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スマートフォンのアプリに、未読の件数がたまっていく。


あえて見ず、そのまま放置しているとどんどん数字がカウントされていった。


あー、もう。うるさいうるさい。


彼女はホームボタンを長押しした。


アイコンに黒いペケマークがつき、アイコンがぶるぶる震える。


アプリ、消しちゃえ。


黒バツをクリックすると。LINEのアイコンはあっさり画面から消えていた。


メールも、無視しちゃえ。


主電源を落として。真っ黒になった画面の先、窓の向こう側では、ぱかん、と非常口が開いている。


蓋を跳ね上げるように開いた扉から、複数の手が伸び、手を振っていて、それ以上の人の手が、こちら側でも振られ続け、双方止む気配がない。


つい、右手を上げ、ふりふりと。呼応するように手を振ってみる。


何してるのかしら。


ああ、きっとお掃除中なのね。


そうそう、二階席があったのだった、ジャンボジェットには。


すっかり忘れてたわ。あんな風にドアが開くことも。


無心になった瞬間だった、声をかけられたのは。



水流添つるぞえ君?」



ここは空港、九州は長崎、地元民ではない彼女に、顔見知り程度はいても、軽く声をかけるような知人縁者はいない。


え、私ですか? と確認するまでもない。


一般的とはいえない名字の人間が、そういるとは思えないから。


そして、はい、私が水流添ですが何か? と問う必要もない。


この声にはなじみがあるから。


「奇遇だね、君がここにいるとは。どうしたの」


高遠秋良たかとう あきらは振り返った先にいる人物に答えて言った。


「こがらし君?」


『こがらし』と名指しされた人物は、憮然たる面持ちで立っている。


「そろそろその呼び方は止めて欲しいんだけどな」


「あら」


『水流添君』は肩を小さくすくめた。


短くまとめたショートカットがなだらかな頭の輪郭に添い、凜とした印象を醸す。


何気ない装いやアクセサリーひとつ取ってもしっかり着こなし自分のものにしている。


笑顔にそってついた顔の皺はさすがに隠せないが、立ち振る舞いもどこか優雅で年齢を感じさせない。実年齢を言うと大概の人が目を丸くする。


本当に今年年女なのですか、三人の子持ちですか、と。


秋良の彼女の旧姓は水流添。専業主婦として家庭に入るのなら、婚家の姓を名乗れるしあわせは確かにあるが、今時は寿退社の方が珍しい。そうなると改姓に伴うデメリットの方が多いのが社会人だ。結婚後も職場での通称として旧姓を通す人は男女問わず多い。彼女も珍しい姓のメリットを生かし、旧姓のままで仕事を続ける道を選んだひとりだ。


「隣、いいかな」


ソファーの隣を指す彼に、どうぞと促した秋良は周囲を見回して言う。


「お名前をお呼びしても良かったのかしら。だってここは」


彼女に倣って『こがらし』も視線を動かす。その先には一般の乗客とは明らかにテンションが違う一群がいる。いわゆる航空ファンと呼ばれる人たちで、一様にリュックを背負い、カメラを複数持ち、スマホを駆使して滑走路側を注視しているのだが、時折、『こがらし』を目配せしながら見る者もいた。


「あなた、一部では有名人ですから」


「僕?」


「ええ。五十嵐機長?」


小声で伺う秋良に、『こがらし』こと五十嵐は頭を振った。


秋良と五十嵐は同じ年に入社した同期の桜だ。


立場の違いこそあれ、入ったばかりで右も左もわからなかった時期から今まで、啓発したりされたりする関係は続いた。


社会人は同時期に入社した者同士の結束は堅い。事あるごとに動向が気になったり、時候の挨拶以上の往来があったり。社から離れた者とも連絡を取り合い、人生の節目節目で力づけたりつけられたりする関係は長く続く。


今、秋良は管理職に限りなく近い位置におり、五十嵐はベテランパイロットとして職務に邁進している。


パイロットという職種は航空ファンにとっては雲上人に等しい憧れの象徴だ。中には各エアラインの機長のリストをwebで公開しているマニアもいる。ファンクラブが存在する機長もいて、折に触れてファンの集いが催されるくらいだ。


そこまでの有名人ではないにしろ、五十嵐もそこそこ名が知れている存在。航空ファンに気づかれてしまったようだった。


「それを言うなら君もでしょう」


「私?」


「あー、ほらほら。写真撮ってる人がいる」


「あなたを、でしょ?」


「いや、多分、君の方だと思う」


パイロットが崇められるように、客室乗務員も彼らの標的になる。秋良は乗務歴も長く、珍しい姓も相まってそこそこ知られている存在だ。


「あなたこそどうしてここに? ここにいらして良かったの? だって」


秋良は言葉を飲む。その理由は、ただひとつ。ふたりの職種と待つ場所にある。


五十嵐は旅客機の操縦士、秋良は客室乗務員。同じ会社の同僚だ。そのふたりが自社ではない他社便の搭乗口前にいるのだ。


「これに乗るんだよね」


顎をしゃくった先にある前面ガラス張りの向こうには滑走路が、そしてこれから乗る航空機が駐機している。


「ええ」


「競合他社の乗務員がふたり揃ってご搭乗、ってツーショット画像が流れたらどうする?」


「どうもしませんわ」


「ツーショットでも?」


「ええ」


「僕はうれしいけどね」


さらっと言う五十嵐の言に、秋良は小首を傾げる。


「ここで会えたのも、奇遇以上の縁があるような気がしないかい?


「しません」秋良はすぱーんと直球で返す。


「そうかな」


「そうですわ」


「相変わらずだね、君も。お堅いところもね」五十嵐は苦笑した。


「僕はこれで東京へ帰るところだけど君は?」


「同様ですわ」


「さっき、これから降りてくる君を見かけた気がするんだけど。気のせい?」


「気のせいではありませんの……」


決まり悪そうに目を伏せた秋良は背後に目を配る。


時は師走の第二日曜日。場所は長崎空港。搭乗を控えた乗客がごったがえす構内は普段とは違った熱気に包まれている。


事実、彼女が目をやった先ではセレモニーが開かれ、黒山の人だかりができている。遠くから司会のアナウンスと拍手の音がそれに続いた。


そちらの方を気にしつつ、秋良は視線を真正面、滑走路側へ転じた。


これから、ここに集う乗客やそして秋良を乗せて飛ぶ、航空機。


真正面から見る姿は、丸顔の一般的な航空機とちがい、少し面長で大顔だ。ぺこんと飛び出たこぶのような先端が特徴の、通称ジャンボジェット、747が止まっている。


2014年春に運行を終了する747を記念して、様々な催し物が企画されている、その1つが、かつて飛来していた空港へ『里帰りフライト』するというもの。


今日はその里帰りフライト最終日、一往復限定で長崎に飛来した。


セレモニーもジャンボジェット再訪を祝ってのことだ。チャーター便ではなく、定期運航便の枠を使っている。今時は到着したその足ですぐ次の目的地へ飛び立つ。いくら懐かしの747が降り立ったからといって長居はできない。駐機時間は一時間未満。それっぽっちの時間しかない。


それは彼女にも言える。


五十嵐の指摘どおり、つい30分程前、この機に乗って東京から飛んできた。そしてあと30分もしないうちに折り返しで飛び立つこの機に再度乗り込み、東京へ帰る。


「何かあったのかい」


振り返った先、五十嵐の視線は秋良に注がれている。


「いいえ、何も」反射的な返答に、迷いが混じる。


「うそだね。女がひとり、所在なげにベンチに座る時は、ほぼ何かあったかあるかに決まっている。君の場合は特に」


「そうかしら」


「ああ。誰のせいなのかな、きみにそんな顔させるとは、断じて許しがたいね」


「ま、お上手ね、さすが口説きのこがらし君だわ」


「心外だな」五十嵐は肩をすくめた。


「僕程女性に誠実な男は他にはいないよ」


「はいはい、言ってらっしゃいな」


「信じてほしいなあ、特に君にはね」


職業柄、あらゆる「お誘い」文句には慣れっこになっている彼女の顔が曇る。


観光するでもない、ただ乗るだけの長崎行き。


今日は丸々オフでしかも日曜日だったのに、衝動的に家を出てしまった。


家族に何も告げずに。


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