裂かれた川、信仰の影
―水と祈りに引き裂かれた里の記録―
錫華寺に集まった遥たちは、古文書の調査報告を聞くことになる。
そこに記されていたのは、阿禮郷と呼ばれた古い集落の記憶。そして、川と信仰をめぐって引き裂かれていった、真志袮と慧常の運命だった。
川を越えた者は敵とされ、信仰が集落の争いの火種となっていった時代――
やがて、流された命と祈りの痕跡が、遥たちの前に浮かび上がる。
遥と由里は、若い僧侶に案内されて、錫華寺の客間に通された。
そこには、すでに住職と郷土資料館の美和、久賀が揃っていた。
「本日はお呼び立てしてすみませんな」
住職は、若輩の遥と由里に対しても、いつも変わらぬ丁寧な口調で接してくれる。
久賀が古文書に基づいたやや難解な説明をひと通り終えると、美和が分かりやすい言葉で補足してくれた。
「まず、遥ちゃんが描いていたあの環濠集落――あれは、当時『阿禮郷』と呼ばれていた地域だったの。
そして驚いたことに、あの時代の集落の様子や、真志袮が率いていた武装部隊が川の氾濫で全滅したという出来事……それらが、これまでの調査で、史実としてほぼ一致していることが確認できたのよ。」
「真志袮は、郷長の娘で巫女をしていたのよ。ところがある日、渡来の僧・慧常が郷にやってきて、仏教を取り入れ始めたの。その結果、周辺の村々との対立が深まって、真志袮の父親――郷長は殺されてしまったの」
「郷を守るだけじゃなうて……父親の仇としても、敵に恨みを抱いていたんですか…」
遥は一人で納得したように、ぽつりとつぶやいた。
「遥ちゃん? もしかして、また何か新しい夢を見たの?」
美和が鋭く問いかける。
由里に肘でつつかれて、遥は今朝見た夢のことを語り始めた。
「真志袮は、郷に侵入しようとする敵と、いまだに戦ってるみたいです。川を越えようとする者は、全部敵とみなしてるって……隼人さんがそう言ってました。昔、隼人さんは真志袮を説得しようとしたけど、うまくいかなかったそうです。説得できるのは、慧常さまだけやって言ってました」
「……もしかして、踏切事故って、通行人が東から西に渡ろうとした時に起きてるのかもしれないな」
久賀がぽつりとつぶやいた。
「私が夢で見た事故も、確かにそうでした。小学校二年生のときの夢も、丘の方から川を渡ろうとしていたし、踏切を渡ろうとしていた夢も……」
「遥さんと住職が記録してくれた、犠牲者と見られる人の名前も……ほんの一部にすぎない可能性があるな。とんでもない、祟り神じゃないか」
久賀は独り言のように呟いた。
美和が話を元に戻して続けた
「真志袮と慧常が亡くなったあと、村の人たちは、自然信仰と仏教が混ざり合う中で、集落の東側――大波川、後世の片桐川の川辺に、祠を建てて真志袮を神として祀るようになった、という記録が残っているの。
場所がはっきりしているわけじゃないけど……それが、今の“真志袮の祠”の原型だった可能性が高いわ。」
それまで黙って話を聞いていた住職が、ゆっくりと口を開いた。
「真志袮さんを、この世に無理やり繋ぎとめてしまったことが、後の時代に惨事を招いているのかもしれませんな……」
そう言ってから、住職は遥に視線を向けた。
「隼人さんが、真志袮さんを説得しようとされた、ということでしたが――かつての住職の話によれば、これまでにも幾度となく、真志袮さんの魂を鎮めようという試みがなされてきたそうです。ですがそのたびに、失敗に終わり、多くの僧侶や神職が命を落としてきた……と、伝えられております」
一度言葉を切ると、住職は静かに息を吐いた。
「人の手でどうにかできるものではない――だからこそ、“触れてはならぬ”と代々、言い伝えられてきたのです。けれど、遥さんの夢に現れた隼人さんは……慧常さまなら説得できると、そう語っていたのでしょう?」
住職は、遥の目をまっすぐに見つめながら言った。
「もし、慧常さまの遺品であるあの錫杖が手元にあれば……状況を変えられるかもしれませんな」
そしてふと、祈るように手を組みながら、低く静かに続けた。
「少なくとも、この世に思いを残したまま彷徨っている魂たちには――せめて、上へ昇っていただかんと……」
住職はそうつぶやいた。
久賀は、遥や住職が記録してきた名前だけでなく、寺に残された法要の記録や、川や踏切で起きた事故の記録にも調査の範囲を広げると皆に伝えた。
その言葉を最後に、一同は静かに席を立ち、その場はお開きとなった。
遥は、見送りに出てきた住職のそばへと歩み寄った。
「住職さん……“秀靖”というお名前なんですか?」
静かに問いかける遥に、住職は優しくうなずいた。
「はい。仏門に入ったときに授かった法名が、秀靖と申します」
すると遥は、少し笑みを浮かべて、続けた。
「隼人さんが、夢の中で言ってました。“秀靖くんも、立派になったな”って」
その言葉を聞いた瞬間、住職は目を大きく見開いた。
そして、ふと視線を落とすと、ほんのわずかに目元が潤んでいるように見えた――




