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常世の箱庭に惑う

作者: 天羽不由乃
掲載日:2026/06/18

【pixivにて公開済み】

 今度の引越し先はどこだと思う?と、このお気楽な上司が、人の苦労を知らないような柔らかな笑みを浮かべて聞いてくるものだから、腹いせに、向かい側に座る男の足を軽く蹴ってやった。

「痛っ!ごめん、ごめんって」

 昼食を終えて席を立とうとすると、慌てて引き止められた。

「まだ何か?」

「辛辣だなぁ……」

 悠真が遥の左手首の端末に触れると、空間に三つの建築物の立体画像が浮かび上がる。

 すると女性型のパーソノイドが近づいてきた。

「平河さん、斉藤さん、下げてもいいですか?」

 二人が同時に「どうぞ」「ありがとう」と返すと、彼女はくすりと微笑みながらトレイを手に取る。

 時は二一四二年。

 武蔵野にある住環境科学研究所の食堂は、相変わらず静かだ。永生(えいせい)技術が普及して四十年余り、働き手の大部分をパーソノイドが担い、生活のほぼ全てが保障されるようになった今、このような研究所に通う人間は全国でもそれほど多くはないという。

「次のライフ・リセットの最終候補が三つに絞られたよ。君と俺とのペアで、実際に視察してデータを取ることになった」

「は?」

 これまで事前の視察も実際に暮らしてデータを取ることも、一人でやってきた。それが急に二人でと言われて驚かないはずがない。そんな遥の心中を知ってか知らずか、悠真は説明を続ける。

「最終候補は、渋谷のスマートタワー『天浮橋(あめのうきはし)』、長野のヴィレッジコミュニティ『中つ国(なかつくに)』、意識体シェアプラットフォーム『天御祖(あめみおや)』での仮想層移住。この三つだ」

 「ライフ・リセット制度」は、個々の閃能(せんのう)が衰えれば社会全体が停滞すると、秩序を司るセントラル、「常世(とこよ)」が危機感を抱いたことが発端となり誕生したもので、この二人を中心としたチームがその実証研究と構想発案を任されている。


 武蔵野の木々が、秋の色に染まり始めている。あと半年もしないうちにまた、遥の生活基盤は丸ごと変わる。データを取るためだけに、家具も、人間関係も、記憶さえも最適化される。毎回これだ。

「どうせまた、最適解を押し付けられるんだろ」

 研究室に戻った遥は再び映し出した候補地に手をかざし、表示された文字を目で追いながらひとりごちる。これまで研究員として、与えられた環境を検証してこいと言われるがまま従い、そこで生活すると共にデータを取り続けてきた。だから、今の時点で複数の選択肢を提案されていたとしても最終的には一つになるのだろうと、ぼんやりとそう考えていた。

 悠真は目を細めて笑った。

「いや、今回は本当に君が決めていいんだ。君の順応率と閃能指数はチーム内で突出しているし、それくらいの融通はきく。それに、これが最後の引越しになるかもしれないんだよ」

 その言葉に遥は眉を寄せ、わざと聞こえるように大きくため息をつく。

 脳血流スキャンと特殊なテストにより算出される閃能指数という数字のお陰で、他の研究員よりも短いスパンで住居を転々とすることを強いられているようなものだ。

「この仮暮らしの生活も、やっと終わるんだな」

「次のフェーズへの移行だ。君がいなければ、この研究の成果を出すのにもっと時間がかかっていたはずだ」

「言い包められている感じがすごいんですけど。……でも、アンタは本気でそう言ってんだよな。性質(たち)が悪い」

 遥は頬杖を付くと、悠真の顔をじっと見つめた。お気楽なようだが意味のない冗談は口にしない。そういう男だ。

 この斉藤悠真という男の実年齢は六十歳を超えているが、外見は三十代前半のままだ。永生技術が実用化して間もなくこの研究を始めて今も続けている数少ない変人の一人である。


 十年前、北部九州。物覚えのつく前から過ごしていたホームの施設長から急な呼び出しを受け、遥は執務室を訪れた。

「セントラルアカデミーが君を是非にということだ」

「え?」

 十八歳になるまでホームで過ごすつもりでいた遥は面食らった。それは表情にも態度にも然程出ず、施設長は構わず説明を続けた。

「毎年同じことだろう。どこの教育プログラムを受けるかはセントラルが決める。……世迷いごとは口にするなよ」

 遥は施設長の有無を言わせない言葉に押し黙る。

 十五歳という若さで最高峰の教育機関に身を置くこととなった遥は、アカデミーでも常に色眼鏡で見られ居心地の悪さを感じていた。しかし、その年の秋に転機が訪れた。師事する教授を探すため、いくつもの研究室を訪れていた中でのことだった。

「君があの平河君か。この研究室の代表を務める斉藤悠真だ。ここでは、心理学と住環境科学を掛け合わせた研究をしているんだけど……この分野に、興味があるのかな」

 アカデミーでは、二つ以上の異なる分野を履修し統合することによる新たな視点の開発が求められている。そう尋ねられても、専攻したい分野の一つさえ思い浮かばない遥は言い淀んだ。

「よく、わからなくて」

「この分野より、もっと目新しいことをしている研究室なんかいくらでもあるからね」

 遥はすぐには返事をせず、悠真がモニターに視線を戻そうとした時にようやく口を開いた。

「こんなに、何もかもが整っている時代に……博士は何を目的に研究されているんですか」

 歯切れの悪い返事に加え、初対面にも関わらず放たれた不躾な質問に、他の研究生たちが僅かに眉を顰めたことに遥は気づいていた。だが、顔を上げると、予想に反して悠真は穏やかな笑みを浮かべていた。

「博士なんて呼ばれると、老け込む気がするから『斉藤さん』か『先輩』で頼むよ」

「はぁ」

「目的か……こういう時代だからこそ人が前を向いて生きていけるように、だよ。まあ、俺の興味に他ならないんだけどね。君にも何か、突き詰めたい事があるのかな」

 穏やかな声に誘われるように口から出そうになる言葉を、遥は飲み込む。施設長の言葉が頭に過った。

「あ。……これは単純に数が欲しくて、手伝ってくれると助かるんだけど」

 協力の同意を取ろうとしているようだが、その中身が全く見えず、遥はやや不審に思いながらも緩く頷いた。

 促されるまま椅子に腰を下ろすと、研究生たちが慣れたように動き出す。側頭部に一枚ずつ小さなパッチを貼りつけられ、手元にはタブレットが渡された。画面には何かのテストなのか、簡単な設問もあれば答えのない抽象的な設問もあり、移り変わる文字に従い解き続ける。わけがわからないまま全てを解き終えた遥は、モニターの前に座る悠真の背に視線を送り救いを求めていた。すると、周囲が騒ついた。

「見たことがない色だ」

「平均値のほぼ倍じゃないか」

 振り向いた悠真にはあの穏やかな笑顔はなく、遥は思わず目を逸らした。

「君の脳血流をスキャンしたんだけど、すごいよ。確かに優秀だと脳全体の血流が良い傾向がないことはないけれど……。閃能指数は創造力とも相関していて、でも要因はそれだけではないし、まだわからないことだらけだっ、痛っ」

「わからないことだらけなのは俺の方だ!」

 溢れる好奇心に目を輝かせながら距離を詰めてくる悠真の足を蹴り、遥は研究室を飛び出した。

 翌日、悠真自ら教室に足を運び遥に謝罪した。それから遥は、「自由にどうぞ」という悠真の言葉に甘えて研究室を度々出入りしているうちに研究生として名を連ねていた。

 指定された教育プログラムを終えた者の多くは、旅を繰り返したり、趣味に没頭したり、仮想世界で無限に遊んだりしている。正式な研究員となったところで、名声が得られるわけでもなく、特別高い報酬が得られるわけでもない。それでも、遥はこの研究が嫌いではなかった。


「この候補地は、君の構想が元となっているんだろう。当日の案内はよろしく頼むよ」

 遥はその声に引き戻され、顔を上げると、悠真は相変わらず笑っていた。

「永遠の時間を生きる人の閃能の変化を、俺たちで確かめよう。今回は一人ではなく、二人でね」

 二人で、という言葉に遥は眉を顰める。この条件では、引越し前の記憶の最適化がどのように処理されるかわからない。また記憶を弄られるのかと思うと腹の底がざわついたが、だからといって素直に弱音を吐けるはずもない。

「言うことが一々くどいんだよ」

 遥は小さく舌打ちをして、この男は何の相談もなしに勝手に決めてくれると、また足を軽く蹴る。

「痛っ」

「腹いせだ。……まあ、視察は付き合う」

「ははっ、それはよかった」

 からりと笑って席を立つ悠真を、遥は眉を寄せたまま見上げる。蹴られても少しも嫌な顔をしないこの男には敵わない。

「正直、俺は天御祖に興味があるんだ。意識同期をすれば、君と俺の閃能がどう混ざるか……データとしてすごく価値があると思う」

 それを聞いた遥の手が止まった。意識同期。通常の会話で生じる齟齬も、天御祖の中では完全に取り払うことが可能となる。違う分野の専門家同士の学術的な会話でさえ、天御祖の中では難なく成立するだろう。候補地の中では最も先鋭的で、研究者であれば迷わず選ぶはずだ。だが、遥はそのリスクも理解しており次の住居として選ぶには躊躇いがあった。まさかこれが実現するとは思いもしなかったのだ。

「渋谷か長野の方が現実的だと思う」

「だから視察に行くんだよ。三つ全部を見て、データを取って、議論して……それから決めよう」

 悠真の声は明るかったが、そこにはいつものお気楽さはない。



 翌週から、候補地の視察が始まった。

 初めに訪れた渋谷の天浮橋は、地上五〇〇メートルを超える超高層複合タワー群。

 案内された最上階の一室に足を踏み入れると、白い床は木目状に、白い壁は温かみのある象牙色に変化した。それは、かつて悠真が家族と共に暮らしていた家を想起させた。

 そのまま扉を開いてソファーに腰を下ろすと、象牙色の壁と天井に断片的な映像が映し出される。

 優しげな面差しをした女性と十二歳くらいの少年が、悠真と共に四人掛けのテーブルに座っている。

「あれは……」

「妻子だよ。……話したことがなかったね。永生が始まって十年程経った頃、だったかな。俺の家族は皆、『もう十分生きた』って意識を仮想世界にアップロードしてしまった。今もコクーンの中で眠ったままなんだ」

 遥は目を丸くする。そうしているうちにふわりと映像が消え、十年程前に起きた事件のニュースが流れた。

「……平気なのか」

「もう、整理はついているよ。それに、あの頃、まだ研究生だった君のあの問いが、今でも忘れられなくてね。人が生きる意味を失わない社会を作りたいって思えたのは、君のお陰だよ」

 あの問いは本心だった。遥にとって悠真は、自分の率直な疑問を受け止め誠実に返してくれた初めての大人だった。

 押し黙る遥を尻目に、悠真は本題に戻す。

「さて……ここは、閃能持続の観点ではどうかな」

「確かに設備は申し分ない。情報処理速度も、タワー内仮想空間でのコラボレーションの機会も豊富だ。ただ、短期的なメリットは大きいけれど、閃能指数は三年後に平均で十二パーセント低下するデータが算出された。刺激が強すぎて、脳が慣れて……いや、疲れてしまうんだろうな」


 天浮橋の共有ラウンジの窓は透明度の高い硝子張りで、地上の光がまるで夜空に浮かぶ星屑のように輝いている。

 黒いベストを着たパーソノイドのウェイターが、カクテルとウイスキーのグラスを静かに置いていった。

「閃能パターンに合わせると、思い出したくない記憶を引き起こすような映像が出るのはどうかと思う」

「確かに、あのニュースは好んで観たいものではないね」

「あれは俺のせいだ。技術班に報告しておく。天浮橋のデータを洗い直す必要もあるな。あと、住人からの不具合の報告も」

「責めているわけではないよ。……珍しいね」

「珍しい?」

「今時、家族の話をしたり、聞いたりすることもない。そもそも人と関わる時間がかなり少なくなっている。家族がいても連絡をとらないのもザラだ」

「想像くらいはできる。……伊達に古い本を読んできていない」

 遥の育ったホームには旧時代の書物を集めた書庫があり、時間の許す限りそこで紙の本の頁を捲っていた。

「ははっ、そうだ。それが君のおかしな人間味の源だったな」

「おかしなって何だよ。まあ……確かに、ホームでも変人扱いされていた」

 旧時代の書物から生じた疑問をホームの職員にぶつけた時の彼らの表情は今でも忘れられず、遥は苦笑する。

「それが、君を生きづらくさせないといいんだけどね」

 かつて、この世を離れる決意をした者。自らライフ・リセットを希望する者。その背景には、天地が返る程の価値の崩壊がある。永生技術により身体、精神までもが若返っても記憶や染み付いた価値観は容易には変わらない。その状態で生き永らえるのは苦行に過ぎないと感じる者も、少なくはない。旧時代の書物には、それらの価値観が星屑のように散りばめられている。

「生きづらさ、か。……常世は、俺たちをどこに導こうとしているんだろうな」



 二つ目の候補地、長野の中つ国には、天浮橋とはまったく違う空気が漂っていた。

 聳え立つ山々の裾野に広がる広大な森の中に分散した低層住宅群と、住民のための共同施設。パーソノイドの数は最小限で、人間同士の緩やかな交流が推奨されている。既に暮らしている住民もいて、公園や日用品店などですれ違う際には軽い会釈を交わした。

 湖の水面には赤々とした鮮やかな紅葉がまるで鏡の中に映り込んでいるようで、この季節特有の幻想的な風景が人の目を楽しませる。湖の側の遊歩道を歩きながら、二人はデータをまとめた。

「ここは確かに落ち着く場所だけれど、刺激が足りないと、半年以内に閃能指数の伸びが頭打ちになる可能性が高い」

「そうだな。君自身はどう感じる」

 先を歩いていた悠真が立ち止まり後ろを振り返る。

「悪くはない。武蔵野の研究所みたいに、静かに考えられる環境だ。でも、俺たちみたいな人間には、少し物足りない気もする」


 夜、コテージのテラスで星を眺めながら悠真が呟いた。

「ここに来て、なんだか懐かしい気分になったよ」

「懐かしい?」

「君は、昔は当たり前だった庶民的な二階建ての一軒家を知らないだろう。集合住宅だけが住居ではないからね」

「本当に、先輩は旧時代を知っているんだな。文字だけじゃなくて。教科書の三行だけに収まらない何かがないと、こんなことにはならないはずだ」

 いつも笑みを絶やさない悠真が珍しく目を見開いており、遥は施設長の言葉を思い出し目を逸らした。

 悠真は再び夜空を見上げ、そのまま聞こえなかったことにするのかと思うくらいに間を空けて、ようやく口を開いた。

「そうだね。本当に、一夜にして変わったんだ。……酷かったのはその後だ。永生技術を拒む人々との分断。価値観の崩壊。急激な変化に耐えられない者は多くて、集団で命を絶つようなこともあった。俺の家族が仮想世界に意識をアップロードしたのも、その内の一つだ。……何が『もう十分生きた』だ。言うほど長く生きていないのに」

 珍しく悠真の顔に影がさした。

「……悪かった」

「いいんだよ。そういう混乱が落ち着いてきたのがちょうど君ら世代が生まれた頃だけれど、君たちもその混乱が生んだ犠牲者ともいえる」

 悠真は夜空を見上げたままそう言った。



 最後の候補地、天御祖は最も異質だった。

 東京地下にある仮想層への意識転送装置は、いくつもの扉を越えた先に設置されていた。今回は、まだ調整中のところを悠真が無理を言って許可をとったのだとか。

「これって、意識をアップロードするのとはまた違うんだよな」

 天御祖を管理する技術者たちの指示に従い、遥と悠真は丸みを帯びた銀色のコクーンに身体を横たえる。

「ああ、似ているけれど違うね。体と意識は紐づけられたままだから安心して」

「……子ども扱いしてないか」

「ははっ、気のせいだよ」

 今回は重力も物理法則も現実世界と同様の設定で、部屋の造りはシンプルな1LDKだが広々と設計されており窓からは空も見えた。他に人がいないというだけで、現実世界と何ら変わりない。

 隣の悠真の部屋を訪ね、二人はリビングのソファーに腰を下ろした。

「よし、やってみようか」

「……やけに楽しそうだな」

 意識の同期を開始する方法は至ってシンプルで、

「SYNCHRONIZATION:MEDIUM(中程度)

 コマンドを発するだけだ。

「おい、先輩」

「うん、軽い同期だ」

「何が軽いだ!さっきMEDIUMって……っ」

 意識がわずかに混ざり合う感覚。自分の物ではない思考の断片が、意思とは関係なく流れ込んでくる。

 家族を失ったことの悲しみ、研究への熱意、それから、遥と共に研究を続けたいという、静かで確かな意志。

 意味はなくとも悠真から距離を取ろうとするが、足に力が入らない。

「そう慌てなくていい」

 悠真の穏やかな声に、遥は目を閉じ呼吸を整える。同じ状態のはずなのに、この男はどうしてこうも落ち着いていられるのか。わずかな苛立ちのお陰で気が紛れたような気がした。

 清流のような思考の流れに、遥は自分の境界が少しずつ溶かされていく錯覚を覚えた。それから、心の奥底を静かに覗き込まれているような不思議な居心地の悪さを感じた。

 同期時間はわずか十五分だったが、終了後にコクーンの中で目醒めた二人は、しばらく無言だった。

 技術者が同期のデータを悠真に示すのが、ぼんやりと見えた。

「閃能指数の相乗効果は予想以上だ。ただ、自我の境界が曖昧になるリスクも無視できない。君は、どう感じた」

 遥は少し考えた後に口を開いた。

「悪くは……ない。でも、ずっとここにいると、俺が俺じゃなくなってしまう気がする。少なくとも、住む場所ではない、と思う。必要な時に使うくらいがちょうど良い」

 改善の余地ありだ。何が「日常会話の齟齬を取り除く」だ。その日常会話さえままならず、遥は妙な気恥ずかしさを覚えた。

 一方で、悠真は遥の危うさを感じていた。この永生社会では社会的な責任もそれほどなく、モラトリアムさえ経験しない、もしくは遷延する。遥の危うさは、この世界の歪みを象徴しているようにも思えた。



 天御祖の視察を終え武蔵野の研究所に戻ると、研究室で候補地のデータをまとめた。

「正直、どこも一長一短だな。……本当に閃能を重視するんなら、どう考えたって一人より二人の方がいい。なのに、今は家族とすら連絡を取らないのが普通だ。一人でいるのが当たり前になっている。矛盾してないか」

 悠真は椅子を回して遥の方を向き直った。

「逆だよ。人が一人でいるから必要なんだよ。仮想空間では薄く繋がっているけれど、本当の意味で誰かと共にいる感覚は希薄だ」

「たしかに、そうかもな」

「君の言わんとする事はわかる。原因は明らかなのに、それに対してメスを入れずに対処療法しか施さない。そんな感じだ」

「メスを入れる?」

 その喩えは永生時代生まれの遥には分かりづらかったようで、くすりと笑って悠真は言葉を続ける。

「俺個人としては、今回の一番の収穫はやっぱり天御祖だね。住居向きではないけれど。なんだかんだで君はこの仕事が凄く気に入っていて、俺と同じ変人だってことがよくわかったよ」

「はぁ?!勝手に人の心を覗くな」

「お互い様じゃないか。……でも」

 悠真が言葉に詰まることは珍しく、遥は次の言葉を待った。

「……率直に言って、君にこれ以上の負担をかけ続けるのは限界だ。次のフェーズでは個人単位の検証から、二人同時のクロス検証に移行する。でも初回以降は他のメンバーに任せて、俺たちはコミュニティ全体における閃能持続システムの設計へ移行する予定だ。まだ調整の段階だけれどね」

 口を挟もうとする遥を遮るように悠真は言葉を続ける。

「君の閃能指数は、環境が変化しても高い安定性を示す極めて重要なサンプルだ。被験者として理想的ではあるが……それを過度に利用し続けることには、個人的に抵抗がある。だから、次が最後だ」

 遥はふいと顔を背ける。

「またそういう……過保護すぎないか」

「相棒だから言うんだよ」

 ちらりと見えた遥の表情は和らいでおり、悠真は安堵の笑みを浮かべた。

 作業を終えて研究室を出ようとした遥は、ふと足を止めて振り返った。

「旧時代でいう寿命が来たら、ライフ・リセットを選択するのか?」

「今のところ、その予定はないよ」

「そうか。なら、いい」

 ドアが閉じて遥の後ろ姿が見えなくなると、悠真は項垂れた。

 天御祖で感じたことは、遥に話したことが全てではない。心の奥底に見えたのは、研究に対する物とは別の強い疑念と探究心。おそらく、それが遥の閃能の源となっている。初回にも関わらず同期程度を中としたのはそれを確かめる目的があった。

 それから、中つ国では遥に対して旧時代の終焉から、永生時代の黎明にかけての出来事をあのように語ってみせたが、これまで事ある毎に話してきた内容だったはずだ。それを遥が忘れるとは考え難い。また、悠真自身、旧時代の終焉から永生時代の黎明にかけての記憶が曖昧であり、記憶に空白期間があることを自覚している。

 これらが意味するところは何か。


 研究所の一角にある転送ゲートを潜ると、今の住居は目と鼻の先だ。

 建物のエントランス内には住居エリアに続くゲートとは別に、重厚な造りの扉があった。

 開けた途端に空気が変わる。普段の生活ではあまり馴染みのない、古い紙とインクの匂い。

「お疲れ様です。お久しぶりですね。何か、調べ物ですか?」

 受付のカウンターに座っていた女性が、扉を開けた遥に気づいて笑みを向ける。彼女もまたこの特殊な住居に暮らしており、この書庫の管理者の一人だ。心身調整のない一般公募で転居してきた、という点において遥とは異なる。

「少しね」

 何気なく応える遥の態度に、その女性は目を丸くする。

「なんだか、雰囲気が変わりましたね」

 そう言われて、遥はこれまで彼女に対して今以上に素っ気ない態度しか取っていなかったことを自覚した。半年間のデータ収集を終えた後、研究業務に戻るためにライフ・リセット以前の記憶を戻すことにより生じる人間関係に関するバグだ。

 同心円状に広がる本棚から目当ての本を探すのは骨の折れることだが、ここではパーソノイドに声をかけると選んで机上に並べてくれる。資料といっても、フィクションの古い小説や古い学術書などで、AIに尋ねたとしても返ってこない答えが無数にある。そうして、遥は旧時代の暮らしに思いを馳せる。人々はどう暮らしていたのか。永生時代はいかにして始まったのか。ホームの書庫を訪ねていた頃からその手の疑問は止まない。

 本の間に挟まっていた紙を広げると、「世界地図」と書かれていた。

「……なんだこれ」

 青い海の中央に小さく日本列島が描かれているだけだ。遥は首を傾げ、別の本に視線を移した。


 その夜、遥は奇妙な夢を見た。

 白い部屋の中で寝台に横たわっていると、姿は見えないが何かが顔を覗き込んでくる。

「次はどう動く?」

「また同じ疑問を抱くだろうか?」

「記憶の整合性を最優先する」

 そして額に手を触れられ、意識が遠のいていくのを感じた。

 目が覚めると、左手首の端末に新しい通知が入っていた。


 差出人:セントラルAI常世管理局

 件名:Re:次回実証実験における記憶最適化の詳細について


 次の引越し先はまだ決まっていないというのに、我ながらそういう気だけは早いと遥は苦笑する。

 「次が最後だ」という悠真の言葉を聞いたあの時、どこか気持ちが軽くなった。その時はよく分からなかったが、心の底で、記憶の最適化を恐れていたのだと今ならはっきりとわかる。

 これからも不安は消えないだろう。それでもその先を見たいと思えるのは、何故だろうか。

 風に枝葉が揺れる。遥は窓の外に広がる秋の闇に目をやり、静かに息をついた。

 SF小説のコンテスト応募のために書きました。処女作です。SFとはなんぞやから始まったので、ネタ提供などAIさんには大変お世話になりました。

 初めは明るい哲学系方向で進めていたのですが、徐々にほんのりディストピア系になり、トランスヒューマニズムSF、社会派SFチックなものに落ちつきました。

 同期シーンでは思わぬ副産物も創造してしまいまして大変満足しています。今の私に書ける一番良いものが書けたような気がしています。

 主人公の遥は何気に25歳であのツンツン具合。普通なら幼すぎないか?とも思うのですが、このような設定なので、この世界のせいだな。と腑に落ちました。キャラに関しては完全にファンタジーですね。

 読んでくださりありがとうございました。

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