祈りが沁みた大地で
―誰かを想い、誰かに想われた場所―
真夏の陽ざしが照りつける中、少女は一人、寺の門をくぐった。
静かに、しかし確かな意志をもって――「祠へ行きたい」と口にしたその言葉が、
錫華寺に積もっていた時の層を、そっと剥がしてゆく。
語られることのなかった記憶、誰にも言えなかった想い。
すべてが、千年を越えて交わろうとしていた。
これは、過去と今とを結ぶ、祈りの章。
*
外は午前中でも強い日差しが照りつけ、蝉も騒がしく鳴いていた。
遥は、珍しくひとりで錫華寺を訪れていた。
玄関先にいた若い僧が「おや?」と顔を上げる。
彼は、遥が一人で来たことに少し驚いたようだった。
「住職さん……私、祠があった場所に行ってみたいです!」
遥の唐突な申し出に、若い僧は一瞬きょとんとした。
そして、すぐに隣にいた住職の顔をちらりと見る。
住職は、遥をじっと見つめたのち、ふっと頷いた。
「……そうですな。遥さんは、あの場所を何度も夢で訪れておられる。
行くべき時が、来たのかもしれませんな」
その言葉に、若い僧が慌てて口を挟んだ。
「し、しかし住職……禁足地は、あまりにも……。
その、万一のことがあれば……!」
彼の声には、本気の心配がにじんでいた。
寺に伝わるあの場所の曰くを、誰よりも気にしているのがよく分かった。
だが、住職は静かに首を振り、僧の肩に軽く手を置いた。
「遥さんはね、隼人さんに守ってもらってはるそうですから」
その目には、どこか懐かしさをたたえた優しい光が宿っていた。
一拍おいて、にこりと微笑む。
「……大丈夫でしょ」
それは、揺るがぬ信頼と、あたたかい祈りのような言葉だった。
そこにいた、若い僧の運転で、遥と住職は禁足地へと向かった。
田園の中にぽつんとある森は、鉄柵で囲われていた。
そこが禁足地であるということは公表されていないが、地元ではよく知られていた。
柵の脇にある、ちょうど車1台分くらいの空き地に車を停め、車を降りると若い僧は無言で鍵を取り出し、ゆっくりと柵の錠を外す。
金属のきしむ音が、静寂の中でやけに大きく響いた。
3人は、柵の奥へと足を踏み入れる。
中に入ると、意外と広々とした場所で、10平方メートルほどの広さのある森の中という感じだった。
木々が陽を遮り、地面には厚く落ち葉が積もっていた。
ただ、定期的に手入れはされているという雰囲気があった。
どこか、時間の流れから切り離されたような、そんな場所だった。
普段は快活な若い僧も、このときばかりは無口で、わずかに顔を強張らせていた。
禁足地に伝わる言い伝えの重みが、彼の態度ににじんでいる。
住職は、森の中央に立ち止まり、ゆっくりとしゃがみこんだ。
そして、足元の土にそっと手を伸ばし、大切そうに地面をなでた。
「……隼人さんが倒れておられたのは、この辺りです。
祠も、ここに建っていたのですよ」
遥に語りかけながらも、その目はどこか遠い過去を見ていた。
遥はその横顔を見つめながら、あの日の夢を思い出していた。
石碑の前に座って話をしたお兄ちゃん。
一緒に座った大きな石は、そこにはなかったけれど――たしかに、ここだったのだ。
――シャリン。
静寂を破って、錫杖の音が鳴った。風が一陣、森を吹き抜ける。
木の葉が擦れあい、ざわざわと音を立てた。
だが、その風の奥に、気配は感じられない。
そこにいるはずの真志袮は、今はまだ、姿を見せようとはしなかった。
ただ、何かが息を潜めている――
そんな緊張感だけが、あたりに漂っていた。
遥が見た夢と、語られた記憶と、静かに流れた時間。
それらが、ひとつの場所へと収束していくように――
錫華寺では、まもなく
「慧常上人開山忌・開山千四百年記念法要」が始まろうとしていた。
千四百年を越える歳月を経て、いま再び、その錫杖の音が響こうとしている。




