十四章
触れない距離
百鬼夜行の名残は、
もう、
空気から消えていた。
夜は、
何事もなかったみたいに、
静かだ。
私は、
都の縁に立っていた。
足元には、
まだ、
踏み固められていない地面。
内側へ戻る道と、
外へ続く闇。
その境目。
「……寒いか」
背後から、
声がする。
振り返る前に、
わかっていた。
「少しだけ」
正直に答える。
道満は、
私の隣に立つ。
近い。
でも、
触れない。
袖が、
かすかに揺れる距離。
それだけで、
胸が、
落ち着く。
「今夜はな」
道満が、
低く言う。
「ここまでや」
私は、
頷く。
それが、
何を指しているのか、
聞かなくてもわかる。
「……怖かったです」
ぽつりと、
零す。
道満は、
すぐには、
返事をしない。
「せやろな」
一拍。
「それでも、
目、逸らさんかった」
それは、
褒める言い方じゃない。
事実の確認。
「……逸らしたら」
私は、
言葉を探す。
「いなくなりそうで」
声が、
少し、
小さくなる。
道満は、
こちらを見ない。
それが、
ありがたい。
「俺は」
ゆっくりと、
言葉が置かれる。
「消えるんやない」
一拍。
「残らんだけや」
正史に、
という意味だ。
私は、
唇を噛む。
「……それ、
同じです」
道満が、
小さく、
笑う。
「君は、
よう、
厳しいな」
その声に、
柔らかさが混じる。
私は、
思い切って、
一歩、
近づく。
触れない。
触れられない。
でも、
距離だけは、
詰める。
肩が、
わずかに、
温かい。
「……名前」
言いかけて、
止める。
呼びたい。
でも、
呼べない。
道満は、
それに気づいて、
何も言わない。
代わりに、
ぽつりと、
言う。
「今は、
それでええ」
名を呼ばない距離。
触れない距離。
でも、
確かに、
ここにいる距離。
私は、
胸の奥が、
静かに満ちていくのを、
感じる。
恋、
という言葉は、
まだ、
使わない。
でも――
この人が、
いなくなる夜を、
想像してしまう自分を、
私は、
もう、
止められない。
「……行きます」
そう言うと、
道満は、
小さく、
頷いた。
「送らん」
それも、
優しさだ。
私は、
一歩、
離れる。
振り返らない。
振り返ったら、
戻れなくなる。
背中に、
視線を感じる。
それだけで、
十分だった。
この距離のまま、
終わる。
終わらせる。
それが、
今夜、
二人に許された、
いちばん甘い形だった。




