第三章
理由のない善意
道満は、振り返らない。
それでも、
私が遅れると、
足が、わずかに緩む。
都の道は、思ったより狭い。
人が増えるほど、
逃げ場がなくなる。
視線が、
私の服に集まる。
奇異でも、敵意でもない。
扱いを決めかねている目。
私は、
自然と、
道満の影に入っていた。
その瞬間、
視線が、
私を外す。
見えなくなる。
それが、
ひどく、
わかりやすかった。
「……前、出んでええ」
道満が、
前を向いたまま言う。
理由は、
言わない。
言われなくても、
わかる。
私は、
目立つ。
それだけで、
余計な手間が増える。
しばらく歩くと、
人の流れが、
ふっと途切れる。
道満は、
そこに立ち止まった。
「水」
短く言って、
桶を指す。
私は、
躊躇ってから、
頷く。
喉が、
乾いていた。
水は、
冷たくて、
癖がない。
飲み終えたとき、
自分が、
息を詰めていたことに気づく。
道満は、
私を見ていない。
見ていない、
という態度を、
きちんと取っている。
「……名は」
不意に、
聞かれる。
胸が、
鳴る。
私は、
少しだけ、
考えてから、
首を振った。
「……ないです」
嘘ではない。
ここでは。
道満は、
それ以上、
踏み込まない。
「……そうか」
それだけ。
その反応が、
予想と、
ずれていた。
問い返されると思っていた。
疑われると思っていた。
でも、
何も、
起きない。
「名、
ない方が、
楽なこともある」
独り言みたいに、
そう言う。
慰めではない。
励ましでもない。
そういう場面を、
知っている人の言い方だった。
沈黙が落ちる。
都の音が、
遠くで、
続いている。
私は、
意を決して、
聞く。
「……どうして」
言葉が、
途中で止まる。
何を、
どうして、
なのか。
道満は、
少し考える。
考えている、
というより、
探っている。
「理由、
欲しいか」
問い返される。
私は、
一瞬、
迷ってから、
首を横に振った。
欲しいわけじゃない。
ただ、
置き場が、
見つからないだけだ。
「身体が、
先に動いた」
それだけ言う。
言い訳でも、
誇りでもない。
結果の説明。
私は、
その言葉を、
何度も、
頭の中で繰り返す。
身体が、
先に。
そこに、
判断はない。
だから、
怖い。
この人は、
私に、
何も求めていない。
理由も、
対価も、
名も。
都では、
何かを受け取るとき、
必ず、
何かが決まる。
立場。
役目。
名前。
でも、
この善意は、
どこにも、
結びつかない。
私は、
それを、
もう、
受け取ってしまった。
道満が、
歩き出す。
「……今日は、
ここまでや」
私は、
一拍遅れて、
ついて行く。
名を持たないまま。
理由も、
与えられないまま。
ただ、
理由のない善意だけが、
背中に、
静かに残っている。




