Chapter.15 ーRAIN MAKERー
今回登場したレインメーカーですが、元ネタは1997年の映画のタイトルから拝借しました。このタイトルは金の雨を降らせる、つまり大金を稼ぎ出す弁護士という意味でつけられたそうです。主演マット・デイモン
暗殺者なので金ではなく血の雨に変えちゃいましたが、途端にえらく物騒な名前に、、、
府中刑務所から桂川が出所した頃、右京から連絡を受けたもう1人の刺客は兵庫県神戸市にいた。
「はい、こちら白龍飯店」
"お久しぶりです、リーさん。防衛省の右京です"
ランチタイムも終わりに近づき客足も落ち着いてきた店内。右京からの電話に出た男は、神戸市の西の中華街こと南京中華街にある"白龍飯店"という中華料理店の店主、"李 鷲烙"という中国人である。身長165cmほどで小柄ながら均整の取れた体格をしており、プラチナブロンドのような色の短髪で口髭を生やしている。少し日焼けしているのか、コックコートの白が映える肌色をしていた。
相手が右京と判った李はコック帽を脱ぎ捨て店の裏口から外に出て話を続けた。
「右京…私はもう引退した身なのだが?」
"堅いこと言わないで下さいよ。あなたに今の暮らしが出来るよう取り計らったのは僕ですよ?"
「……何の用だ?」
李は中華料理店の店主とは思えないような凄みの効いた声で答える。右京からの依頼内容を聞き、李は黙った。
"どうかお願い出来ませんかね?結果に見合った報酬はもちろんのこと、前回と同様、ダミーの人間をあなたに見立てて、うちのエージェントに処理させます。ノーリスク、ハイリターンです。どうですか?"
「何がノーリスクだ。リスクしかない」
"そんな…歴史に名を残す稀代の暗殺者"レインメーカー"の名が泣きますよ?でもまぁ、どうしても無理というなら、兵庫県警に白龍飯店のガサ入れでもお願いしましょうかね"
「……卑劣な男め。いつやればいい?」
そう、この李 鷲烙こそ9年前に首相の爆殺事件を起こした上海の暗殺者"レインメーカー"である。事件後、JACKALのエージェント"清滝"によって射殺され幕を閉じたと思われていたが、実のところ清滝は右京が送り込んだエージェントであり、李に偽装した別人をレインメーカーに見立てて殺害。李本人は右京の計らいで米国にある証人保護プログラムのような、日本では極めて異例な措置により別の戸籍を与えられ生き永らえていたのだ。
"時間と被害規模はお任せしますが、出来るだけ多くの場所…そうですね、ランドマークとなる場所でお願いします。では"
電話が切れると、李は目の前にあったポリ製のゴミ箱を蹴り飛ばした。感情が昂っているせいか、中国語で怒りの言葉を吐き捨てている。数刻して気持ちを落ち着けると、店内に戻り外の看板を片付け、最後の客が出た後に従業員を帰らせてすぐに店を閉めた。
ある程度、店の中を片付けてから地下にある工房に行き、頑丈そうな合金製の金庫のダイヤルロックを解除し扉を開けた。
(右京め…この私を顎で使うとは。そもそもあのとき、右京から首相暗殺の依頼を受けるべきではなかった)
複雑な心境なのか、険しい面持ちで金庫の中に入っていた"ある物"を取り出してキャリーケースに慎重に詰め込むと、コックコートを脱いで着替え始めた。タンクトップから覗く美しい筋肉に覆われた肉体には無数の傷跡がある。大衆浴場にこんな男がいれば、確実に目を惹くーーそんな雰囲気を醸し出していた。李はタンクトップの上から黒のシェルジャケットを羽織って全身黒ずくめになると、キャリーケースを引いて急いで店を出ていった。
(東京のランドマーク…一体何人殺せと言うんだ…面倒な注文だ。時間の指定もないし7ヶ所くらいで構わないだろう)
爆破のスペシャリスト、レインメーカーは新神戸駅から新幹線に乗り東京へと出発した。到着予定時刻は午後7時。
こうして、明日の時代葵と嵐の決着に向けて各々が動き始めたのであった。
同じ頃ーー警視庁に戻った鴉はJACKAL本部の家宅捜査の許可がおり慌ただしく準備を進めていた。
「ほら、皆んな急いで頂戴!警視庁始まって以来、初の防衛省の秘匿部隊のガサ入れよ!アマゾンの秘境に行くようなものなのだから、準備は怠らずにね!」
ニュースでよく見る捜査員たちがダンボール箱を抱えて証拠品などの押収を行なっている場面。下っ端の捜査員が折り畳まれた状態のそのダンボールを何往復もしてハイエースに積み込んでいる。そして出張る捜査員たちには万が一の時に備えて各自、銃を携行するよう指示が出された。暗殺者たちの巣窟に向かうのだ。そのくらいの備えは必要なのだろう。拳銃を管理するロッカーの鍵を課長が開け、捜査員たちはそこから銃とマガジンを取り出し装着していく。現場で指揮を取る鴉はサポートの他の3人とTOYOTAクラウン(クロスオーバー)に乗り込み、それ以外の捜査員たちは皆、ハイエースで千葉県、幕張新都心へと出発していった。
一方、京極はまだ傷が癒えていないにも関わらず、退院手続きを済ませて病院を出てきていた。
「ふぅ…やはりシャバの空気は一味違うぜ。……なんて、ようやく隠れることなく一服できるってだけだが。病院だから喫煙室がないのは分かるが…そう言う意味では監獄と変わらなかったな…フッ」
なにやら訳のわからないことを言っているが、とにかく喫煙環境がよろしくなかった病院を出ることができてテンションが上がっているのだろう。一服し終えると、本部に依頼して愛車を病院の駐車場に運んでもらっていた場所に行き、久しぶりの再会を喜んだ。
「レイチェル…しばらく一人にして悪かったな。今日からはまた一緒に大暴れしてやろうぜ」
京極は自分の愛車であるシルビアS15のことを"レイチェル"と呼んでいる。京極は車"も"恋人なのだ。レカロのバケットシートに腰を下ろし、包まれるような感覚に京極は癒された。レイチェルの中を十分に堪能するとエンジンをかけて、身体の芯に響くような重低音のエギゾーストノートを再び堪能し始める。
「ああ…これだよこれ。やはりお前の中は格別だよ。さあ、行こうか」
アクセルを踏み込むと、レイチェルが咆哮をあげ緩やかに発進した。首都高までは安全運転で移動し、高速に乗った瞬間からアクセルを強く踏み込んで6速まで突き上げ、一気に加速した。回転数が跳ね上がって戻り、唸るような音を立ててどんどんと他の車両を抜き去っていく。速度超過などお構いなしの京極の運転は、瞬く間に千葉県へと誘い、JACKAL本部のある幕張新都心に到着した。
(聞いた話ではボスが暗殺されて、今は右京とかいう防衛省の政策局にいた男が長官代理として仕切っているとか…話のわかる人間ならいいのだが…)
本部の駐車場に車を停め、京極は気を引き締めて本庁舎へと向かった。非番のエージェントと顔を合わせると、ハニートラップで瀕死に陥った噂が広まっており、皆からイジられつつも、さりげなく長官代理についての情報を集めた。
(謙虚でユーモアもあってイケメンで頭も切れる…なんだ、この絵に描いたような出来た人物は。出来杉くんか)
エレベーターで最上階まで上がり、奥の長官執務室の前で立ち止まる京極。もう間も無く鴉警部補が率いる捜査員たちが家宅捜査にやってくる。その前にジラフのことを聞き出さなければならなかった。長官執務室の前にある秘書室にノックして入ると、秘書は不在のようだった。仕方なく通り抜けて装飾彫りが施された執務室の立派な木製の扉を3回ノックする。奥から聡明そうな声で返事が聞こえ、京極は入室した。
「お忙しいところ失礼します。コードネーム"京極"、諸般の事情によりご挨拶が遅れたことをお詫びするとともに、少しお話しをさせて頂ければと存じます」
出来杉くんなどとふざけたことを考えていたとは思えないような立ち振る舞いで一礼する京極に、デスクにいた右京は爽やかな笑顔で席にかけるよう促した。
「君がハニートラップにかかったという京極か。長官代理に就任した右京です。どうぞよろしく。さあ、そこに掛けてくれたまえ」
恥ずかしい覚え方をされたものだと京極は少し苦笑いをしながら、デスクの前にあるローテーブルとソファの席に腰を下ろし、右京もまたデスクを立って京極の前の席に着いた。
「それで、話というのは何だろうか?」
「はい、内部監査部の動向についてなのですが…麒麟もしくはジラフというエージェントをご存知ですか?」
京極はいきなり核心をつくような話を切り出した。それに対して右京は顔色ひとつ変えずに答えた。
「ああ、就任したその日に内部監査部の部長から聞かせてもらったよ。コードネーム"麒麟"、通称ジラフ。エージェントの皆んなはあまり知らない浮いた存在だとか」
「はい。実は私が負傷した際、刺客として送り込まれた女の証言では、そのジラフいう男の指示だったと聞き及んでおります。そのことでもし、ジラフの所在をご存知であれば、教えて頂ければと…」
相変わらず右京の表情は変わらない。しかし、京極が最後に言葉を濁したところで口角がぴくりと動いたような気がした。
「そうだったのか。それが本当なら由々しき事態だね。麒麟の所在については…」
京極は何かの気配に勘づき、ソファからバク宙で飛び出して身を翻しながら3点着地で扉付近の壁際に回避し、ソファの方に視線を移すと、ソファの背後にあたる場所にはハットを被った黒ずくめの男が不敵な笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「よおく気付いたなあ。男相手ならちゃんと動けるんぢゃねえか」
「貴様…誰だ?長官代理、避難を!!」
「ハハハ、安心したまえ、京極。さっきの問いの答えだが……この男が"麒麟"だよ」
右京はサプライズが成功したかのようにクスクスと笑いながら答えた。京極は目を丸くして固まっている。
「驚かせたみたいで悪かったなあ〜ま、驚かせるつもりだったんだけどなあ。でえ、俺を探してるってえ?何の用だよ〜?」
先ほど、ジラフの指示で殺されかけたと話したはずだが、右京はジラフと思われる男と2人で小バカにしたように笑っている。京極は内心、苛ついた。
「あんたが歌舞伎町のキャバ嬢を使って俺を殺そうと画策していたと聞いている。何故俺を狙った?」
「待て待て〜その言い方じゃ俺が指示したのは確定事項みたいになってるぢゃねえか。俺はそんなことしてねえよ〜お前なんかに興味ないもん」
ヘラヘラと笑いながら否定するジラフに京極は顔からも苛つきが滲み出ていた。ジラフの態度は明らかに京極を挑発している。ただ、この様子だと右京も共犯者である可能性がある。ここで大事にでもしたら、嵐と同じく内部監査部から狙われかねない。京極は深く息を吐き気持ちを落ち着けた。
「そうか。疑ってすまなかった。右京長官代理もこのような場所で面倒を持ち込んですみませんでした。俺の用は済みましたので、これで…」
「構わないさ。お互いのわだかまりが解消できたようで何よりだ。まだ怪我も完治していないのだろう…ゆっくり休んでくれたまえ」
勝ち誇ったような顔で言葉をかける右京に京極は頭を下げて部屋を出て行こうとすると、ジラフが最後に一言、呟くように吐き捨てた。
「せっかく拾った命だ。せいぜい大事にしろよ」
京極は聞こえていたが、あえて聞こえない振りをしてそのまま退出した。
(あれがジラフか…これまでの落とし前は必ずつけさせてやる)
京極は怒りを抑えるのに拳を強く握りしめながら、本庁舎を後にした。
京極が立ち去ってから約1時間後ーー長官執務室では家宅捜査をする為に訪れた鴉警部補たち捜査一課の人間によって現場のガサ入れが始まっていた。
(舞鶴長官が殺されてから2日が過ぎている。きっと殺害現場であるここにはもう何も残っていないでしょうね。揉み消すには十分すぎる時間もあった訳だし。本部敷地内の監視カメラに何かしらの証拠が残っていればいいのだけれど…)
「ご苦労様です。私は長官代理の右京です。前任の舞鶴の事件を警視庁でも指折りの敏腕であらせられる鴉警部補に捜査してもらえるなんてありがたいことです」
「いえ、今回は捜索にご協力頂きありがとうございます。現状、エージェントの嵐という男が犯人という認識でそちらでは内部監査のエージェントを派遣されているそうですが、捜査の進捗次第によってはエージェントによる追跡の中止をお願いするかもしれませんので、よろしくお願いします」
鴉はあえて挑発的に右京に宣言してみせた。それに対して右京は笑みを浮かべて頷いた。
「もちろん。我々としても身内を疑うのは心苦しいですからね。是非とも嵐の無実を証明して頂ければと…」
(事件後に就任したとはいえ、この右京という男もきな臭い感じがするわね…JACKAL長官の座を狙って暗殺させた…という線もあり得なくはないでしょうし)
それから4時間、舞鶴が暗殺された本庁舎の最上階から全フロアでの聞き込みと、監視カメラの映像記録や遺体の検死結果書などを押収したが、肝心の凶器や物的証拠となるものは特に得られず捜査は終了となった。
「本日はありがとうございました。お預かりした証拠品を元に改めて捜査を進めていきます。何かわかればまたご連絡致しますので」
「ええ、わかりました。よろしくお願いします」
右京は秘書の1人を呼び、鴉たち捜査員を地上の出入口まで見送りさせた。
(やはり2日経過してからの初動捜査ではもう得られる情報がほとんどなかった。嵐君ごめんなさい…私達では貴方の無実を証明するのは難しいかもしれない……)
警察による初のJACKAL本部の捜査は虚しくも空振りに終わったことなど知る由もない嵐はホテルで1人、ある覚悟を決めていた。