彼女がか弱い? ご冗談を(笑)
トンチキ村の住人なのでトンチキな話を書かなければならないと思った、などと自供しており(略)
トリス・セレニティアスは伯爵家の娘である。
将来王子様と結婚をして王家に嫁ぐ、なんてこともなく、伯爵家を継いでいくことが定められた、次期女伯爵になる予定の娘。
そんなトリスの友人こそ、公爵家のご令嬢、アマンダ・メルトリオーレだ。彼女こそが将来王家に嫁ぐ事が決まった、正真正銘の未来の王妃様。
そしてもう一人、侯爵家のマルグレーテ・ノッティルトは次期宰相として期待されているご令息の婚約者である。
トリスにとって最も仲良しと言える友人はこの二人だ。
他にも勿論仲の良い友人はいるけれど、今それを挙げるとキリがないのでそこは割愛させていただく。
トリスに限った話ではないが、貴族たちは魔法が使える。
そうはいっても精々蝋燭に火をともすだとか、コップ一杯分の水を出すだとか、そよ風をおこすだとか。
大昔の貴族たちはもっとすごい魔法が使えたらしいが、その血も徐々に薄れているのか年々魔法の力は弱まる一方。それもあって今の貴族たちは昔ほど厳しく魔力制御を教わる必要はなくなっている。
昔は魔法に頼っていた暮らしも、今は違う。いつか使えなくなるかもしれない力に縋るより、魔法が無くても便利な世の中に――というのが大半の考えだ。
それでも実のところトリスの魔力は馬鹿みたいな量なのだ。
多分この国一番の魔力の持ち主。けれどもトリスは何か凄い魔法が使えるというわけでもない。
落ちそうな花瓶を一瞬浮かせて割れるのを防いだり、転びそうになった時にギリギリ踏みとどまれるように身体を支えたりできるくらいで、自由に空を飛んだりできるわけでもない。
使えなくても困らないけれど、使えたら時々ちょっとだけ便利。その程度である。
なのにどうして魔力がこんなにあるのかしら……? という幼い頃の疑問は早々に解決された。
トリスの家には何代か前、とても高名な魔女がいたらしい。
恐らく魔力が多いのはその魔女の血を引いているからではないか、と言われている。
魔力だけ先祖返りしましても……
とは思うものの、まぁ実害が他にあるでもなし。トリスとしてはそういうもので受け流していた。
ところがそんなトリスはある日、とんでもなく怒り狂う事となった。
アマンダの婚約者――つまり王子様だ――が浮気をし始めたのである。
確かに見た目は良い。トリスだって初めて近くで王子様を見た時、思わず惹きつけられたのだ。恋をしたとかではない。単純に世の中にこんな綺麗な男の人がいるんだなぁ……とちょっと良い芸術品を目の当たりにしたような感情だった。同時に彼の隣にアマンダが並べば素敵な絵画ができそうね、とも。
将来王妃となるべく研鑽を重ね努力を怠らないアマンダがありながら、王子はよりにもよって男爵家に庶子として引き取られた娘に現を抜かすようになったのである。
その娘が確か……アリス、だったか。
名前も見た目も大層愛らしいとは思う。
実際トリスも遠目で見かけた時に、あらまぁ可愛らしいお嬢さんだこと、と思ったのは認める。
だが見た目が可愛かろうとも、婚約者のいる男性への距離感がバグっているのでそこはいただけない。
王子様だけならいざ知らず――いやそれもどうかと思うけれど――アリスは他の令息たちとも距離が近かった。
皆物珍しいだけだと思っていたから最初こそ静観していたが、その周囲が様子を窺っている状況をアリスは周囲も受け入れたと思ったのか。ますますアリスと令息たちとの距離は縮まっていって、今では眉を顰める者たちの方が圧倒的。
だというのに、すっかりアリスに骨抜きにされた令息たちはそんな事実に気付いていないのだからお笑い種である。
王子様以外の令息たちの中には、マルグレーテの婚約者もいた。
貴族令嬢とは異なる魅力の少女に周囲はちやほやとして、アリスはすっかりそれが当たり前だと受け入れてしまっている。
流石に見かねた他の令嬢がアリスに、婚約者がいる方とその距離感は誤解を招きますからもう少し節度を持って接した方がよろしくてよ、ととても優しく注意をしたけれど、どうにもアリスはそれを悪く受け取って虐められていると言い出す始末。
可愛いアリスに嫉妬しているんだな! なんて言い出す馬鹿ども。
アリスを見習えとまで言い出す馬鹿も現れて、今まではそれなりの仲だった婚約者に愛想を尽かす令嬢も現れた。
ふんわりふわふわしていたと思われたアリス嬢は、最初こそ猫でもかぶっていたのか大層性格の悪い女であった、と知ったのはつい先程である。
中庭でばったりとアマンダたちと遭遇したアリスが、勝利宣言をしてきたからだ。
あたしの方が愛されてるの。
貴方がたが何を言ったところで、あたしの方が信用されてるの。
要約するとそんな事を言っていた。
そうやってアマンダとマルグレーテにふふん、とどこか小ばかにしたような笑みを浮かべて最後に――トリスを見て一層嘲るような目をむけてきた。
実を言うとアリスに群がっている令息の中にはトリスの婚約者候補だった令息もいた。
けれども候補だったから、トリス本人はその令息に対して注意をするだとか、アリスに何か言おうだとか、そこまでではなかったのだ。
今から他の女に現を抜かしているような相手と婚約を結んでもロクな関係にはならないだろうし、ましてや将来そんなのが婿入りされてもな……と思ったので。
なので正式に婚約が決まる前にトリスは父に、彼には想い人がいるようですので引き裂くような事はしない方がよろしいかと、としれっと伝えて婚約者候補は候補のまま、婚約者になる事もなくそのお話は終わったのだ。
彼の将来? 知らん。
婿入りできないとなるとまぁ、学園を卒業後の身の振り方は自分でどうにかするしかないだろうけれど、それでもアリスに侍る事を選んだのだからつまりはそういう事なのねとトリスの中では終わった話だ。
正式に婚約を結んでいたのなら色々と話が拗れたかもしれないが、候補の段階なので拗れる程の話もなかった。
だが、婚約者がいない令嬢、という点でアリスが相手もいない可哀そうな女認定をしてきた、というのは理解できた。自分の周囲に大勢の令息がいる事が羨ましいんでしょ? と言わんばかりのアリスの態度から察するなという方が無理である。
そしてそんなアリスの態度に、トリスは今までも友人たちの件でイラついていたけれど、ここにきて我慢の限界に達したのだ。
今まではコップの八分目程だった水が一気に溢れたかのような感覚だった。
友人たちを馬鹿にされていたのも勿論だが、自分に至っては馬鹿にされたのと同時に憐れまれたらしいのが決め手だった。
男爵家の庶子である以上、どのみち最終的に王子様と結婚して王妃になるなんてのは不可能。だからこそアリスの事はあらまぁ周囲が見えてなくて可愛らしいお嬢さんねと、いずれ夢の終わりが来ることを見越した上でむしろこちらが憐れんでいたと言えば否定はしない。
だがその相手に逆に憐れまれたというのが、トリスにとって酷くプライドを傷つけられたのである。
トリスとて貴族の娘。自分より下の存在をそのように見る事はあれど、その下から見下されるというのは我慢がならなかった。
同時にアマンダやマルグレーテの忍耐力を凄いなと感心もした。
たった一度、アリスと近距離で接した事でトリスはこうなったのだ。もし自分に本当に婚約者がいてそれがアリスに侍っていたら。
いや無理私だったら殺してるわ。どっちを? どっちも。
そんな感じで怒りに燃えていたトリスに。
魔法が宿った。
元々使えないわけではなかったが、魔女の血によるものか新たな力が芽生えたのである。
それは呪いだった。
呪いという言葉だけでも恐ろしいイメージだが、しかし今のトリスにはそんな事はどうでもよかった。
この行き場のない怒りの炎がいずれ我が身を焼き尽くすなら、その前に本来焼くべきであろう相手にこの力をぶつけるしかないと思ったのだ。
そうはいっても、死ぬような呪いは流石に怖かった。
死なない程度にアリスが酷い目に遭うような、そんな展開になるような呪い。
どう呪うかを考えた上で、トリスはふとマルグレーテとその婚約者との会話を思い出す。
君と違って彼女はか弱いんだ。
苦言を呈したマルグレーテに婚約者である令息はそんな風に言い放った。
つまり、か弱くて頼りなさげな、頼れるのは貴方だけなの……みたいな空気を出してるアリスが、逆に頼りがいのある頼もしい存在に見えれば一部の令息たちの夢も醒めるのではないか?
そう考えて、トリスは必死に呪った。
それはむしろ呪いというよりは祈りだった。
そしてその結果、祈りと呪いは届いたらしく――
アリスはある日、ゴリラみたいになっていたのである。
昨日まではか弱く華奢に見える儚げな外見は、ゴリゴリマッチョにかわり、更に毛深くなっていた。
見た目が完全にゴリラになっているならまだしも、アリスというベースが残っているので余計に酷い。
「な、なによこれぇええええっ!?」
朝起きて鏡を見てそう叫んだのも仕方のない事。
昨日まではつるつるの白い肌に、剛毛がチャオ! しているのだ。
「ウホッ!?」
本人としては嘘!? と叫んだつもりなのに、まるでゴリラのような声が出て余計にアリスはパニックに陥る。
昨日までは華奢で繊細そうな強く抱きしめたら壊れてしまいそうに思えた身体は、しかし今日の朝起きたらとんでもねぇ肉体になっているのだ。そりゃ夢だと思いたくもなるし、現実だと知れば嘘と言いたくもなるだろう。
肌の色まで変化したわけではないので、余計に濃いムダ毛としか思えないものが目立つ目立つ。
服で隠れる場所ならまだしも、もみあげのあたりの普段ならそう目立たないであろう産毛までもが存在感を主張しまくり、手の甲側の指にまでもじゃもじゃに生えている。
いや、そんなものは可愛い方だった。
「ま、ま、眉毛が繋がってるじゃないの~~~~!?」
昨日までは細く形の整った綺麗な眉毛だったのに、毛虫でもいるのかと言いたくなるくらい太く立派な眉毛。
右の眉毛と左の眉毛が伸びた結果、眉間のあたりで融合合体している始末。
「アリス! いつまでのんびりしているの!? 早く支度して学園に行きなさい!」
「無理よこんなんじゃあ!」
普段なら既に家を出ている時刻になってもアリスが部屋から出てこない、と言われてまさか学園をサボるつもりかと思った夫人が乗り込んでくる。
夫人としてはアリスを引き取る事に反対だったので、彼女にはとてもあたりが強かった。
夫が頼みに頼み込んだから徹底的にどちらの立場が上であるかをわからせた上で、仕方なく面倒を見ているけれど正直夫人からするとアリスにかける教育費は無駄としか思えなかった。
どのみち近々離縁する予定なので、旦那の財産からアリスの教育費は賄われている事で夫人としては勝手にしなさいなと思う事にしてはいる……がしかしだからといって学園をサボるのは話が別である。
「……セバスチャン、アリスの制服を」
「はい奥様」
とんでもねぇ見た目にメタモルチェンジしているというのに夫人は眉一つ動かさず、昨日までの制服はどう見てもサイズが合わないため執事に言いつければ、執事は颯爽と新しい制服を持ってきた。
持ってはきたけれど、女性用の制服の一番大きなサイズですらアリスにはきつかった。
何故ってマッスルがマッスルであるが故に。
一応アリスとて華奢であっても胸はそれなりにあった。一見清楚に見えるけれど、しかし胸の大きさや腰のくびれといった出るべきところは出て、引っ込むべき部分はひっこんでいるメリハリボディは自慢ですらあったのに。
しかし今はどこもかしこもパツンパツンである。
おっぱいが雄っぱいと呼ばれてもおかしくない代物になっているのだ。
お前は一体どこの世紀末覇者だと突っ込まれそうなパツパツ具合で、制服を着たはいいけれど多分そのうちはちきれそうな予感しかしない。
というか、腕が通らなくて袖の部分は引き千切るような形になってしまったので、ますますどこかで一戦交えてきました感が凄かった。
昨日までのアリスの背後にはきゃる~ん☆ みたいな効果音が漂ってても不思議じゃなかったが、今日のアリスからは常にゴゴゴゴゴ……! みたいな効果音が聞こえてきそうな勢い。
愛らしいはずの顔立ちはやけにホリが深くなったせいでアンバランス感が際立ち、昨日までは確かに愛らしい美少女だったはずのアリスは。
今やどこからどう見ても、ゴリゴリマッチョのおっさんが頑張って女装しているようにしか見えなかった。
こんな姿で外に出たくないとごねたところで、夫人は強かった。
馬車に押し込んでアリスを学園にドナドナしたのである。
何がアレって見た目はとんでもねぇマッスルになったものの、背丈まで伸びたわけではない。
これでもうちょっと上背があればマシに見えたかもしれないが――女性というよりは男性として――身長はそのままだったので余計にアンバランスさが際立っている。
いっそドワーフを自称すればワンチャンあるかもしれないが、ドワーフの女性だってここまでではない。
情けも容赦も何もないまま、無慈悲に馬車は学園に辿り着いてしまった。
セバスチャンと夫人に馬車で直々に送り届けられ、学園につくなり馬車から出たくないと中で踏みとどまっていたアリスを馬車から押し出した夫人はアリスが尻もちをついていようとなんだろうと気にする事なくそのまま馬車で戻っていった。
ついでに買い物したいからお店によってちょうだいセバスチャン、と馬車を操っていた執事に声をかけ、執事もかしこまりました奥様、と今しがたアリスを叩き出した事など最早なかった事にしているような反応。
見る人によっては完全に不法投棄の現場であるけれど、アリスは学園の生徒なので生憎不法投棄は適用されなかった。
たとえ女装したおっさんにしか見えないため不審者扱いされたとしても。
周囲が遠巻きに何あれ……てか誰? と本気で困惑していた中、登校してきた王子の姿を見てアリスは救いを求めるかのように名を呼んだ。
けれどもまぁ、王子にしてみれば今のアリスは不審者でしかない。
誰だ気安く名前を呼ぶんじゃない不敬だぞ! と叫んだものの、あたしですよアリスですぅ! と既に自分の姿がどうなったかを忘れたかのようにアリスは王子に擦り寄った。
昨日までのアリスの面影は確かにあるけれど、しかしあまりの変わりように王子がアリスの言葉を信じられるはずもなく。
不審者扱いしたくとも学園の制服を着ているので問答無用で不審者扱いもできないまま、王子は少女のような悲鳴を上げてアリスから逃げた。
可愛いアリスに擦り寄られるならまだしも、今のアリスが同じように近づいても可愛いとは思えなかったし、むしろ自分の貞操が危険かもしれないという恐怖が生まれたので。
驚くほどに可憐な悲鳴を上げて逃げた王子を追うどころか、逃げられると思わなかったアリスはぽかんとしたまま王子を見送った。
その光景を遠巻きに見ていた令息や令嬢たちは、あれがアリス……? と勿論戸惑ったし、関わりたくないとばかりに距離をとった。
どのみち令嬢たちはアリスの方から遠ざけようとしていたくらいなので令嬢たちも近づく気はないけれど、令息たちは違う。アリスが助けを求めて縋りついてくる可能性があるのだ。
昨日までのアリスならまだしも、今のアリスに縋りつかれても恐怖しかない。
絶対に目を合わせないようにして令息たちは足音を消し、気配を消して自分は空気であるとばかりに音もなく去っていった。存在を認識されたら最後だと思っていたのかもしれない。別に死ぬわけじゃないのに。
――アリスに対する周囲の令息たちの態度は一変した。
令嬢たちは元から関わり合いにならないようにしていたし、そうでなくとも今の見た目は一歩間違うとおっさんに見えてしまう部分がある。
そんなのと身近に接していて、遠目で確認しただけの第三者が妙な誤解を抱いたらたまったものではない。
既にアリスのせいで壊れた婚約はいくつかあったし、他の男に相手にされないからあんなゲテモノに近づいたなんて誤解を抱かれた令嬢からすれば、そんな誤解を抱いた者こそ万死に値する案件である。
アリスの見た目が激変した事で、今更のように婚約者の元へ戻ろうとした令息たちもいたけれど、令嬢たちからは見捨てられた事で婚約は令息側の有責となり、いくつかの家は跡取りの変更など実に様々な雑事に追われる事となった。
泣いて土下座して許しを請うた一部の令息に関しては、
「あら? でもわたくしアリスさんのようなか弱さは持ち合わせておりませんの。アリスさんが貴方の理想だったのでしょう? わたくし今から身体を鍛えてもあのような見た目にはとてもとても……」
と、盛大な皮肉と嫌味を放たれる始末。
令息たちが好んでいたのはかつてのアリスであって今のアリスではないけれど、今だってアリスはアリスなのだからあの見た目でもか弱いってこったろうよ、という言葉の棘がビシバシと令息に突き刺さる。
中にはその言葉責めで新たな扉を開いてしまった者もいて、そういった者たちだけは婚約の継続を勝ち取る事ができた。性癖は歪んだし尊厳は死んだ。
恐らく数年後には夜会か寝室かはわからないが、ブヒィと鳴く男が数名現れる事になるだろう。
マルグレーテの婚約者はスペアであった弟にすげ変わったし、アマンダの婚約者であった王子は、変貌したアリスが余程怖かったのだろう。あまりの恐怖に幼児返りしアマンダに縋りつき、これからはいい子になりますと壊れた人形のように繰り返した挙句アマンダが離れようとすると発狂しかけたので、精神安定のためにアマンダは婚約を継続する形となった。
だがしかし。
王子がアマンダに絶対服従を誓った事で、アマンダもそれならば良し、と受け入れたのである。
これでもしまた裏切るような事になったらその時は覚悟なさいませ、と静かに告げられた王子はコクコクと壊れた玩具みたいに首を縦に振り続けていた。
アマンダから極端に離れなければ今のところは以前とそう変わらないマトモだった頃の王子だったので、この醜態を知るのは極一部である。
トリスはアマンダ経由で知ったし場所がアマンダの家だったので、遠慮なく爆笑した。
人前だったら流石に爆笑はしなかった。トリスだって場の雰囲気を察して弁えるくらいはする。
そういうわけで、一部の令息たちは後継者としての資格なし、と落伍者の烙印を押されスペアだった弟や妹にその立場を取って代わられ、そんな令息と婚約をしていた令嬢たちはそうならなかった他のマトモな令息と改めて婚約を結ぶ事ができた。
終わってみれば各家、それぞれになんらかの利があったのでそれなりに丸く収まっている。
ただ一人――
丸く収まらなかったのがアリスである。
一体どうしてこんな事に……と学園で散々化け物を見る目を向けられさながら見世物状態だった彼女が、どうにか授業を終えて家に帰ればアリスの姿を見た父が泡を吹いて倒れた。
庶子、とはいえそれでもマトモな教育を施し、その上で養子の手続きをとれば低位身分の貴族の家に嫁に出すくらいはできるだろうし、そうでなくとも貴族と繋がりが欲しい商家へ嫁に出してもいい、なんて考えていた男爵はアリスの見た目を重視していた。
思い切り優秀になるとは思っていない。それなりのラインを維持していればいいとそこまで高望みはしていなかったのだが、そんなアリスがある日とんでもねぇ見た目になって助けを求めるように縋りついてきた事で。
男爵のキャパシティは簡単に限界突破したのである。
自分よりもおっさんらしい見た目の娘とか脳内がバグっても仕方がない。
なお離縁を決めていた夫人はこれ幸いとこの隙にさっさと手続きをし、使用人たちと手分けして財産分与などを済ませた後颯爽と去っていった。
アリスを引き取るあたりで一度揉めに揉めた結果、離縁届に一応サインだけしておいてくださいませ、と言われて既にサインをしたものを夫人に渡したのが完全に仇となった瞬間である。
財産分与を気絶している間にされたとはいえ、根こそぎ財産を持っていかれたわけではない。
しかし、当初男爵が思い描いていたような、アリスを他家へ嫁に出して自分の家の利になるような契約を結ぼうとしていた未来は、木っ端微塵に粉砕したのだ。
妻に捨てられた男がこの先一人で――厳密に言えば一応数人の使用人は残ったのだが――返り咲けるかとなると、かなりのハードモードだろう。そうでなくとも夫人によって男爵は今までやってこれたので。
そんなわけで父親が頼りにならないと悟ったアリスは、ともあれ教会に助けを求めた。
もしかしたら悪い魔法にかけられたのかもしれない。
聖女様なら治せるかも。
そう考えた末の行動である。
むくつけきおっさん――と見せかけた少女が助けを求めてきた事で、教会内にもすわ化け物かと警戒と緊張が走ったが、ともあれ聖女様が見て下さる事となった。
そして判明した事は――
「あぁ、これは呪いと祈りが絶妙に混じってますね。ふむふむへぇ、おもしろ」
くすっと笑って言う聖女様は完全に他人事である。笑い事じゃないわよぅ! とアリスが嘆くも、
「で、どうします? 一応呪いは呪いなので解呪は可能ですけれど、しますか?」
お勧めはしません、と聖女様は淡々と言ってのけた。
「するに決まってるわよ、当たり前じゃない」
「えぇ……仕方ないな。あっ、ちょうどよかった、棺桶一丁用意して」
「どういう事!?」
「いやだって、解呪したら多分死ぬし」
「えっ!?」
どういう事!? と思い切り困惑してみせれば、聖女様は淡々と答えてくれた。
「まず呪いなんだけど、これはまぁ……誰かしらの恨みを買った結果ね。貴方の姿が変わったのはこれが原因」
「そんなのわかってるわ」
「で、祈りなんだけど、これはね、貴方が健康でありますように、っていう……正確にはちょっとニュアンス違うかもしれないけど、まぁ大体そういう意味の願いが込められてるの」
「健康? あたし最初から充分健康だけど」
「そこまでのバックボーンは知りませんよ。ただ、この呪いを解呪したり呪い返しをしようとすると」
「すると?」
「祈りも同時に消えたり返っていくので」
「いくので?」
「死にますね」
「なんでよっ!?」
「えー? なんでもなにも、呪いって返すと倍返しになってくものなんですけど、それと混じり合ってるんです祈りも。で、祈りっていうかまぁ祝福なんですけど、それって無理にはがすとよくないんですよ。反動がとにかくすごい。
貴方の場合健康に関するものが根底にあるようなので、それをとっぱらっちゃうと、生命力もごっそり抜けます。そして死ぬ。ジエンド☆」
バキュン、と親指と人差し指を立てた状態でアリスに向けて言う聖女様の表情は、口調の軽さとは打って変わって真顔だった。
人から恨まれる覚えはそれなりにあるアリスだけれど、誰が呪ったのかまではわかっていない。
だからこそ知りようがない。
トリスが呪った時、他の令息たちからアリスはか弱いから自分が助けてあげないとダメなんだ、とかなんとか言ってたところから逞しくなれば令息たちが離れていくのでは、と思った結果によるものだなんて。
それと同時に、呪いが発動して見た目がごつくなったとして、もし本当にアリスがか弱い少女だったのなら、見た目がごついせいでか弱いって言っても信じてもらえなくなったら困るだろうし、ちゃんと健康にたくましくなりますように……! という祈りも大量に含まれていたなんて。
アリスが知る事はないのである。
「呪いの根底にはなんかこう……売られた喧嘩は買う、みたいな意気込みがあるから確かに呪いなんだけどねぇ……殺そうとして呪ったって感じじゃないのよね、これ。
とにかく強くたくましくあれ、ってのが凄い。
でも逆に、そのせいで呪い返ししたとしても、相手が死ぬ事はなさそうなのよね。精々元気溌剌になってアドレナリンみなぎって数日眠れなくなるとかそんなところかしら」
「そのくせ呪い返ししたらあたし死ぬの?」
「死ぬわね。祝福も返すわけだから。呪いと違って祝福は返すっていう前提のものじゃないから。
たとえば手の平とかに小さな肉刺ができたとするじゃない? それを薬を使って取るならまだしも、無理矢理引き千切るような真似したら、肉刺だけじゃなくて周囲の肉片もぶっちぎる事になっちゃうでしょ? まぁ普通は痛くてやらないと思うけど。
祝福ひっぺがすって、そういうのに近いのよね」
「じ、じゃああたしずっとこのままなの……?」
「毛は剃ってもまた生えてくると思うし、そうね。鍛えて育つ事はあっても怠けて萎む事もなさそうなのよね……ま、健康なのはいい事よ。ちょっとした病気とかにも罹りにくくなってるっぽいし」
病気に罹りにくくなっている、と言われても全然嬉しくなかった。
「でもこんなんじゃあたしこの先やってけないわよぉおおおいおいおいおい」
たまらずアリスは泣きだしてしまった。
以前までは見る者の心を締め付けるような可憐で儚い泣き顔と声でもって、思わず慰めてアリスが笑顔になるように……と甘い提案をするような者たちもいたのだが、今のアリスの泣き方は完全に豪快なおっさんそのものであった。
うぉぉん! と可憐さとは程遠い状態で泣くアリスに、聖女様は少しばかり考えた。
その間にアリスは自らの境遇を聖女様に訴えて、どうにかしてこの見た目だけでもなんとかできないかと、とにかく同情を引こうとした。
父が倒れている間にアリスは教会に駆け込んだけれど、仮に意識を取り戻したところで今のアリスの事を父が受け入れてくれるとは到底思えない。
庶子として引き取ってくれたとはいえ、このままでは追い出されるのが目に見えていた。
こんなんじゃ一人で生きていくのだって大変だ。
引き取られる少し前にアリスの母は死んでいるので、頼れる相手も他にいない。
「行くアテもないのであれば、仕方ありませんね」
そうしてため息混じりに聖女様は――
アリスに紹介状を手渡した。
そこならなんとかなりますよ! と言われて、半信半疑ながらもアリスが向かった先は――
聖女様がいる教会とはまた異なる系統の寺院だった。
はっ! はっ! はっ!
と規則正しく野太い野郎どもの声がする。
修行僧たちが正拳突きをひたすら繰り返しているのが見えて、アリスは思わずしり込みした。
どの修行僧も逞しい身体をしている。
「我が寺院に何用か」
「ひぇっ、いやあの、これを聖女様に渡されまして……」
音も気配もなかったはずだがそれでも背後から突然声がして、思わず悲鳴を上げそうになったがそれが僧兵であった事からどうにか紹介状を差し出す。
受け取った男は紹介状に目を通し、ふむ、と貫禄たっぷりに頷いた。
「成程、俗世から離れ修行を積みたいと。よかろう、歓迎しよう」
「えっ!? ちょっとまってその紹介状何書いてあるの!?」
思わず男から招介状をひったくって視線を落とせば、そこにはとてもあっさりした一文があった。
目立つので埋没できるよう、似た環境を用意する事にしました。面倒見てあげてね♪
「なんっ……」
あの聖女様、こっちにまるなげしやがりましたね!? とは叫ばなかった。
というかこの文面で修業を積みたいって理解の仕方は何!? とは叫んだ。
聖女様曰く、筋肉を隠すなら筋肉の中。ここならアリスの外見をとやかく言う奴はいないという事らしいのだが……
「安心召されよ、ここは筋肉こそが正義のハグラマ寺院。ここではそなたの肉体を、筋肉を悪く言う者などおらぬ」
「いやそういう意味じゃないんですよねえええええ!」
「むしろ鍛えれば鍛えるだけ遥かなる高みへ行く事も可能」
「えーん話聞いてくれてないよぉ」
「むしろ筋肉を悪し様に罵る者には天誅を下すのが我が寺院の流儀」
「物騒すぎるよ平和的解決はどこいったの、話し合いは?」
「己が主張は筋肉で語れ」
「聖女様あの野郎」
話の通じない男との対話を諦めて、アリスは聖女様に向けて悪態をついた。
脳内でにこやかに笑う聖女様をどつき倒そうとしたけれど、脳内の聖女様は軽やかに血の付いたモーニングスターをぶん回したので。
自分の脳内だと言うのにアリスは聖女様に負けたのである。
ちなみに数年後、アリスはこのハグラマ寺院で究極のマッスルソルジャーとしてあがめられる事となるのだが。
仮に今のアリスがその事実を知ったところで、喜ばないのは確実である。
とんでも系な呪いとむくつけきって単語が使いたかっただけなんです(真顔)
次回短編予告
妹に婚約者を奪われて、妹の婚約者の元へ嫁ぐことになった姉とその後転落する人生を歩む事になった妹の話。テンプレです。
次回 妹に婚約者を奪われた姉ですが
だがしかしジャンルは恋愛ではない。恋愛の方が逃げてくんですよ、不思議だね(◜◡◝)




