踏切の刻印、残された声
―越境の記憶が呼び起こすもの―
夢は、時として過去の記憶をより鮮やかに、心を揺さぶる映像として現れる。
遥が見たのは、ただの幻想ではなかった。
それは、忘れられた土地に刻まれた痛みと、そこに生きた人々の、叫びにも似た祈り――。
音もなく始まったその夢は、やがて彼女を、ひとつの決意へと導いていく。
***
夢は、音もなく始まった。
ゆるやかな丘の斜面にある荒れた空き地。その一角だけ草が刈りこまれ、手入れされた区画があった。中央には、古びた石碑がぽつんと立っている。
その前で、一人の青年が軍服姿の男に殴られていた。青年は何も言わず、ただ耐えている。
倒れ込んだ彼の前に、小さな小坊主が飛び出した。
「やめてください!」
子坊主の叫びに、軍人が一瞬動きを止める。だが次の瞬間、子どもを荒々しく押しのけた。
離れた場所から町の人々が様子を見守っていたが、誰も動こうとはしない。
そこへ、一人の老僧が現れる。高位の袈裟をまとい、年季の入った杖を手にしている。
「……このくらいでどうか、ご勘弁を…」
その一言に、張り詰めていた空気が緩んだ。軍人は老僧をにらむと、舌打ちをしてその場を離れる。倒れた青年の肩に、老僧がそっと手を添えた。
*
場面が変わる。
視点は同じ。だが石碑はなくなっていた。草地の先には、赤錆びた鉄路が走っている。
警笛が遠くで鳴ったかと思うと、貨物列車がカーブを曲がりきれずに脱線。
車両が次々と横転し、粉塵が舞う。積荷が飛び散り、線路沿いにいた人々が巻き込まれていく。
数え切れない命が押し潰された。
*
また場面が変わる。
幼い子どもが、線路を渡ろうとしている。汽笛が鳴り響く。
子どもは走り出したが、足を取られたように転倒――視界が暗転する。
*
老婆がゆっくりと踏切を渡っている。途中でふと立ち止まり、空を見上げたかと思うと――悲鳴と衝突音が重なった。
*
場面は静寂に包まれる。音が消えた。
早朝の光の中、青年がひとり、茶色の法衣をまとい祠跡の前に正座していた。
両手を合わせ、深く頭を下げる。風の音だけが周囲に響いていた。
やがて空が白み始めるころ、青年はその場に倒れていた。
しばらくして、子坊主の声が遠くから聞こえる。
「おにいさーん!……おにいさんっ!」
夢の光景は、そこでふっと途切れた。
その日、由里は、遥の様子がずっとおかしいことを気にかけていた。錫華寺から戻って以来、遥はずっとぼんやりしていた。今日の学校でも、終始どこか上の空だった。
その日は1学期最後の日だった。
帰り道、遥は遊歩道の踏切跡へと向かった。うつろな表情のまま歩く彼女を心配して、由里が少し距離を取って後をつけてきている。
ちょうど踏切跡に差し掛かったところで、遥は足を止めた。
遥だけに見えているその光景は、夢で何度も見たものだった。生前の「最後の行動」を、今もなお反復し続けている数えきれない人々の姿――彼らは一様に、線路の向こう側へと渡ろうとしていた。その先には、かつて川を挟んで集落があったという。
(私も夢で……踏切の前で、「向こうに行かせてください」って祈ってた。
もしあのとき、お兄ちゃんが助けに来てくれなかったら……どうなってたんやろ)
遥の足に、湿気を含んだ生暖かい風がまとわりついてきた。
遥はくるりと振り返り、目を見開いたままつぶやいた。
「錫華寺の住職さんに、会いに行こう!」
「えっ……私、いるの気づいてたん?」
驚く由里の声が追いかけてくる。
「遥待って!自転車で行こうや!!」
だが、遥にはもう聞こえていないようだった。
彼女はそのまま、線路跡を背にして駆け出していた。




