Chapter.10 ーRegretー
終わった恋愛における男女の違い。
どこかで聞いた話なのですが、恋愛をメモ帳に例えると
男はどんどん書き足していくの対して、女は終わったメモは捨てて新しく書き始めるのだとか。
男は未練がましい、ということですね。
地下鉄の線路内を進み続けて約30分。白虎のタックルによって負ったダメージは思いのほか深刻で、嵐はすでに満身創痍だった。
(ビースツって何なんだよ…今、あんな化け物みたいな奴に襲われたらもう太刀打ちできない。どこかで休まなければ…)
線路の先に明かりが見えてきた。ようやくどこかの駅のホームまでやって来れたようだ。嵐は腹部の痛みを堪えて早足で明かりの方へ急いだ。構内の人目もあり、線路からホームに上がるのは目立つがすぐに出れば問題ないだろう。駅の構内には"築地"と書かれていた。ホームへよじ登り、そそくさと階段を上がっていく。改札前で駅員に防衛省の身分証を見せながら事情を話して通らせてもらい、ようやく地上に出ることができた。
(近くにホテルがあるはず…そこで休むか)
嵐はホテルに向かう前に周囲を警戒しながらコンビニに入って包帯と適当な文庫本を買って出た。厄除けでもしてもらいたいところだが、時間がないーー築地本願寺を横切ってホテルに向かっていると、目の前から堂々とやって来たのは時代葵だった。
「あ、葵…どうしてここに…」
「アンタを殺すために決まってるじゃない」
市街地にも関わらず、彼女は上空に向けて発砲した。その音を聞いた通行人や外国人観光客たちは悲鳴をあげて一斉に遠ざかっていく。人払いをしたということは、どうやらここで殺り合うつもりらしい。
「ま、待ってくれ。今はちょっと…それどころじゃないんだよ。頼む…また後日にしてくれねぇか」
「…は?いやアンタ、殺すの後日にしろとか意味わかんないんだけど。私は今がいい!」
そう言うと時代葵は問答無用で撃ってきた。いつもなら射撃角度や指の動きで弾道を予測して回避することが出来る嵐だが、今は満身創痍。ろくに動くことができず銃弾は左腕を掠めた。
「どうして避けないのよ!!」
「なんだよそれ…撃っておいて避けろって…ハハ。ちょっと今、あんまり機敏に動けねーんだわ…」
「どういうこと?先に言いなさいよ!ああ、もう!」
時代葵は興が醒めたのか、構えていた銃を下ろし歩み寄ろうとしたその時だった。
「おーい!お前、嵐だろ?あーしは朱雀。BEAST'sだ。知ってるよな?大人しくこっちに来な!さもないと殺す」
現れたのはBEAST'sの紅一点、朱雀だった。一難去ってまた一難。時代葵と違い、今回のお客様は説得など通用しそうにない。すでに背中に懸架している馬鹿デカい剣の柄に手を掛けており、いつでも斬りかかれる準備が出来ている様子だからだ。
「チッ、またビースツ…流行ってのかそれ!タイミング最悪かよ。断る!長官を殺したのは俺じゃねぇ!もう一度ちゃんと調べてくれ!」
「……はい、死刑かくてーい。警告はしたからな〜」
朱雀は手にしていたバスターソードを背中から一気に前へと振り下ろした。その動作と同時に振り下ろされた剣はしなりながらどんどんと分裂していき、嵐に向かって伸びてきた。しかし、回避できる速度だった。だが、今ここで避ければ時代葵に当たってしまう。嵐は判断が遅れ、回避に失敗した。伸びた刃は嵐の胸元を掠めて切り裂いたのだ。
「お、あの体勢から女を守りつつ直撃を免れるとかやるじゃん。じゃあ次ぃ!!」
朱雀は鞭を振るうように手首のスナップを効かせて8の字を描きながら剣を振り回した。不規則な動きの刃物が縦横無尽に暴れ回る。斬撃の有効範囲内では回避不能な動きに、負傷しながらも嵐は飛び退いて姿勢を低く距離をとったが、時代葵は朱雀に向かって叫んだ。
「アンタねぇ!!無関係の私まで殺す気!?こんな市街地でそんな物騒なもん振り回して危ないでしょ!バカなんじゃないの!」
「は?誰がバカだコラ。部外者はどっか行ってろ!!」
交戦的で凶暴ーーしかし、腐っても防衛省・内部監査部のエリート。無関係の人間に対しては攻撃しない。それが朱雀なりの筋の通し方だった。だが、嵐を攻撃するのに、自分を人質にとるような形で危険に晒されかけた時代葵にとっては、そんな矜持は微塵も感じなかった。たとえ、それが当てるつもりはなかったとしても。更には嵐とのやりとりも横入りで邪魔をされた時代葵は頭に血が昇っていた。銃を構え、無造作に動く刀身に狙いを定め一定のポイントを次々に撃っていった。すると、銃弾がヒットした刀身は進行方向を変え、朱雀の意思を無視した動きをし始めた。やがて、剣先が車道を走る車の側面に突き刺さるとその勢いに引っ張られて朱雀自身も一気に身体を持っていかれた。倒れ込みそのまま引きずられそうになったところで朱雀は剣を手放した。もしもの時の為に懐に忍ばせておいた拳銃を取り出そうとした朱雀であったが、その前に時代葵に右腕を踏みつけられそれを阻止された。
「初見殺しのあの武器がないとアンタ、素人同然ね。悪いけど、これ以上抵抗されると面倒だから撃つよ」
殺気の籠った目で見下されながら銃を向けられた朱雀は死を予感した。
「た、たのむ…殺さないで…」
威勢の良かった朱雀の言葉はなんとも弱々しく怯えた仔猫のようだったが、時代葵は容赦なく引き金を引いた。断末魔のように叫び苦しみ悶える朱雀であったが、撃たれたのは右の手の平だった。これでは剣も銃も握れない。時代葵は最初から朱雀を無力化するつもりだったのだ。後ろを振り返り、嵐の様子を確認すると、彼は物陰で倒れていた。
「ちょ、アンタ!大丈夫!?まさか死んでないよね!?」
殺しにきたターゲットが別の誰かに殺されるなんて冗談じゃないーーという焦りなのか、それとも素直に安否を心配したのか。彼女の心の内はわからないが、時代葵は嵐に駆け寄り首筋に指を当てた。どうやら意識を失っているだけのようだ。冷静さを取り戻した時代葵は、正当防衛とはいえこんな市街地で朝から暴れたら間違いなく警察がすぐに駆けつけると思い、嵐の腕を肩に回して立ち上がった。大勢のギャラリーが呆然と見守る中、そのまま嵐の足を引きずらせながら彼女はどこかに消えていった。
「麒麟、計画の進捗状況はどうだ?」
"白虎と朱雀が返り討ちに遭ったみたいだぜえ…BEAST'sも案外使えねえな〜。ま、前座だしそうこなくちゃ困るんだけど〜"
「なるほど。思惑通りといったところか。相棒のほうは仕留めたのか?」
"ああ〜そっちはキャバ嬢雇って一発でさぁ〜悪運で一命は取り留めたみたいだけどよお…意識不明の重体だし、ま、暇ができたら人工呼吸器のパイプ引っこ抜いて息の根を止めとくぜ"
「そうか。早めにな」
(……嵐。お前を散々甚振ってから最も苦しむやり方で殺してやる)
陽が落ち夜の帳が下りた頃、嵐は目を覚ました。
「こ、ここは!?ってぇ!!」
起き上がると上半身に激痛が走った。よく見ると身体中が包帯だらけだ。朱雀に付けられた胸元の裂傷に巻かれた包帯。白虎のタックルで肋骨が折れているかもしれない腹部にはコンビニで買った文庫本を副え木代わりにして同じく包帯が巻かれている。左腕の時代葵に撃たれた箇所に包帯が。負傷した箇所すべてが手当てしてある。拘束されていないということは、少なくとも内部監査部の奴らに捕まった訳ではなさそうだ。
辺りを見回すと、ベッドとサイドテーブル、サイドテーブルにはデジタル時計。壁には窓と壁面のクローゼット、そしてこの部屋のドアしかないシンプルな寝室といったところだ。問題は誰の寝室かということだが。
ベッドから降りようと試みたが、上半身の痛みが酷くまだ動くのは厳しいらしい。
「ダメだ…寝よ」
「寝るんかい!」
「おわっ!?びっくりした!え、い、いたの?」
声がした方を向くと、時代葵がドアを少し開けてその隙間から覗き込んでいた。ドアを開けて、水と薬を乗せたトレイを持って入ってきた。
「これ、強めの鎮痛剤。これで何とかなるでしょ」
「ここは?俺を助けてくれたのか…?」
「私の部屋よ。アンタがあの変な剣を避けてたら私に当たってた。それが分かってたから上手く回避できなかったんでしょ?そのお詫びよ。これで貸し借りは無し」
棒読みーー彼女はおそらくツンデレなのかもしれない。嵐はそう思った。
「ありがとな。助かったよ。これ飲んだら少し寝させてもらってもいいか?」
「好きにすれば。ただし、クローゼットとか物色したら殺すから」
捨て台詞を吐いて時代葵は部屋から出て行った。
「物騒だな…ったく。人の部屋のガサ入れする趣味はねーよ」
ここに来て、嵐は1つ気付いたことがあった。この家は生前、葵が住んでいた部屋ではないこと。4年前に葵が死亡していたなら、住んでいた賃貸の部屋は当然、解約されている。部屋が違うのは何の不思議もない。しかし、部屋が違うのだ。嵐の知っている葵の部屋はキャラクターのぬいぐるみが溢れかえっていた。昔、嵐がぬいぐるみ王国と化しそうな部屋を見て、葵を揶揄ったことがあった。その返しはこうだった。
"いいじゃん!これが私の唯一の癒しなんだもん"
嵐に撃たれ、万が一生き延びていたとしてーーその復讐のために再び姿を現したのだとしても、復讐に取り憑かれただけで、ぬいぐるみ王国がこんなミニマリストの男みたいな部屋になるだろうか。
嵐は目を背けたくなるような現実に薄っすらと気付きつつも、ゆっくりと眠りに落ちた。