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第十章

 覚悟という名前



 夜は、まだ終わっていなかった。


 都の灯は揺れている。

 人の営みは続いている。

 内側は、何事もなかったかのように、整っている。


 私は、その整い方を、

 もう、

 美しいとは思えなかった。


 外で、

 何が引き受けられたのかを、

 知ってしまったからだ。


 道満は、

 都の縁に立っていた。


 中に入ろうとしない。

 完全に外へも行かない。


 その立ち位置が、

 今日という夜を、

 何度も選んできた結果だと、

 私は、

 もう理解している。


「……さっきのこと」


 私が口を開くと、

 声が、

 少しだけ震えた。


「ずっと、

 こうなんですか」


 主語は、

 言わない。


 それでも、

 道満は、

 頷いた。


「溜まったら、

 出てくる」


 それだけ。


 説明になっていない。

 でも、

 嘘でもない。


「それを、

 誰も、

 知らない」


 確認するように言う。


 道満は、

 空を見上げる。


 雲が、

 ゆっくり流れている。


「知ったら、

 都は、

 怖がる」


 淡々とした声。


「怖がったら、

 切り捨てる」


 私は、

 息を吸う。


 都のやり方だ。


「……晴明は」


 名前を出すと、

 道満は、

 一瞬だけ、

 目を伏せた。


「正しい」


 即答。


「内側を、

 守る」


 そこには、

 嫉妬も、

 対抗心も、

 ない。


 ただ、

 役割の認識。


「それじゃ」


 私は、

 続きを、

 避けられなかった。


「あなたは」


 道満は、

 こちらを見る。


 逃げ場のない視線。


「俺は」


 一拍。


「悪でええ」


 低く、

 揺れない声。


 投げやりではない。

 諦めでもない。


 選び終えた人の声だった。


 私は、

 言葉を失う。


「最初から、

 悪でおったわけやない」


 道満は、

 続ける。


「正しい方も、

 知っとる」


「けどな」


 都の灯へ、

 視線を戻す。


「内側を守る正しさは、

 誰かが、

 外を引き受けた上で、

 成り立つ」


 私は、

 胸の奥が、

 締めつけられる。


「それを、

 晴明にやらせるわけには、

 いかん」


 理由は、

 言わない。


 でも、

 わかる。


 晴明は、

 正史を書く側の人間だ。


「俺が、

 引き受けた」


 短い言葉。


「選んだ」


「残った」


「それで、

 悪になった」


 過程の説明。


 感情は、

 挟まれない。


「……それで、

 いいんですか」


 私の声は、

 ほとんど、

 祈りだった。


 道満は、

 少しだけ、

 笑う。


「よくはない」


 はっきりと。


「せやけど、

 悪でええ、

 いう選択も、

 ある」


 私は、

 目を閉じる。


 論文の一節が、

 浮かぶ。


 ――正史は、守られた側の視点で書かれる。


 そうだ。


 この人は、

 最初から、

 そこに、

 書かれるつもりがない。


「……私は」


 声が、

 掠れる。


「それを、

 見てしまった」


 道満は、

 少しだけ、

 困ったように眉を動かす。


「見てしもたな」


 責めない。

 慰めない。


 事実として、

 受け取る。


「せやから」


 道満は、

 一歩、

 距離を取る。


「ここから先は、

 近づきすぎたら、

 あかん」


 守るための距離。

 巻き込まないための線。


 でも、

 私は、

 もう知っている。


 この線は、

 私を、

 遠ざけるためのものじゃない。


 正史から、

 引き剥がすための線だ。


 道満は、

 背を向ける。


「……戻るで」


 私は、

 黙って、

 ついて行く。


 悪でいい、

 という言葉が、

 夜の中に、

 重く残る。


 それは、

 正史に残らない。


 けれど、

 私の中では、

 もう、

 消えない。


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