なろう文学
――前書き――
自分は当事者ではないので正確ではありません。
文句あるならあんたら自分で書け。
――
去年のこと。
国民民主党の台頭とともに減税の気風が起こり、見事108万円の壁が崩壊した。
これは長らく続いた日本の増税文化および経済的視点に大きな変化を与えた。
そう、バブル崩壊からゆっくりと衰退してきた日本経済の見直しという点で。
それだけでない。
昨年の参議院選で参政党が躍進した。
これは右翼政党というアイデンティティもあったが、今年の高市自民の躍進と照らし合わせると、単に右翼、保守とは言い難い、テレビからネットが主戦場になったというところが大きい。
これは、、やや偏った見方かもしれないが、テレビの推す中道が大きくこけたところが大きい。
ただこれは私の政治思想を述べるものではない。
確実に言えるのは2026年において、日本人の、いや、トランプの躍進なども込みにすれば、世界でネットが情報文化の中心になりつつあるという事実だ。
国民民主の躍進もまたネットの影響が大きかったはずであることも考慮すると、時代の気風が大きく変わっているのがわかる。
もう一度言うが、これは右翼左翼などそういう政治の話ではなく、文化の話である。
ややテレビから煙たがられていた主張が、ネットにおいて人権を持ったということだ。ネットであれば自由に言論ができる。そしてそれが今までの社会の常識、偏見を覆したり、見直されつつある。
それが結果として現れたのが108万円の壁なのだ。しばらく減税などできなかった日本が別の方向にも目を向けだしたのだ。
テレビには無かったネットの言論の自由とは、多種多様な情報や考え方の交流のことである。
ネットはテレビによる主観、専門家の主観だけではなく、ネットの多種多様な主観的な発言を見られる場所として機能しているのだ。
正直、テレビの意見が偏っているのは言うまでもない。その点、ネットは偏ったものが沢山あるという点で客観視できる。テレビは一つの方向性の話をして、世論を誘導できる。してきたと言ってもいい。それら専門家の意見などどの局でも同じであるし、その上、それを批判する専門家もどこにもいない。一方に偏っている。
これは私の主観もある。ただこういうことが言えるのがネットだ。
ネットならこう他の意見も存在できる。それが正しいかは読者に依存するが。ある種、多様な意見があるという点で、客観的に社会を見ることができる。テレビよりも。
ネットが万全ということを言ってるわけではない。
ああだからだ。
今まで社会の常識ではなかった、誰かの人生。
だからここで私は、その人生を振り返ることができる。
そうは思わないか?
この前、私の父親が死んだらしい。
母親から葬式の案内が届いた。
もうずっと疎遠だったから、らしい、と言っただけ。
死んだ顔など見ていない。
でも死にました。
少し、どこか胃の重いものが無くなった気分でした。
というのは私は父親の理想の子ではありませんでしたから。
そう、無かった。
これはもう終わった話。父が死んでそう実感します。
父がいなくなって、私はもう完全に父の望む人間にならなくて良いのだから。
私の生まれは裕福でした。町の子供たちが首が痛くなるほどの高い豪邸に住んでました。
だから幼少期はずっと羨ましがられました。
私も誇らしかった。
というのはその家は父親が、貧乏であった父が頑張って建てた家だからです。
世間がバブル崩壊で揺らいでも、父はむしろ自分の働きに誇りを持っていました。
父がそう自慢しました。
私もそれを友達に自慢しました。
自分が凄いというより、これも、父が凄いと言ってるようなものでしたが。
どちらにせよ友達は私をおだてました。これが嬉しかった。
私が何か、高そうなものを見せると喜んでくれるのです。友達の楽しそうな笑顔を見るのが好きでした。そしてそれこそが友情だと信じたのです。
ただ私は彼らとは違ったようです。
彼らは外で遊んでばかりいました。アホみたいにボールを蹴ったりしていました。
私はよく彼らに言いました。
父がよく私に言うように言いました。
そんなことより私のように勉強した方がいいと。でなければ碌な人間にならないと。
浮浪者や昼でも公園にいるスーツ姿の男を眺め、彼らも半分同意でしたが、欲望に負けて遊んでばかりいました。
彼らは愚か。現実を知らない。危機感が足りない。
窓の外は猿ばかり。
勉強するほどに私は賢くなり、それがよくわかるようになると、私は彼らを嘲り、あまり遊ばなくなりました。
この嘲笑とは私と彼らが崇めていた憧れに等しいものでした。父と、学歴への崇拝です。
私は幼少期から父の教育方針に従って、勉強をしていました。
この時間が歳を上がるごとに増え、その分、私の成績もテストでは毎回百点を取るほどに完璧だったのですが、やはり彼らと疎遠になりました。
子供心から来る遊べない窮屈さが、私の鉛筆を尖らせもしましたが、それをそのまま嗤いながらノートになぞりました。
楽しいのは今だけだ。と。
将来のことを考えれば私のこの努力は紛れもなく正しいのだと。
ええそうです。父はバブル崩壊の中で生き残った側でした。
落ちていったを堕ちていった。堕落のせいだと決めつけていました。
それが偏見だったことは、今の時代になって明らかになりましたが、あのときの社会の気風は悉く失業者や浮浪者を努力不足だと断罪してきました。
メディア、漫画、学校の全てが努力の素晴らしさと、自己責任を広めていました。
それは今に始まったことではありませんが、いじめなどもあのときはいじめではなかったようです。
私が一時期、不良から除け者にされて孤独だった時も、学校はもちろん、父親も私が逃げることを許しませんでした。
こういうのは恐怖でもあったのです。ああいう風にはなるなと。
あるいは愛でもあったのでしょう。
父は私に腐った林檎を渡しました。
私はそれを知恵の実だと信じて、ずっと勉強してきました。
そうずっと。
父は私によく云いました。なぜ彼らが堕ちたのか、それは大学に行っていなかったからだ。と。
勉強が辛いほど私は頑張っている。
今が辛いほど意味のあること。
遊ぶのも眠るのも怠惰。
恋なんて馬鹿のすることだ。
勉強の成果もあって私は有名な大学へ入学できました。
無事に受験成功をして、両親とも飛び跳ねて喜んでくれたのを覚えています。
私の方は、長らく身体に張り付いていた重たいものが少し溶けた気がしました。
私は生き延びられたのだと。
でもその溶けたものがすぐ胃のほうに落ちて、塊となってもいきました。
大学は今まであった田舎臭さなど嘘のように消え去って、私と似た坊ちゃんが沢山歩いていました。
大半は私と同じでした。
受験が成功した喜び、努力の価値を噛みしめていました。これからの安泰に歓喜していました。
しかし少数、髪や肌の質が良い、明らかに異質の彼らはむしろ平然としていました。まるで機械のように余裕に満ちていました。
また彼らの一部は私たちをやや滑稽そうに見ていました。それもどこか心の無い機械のように。まるで別の生き物でした。
大学生になって親元を離れ、私はそこそこ広い一室に引っ越しました。
仕送りが十五万円。大学生活をするには十分すぎるくらいでした。
これは父の慈愛でした。今まで頑張ったから大学ではバイトなどせず遊べと。
私はなかなか真面目だったので、気を重くして、引っ越した初日からも講義の予習に励みました。
深夜、外で、同じところの大学生たちが騒いでいるのも無視して。
しかしこの予習にはがっかりしました。なんたって高校でやったことを上塗りしているだけでしたから。
すれば少し気が楽になるものです。大学は楽なんだと。やはり将来安泰だと。
だから二日目からは勉強をなるべくせず、今まで触れて来られなかった、漫画を読み漁り、音楽を聴きまくりました。テレビも見ながら、怠惰に過ごしてもみました。
そのおかげですぐ友達ができました。
講義室はつねに席が埋まるくらいなので、知らない人がよく隣りの席に来ました。
田中啓介という男もその一人です。他のお茶らけているのよりもふざけていました。
髪を金髪に染めて、チャラチャラと安っぽい恰好。陽キャ。
正直、この男が始め隣りに来たとき、私とはあまりに性格が違う、苦手だったので、関わらないようにしましたが、この男のほうからよく話しかけてきたからそうも行きませんでした。
「こんな授業受けてもしょうがねえのに、真面目過ぎだろ。噂になってるぜ、いっつも一番最初に来るやつって。なぁ、俺たち友達だろ? 次の講義の席、取っといてくれよ」
「わ、わかりました」
「敬語とか真面目かよ~」
チャラい。
啓介は私とはまるで真反対でした。
あのようにお願いされ、私が席をとってもほとんど授業に来ません。
いいえ、啓介だけではなく、まちまちとそういう人が増え始めました。
高校まではそういうのを忌むべき存在だと疑いもしませんでしたが、大学生になって気持ちが軽くなってそう深く考えることも無くなりました。
いえ、むしろ、私もそれくらいの気概でもいいのではないかと、有名大学の名ばかりに抱くようになりました。
これは怠惰ではない。
そうであってももうここは魔王を倒した後の世界ですから。
あるとき、田中啓介が、いつものように遅れて隣に座りました。
いつものように煙草臭く、金髪も色褪せていました。
欠伸をしながらぼーっとしたり、持ち込んできた漫画を読んだりした、その後、携帯を見て面白い顔をしました。
「どうかしたのか?」
「麻雀だ。競馬だ。いや、パチンコだ。あいつが当たって俺が当たるはずがない。あいつが授業をサボって、俺がサボるわけ――はある」
「くだらない。あとでやればいいだろ」
「わからないのか。この衝動が。そうか、やったことなさそうだもんな。お前、彼女もいないだろ」
「いるのか?」
「これからできる(ドン!!)」
「できないだろ」
「なぁ、いつも席に座ってつまならなくないか。たまにはハメ外した方がいいぜ。そうだ。パチンコに行こう」
「行くわけないだろ」
「うるせえ!! いこーう!!」
勢いだった。
ちょうどこの前、読んだところだった。
ちょっと古い? 確かに。
勉強しかしてこなかった私にとっては違うということだ。
啓介は講義をサボるという大学生にしかない喜びを私に教えてくれました。
パチンコ店の中は酷く煩く、怖い人ばかりでした。
まるで私は兎のように震え、啓介に付いていきました。
そのままパチンコをしました。
滅茶苦茶当たりました。
嘘のように当たりました。
啓介が蛙のようにひっくり返りました。
なおも当たりました。
玉が湯水のように流れる音、堪らない。
堪らな過ぎて当たったものが全部なくなってしまいました。
ついでに夜が消し飛んでいました。
店を出た後、啓介は煙草を投げ捨てた。
「今日は外れ。撤退撤退。また明日だな?」
「いや、明日も一限が」
「正直になれよ。楽しかっただろ?」
「そ、そ、そ、そんなことはないですが」
「敬語とか真面目かよ。いい台知ってるから明日はそこで打たせてやるよ」
私は啓介とよくパチンコをするようになりました。
パチンコだけでなく賭け麻雀もしました。
啓介をよく裸にもしました。
世間は氷河期が終わってしばらく落ち着き始めていました。
少なくとも私たちにはそう見えていました。
実際は将来を心配して、勉強に励む同級生もちらほら見かけましたが、私の周りでは大学生活を満喫している人ばかりでした。
何よりも自分たちは周りとは違うという万能感。それと大学生になってまで真面目でいることが馬鹿らしいと見下してもいました。
これはどちらかというと徐々に成績が落ちていることへの現実逃避でした。
もちろん自分では気付いていました。自分たちではそうではありませんでしたが。
自由、酒、女。
まだ若い自分にこれらをコントロールする術などありませんでした。
そう遊ぶたびに父の顔が浮かんできて重苦しくもなりました。
そうなりつつも、同じ愚か者が沢山いたから気にしないように過ごせました。
しかしそれも四年生になるまで。
リーマンショックが私たちを襲い、奈落の底へ叩き落したのです。
井の中の蛙は終わりなき天の暗闇へこう叫びました。
私は怠け過ぎたと。
今まで遊んできた膨大な時間が塊となって降ってきて、私を踏み潰したようでした。
これは後からわかった話ですが、これは私たちだけではなく、真面目に学問に励んでいた同級生にも沢山出ていました。
だからどちらにせよ、どうなっていたかなどわからなかった。
このときはそうは全く思わず、自分のことを責めました。
このことは父にすぐバレました。
携帯越しに物凄い罵声を飛ばされ、私は今すぐどこかへ行きたい気分になりました。
自分の部屋がひどく空っぽのようでした。現実ではなく、夢でもなく、ここには何も無かったのだと朧気になるほどに。
そののち、私は大学だけは卒業し、お金も無くなったので、ひとまず実家へ帰省しました。
このとき、父の体調が悪かったのを覚えています。
長年、煙草を吸い過ぎたのか、ガンが見つかったみたいで、死んだ後のことをたまに母と話していました。
その中に弟に相続をさせるという文言を盗み聞きしたこともあります。
紛れもなく私が理想の子ではなかったがゆえの、失望ゆえの判断なのでしょう。
私自身、自己責任の念に押しつぶされそうになっていました。このときは微塵も父と社会への不信などありませんでした。
私にとって家にいるのは窮屈で仕方ありませんでした。
母の心配そうな目や、夜にしても父の厳しい目もありますから。ずっと引きこもっていましたし。
だから昼はと、散歩をするにしても酷い景色しか浮かびません。
故郷は猿の動物園でしたから。
しばらくお金もなく、職もない。
だからこう帰省したのですが、やることもなく、そう散歩してみれば、川について、案外気持ちのいい風が吹きました。
こういう風に煙草の煙を乗っけるとさらに気持ちいいものですが、煙草を買うお金も、余裕もないので小石を投げました。
小石は二度跳ねただけで、対岸まで届かず水に沈みました。
向こうの子供たちは容易く四度、五度跳ねさせたり、たまに対岸まで飛ばすのですが、私にはやはりそのような気概がありませんでした。
思い返せばこのときから僅かに父への不信が募っていきました。
いかに私が挫折したとはいえ、父の私への憤りはもはや健全な親子関係をゆうに超えていました。
子供の頃に感じていた強い愛情が、全くの嘘でだったのではないかと、しばらく実家で過ごしてみて抱き始めたのです。
そうすることで私はまた罪悪感を覚えていました。
自分の失敗を、父というどうしようもない運命に擦り付けようとしていたのだから。
ただこれも今となっては事実でしょう。
あるとき公園のベンチでぼーっとしていると、浮浪者の男がやってきて話しかけてきました。
汚らしい格好の老人でした。
「あんた、こんなところでなにしてる? 仕事は?」
「無いです」
「そっか……こんな若いのに大変だねぇ、菓子パンあげる」
老人は話し相手が欲しいようでした。
私は聞くだけで面白い反応を見せませんでした。
話も世間話でしたし。
老人はふと、パンを口から溢しました。
「いつの時代だってはみ出し者はいるもの。勝者がいるなら敗者だって当たり前にいる。そう落ち込まず、前向きにしたらええ。あんた、夢とかあるの?」
「ありません。そんな余裕は」
「そっか……そっか……」
床に零れたパンの塵をやってきた雀がつまんだ。
ただこのとき、今まで忌むべき存在だった浮浪者が誰よりも自然に見えました。話していてどこかすっきりした気分になったのです。
もちろん浮浪者そのものではなく、この老人だけでしょう。この老人が父の言うような邪悪な存在にはとても思えませんでした。単に、どこか変な人のようでした。
それから老人とよく話すようになりました。
といってもご時世や個人のことなど話さず、ほとんど天候や動物の話でした。今日はいい天気とか。可愛い野良猫がいるだとか。
何の意味のない話ですが、老人が何にも縛られない、本物の自由、自然を有しているのではないかとさえ語り口に感じました。
私はだんだんと老人と父を比べるようになりました。
老人の曖昧さと父の頑固さ。自由と社会への固執。二人は全く真逆の存在だったのです。
老人のほうに好意が傾いたのは、きっと老人が私をなんとも思っていなかったからでしょう。老人はよく言っていました。
「期待するから歪む。人間は大きな生き物じゃあないんだよ」
父のような人にとってはネガティブに聞こえるでしょう。完全に自分よりも大きな存在に運命を明け渡している。自我が無いと。
ただそれこそが自由であり、在るべき姿ではないかと思うのは、私の中に燻る劣等感や怠惰などによるものではなく、単に心地良かったからです。老人は決して、私を縛りませんでした。
一方でそれらを見渡す私の存在も際立ってきたのです。
老人の徹底された、ある種、客観視、真理ともいえる感性は、父の信念と同時に、私のどうしようもない心情さえも放棄しているように見えました。老人はしばしば感情が無さすぎるのです。
その点において父は憤りをもって、私をまだ認識してくれました。
愛の真逆は無関心とたまに言われますが、老人のたまに見せる冷たい眼差しが、父の赤い眉よりも恐ろしいときがありました。
私の確かにある敗北感を、時代のせいだと、無かったものとして忘れ去ろうとするようでもあったからです。
私が父と縁を切ったのはそれからすぐのことでした。
就職がうまく行き、実家を離れることになりました。
やっと見つけた仕事だったので、私はやっと安心できました。これでまともな大人になれたのだと信じました。
それでこのことを話したのです。
母は喜んでくれましたが、父は難しい顔をしました。
そして私に言ったのです――そんな職にしか就けなかったのかと。
私はこのとき今までの自分の人生、その苦労をしてきました。
だからそれを認めてもらいたかった部分があったのです。褒められたかったのです。
だからこう顰められて、それよりももっと大きな重みに駆り立てられ、息震えました。
父への信仰心のどこかにあった反感、いや、矛盾を明確に悟ったのです。
父には子を利用した強い自己顕示欲しかなく、私が、私が何であっても受け止める、家族愛など全く無かったのです。
私の今までの苦行は、敗北も全て、父のせいだった。私は父の被害者だ。
一言。何も言わず。言うことなど無く。
私はもうこの人間と血を切る覚悟をしました。
そして現在まで、未来永劫、もう会うことは無くなったのです。
その後は酷いものでした。
結局、その仕事もうまく行かず、橋渡りに食繋ぐ日々が続きました。
私はきっと努力不足だったのでしょうか。
いえ、だとしても働くようになってから頑張ったはずです。だのに虫のように扱われ、蛆のように家に帰る。
それがずっと続く。
ずっと続く。
金もなく、恋もできず、仕事もできない、私は尊厳など抱けませんでした。
自分と同じくらい歳の男が結婚をして、子供を作って、幸せそうにしているのを見かけると、とても窮屈になります。将来が怖くて仕方なくなります。私の人生とはなんだったのでしょうか。
その後に来るのは結局、父への恨み。
さらに言えば、時代への恨みです。
それは復讐心でもありますし、逆恨みでもあります。
あの幸せそうな家庭に災難が降りかかることを望んだりもしてしまいます。
私は生まれながらの被害者だ。
なのにどうしてお前らはそうじゃないんだ、と。
なぜ私が選ばれた?
なぜ私だけ。
それでも大学を出ている身分で、私よりももっと酷い扱いを受けている男もいました。
こういうときまともな人間なら無関心か、同情をするものでしょうが、私は強く、優越感に浸ってしまいます。同世代の恵まれた男が持っているであろう感情を、これだと、噛みしめるように。
とうに自分が特別な人間ではない。むしろその真逆だと気付いているというのに。
私にはもうどこにもアイデンティティ、誇りがありません。
あるとすれば劣等感が私そのものなのです。
一番辛いのは未だ、私は父に縛らている。
どこかで弱音を吐くことを禁じている。
いいえ、世間にその気風があったからでした。
私のような人間が何かのせいにすると、努力不足と自己責任を押し付けられるのです。
そして私は未だ、その洗脳が解けません。
反論するにも、彼らの成功体験のほうが社会的には価値があるようです。
それからもずっと。
これからもずっとそうでしょう。
私は弱者という輪廻にうごみから抜け出せない。
どこにもない罪悪感が蠢いている。
世間が、私が、それを断罪する。
同じ事が起こる。
そこに父の影が見えるのです。
するとどうしようもなく窮屈になるのです。
孤独に挟まれてどうしようもないのに、さらに捻じり潰されるような、黒い孤独に苛まれるのです。
それから私は自分の生まれの弱さを呪いました。
それから私は父を呪いました。
それから私は時代を呪いました。
最後に自分をまた呪いました。
結局、父の望む私を望む私がいる。
私がそうであるべきと望む私がいる。
何を恨んでも恨むのは自分であり、恨みは自分の中にしかないものです。
だから自分を呪うのです。呪われてもいるのです。
十年程度経ちました。
父がやっと死にました。
少しだけ呪が解けた気がします。
きっとこれは父が結局、コロナにかかり、伏せり、父が私を憎んだように、父も何もできず引きこもるようになって死んだせいでしょう。
私はきっと誰の父になることもありません。
そのような経済力も、私を愛する女なども存在しないでしょう。
だから私はずっと一人で、暇になれば引きこもり、つまらないことをするのです。
父が死んでから私は初めて人間になった気がします。
消して手に入らない普通の幸せ、忌み嫌う普通、常識。
その代償とに強い欲望を、存在感を欲するようになりました。
私がこれだけ苦労しているのだから、神は、世間は私に彼らの幸せよりも大きな力を、存在を与えなくてはいけない。そうでなくてはあまりに理不尽なのです。私だけ損をし過ぎている。
だから力が欲しい。強大な存在感が欲しい。彼らよりも遥かに優れた存在になってなければおかしい。
そうです。これが成れの果てです。
結局は父と同じではありませんか。力に固執したせいで、愛や自由も、真理も貶める。
私の場合は、なによりも自分自身を貶めているのですから。父の愚かさには力が付いていましたが、私はただ愚かなだけです。
だから私はずっとこうなのです。
きっと私ではない人もそうしてきたように。
だからこれは裏側にある、確かにある、人の一面、その塊なのです。
私が今の言葉を借りていうのであれば、最後の一文、塊の正体とは民意ではなかろうか。
ネットが明らかにした、どこかにあるどうしようもない民意なのだ。
これは私の読みでしかないが、彼らが怠惰と迫害されてきたのは、高度経済期から得た努力信仰と、それから連なるバブル期までの確信なのだろう。
しかし皮肉なことにこの努力、学歴、勉学について、客観視が抜けていたのだろう。あるいはそうさせられていた。
バブル崩壊と氷河期において、それまであった努力信仰および、それからなる利権構造を手放したくなかったから、それからしばらくその信仰を広め続けたのではなかろうか。
ただこれも誰かや何かを守る為でもあった部分もある。と擁護しておくが、今となってはこういうものは客観的に議論されるべき、という時代になっている。
つまりは自己責任が死語になりつつある。
(これは一重に努力信仰が、構造的な欠点を隠しやすかったり、上層部の怠慢を、部下などの怠慢に置き換えやすいせいである。適当に大きな目標を掲げ、それを達成できなければ、あるいは決して技術的にできないことであったとしても(そういう理想や洗脳ができるのは客観視が欠けているため)、努力不足と永遠に言い続ければわかることがない)
今、彼らの民意が断ち切られつつある。
常識が、そうではなかった者に、持て囃され、それが終わるのだ。
そしてそれは時代のせいだと捨て去られる。無かったことにされる。
実際、社会は救えないもの、救っても得の無いことをしない。それよりも価値のある人材を救おうとする。これは社会構造として正解である。が、もちろん個人の心情は蔑ろにされている。
そうは言うものの、私は何処かで、それこそが人間の在るべき姿ではないかと確信している。
私には彼らの気持ちが分からない。どうして自己顕示欲を抱き続けるのか。他者と比べ続けるのか。
個人の感情のなど個人のものでしかないから、個人が気にしなければいい話なのだ。
感情的になって全体像がわからなければ、解決することなどできない。そもそもほとんど解決できる人間などいないのだ。(安倍晋三が氷河期世代への政策をしたことがあったそうだが、本来、やらなくてもいいことだっただろう。日本の未来を想えば、若者に目を向けなければならないのだから)
個人でどうにかできる問題でもないし、なかったのだ。なぜ自分を貶める必要があろうか。
ただそういった矛盾もまた人間そのものであることは否定できない。
この時代の果てに。
彼らはどこへ行くのだろうか。
私たちはどこに行くのだろうか。
私たちはよく考えなければならない。
書かされているのか。
書いているのか。
私たちも誰かを利用し、誰かに利用されているのだから。
――あとがき――
小説の営みというのは、やはり小さな歴史にある。
その人間の哲学が宿るのである。
その哲学は時代に大きな影響を受けているのは言うまでもない。
こういった営みは必要なものだ。なぜ自分がそうなったのかを考えるのは、そのように思うのか。思うようになったのかを記すのか、客観的に自己を認識できる。そして共有できる。
これを考察することで、理解が進み、偏見も無くなるだろう。
そうでなくとも一人の人間の考え方、思う仕組み、という哲学性は、人間の歴史的な意味がある。ないしこういうのを経済活動に利用するのがほとんど彼らのやり方だろう?
ただし、私のこの書いたのがそれが必ずしも保障するわけではない。私は当事者ではない。
だから本人が、読者が違うと言えば違うのである。どれほど論を振りかざそうと、本物の感情がそこにあれば、もちろんそれが事実なのだ。




