は蚊に刺された程度だといった感じに傷を治しもしないで放置していた。

 イブキは迷った。本当にいいのだろうかと。けれど、イブキの胸中を読んだように和樹が言った。


「殺せ、イブキ。死ぬならば、俺は俺のままで死にたい」


 和樹の命の半分はすでに失われている。代わりに、魔帝の血の力が増大しているのが握っている剣から波動が伝わってきてわかった。これならば、剣で魔の血を消し去っても生きていくことはできないであろう。

 イブキは剣を構えた。

 けれど、突然空気を震わす美声に、和樹の命を奪うタイミングを失ってしまった。



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