第八章 都の岬──聖なる子の戦い──
都の岬。
それは、日本海域の最南端の小島にある岬のことだった。半分以上を森林で覆われた小島の名は離島。民家もなく、しんと静まり返った中で、岸壁に当たって砕ける波の音だけが無機質に響く。
水平だった岸壁をえぐり取ったかのように突き出た岬は、薄そうに見えてかなり頑丈そうだった。上から海を見下すと、朝霧のような波飛沫が風に乗って全身にかかった。星が瞬く中、満月が群青の水面に浮かんでいだ。
「イブキ様、風は冷たくありませんか?」
薄着のイブキを華澄が心配そうに気遣う。
「大丈夫よ」
マダツ島の白い衣装に身を包んだイブキは、朝のように冷えていた空気ではなく、少し生暖かい風を受けながら、心配症の華澄を振り返って微笑した。
華澄が作り出した炎のように燃え上がる明りが、暗い闇に包まれた足場の悪い岬を照らしてくれていた。そのため、岬の一角だけ昼間のように煌煌としていた。
「今何時?」
約束の時間の二時間前にやって来ていたイブキは、高まる鼓動を抑え、訊いた。
「十一時五十分です」
「五十分? もうそんなに時間が経っていたのね……」
潮の香りが、辺りに漂う。
どこかマダツ島と同じ磯の香りに、イブキは懐かしく思った。胸に吸い込むと、緊張が少しだけ和らいだ。
トクン トクン
規則正しく動く心臓の音。
血が脈打ち、全身を駆ける。
イブキはそっと服の下に隠された首飾りの宝石の上に手を当てた。
温かい……。
人肌のぬくもりのように心地好い微熱が、恐怖、や不安を緩和させ、平静を失っていたイブキの心に落ち着きを与えてくれた。多分、これから始まる戦いは激戦と呼ぶに相応しい戦いになるだろう。マダツ島ではただ見ていることしかできなかったイブキも、愛する兄相手に剣を抜かねばならない。その時、足が竦んで動かないということのないようにと、イブキは宝石を握る手に力を込めた。
(お兄様……)
初めての恋い焦がれた人。
泣きたくなるような切なさを恋と呼ぶならば、イブキはもう二度としたくないと思った。これほどまでに胸が苦しいのは、耐えられない。
(これが私にとって最初で最後の恋)
もう二度と彼以上に好きになる人は現れないだろう。
そして、愛する者と戦うなどという悲劇的な出来事も、もう、二度と繰り返したくはない。
イブキは、物憂げに曇る赤い瞳を、闇と解け合った海に注いでいた。
ゴロゴロゴロッ
時計の針が零時を指したとき、夜空に激しい雷鳴とともに金色の閃光が走り抜けた。
「――イブキ様」
華澄が目をすばやく周辺に走らせながら、イブキに警告する。
こんなに晴れた日に、雷が落ちるはずがない。
敵の来襲かと身構える華澄にイブキは、緊張した面持ちで頷くと、頭上から禍々しい気を感じて、星空を見上げた。
息を殺して見守る中、濃紺色の空がざっくりと裂け、漆黒に赤を溶かしたような空間があらわになった。角度によって、色に濃淡が加わり、おどろおどろしいにも関わらず、不思議と目を惹かれる空間だった。引き付けられたように見つめていたイブキは、中から現れた人たちを見て、顔を強張らせた。いよいよ始まるのだ。復讐という名の戦いが。
一人……二人……三人……。三人目が空間を抜けると、大きく開いた穴は、みるみるとしぼみ、あとには普段と変わらない空が戻った。
イブキは空に浮かぶ三人から目を離せなかった。
千珠、鈴死、もう一人は……。
炎の光を受けて、男の顔がうっすらと浮かび上がる。意志の強そうな凛々しい眉と瞳。すっきりと整った顎。端整な顔立ちは若々しく力強さがあった。
だれだろう。
三人はゆっくりと地面に足をついた。まるで翼が背に生えているように滑らかな着地だった。
「三人、ですか……」
たったそれだけ? とでも言いたそうに華澄が薄く笑んだ。
「いいえ、あなたの相手は私一人です」
火傷跡がいつのまにか消えた鈴死が、一歩前に進み出た。闇に溶け込んでしまいそうな黒の装束が、不気味な威圧感を放つ。
華澄は、ちらりとイブキに視線をやると、意を決したように鈴死の方へと視線を合わせた。
「あの時は、手加減しましたが、今回は容赦しません。本気で挑ませてもらいます」
挑発的な言い方に、イブキは顔色を変える。
華澄は鈴死が強いと言った。
実力は五分と五分。
なのにどうして、相手をあおるようなことを言うのだろうか。
しかも、手加減したなどと嘘までついて……。
「カスミ……」
戦いはすでに始まっていた。最初に華澄が鈴死に向かって走り出した。彼女の掌から放たれた眩い光が鈴死の腹に直撃する。しかし、鈴死の体には傷一つついてなかった。
二人は、イブキたちから離れるとさらに激しい攻防を続けた。砂埃が舞い、木々の倒れる音が静かな崖沿いに響き渡った。




