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選ばれなかった婚約者

作者: 稲井田そう
掲載日:2026/05/08


 この国では十五歳になった貴族たちが通う三年制の学び舎がある。よほどのことがない限り入学が義務付けられており、例外はあれど、王族のため防犯上の理由で通学が困難、他国に留学が決まっている……くらいだ。


 王族は学園に通わないのか、国民がそれを許すのかと他国の留学生に驚かれたことがある。学園に通いもしない人間が国の上に立つのか、閉じた環境で育った人間が果たして民の気持ちが分かるか──など。


 100年ほど前は、王族であろうがなかろうが義務化されていた。


 他国から暗殺者が殺しに来る、血みどろの王位継承権争いが学園内で勃発するなど、読み切り推理小説よりも凄惨な事件が次々起きてしまったので、王位継承権の10位以内の人間の教育は王城の中で完結させろと決まったのである。


 学園に通う王族は、勉強熱心な王族ではなく、暗殺や王位継承権争いに該当しない、はみ出し者ということが可視化される。


 そのはみ出し者が、私の婚約者だ。


「あの、婚約を、解消しても大丈夫ですからね、こちらは別に、あの、ご迷惑をおかけするつもりはないので」

「しませんけど」


 私は即答する。


 定期的に設けている二人きりの茶会での、婚約者の第一声がこれだ。


 青空の下、婚約解消の提案。彼は王位継承権が与えられた地位にありながら、彼が受けているその扱いを聞けば、他国の人間が聞いたら「どうなってるの?」「王位継承って意味本当に分かってる?」と聞き直すような状態に陥っている。


 理由は、現王妃から彼が死ぬほど嫌われているから。王より王妃のほうが強いから。


 そういう国なのだ。この国は。彼がどんなに努力しても、器用貧乏と蔑む。みんながみんな一番でいられるわけじゃないし、彼は彼なりにやっているのに、王族たちは彼を決して認めはしない。


 王妃は殺生を好まない。暗殺には至らないまでも、王族の一端である彼を王族の何もかもから遠ざけるなど「殺人はナシ、人を死ぬまで追い詰めるのはアリ」という独特な価値観がある。


 その歪みを一心に受けながらもなんとか生きながらえてきた彼と、婚約して一年。


 私は十七歳で彼は十八歳だが、定期的に婚約解消を打診されていた。


「なにか、私に不満があるならおっしゃっていただければ」


 私は婚約者を見る。視線が合わない。基本的に彼と視線が合わない。


 初対面のときは目が合い、だんだん合わなくなった。当初こそ嫌われたのかと思ったが、王妃や彼を見下す人間とは目を合わせていたので、逆説的にそういうことである。


「いや、そういうわけでは」

「聞かれても言えないですよね。まぁ、無いとは思ってませんよ。あなたの、私に対する不満点」

「……あぁ、いやぁ」

「宰相の娘ですから、父の顔がちらついて言えないでしょうけど」


 私の父親はこの国の宰相を務めている。私には兄弟、姉妹と複数いるが、十三歳を過ぎた子は政略による婚約を行い、家同士の繋がりを最大限に生かした政治を行っていた。


 この世界がもし、誰かを主人公とした小説の世界ならば、父は完全に敵側の人間だ。卑怯なことはしないが、定められたルールを最大限悪用する、人の心がない人物。私もその血を引いているので、まともではない。彼は哀れだ。私なんかに好かれて。


「……ま、まぁ、露出を控えて頂ければとは、思いますけどね。あんまりこう、世間体的に、よくはないのかなと」

「貴方の前でだけですけどね」


 私の答えに、婚約者は「いやぁ……」と目を逸らし「なんか、そういうの流行ってるんですか?」と聞き返した。


「そういうの、とは」

「そういう返しです。よくやる、感じの」

「そういう返しとは」


 正直なところ、彼の示す「そういう返し」の正体は分かっている。私が彼に対して「好きだ」と言ったり、「貴方だけだ」と伝えることだ。


 私は宰相の娘であることから、嘘、偽り、誇張、誘導的な対話が多い。そのぶん、本当に好きなものには好きだと言いたい。


「なんかあれですよね、そういうこと、言うの、お好きなんですかね」


 婚約者は首をひねりながら紅茶を飲む。


「かけがえがないと思った存在に、かけがえがないと伝える行為を、好きだと?」


 おそらく婚約者は、躱そうとしているのだろう。私の好意を。


 私を、誰かに好きを伝えるのが好きな人、と定義することで、自らの「自分は好かれない」という自己認識を保とうとしている。環境の変化を恐れる人間の本能だ。


 さっさと慣れればいいのに。


「貴方は、炎に触れて手を引っ込めた人間に対して、手を引っ込めるのが好きなんだと解釈するんですか?」

「いや……でもまぁ、男気ある人好きって言ってたじゃないですか、そちらは」


 婚約者は、うっすら私を見た。目を合わそうとしていない。私の首や眉間に視線を合わせるふりをして、一応目を合わせている雰囲気を作っているだけだ。


「はい」


 私は以前、婚約者に「男気がある」と伝えたことがある。理由はあると思ったから。それに対して彼は一方的に後ろめたさを感じている様子だった。他人から男気があると言われれば、常時それを出していなければならない法律はない。私はただその瞬間の彼に男気があるからそう言ったにすぎず、その後どれほど彼が変わろうと、思いは何も変わらないし、永遠に男気ある存在であれと願い続けることも無い。


 前のように戻ってほしいと思うことも無ければ、変わってほしいとも思っていない。変わりたければ変わればいい、ただそれだけ。


 相手は生きた人間だ。国が所蔵するような美術品ではない。多数の人間が貴重だと考える宝石だって、絵画だって、時が過ぎれば劣化していく。そうした貴重品の劣化に対して、私は劣化したと思う感性はあれど、彼がどんなふうに変化しようと、


「そういうのを、こちらは出せないので」


 やっぱりな、と心の中の仮説に判を押す。


「いいですよ別に、必要であれば私が出します」


 そして毅然とした態度で迎え撃つ。婚約者はどうしていいか分からない顔で、少し悩み、また話をつづけた。


「お見合いとかしたらいかがですか、男気があるなら、夫も、男気があった方がいいでしょうし」

「何故」

「こう、合う相手がいるかもしれないじゃないですか、その男気に合う」

「この17年、そう思う相手はいませんでしたけどね」

「いやぁ……そんな人間じゃないですよ、私は」


 婚約に乗り気ではないが、私を心から嫌っているわけでもない、というのが相手のややこしい部分だ。ここまで言っているので、たとえば私より条件が良い娘が彼を求めたらそちらに行くかといえば、きっと違うだろう。彼はそこまで不誠実ではない。私に対して全く思い入れが無ければ、そもそもこうして茶会の時間を取らない。


 おそらく誠実であろうとするあまり、婚約解消を継続して勧めるという不誠実に気付かないのだ。


 自分なんか選ばれない、自分は人に好かれないという諦観が、彼を静かに無神経にさせていった。


「私の認識の中で、合う合わないを判断をするのは、私であって、貴方ではないですよ。それに、合う合わないじゃなくて、私にとっては、合わせたいと思うか思わないかだけです」


 婚約者は、私にはもっといい相手がいると言う。


 彼の中で私に合う相手は、度胸があり、身体も丈夫、いざという時は頼れて、余裕があり包容力もある男である。


 私にとっては必要がないのだ。


 理由は簡単。


 そういうものを求めていないから。


 好きなものは好き。興味が無いものは興味がない。欲しいものは欲しいし、欲しく無いものは欲しくないのだ。


 そうした男を好まない理由について、納得できる理由を求められたら、私は万人が納得できる理由を、筋道立てて並べることが出来るだろう。誠実に、優しく、正しく、善良さを交えて、拍手喝采を得られる。


 でも、本当のところは理由なんかない。


 ただ、そう思うから。それだけ。


 しかし彼は言う。


「なんかこう、選ばれない存在を選ぶ優しさみたいなものが、あるんでしょうかね」

「優しさのつもりはないですけどね……優しくないところを見せましょうか」

「え」

「王位継承権、上位者、見立て殺人でもしましょうか。人殺しに優しいも何もないので、私が優しくないことの証明になるじゃないですか。私の父親も喜びます。王妃様のことを好んでいるわけではないですからね。周りの人間が次々死んでいった王妃様が静養されたら、父が実権を握る。そうしたら、貴方も生きやすくなるはずだ」


 そろそろ時間なので、念を押した。いつになったらこの人は、自分のことを好いた存在がいる、という事実を受け入れるのだろうか。これで普通に私が嫌われているだけなら、ただ離れるだけで済むのに、細々とした根拠が私の後ろ髪を引いてくる。


「好きな人間の属性があって、それと全然違うのに好きだと思うのが、私の中の恋なのです。だから諦めてください。貴方が誰にも選ばれない、誰にも好かれない存在であったとしても、その事実とはまた別の事実として、私はそういう人間が好きになった、というものがあるんです。それだけです」


 以上です、と弁論を突き付けるように彼を見る。明らかに下方に視線が固定されていた。「では」と私は手短に別れを告げ、その場を後にする。


 彼は遅効性だ。その場ですぐ言葉を返せる気質ではない。


 すぐに言葉届かずとも、たぶん、ふとしたきっかけで届く。それはいつになるか分からないし、婚約だって解消になるかもしれないし、二人で一緒にいる結末には至らないかもしれないけれど、たぶん、届く。私が彼を好きだと、彼が理解する瞬間は、きちんと訪れる。


 たいして面白くもない世界で、粛々と父親の筋書き通りに得た功績を貯めていく。そのことに不満はなかったが、彼がいれば少しだけ、退屈な日々に意味があるような気がした。思い通りにならない人間が嫌いで、対話なんて無駄だと分かっているのに、言葉を交わしたいと心その底から思えたのは彼だった。耐えがたい不愉快でも、それでも、どうしても見下せないのは彼だけだ。


 そこまで想うのはなぜか。


 彼のどこが、私をそうさせるのか。


 聞かれても、思いつかない。というか私が聞きたいくらいだ。貴方は一体何なのかと。何で私の前に現れたのかと。見立て殺人を考えているほうがマシなのに、ただ一人の人間の顔が、不定期に思い浮かぶようになってしまった、どうしてくれるのかと問いただしたいくらいだった。


 しないけど。


 傷つけたくはないから。


 この恋の果てがどうであれ、誰かを傷つけたくないと、上塗りの偽善ではなく心の底から思えた

のは事実だ。王位がどうあれ、一人の人間を変える力はあるということを、どうしたら伝えられるか考えながら私は日向の道を歩いて行った。

 


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