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龍の宝玉  作者: プー太郎
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第3話 Amore mio!

 お久しぶりです、こんにちは。

 皆さんのアイドル、佐倉涼ですよと。


 ……なーんて呑気に言えるのは、そう! 忌々しいTOEICを何とか乗り切ったからさ☆

「あんなものの何が難しいんだ。面倒なだけだろう?」

 とか何とか格好良く言い切っちゃう元希の事は、試験終了後にちゃんと殴っておいた。一発目はこちらが驚くくらい華麗に回避してくれやがったけど、不意打ちの二発目が思いのほか気持ち良く決まったので良しとしよう。


 で、結果はどうかって? この佐倉涼サマに不可能がある訳ないでしょう!

 勿論、ふんふふ~ん♪ ……って言及は避けようかな。

 登校初日で英語教師が爆弾発言を投下してから、そりゃあもう必死で勉強したさ。単語帳とか帰りに即行で買いに行ったよ。序でにCDヘビロテで就寝だよ。めちゃ必死。

 まあ、元々耳は良い方だから何とかなったと思う。結果発表は一ヵ月後、授業中に配られるって話だ。その時はテスト中、余裕面かましてやがった元希の成績も覗いてやろう。って言っても、多分輝かしい数字が並んでるんだろうけどね。簡単に想像出来るのが、また腹立つ野郎だぜ。

「なんだ、お前はまだ根に持っているのか?」

「天から二物も三物も与えられた男はイイデスネーって僻み。ほっとけ」

 今し方終わった数学の課題を早速解き始めている元希が淀みなく動かしていたシャーペンを止めて、堂々と解答方法を盗み見ている自分に視線を向けた。

 意外と素直で純粋な奴だから、自分がカンニング(?)しているなんて考えもしないんだろうなー。普通に不思議そうにしてるし。ってか、もうちょっと文字、大きく書いてくれよ。反対からじゃ見辛いんだって。

 んん。それから、なあ、そこの∫(インテグラル)の範囲指定だけど、a? α? つーか、∞じゃねーの? そんでそれぞれ±で極限取らないと、ほら、何だっけ、コーシーの主値ってヤツがさァ……。


 ……あーもう、時々抜けるんだよな、コイツ。


「――ココ」

「αがどうした?」

 つい指摘してやりたくなるなんて、自分にも世話焼きの血が流れてるって証拠かね。そんなに親切な人間じゃない積もりなんだけどなー。

 ついでとばかりに元希が書いたグラフにも人差し指を向けて、解法順序を指し示す。

「この場合は∞だろ。まずこっち求めなきゃ、多重可動領域に属するαは使えねェよ」

「だが、最終的に求めるのはこの……、ああ。そういう事か。極限値を有限値に定めてからαを動かさねばならないのか」

「そーいう事」

 流石、生徒会長様。理解が早くていらっしゃる。

 すぐさま軌道修正して、その下に新たな解を書き出していく。その計算スピードの速いこと速いこと。複雑な暗算なのに、まるで解答を丸写しする時みたいな速度で解いていく。これは絶対、子供の頃に算盤やってたクチだな。

 五分ほどでノートの一面を数字とアルファベットの羅列で埋め尽くした元希は、最後を鉤括弧で締め括り、ほう、と一息吐いた。どうやら三問出された内の一問を解き終えたらしい。

 ふむふむ、そんな答えになるのね。ご苦労さーん。このまま二問三問と解いちゃってちょ。


 ……ん? 何だか熱い視線を感じる。そう思って元希のノートから視線を上げれば、綺麗な翠色とがっちり出会う。

 どうした、元希。シャーペン握る手がお留守だぞ。

「……涼、まさか答えを真似する気じゃないだろうな」

「まさか!」

 ワターシ、アナタノ解答、手伝ッタデショー?

 そんな自分の心が伝わったのか、溜め息一つで元希はまた数学の世界に戻って行った。

 うむ、素直で宜しい。

 再び元希の解答をカンニングしようとしたら、今度は不意に影が降って来る。

「お前ら、この前出会ったばかりと思えないくらい仲良くなったよな。本当に初対面? 同じ苗字だし、実はどっかで繋がりあるんじゃないの?」

 椅子と机をガタガタ揺らして隣に腰掛けたのは同じクラスの三原啓佑(みはら けいすけ)だ。ハーフフレームの細い四角眼鏡が良く似合う機械オタクだと教えられたのは記憶に新しい。七三分け疑惑が払拭されない、中々に男らしくて可愛らしい男子学生。本人曰く、「短髪だけど作業の時に前髪が目に入るから横に流してるんだ」らしいが、うん、やっぱり七三分けにしか見えない。

 ってか、七三分けの何がいけないというのか。頭部が寂しい、世の中年サラリーマンに謝れ。ってそんなのはどうでもいいか。

「俺とこんな堅苦しいのを一緒にすんなよー。俺の方が笑顔振り撒くし、取っ付き易いだろ」

「でも実際問題、顔の作り、似てると思うけど」

「……」

 三原の言葉に、何故か教室中の人間が頷いていて、ちょっと引いた。なんで教室中が自分達の会話聞いてんだよ。立ち聞き盗み聞きは良くないぞ!

 いや、確かに自分も一瞬「似てるかも」って感じた事もあったけどさ。そんな皆で頷く程かー?

 そう思って真剣に数学に取り組む元希を見遣る。ノートに視線を落とした彼の瞳は金色の睫毛が影を落として、勉強中だというのに何だか色気すら漂っているような感じがする。鼻梁はスッと通ってるし、一文字に引き結ばれた薄い唇も形が良く、無駄な肉を削げ落とした頬から顎にかけてのラインはシャープだ。

 何、この正統派色男。

 何度見ても、そんな嫌味にもならない嫌味が頭を過ぎる。

 似てるかもしれないけど、纏う色彩が全く違う所為でそんな風には見えないんだな。

「いいか、三原……。もし仮に俺がコイツと血縁関係だったとして、一緒に住まう事になったとしよう。その場合、確実に俺の胃は破壊される。しかも三日以内で、だ! 俺はこの堅苦しいあれやこれやに耐えられる気がしない。――ああ、そうだ。元がお堅いんだから、もう少し緩々になれば丁度良いんじゃね? 元希がもっと緩くなってもイイと思う人ー」

 はーい! と元気の良い返事が笑い声と共に至る所で湧き上がる。

 ほらみろ、皆もそう思ってんじゃねーか。

「……そんなに嫌がる事か?」

 ぼそりと会話に割って入って来たのは、数学に夢中な筈の元希だった。

 シャーペン持った手の甲に顎を乗せて、何処か不機嫌そうに眉を寄せている。心なしか、唇も子供が拗ねたように尖っているみたいだ。

 おやおや、これは。

「なんだ、元希。お前、俺と同棲したかったのか」

「は!?」

 そっと頬に手を添えて下から彼の瞳を覗き込み、序でに小首を傾げて自分の持ち得る色香を全開フルスロットル。大人の色気を見せてやろう。ふふん。

 薄く微笑んで掠れた声で元希の名前を呼んだら、目を見開いて小さく息を呑んだのが分かった。――二箇所から。


 ごめん、三原。お前にアテる心算はなかった。


 取り敢えず、気にせずに続ける。

「気付かなくてごめん。まさか元希が俺に懸想してたとは。I love youで我愛你だったんだな。でも大丈夫。あんなに酷い事言ったけど、本当は俺もお前の事……」

「何故、そうなる!」

「Io ti amo veramente.」

「っ涼! 巫山戯るのも大概に」

 キス出来るくらいにまで顔を近付ければ、僅かに身を引く元希。でも、残念でした。椅子に座ってるお前に逃げ場はないのだよ。

 こんなに近付いても観賞に耐え得るのは見目の良い奴の特権だよな、なんて考えながら。

「Ich liebe dich?」

「~~っ、教員室に行ってくる!!」

 椅子を引っくり返して立ち上がった元希はそのまま足取り荒く教室を出て行った。

 そういや、化学教師に教材取りに来いって言われてたようなそうでもないような。

 それにしても、そんなに怒らなくてもいいのに。まあ、予想外に可愛かったのは収穫だったからいいか。

 くすくすと笑っていると、遅れて復活したらしい三原が「……壮絶」と呟いたのが聞こえた。見ればまだ少し顔が赤い。

「悪ノリし過ぎたかね。後で殺されやしないか、めっちゃ心配。課題の頼みの綱なのに」

「あれはまだ許容範囲じゃないかな。いやー、あんなに動揺する佐倉とか久しぶりに見たわ」

 椅子に座り直して、机に肘を衝いた三原は「久しぶりに」と繰り返した。

「これ、誇張じゃなくてさ。涼が来てからなんだよ」

「何が?」

 先程とは打って変わって、真面目な表情をした三原が静かに続けた。

「アイツ。前より丸くなったと思う。まだ一週間しか経ってないけど、以前はあんなに話す奴じゃなかったんだ。クラスメートと言えど、必要最低限以外は話さなくて。だから俺達は結構喜んでるし、涼には感謝してる」

「や、真面目に言われると照れんだけどな。それを目的に行動してた訳じゃねーし。ところで、俺達って?」

「"ここ"の持ち上がり組。今じゃ小学部から付き合いある奴なんて、このクラスではあそこで手を振ってる二人と俺の三人だけだよ。つまり佐倉の豹変振りを知ってるのも俺達だけ」

「……ふーん?」

 豹変、ねぇ。

 小学部時代に何があったのやら。是非とも紐解いてみたいところですな。

「佐倉は快活な子供だった。いつも皆の中心にいて、佐倉家嫡男の名に恥じぬリーダーシップを発揮してた。あれで明るくて楽しい奴だったんだ」

 今とはまるで正反対な性格だったって訳か。

 それを語る三原も誇らしげで、その当時を思い出しているのか楽しそうでもあった。

「少しずつ、あの時の元希に戻って来てる気がする。だから、これからも元希の側に居てやってくれよ。お前、実はかなり凄い事してるんだから」

「そうは言ってもなー。見てたでしょ。俺、フラれたじゃん。何がいけなかったのかねぇ。もしかしてフランス語の方が良かった?」

 くつくつと笑いながら言えば、三原も噴き出す。

「いくつレパートリーがあるんだ、涼って」

 そりゃ勿論、愛の数だけさ☆


 元希が教室を飛び出してから、教材一式を携えて戻ってくるのは直ぐだった。

 教壇に荷物を置いて自分の名前を呼び、先の事などまるでなかったかのように淡々と手伝えと言う。まあ、量が多いし、会長様のご命令とあらば手伝うけどさ。

 そういやまだ答えてもらってねーなと思い出し、次は何語にしようか脳内検索を掛ける。

 やっぱり、そうだな。愛の言葉と言えば、アムールの国だろ。

 ってことで。

「Je t'aime, Motoki!」

「まだやってたのか。厭きない奴だな」

 む。これもダメか。なら――。

「……、サランヘヨ」

「ああ、分かった分かった。나도(俺もだ)。ほら、これ広げるのを手伝」

「三原! 韓国語なら通じるみたいだ!」

 教室中で爆笑の嵐が巻き起こった。




     * * *




 机上の化学は元希の苦労の賜物である教材類が、役に立ったのか立たなかったのか分からぬ内に終了していて、自分はいつの間にか夢の世界に旅立っていた事を知った。

 加えて元希に「お前、本当に気持ち良さそうに寝るんだな」と言われて寝顔を見られていた事に気付き、「先生は涼を起こすに起こせなかったのだ」と隣席の三原にも教えられて、詰まる所、授業中の爆睡は全員が認知していたらしい。

 うわー、鼾とか掻いてなかったかな。

 涎の跡を気にしながら、こそこそと使わなかった教科書を机の中に仕舞う。あんまり頭脳は使ってないものの、育ち盛りの高校男子は直ぐに腹が減るのだ。すっかり食堂での食事がルーティンになっていて、今日も今日とて何を食べようかと瞬時に思考が食事モードに切り替わる。

 それは他の学生も同じようだった。誰も彼もがいそいそと教室を出たり、弁当を取り出したりしている。

 そんな時だ。

 ガンッ――と盛大な衝突音と共に、教室の引き戸が乱暴に開かれた。

「元希!」

 昼休みの和気藹々とした空気を打ち破った犯人は、この階では珍しいブラックジャケットを着ていた。それだけで判る、スポーツ推薦枠の生徒だ。

 彼は元希の姿を見付けると半ば机を飛び越えるように駆け寄って、見ているこっちが思わず後退る迫力で元希の両肩をがしりと掴んだ。

「元希が最強の番犬を手に入れたって、こっちで物凄い噂になってるんだけど、一体どう言うこと!?」


 ……番犬?


「またこの前の『自称彼女』みたいな奴が現れたの!?」

 あー、元希ならそう言う事もありそう。

「大丈夫だった!? 何もされてない!?」

「いや、少し落ち着け、兼嗣(かねつぐ)

「僕は何時でも落ち着いてるよ!」

 どこがだ。

 と、自分が思ったのと同時に元希も口に出して突っ込んでいた。何、お前まさかソッチの才能もあるの? やめてよ、ソレ、俺の領分だから。

「まずは落ち着け、兼嗣。いきなり乱入してきて番犬だの何だのと騒がれても、意味が解らん。一から説明してみろ」

「えっ……、っと此処じゃあちょっと……」

 元希が優しく諭すと乱入者はすっと我に返ったらしく、自分の居場所や何をしていたかを思い出したらしい。恥ずかしそうに俯きながら、しかし確りと答えを言い淀む。

 凛々しい太めの眉と意思の強さが光る鳶色の瞳が男らしいのに、ふんわりウェーブが効いたダークブラウンの髪を右側だけ垂らしている辺り、今時のお洒落男子っぽい。

 元希とどう言う知り合いなのか、そもそも知り合った経緯とか気になるところだ。一般生徒とスポーツ特待生。共通点とかなさそうなんだけど何だか、他の誰よりも親しそうだし。

「分かった。何処か移動しよう。……と、その前に兼嗣、昼食はもう摂ったのか?」

「え? いや、まだだよ。授業が終わって直ぐに飛び出してきたから」

 そうだろうな。

 今だって横に座ってる自分の姿がどうも見えていないみたいだし。

 こんな時、正直どう言う行動を取るべきか迷う。

 そうしたら自分の困惑が伝わったのか、元希がチラリと視線を投げてきて「じゃあ」と彼、兼嗣君とやらに提案した。

「取り敢えず食事にしよう。話はそれからでもいいな?」

「そうだね、迷惑掛けてごめん。君の噂を聞いたら居ても立ってもいられなくなっちゃっ――あ、」

「お。やっと視界に入った?」

 そこで漸く彼は自分の存在に気付いたらしい。いや、一人で呑気に座って事を傍観していたのが悪いんだろうけど、彼の表情は中々に見物だった。

「兼嗣、彼が時期外れの編入生だ」

「おい、なんか嫌味を感じんだけど、気の所為か?」

「佐倉涼。そっちにもコイツの噂くらいは行ってるだろう?」

 綺麗に無視しやがったな。

「涼、こっちは俺の幼馴染で、分かってると思うが、スポーツ特待生の一人。五十嵐兼嗣(いがらし かねつぐ)だ」

 何だかんだ言いつつ、紹介されちゃあ挨拶くらいはしないとね、と思って立ち上がる。

 さっきは鬼気迫る迫力に気付かなかったけど、意外にも自分より背が少し低かった。それでも十分高い部類に入るんだけど。

「は、初めまして……だよね」

 何故疑問系?

「どうも。元希に幼馴染なんてモンが居るとはビックリだ。頑張れ」

「おい、それは嫌味か?」

「何言ってんの、悪口に決まってんじゃん」

「……ふはっ」

 どうやら驚きから脱したようだ。

 口元を手の平で覆って笑いの衝動を堪えている五十嵐は、元希のトーンが落ちた声にも反対の手で制止を掛けるので一杯一杯。それでまた元希が眉を寄せる。

 何となく、二人の関係が見えた気がした。


 食堂での食事中も元希と五十嵐のコンビは兎に角馬が合っていて、堅物そうなイメージが崩れなかった元希も唯の十七歳なんだって納得した。言うなればそうだな、五十嵐が来るまでは、母親がいない時に肩肘張って大人になろうと背伸びしてる子供みたいな感じだ。

 比喩なのに解り辛いとか言うな、ソコ。

「それで? お前が慌てる程の噂とは何だったんだ」

「あー、最強の番犬?」

「そうだったね、その事なんだけど……」

 やっぱり言い辛そうに言葉尻を濁すと、チラ、と五十嵐の視線が飛んでくる。

 ん? その意味ありげな視線は、何ザンショ。

「元希に嫌がらせしようとした連中が、悉く天誅を下されたらしくてね」

「……」

 天誅ねぇ。

 元希サン。苦虫十匹程、噛み潰したみたいな顔してますよ。折角の美顔が勿体無い。

 五十嵐は真剣な面持ちで元希と自分へ交互に視線を合わせながら、声を押し殺しつつ続けて言った。

「手を下したのは黒髪の男。白ジャケットを着てたって、やられた連中は口を揃えて証言してるから一般学生なのは間違いない。それから180以上の長身。学年徽章は二年のもの。やたら美形で一度見たら忘れられないような顔してるのに、誰もその男の事を知らないって」

「――どう考えてもお前の事じゃないか、涼!!」

 元希は小声で叫ぶなんて芸当をやってのけた。

「いやいや、元希サン。濡れ衣ですよ。ちょっと考えてみ? 黒髪っつっても日本人なら大体皆、黒髪だ。そうでなくてもカツラ被ればいいし。ジャケットだってそう。暗い部屋の中で白っぽいジャケット着てりゃ、一般学生だって考えるのは当然。180以上なのはお前だってそうだし、二年の中にもそれくらいの奴は他にもいるじゃん。それに、美形かどうかはソイツの主観。ハイ、終了ー」

 自分の反論に元希は口を噤んだが、五十嵐は逆に身を乗り出してきた。

「……ねぇ。僕は連中が何処で襲撃されたのか、況してや『暗い部屋の中でやられた』だなんて、一言も言ってないけど?」


 ……。


 …………。



 アハ、墓穴ー☆



 なんか、元希の瞳が何時にも増して鋭いし、五十嵐君の顔も笑ってんだか怒ってんだか、背後に般若が見えるようデス。

 っていうか、待って待って。少しでいいから、just a moment。その邪悪なオーラ、何処かに仕舞ってよ。心臓に悪いから。

 何よ、この居心地の悪さ。

「何で涼が知ってるのかな?」

「……えーっと、俺の冴え渡る勘?」

「嘘を吐くな。じゃあ、この手首に巻かれた包帯は何だ」

「け、腱鞘炎」

 その言葉と一緒に手首を掴まれて、シャツの下を曝け出される。ブルーとは言っても、殆ど白に近いシャツだから誤魔化されるだろうと考えていたのに、元希ってば意外と目敏いんだからなー。

「ハハ、やだなー。誘導尋問?」

「誘導すらしてないだろうが。というか、ちょっと待て。俺はそんな事があっただなんて、一度も聞いてないぞ」

 そりゃそうだ。一度も言った事ないもの。

「そうなの? あー、そうかもね。S組って別世界だから。主に3組で話題になってたよ。ほら、3組とウチ、近いから良く話すんだ。だから噂も情報も基本的に3組から持ち込まれるんだよね」

 ほうほう。Sクラは別世界、と。

「3組は噂好きが集まっているからな。特にそうなんだろうが」

 3組は噂好きなのね。

 OK。出来れば、そのまま脱線してくれ。

「でも、何たって3組だよ。裏取りはバッチリだって」

 裏取るって、どんだけ噂に命掛けてんだ。警察志望が多いのかよ。

 しかしながら、何て楽しそうなクラスなんだ3組。自分もそっちが良かった。

「……だそうだ、涼。そろそろ言い訳は思い付いたか?」

 嗚呼、元希さん……っ!

「……忘れた訳じゃないんデスネ」

 そう項垂れれば「当たり前だろう」と返って来る。なんてこと。

「じゃあ、やっぱり――」

「ご想像の通り、ってお答えしましょうかね」

 小さく息を吐き、ベルベットが張られた背凭れに背中を押し付けて、脚を組み直す。

 番犬の辺りで誤魔化せそうにないなってのは早々に察してたから、諦めに躊躇はない。ただ、事が事だから元希には黙っていたかったんだけどなァ。そうもいかないか。

「どう言う事が説明しろ」

「どうもこうも、五十嵐が言ってくれた通りですよ。詳細に説明する事は出来るけど、内容が内容なんでね。元希クンのお耳を汚すような真似は」

「涼」

 飄々とした態度は気に入らなかったかしら、なーんて。

 きっと元希は自分の事なのに知らない間に片付けられて、自分一人のうのうとしてるのが許せないんだろうな。もしかしたら自分を守る為に友人(って思ってくれてるのか定かじゃないけど)に手を下させた、とさえ思ってるのかも。

 言っておくけど、そんな大層な大義名分、立ててないからな。

「……涼」

 お顔が怖いヨ、元希サン。

 ったく、正義感に溢れてるというか、責任感が強いというか。

 溜め息一つで承諾の合図。だからお前まで痛そうな表情すんの、やめてくれ。

 見たくないから視線を落とし、太股の上にある自分の手を何とはなしに見遣って口を開く。

「陰口とか陰湿な遣り方は好きじゃねーの。まあ、陰口までは許すとしよう。文句一つ、面と向かって言えないような奴らだ、それで日頃の鬱憤が晴らせるなら可愛いモンだろ。元希もそんなので傷付くようなタマじゃねーし、幾らでも好きなだけ言えばいい。……でも、アイツ等は度を越えようとした」

「どう言う事?」

 目蓋を上げれば五十嵐まで真剣な顔をして。

 シリアスは好きだけど、自分がすんのは好きじゃないんだって。

 だけど二人の視線は続きを促すように強烈で、俺は答えない訳にはいかなかった。

 元希に視線を移して、標的が受ける筈だった最大の打撃を、言葉で。

「お前を傷付けようとしたんだよ」

 一言。

 もう一度、息を吸い込んで。



「一歩間違えば死に至る方法で」



 シ……ン、と辺りが静まり返ったような錯覚に陥った。

 瞠目する二人は流石にそこまで予想していなかったらしく、衝撃も一入だろう。

 当然だ、当初それを発見した俺も吃驚したんだから。

「だ、だからって何もお前が一人で行動する事はないだろう!」

 激昂した元希の怒声がホールに反響して、今度こそ本当に水を打ったが如く静かになった。教員生徒、その場にいる全ての人間の視線が元希に集まって何事かと囁き合う。

 元希が椅子に座り直すと視線は散ったが、中には堂々と離れない者もいた。それでも此方から視線を投げてやれば蜘蛛の子を散らすように、そそくさと食堂から出て行った。

「どうして教師に報告しなかった、いや、俺や他の人間に言うくらい出来ただろうっ」

「お前に言ってどうするよ。それこそ相手の思う壺だろうが。そもそも教員に報せたところで、事態が解決するか。お前は奴らがどれだけ巧妙にお前を害そうとしたか知らないから、ンな悠長な事が言えんだよ」

「巧妙にって……一体どんな事を」

「言えない」

 五十嵐の尤もな問いは端から切って捨てる。だが、五十嵐は怯まなかった。

「それでも涼、君の行動は浅慮だったよ。僕が聞いたのは単独犯だったから今まで何も言わなかったけど、話を聞く限り相手は複数人グループ。しかも教師に気付かせないくらいの知能犯なんでしょ? そんな相手に一人で立ち向かうだなんて、あまりにも無謀過ぎる」

 そうか、奴らは単独行動だと主張したのか。

 まあ、普通に考えりゃその方が罪は軽くなるわな。全く、何処までも姑息な奴らだ。

「教師は無意味だって君は言うけれど、ちゃんとした証拠を提示すれば教師側だって対応出来る。それだけの行動を起こせる涼なら、それくらいお手の物でしょ? それに元希も家が家だから、護衛なりSPなり付けられるん」

「あのさァ」

 言葉を被せて説教じみた長台詞を遮る。

「理性論の話なんてしてねェんだよ」

「……っ」

 俺の怒気に息を呑んだのはどっちだったか。

 あーぁ。

 怒るのは好きじゃないのに、思い出すだけで苛立ちが募る。肺の奥から息と一緒に苛立ちも吐き出すが、最近の出来事ゆえに中々治まらない。

「俺も。怒ってんの」

 静まれー静まれーって莫迦みたい唱えれば、本当に馬鹿らしくなって苛々も小さくなっていく。

 そうそう、いつも笑顔の涼ちゃんを思い出せ。

「五十嵐が」

 ふぅ、ともう一回息を吐き出して、そこで途切れば彼の肩がビクリと揺れた。

 うん、なんか色々とごめん。

「五十嵐が初対面にも関わらず俺の身を案じてくれてるのは分かる。感謝感謝」

 だけどさ、胸に手を当ててホッ……とか、安堵の仕方が丸分かりなんだよな。

 こっちが悪いのは解ってるけど、流石に傷付くぞ、それ。

「それから、元希が何かごちゃごちゃ考えてるのも、解ってるつもり。でもな、いくら事勿れ主義の俺でも、性根の腐った輩にダチが傷付けられそうになってるのを見過ごせる程、腑抜けになった覚えはねェのよ。そこんとこ、解って頂ける?」

 最後だけでも戯けて言えば、元希は溜め息一つで理解を示してくれた。

 えっと。そう言う解釈でいいんだよね? ね?

「お前の何処が事勿れ主義なんだ、とだけ言っておこうか」

「真面目に事勿れ主義じゃん! なあ、五十嵐もそう思わない?」

「いや、ごめん……僕はほら、今日会ったばかりだし、ね?」

「あれ? っかしーなー。五十嵐の反応が悪いよ、元希。なんか引かれてるっぽい」

「自然な反応だろう。初対面なのに、いきなりダークな面を見せるからだ」

 俺も百歩くらい引いたぞ、なんてそんなにぐっさりとトドメ刺さなくていいから。

 元はと言えば、初対面なのに五十嵐が突っ込んでくるから深く入り込んだ話題になっちゃったんだろー! と責任転嫁しておこう、心の中で。まだね、ほら、一日目だし。

「だいたいさー、言いたい事あるなら、はっきり面と向かって言えっつーの。原因って、突き詰めればそれじゃね? だから歪んだ方向行くんだよ」

 人間、何事も溜めるのは良くないよね。色んな意味で。

「そう言えば涼はハッキリ言ってたよね、ははっ。悪口、だっけ?」

 笑いながら言う事か!

 悪口とか嫌味はまあ、元希とのコミュニケーション法の一つだけど、今日のは絶対元希に非がある筈だ。

「それは元希が嫌味言うからだろー? 俺が一限目、あれだけ愛を捧げたってのに」

「何が愛を捧げただ。あんなに茶化した愛の言葉を喜んで受ける奴がいるか」

「ほう……?」

 それってつまり、と名案が思い浮かぶ。

 元希は上手い具合に正面に座ってるし、丁度イイや。五十嵐もどことなくワクワクと観賞モードに入ってるし、完璧に俺達の遣り取りを見守る体勢だ。

 いいだろう。

 キャストも観客も揃ってる。

 俺は今、役者だ。

 誰も彼もを誑かす魅惑の麗人が、自身の想い人に抑え切れない愛を囁くシーン。



「――元希」


 ぐい、と彼のネクタイを力任せに引っ張って、


 自分もテーブルの上に乗り出して、


 互いの吐息が掛かるくらいに顔を寄せて。


 驚きに目を見張る元希の頬をそっと一撫で。




 静かな情愛と烈しい熱情とが綯い交ぜになった感情に、一刷きの笑みを乗せる。






「なあ、俺のモノになって?」









 後に残された俺と五十嵐は半ば呆然と元希の消えた廊下を眺めていた。

「……ウサイン=ボルトも真っ青の走りっぷりだったね」

「……世界新、塗り替えたんじゃね?」



<突発! 外国語講座>

I love you.(英語:愛してる)

我愛你.(中国語:愛してる)

Io ti amo veramente.(イタリア語:マジで愛してんだって)

Ich liebe dich?(ドイツ語:愛してるよ?)

Je t'aime, Motoki!(フランス語:愛してる、元希!)

サランヘヨ【사랑해】(韓国語:愛してる)


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