夢の面影、明かされる名前
―夢が指し示したその者の行方―
あの夢は、ただの幻ではなかった――
遥は、確信にも似た感覚を胸に抱えて、スケッチブックを開いた。
夢の中で聞いたあの名、「真志袮」。
ひざまずく女の前に錫杖を差し出す僧、その姿。
そして、現実に残された石板にも、同じ名が刻まれていたという事実。
過去の記憶が、夢を通して誰かの声となり、いま、確かな輪郭を持ちはじめている。
土地が宿していた記憶は、確かに彼女を導いていた。
夢は、まるで水面をなぞるように静かに始まった。
薄暗い板張りの部屋。小さな仏像の前に、一人の僧がひざまずき、静かに手を合わせている。
そのすぐ後ろ、左側には、若い女が同じように手を合わせ、目を閉じていた。二人とも、わずかに口元が動いている。
低く、ゆるやかに重なる読経の声が、ほの暗い空間に淡く響いていた。
やがて声が途切れ、僧が静かに立ち上がると、堂の奥へと消えていく。続いて、女も一礼してから退室した。
*
ふたたび現れた僧は、前かがみで、額には汗が滲み、息が浅い。その手には一本の錫杖。
ーシャリン
金属が鳴った。
僧は、ひざまずく女の前にその錫杖を差し出し、何事かを言い含めるように語りかける。女は、黙って頭を垂れ、両手でそれを受け取った。
そのとき、確かに聞こえた気がした――
「……ましね」
その名を、風のような声が呼んだ。夢の奥で、確かに。
***
翌朝、郷土資料館の会議室には、すでに美和と久賀の姿があった。
そこへ現れた遥は、手にスケッチブックを抱え、どこか思いつめた表情をしていた。
遥の後ろから由里も続いて入ってきた。
「遥ちゃん、どうしたの?」と、美和が声をかける。
代わって由里が小さく肩をすくめるように言った。
「今朝から、ずっと上の空で……」
遥は無言のまま、そっとスケッチブックを開いた。
そこには、静かな堂内で僧と若い女性が向かい合い、錫杖を手渡す場面が描かれている。
女性は跪き、僧はどこか疲れた様子で語りかけていた。
「これ……夢に出てきたんです」
遥の声は少し震えていた。
「このお坊さん、錫華寺の宝物庫にあった錫杖をこの人に手渡してたんです。それに……私が小学校二年のときに見た夢に出てきたみずらの女戦士と、この女の人の顔が、同じだったんです……」
遥は、ページの端に書き添えられた言葉を指差す。
「それで……その時、遠くで聞こえたんです。
このお坊さん、この人のことを――『ましね』って呼んでました」
その瞬間、美和と久賀が顔を見合わせ、同時に叫んだ。
「女性の名前だったのか!?」
「女性の名前だったの?!」
踏切跡から郷土資料館のあたりまでの一帯は、考古学の研究者たちの間で「真志袮エリア」と呼ばれている。
その呼称の由来は、昭和初期に行われた発掘調査にさかのぼる。
当時、調査中に出土した一枚の石板に、「真志袮」という三文字が刻まれていたのだ。
石板の用途や由来については、今なお明らかになっておらず、確かなことはわからない。
ただ、その文字の存在があまりにも印象的だったため、研究者たちは便宜上、この周辺を「真志袮エリア」と呼ぶようになった。
なお、石板の出土年代についても意見は分かれており、古墳時代中期から飛鳥時代中期まで、幅をもたせた推定がなされている。
「真志袮」という語が何を指すのか――それは、今もって謎のままだ。
ある研究者は在地豪族の名ではないかと考え、またある者は古い地名が記されたものではないかと推測している。
だが、決定的な証拠はいまだ見つかっていない。
右手を顎に添えて考え込んでいた久賀が口を開いた。
「その夢によると、真志袮は慧常の弟子という事になるのか。ならば、寺の古文書に真志袮に関する記述が今後見つかるかもしれない……」と、久賀が静かにつぶやいた。
美和は、軽く頷いた。
「出土した石板と、遥ちゃんの夢が繋がるなんて……今後、研究が大きく進むかもしれないわ」




