目覚めかけた少女の記憶
―錫杖の音が示すもの―
――その音が、すべての始まりだった。
「シャリン」という、かすかな金属音。
それをまた耳にしたのは、春の風がまだ少し冷たい午後のことだった。
小川遥は、その日もいつもと変わらず、友だちと並んで歩いていた。
片桐フェスティバル――年に一度のにぎやかな催しは、誰にとっても“ただの日常”の延長だった。けれどその日、遥の耳に届いたのは、土地に眠る記憶のひとひらだった。
小川遥は、この春、中学生になった。
地元・片桐市立西中学校に通う、ぱっと見はどこにでもいるような女子生徒だ。けれど実は、週末になると発掘現場の現地説明会に足を運び、考古学イベントがあると聞けば、一人で自転車をこいでどこまでも出かけていく――そんな、ちょっと変わった趣味を持っている。
小学校からの友人、斎藤由里とは中学でも同じクラスになった。
由里は、近所でも評判の美少女で、勉強もよくできる。好奇心が強くて行動力もあり、どんなときも遥のそばにいてくれる心強い存在だ。
そんなふたりは、今年も変わらず、並んで学校生活を送っていた。
春になると、市のグラウンドでは毎年「片桐フェスティバル」が開催される。
子どもの頃は親に連れられて来ていたけれど、今では由里とふたりで遊びに来るのが恒例だ。
会場にはさまざまなブースが立ち並び、展示団体や露店、手芸や工芸を販売するアーティストの姿もある。
仮設ステージでは、市の大会で優勝したブラスバンド部が演奏を披露していた。
由里はというと、たこ焼きとイカ焼きを両手に持ち、イカ焼きの串でたこ焼きをつつきつつ、イカ焼きもかじっている。すでに祭りを満喫中。
次はガラス細工のアクセサリーを見に行くと、走り去っていった。
遥はというと、あまり浮かれて買い物をするタイプではない。
そんな中、ふと目を引くブースがあった。
白いクロスの上に、瓦や土器、石器が整然とに並べられている。
発掘現場の写真と、資料パネルに見入っていた遥は、やがてブースの端にひっそりと置かれたグッズ販売コーナーに気づいた。
出土した土器のプリントされたトートバッグや、古墳から出土したの宝剣を模したキーホルダー――どれも魅力的で、選びきれずに端まで歩いていく。
そこで見つけたのが、それだった。
丸い金属の枠に、小さな輪がいくつもぶら下がったキーホルダー。
音がしそうだ、と思いながら指でそっと触れると、控えめに「シャリン」と鳴った。
それに心を奪われた遥は、値段も見ずに口にした。
「これください」
***
「やっぱ、ここにいたー」
後ろから由里が軽く体当たりしてきた。
「何買ったん?見せてー」
遥がキーホルダーを見せると、
「渋っ!やっぱ遥のチョイスは独特やなぁ〜」
由里はケタケタと笑った。
遥は、ブースでもらった、片桐市立郷土資料館のトートバッグに、そのキーホルダーをつけた。
中には、もらった発掘資料やパンフレットがぎっしり入っている。遥は、ご満悦といった表情で上機嫌だ。
「これな、『錫杖頭』っていうらしい。ここに棒がついてて、鳴らしながら歩くらしい。仏教のやつらしいで」
「錫杖の頭についてる飾りやから、錫杖頭?」
「たぶんそれ……知らんけど」
「なんやそれ」
たまらず吹き出し、ふたりでおなかを抱えて笑いあった。
くだらないことでも、なぜだかおかしくて止まらなくなる。
その場で、息ができなくなるほど笑い転げた。
***
帰り道、遥と由里は遊歩道を並んで歩いていた。
かつて“暴れ川”と呼ばれた片桐川は、いまでは根本から堰き止められ、市民の憩いの場となっている。
遊歩道を歩いていると、水音にまじって、かすかな音が聞こえた。
――シャリン、シャリン。
遥は立ち止まり、隣の由里を見る。
「今の、聞こえた?」
「え?どんな音?」
「川の水音みたいなんと、シャリンって音。」
「え? 何も聞こえてないけど……なになに? 怖いって!」
由里は遥の腕にしがみつき、ぴったりと身体を寄せてきた。
けれど、遊歩道には何ひとつ変わった様子はなかった。
人々が行き交い、ベンチでは家族連れが笑い声を交わしている。
ごく普通の、穏やかな夕方の風景だった。