Chapter.12 ーGIRAFFEー
台本!?っていうくらい会話文しかない、、、
朝日が顔を出して間もない頃、寝返りをうった嵐の目の前には時代葵が静かに寝息を立てて眠っていた。
「……葵。ありがとう」
彼女の顔に近づくと目が開いた。視線を嵐に向けて状況を認識すると呆れた顔をして背を向けた。
「……何してんのよ。寝覚めに額にキスとかアンタ、欧米人?ハリウッド映画の観すぎでしょ」
辛辣なツッコミに嵐は顔を紅潮させて布団に潜った。しかし、こんな幸せな日が再び訪れるとは思ってもいなかった。嵐は布団の中で顔を綻ばせる。彼女はベッドを出て、すたすたと寝室を出ていった。嵐はこの時、1つの決意を胸の奥で固めていた。
数刻、余韻に浸ると嵐もベッドを降りてリビングに移動した。シャワーを浴びた後なのか、時代葵はバスタオル姿で水を飲みながら嵐に気付いた。
「アンタってほんとラッキースケベよね。どうしてこういう格好の時に現れるかな」
「す、すまん…」
目を背けながらダイニングテーブルの椅子の腰を下ろして嵐も水を頂くことにした。
「痛みはどう?薬、まだあるけどもう一錠飲んどく?」
「え、ああ…痛いのは痛いけど、まぁ我慢できる痛さだし、あとは自然治癒力で何とかするさ」
「は?自然治癒力?バカなの?胸の傷、素人の私が縫合しただけなんだから、動けるならちゃんと病院行きなさいよね」
本日早くも2回目の辛辣なツッコミに嵐は黙り込む。たしかにいつまでもここに居座る訳にもいかない。いつまた何時、BEAST'sのエージェントが襲撃してくるとも限らない。これ以上、彼女に迷惑をらかけるのは嵐の本意ではない。
「そうだな。手当てしてくれて、本当にありがとう。少ししたら病院に行くよ」
素直に言葉を聞き入れた嵐に彼女は目を背けて少し照れくさそうにその場を離れて寝室に入っていった。服に着替えて出てくると、キッチンへ移動した。
「簡単なものでよかったら作るけど、食べる?」
言葉は辛辣でも、心根は優しかった。嵐はお言葉に甘えて出来上がるまでテレビをつけて待つことにした。ちょうど朝の報道番組が流れている。
「こ、これは…」
昨日、築地本願寺で朱雀に襲われた様子が映像で流れていた。画質的に周りにいた野次馬が携帯電話で撮影したものだろう。謎の人物たちによるこの乱闘事件に関してSNSでも盛り上がっているとキャスターが紹介している。嵐は携帯電話でSNSを開き、調べてみた。
"これ、映画の撮影?リアルすぎん?"
"剣が伸びて鞭みたいになるとかSF映画でしか見たことない。どこに売ってるんだろ"
"この鞭のおねーさん美人だけど襲われてる方の女の子もめちゃかわ"
"これがリアルだとしたら日本も物騒な国になったよね"
予想よりも遥かに盛り上がっている。しかし、嵐に関する話題は1つも上がっていなかった。嵐は少し寂しくなってSNSを閉じた。
(やらかした…野次馬が大勢いたのは気付いてたけど、まさかフルで動画撮られてるとは…)
「どうしたの?気まずそうな顔して」
トーストとハムエッグを運んできた時代葵が不思議そうな顔をしている。"かわいい"とかSNSで話題になってるなんて聞いたら図に乗りそうだ。知らない方がいいかもしれないーー嵐はテレビを消して、なんとなく誤魔化した。
「ありがとう。これ食ったら病院に行くよ。世話になったな」
「別に…アンタは私のターゲットだし、他の人間に横取りされるのが嫌だっただけ。気にしないで」
相変わらず素っ気ない彼女にニヤつきながら嵐はトーストを手にした。そして何かに気が付いた。
「葵、なんか…焦げ臭くないか?」
「は?焦げてないでしょ。文句あるなら食べなきゃいいじゃん」
「違う!部屋…いや、外からか?」
嫌な予感がした嵐はトーストを持ったまま玄関に走っていった。なんとドアが炎に包まれている。ガソリンの臭いーーおそらく何者かがドアにガソリンを撒いて火を付けたのだろう。このままだとすぐに煙が充満してしまう。嵐は時代葵にトーストを渡してバルコニーに出るよう指示して、自らは風呂場に行って水を頭から被った。
(放火とか一体誰がこんな物騒な真似を…)
ガソリンによって勢いよく燃えているドアに今さら水を掛けただけでは、おそらく鎮火は出来ない。薬剤によって鎮火する消火器でなければ、すぐに燃え広がってしまうと考えた嵐は覚悟を決めて燃え盛るドアに向かって全力で蹴りをお見舞いした。高熱によってドアを固定している蝶番が脆くなっているだろうと予想してのことだ。案の定、ドアは簡単に外れ嵐は炎のゲートを潜って一気に玄関の外に出た。廊下にまで燃え広がっている様子はない。周囲を見渡して人の気配や他に罠のような物は見当たらない。彼はエレベーター前まで走り、消火器を掴んで玄関前に戻り消火器のグリップを強く握った。粉末が炎を覆っていき3分ほどでようやく鎮火できた。
朝からとんでもないことになったと頭を掻きながら部屋に戻り、バルコニーにいる時代葵に声をかけようとしたが、ベランダのどこにも彼女の姿はなく渡した食べかけのトーストだけが落ちていた。
(葵?まさか…っ!?)
バルコニーに出ると、右隣の部屋のバルコニーと区切ってある間仕切りが破壊されている。嵐が消火作業に気を取られている間に、火災を起こした何者かによって、彼女はここから拉致されたに違いない。しかし、隣の部屋から脱出したのなら、消火器を取りに廊下を往復していた嵐と遭遇するはず。バルコニーから下を見下ろすが、地上に飛び降りるのは不可能な高さだ。
「クソッ!!いったいどこに!!ビースツの奴らか!?」
嵐は破壊された間仕切りの穴を通って隣のバルコニーに入ったが、部屋の中は人が住んでいる気配はなく空き部屋だった。だが、嵐はある物に気が付いた。消防法に基づき、マンションやアパートには火災などの災害時、非常階段が使用できなくなった際のもう一つの避難手段として階下に降りることができる避難用ハシゴがバルコニーに設置されている。隣の部屋のバルコニーにはそのハシゴが設置されていた。蓋が閉まっていた為、一目では気付けなかったがここを使ったに違いない。蓋を開けると案の定、ハシゴが展開されて階下に垂れ下がっていた。やはりここを使ったのだと、嵐は急いでハシゴを降りて階下に着くと悲惨な光景が目に飛び込んできた。おそらくこの部屋から外に出るためガラス戸が割られたのだろう。しかし、上階と違いこの部屋には人が住んでいたーー部屋にいたのは母と幼い娘。2人とも銃で撃たれたのか、血塗れで倒れている。
(こんな小さな子まで…ああっ!どうして…!!俺がこのマンションにいたばっかりに…クソッ!!怒りでおかしくなっちまいそうだ…)
嵐は時代葵と階下の何の罪もない親子を守れなかった自分の不甲斐さを戒めるが如く、バルコニーに散らばったガラス片のある床に向かって拳を叩きつけた。
(葵…俺はまたお前を守れないのか……)
嵐は部屋に入って親子の生死を確認した。2人とも脈がない。すぐにでも葵の行方を追いたかったが、この親子をこのままにもしておけない。嵐は警察と消防に通報し、警察の指示で第一発見者としてその場で待機するよう命じられた。その間に頭を冷やそうとバルコニーに座り込み待つことにした。
ーー1時間後
親子の遺体は救急が搬出し、警察と鑑識による現場検証が始まった。
「嵐君、どういうことなのか説明してもらえる?」
現場に来たのは捜査一課の鴉警部補だった。京極の恋人である鴉になら全て話しても問題ないだろうと、舞鶴長官暗殺事件からこれまでの経緯を話した。
何者かによって長官暗殺の罪を背負わされ、本部内の留置所に入れられそうになったこと、逃走したものの翌日からビースツという謎のエージェント達が自身を生け捕りにしようと動いていること、その際に負傷し介抱してくれた時代葵がおそらく拉致され、その過程で親子が巻き添いに遭い殺されたことーー知りうる限りの情報を全て鴉に話すと、彼女は自身が感じた違和感を指摘し始めた。
「嵐君。まず貴方の中の前提が偏っていることに気付いている?貴方の中では時代さんが拉致されたということになっているけれど、本当にそうなのかしら?彼女が自分の意思で去り、親子を殺して逃走したという可能性もゼロじゃないわよね?」
「そんなことはありえない!あいつがそんなこと…」
言い淀んだ嵐に鴉はさらに追及する。
「SNSで見たわよ。貴方と女剣士が築地本願寺で争っている動画。最終的に時代さんは敵とはいえ女剣士の右手を撃ち抜いたわよね?そういう容赦のない部分がある人間なら、可能性はゼロじゃないはずよ」
間違いではない。嵐は言葉に詰まった。ただ、それでも自分が愛した人が私欲のために何の罪もない親子を殺すなんてことは、どうしても考えられなかった。
「……とまぁ、ちょっと嫌なことをズケズケと言っちゃったけれど、私だって時代さんが犯人だとは思っていないわ。ただ、そういう自分に都合のいい甘い考えは捨ててフラットに考えてほしかったの。ごめんなさいね」
鴉の言葉でようやく嵐は自分がまだ冷静ではなかったことに気付かされた。情けなさと安堵が混ざったようなため息を漏らして自分の両頬を両手で叩いた。
「すんません、真希さん。目ぇ覚めました」
鴉は軽く微笑みながら嵐の肩に手を添えた。そして真顔に戻り、嵐のおおまかな話の流れから今の状況を自分なりの推理と併せて話し始めた。
まず、嵐が冤罪をかけられたのと同じ日ーー2日前に京極も奇襲に遭い、瀕死の重傷を負った。実行犯は一般人だったが、唆したのはジラフという東南アジア系の男。京極にはジラフとの面識はない。では何故ジラフはこのタイミングで京極を消そうとしたのかーー嵐と京極の2人がかかった罠。その2つにもし関係性があるとする。長官暗殺の罪によってJACKALの敵という烙印を押された嵐は、ビースツというエージェント達に追われている。これがもし今、京極が無事ならば嵐を手助けできる唯一のJACKALのエージェントであったはず。京極を消すことで嵐の孤立化を計っていたのでは?そうなると、嵐を嵌めたのもジラフという男である可能性が考えられる。
ここまでの話を黙って聞いていた嵐は拳を握りしめて震えていた。
「真希さん…ありがとな。こうしちゃいられねぇ…ジラフをブッ殺してやる!!」
「あ、ちょっと待ちなさい!!ジラフがどこにいるか判っているの!?」
怒りに任せて走り出そうとした嵐は踏み出した足を止めた。気持ちが先走ってしまう嵐の悪い癖だ。怒りをぐっと堪え、鴉の話の続きを聞こうとした時だった。嵐の携帯電話に着信が入った。
「……もしもし?」
"嵐か?俺だ。今話せるか?"
「俺じゃわからん。誰だよ。女なんかに撃たれやがって」
"やかましい!わかってるじゃねーか!!京極だ。お前も狙われるかもしれんから先に伝えておこうと思ってな"
嵐はすでに長官暗殺の罪を着せられたことから時代葵が姿を消したことまで全部話した。
"手遅れだったか…しかし、遭遇していたのなら話が早い。お前が襲われたBEAST'sというのはJACKAL内部監査部の戦闘部隊の名前だ。そして、麒麟…あ、いや、ジラフか。俺を襲わせたジラフって奴もおそらくその一員だ"
携帯電話をスピーカーモードにして京極の話を聞いていた嵐と鴉だったが、ここで鴉が口を挟んだ。
「待って頂戴。では、嵐君も京もその内部監査部のBEAST'sに襲われたということになるのよね。読めてきたわ…」
"なんだ、真希も一緒だったのか。で、何が読めたんだ?"
「誰が殺したにしても、舞鶴長官が暗殺された今、それによって得をする人間がいるってことよ」
"なるほど…長官の座を狙っている人間がJACKAL内にいる…か。そいつが内部監査部を動かして俺たちを襲わせている。もしかすると、長官を暗殺したのも……そういうことだな?"
「んだよそれ…そんなことで組織を裏切ってボスを殺したっていうのか。許せねぇ!!」
"落ち着け、嵐。もう一つ、今の一件とは関係ないかもしれないが、お前の耳に入れておきたいことがある。2日前、時代葵が褐色の肌をした東南アジア系の男と会っていたが、何やら不穏な空気だった。時代葵にお前を襲わせている黒幕かもしれん…気をつ…"
「東南アジア系の男ですって!?京!それってハットを被った全身黒ずくめの…」
"え?ああ、たしかそんな格好だったな。その男を知っているのか?"
「そいつがジラフよ!!八坂美鈴の証言と一致しているわ!」
「……ってことは…やっぱり葵はビースツに拉致されたんだ!もし葵の黒幕がビースツのジラフなら、俺がビースツの朱雀にやられそうになったところを助けたりはしねぇだろ!?俺は葵を助けるために本部に戻る!!」
「本部に戻るって貴方、そんなの飛んで火に入る夏の虫じゃない。ジラフが時代さんの黒幕だとしたら、時代さんは無事なはずよ。むしろ、人質として拉致されているはずだから、近いうちにBEAST'sから貴方を誘き寄せるための連絡が来るんじゃないかしら。貴方はその連絡が来るまでどこかで体をしっかり休めておきなさい。その間に貴方の冤罪については私が調べてみるわ。しっかり裏を取って無罪を証明してあげるから。いいわね?」
鴉に再び諭され嵐は肩を落とした。時代葵が心配でならないのだろう。それなのに身動きのとれない自分がもどかしい。そういった感じであった。嵐はどこかのホテルに潜伏しとくと言って電話を切って去って行った。
「やれやれ…ほんと手の掛かる子なんだから。ま、そこが京も私も可愛く感じちゃう嵐君にいいところなのかしらね」
嵐の後ろ姿を眺めながら鴉は現場にいた鑑識や捜査員たちに後は任せると言って現場を離れていった。
一方、病院内の公衆電話を切った京極は腕に繋がった点滴とそのスタンドを掴んでフラつきながら病室に戻っている途中だった。
(俺もこのまま入院ライフを満喫している場合ではなくなったか。いつまた襲撃されてもおかしくない。動ける準備だけはしておいた方がいいかもな…)