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神の従者


「ひとまず、この場所から抜け出しましょう。破壊できるのでしょうか」

「さあ。今の僕の力じゃ無理なことは分かる」


 ユイナートが周囲を観察し、セシリオもシェルミカを抱え直して魔力を視る。慣れてきたからか、先程彼らがいた騎士団訓練場の端とは異なる場所にいる、ということが景色からも見て取れる。


「これ、神の力ではないのですか?」

「違う、と思うんだけど……変だな」


 セシリオが首を傾げていると、微かな音を耳がとらえた。それを聞き取ろうと耳を澄ますと、波のように一気に押し寄せてくる。


『汝が望むものは』

『汝が成し遂げたいことは』

『汝が望む世界は』

『汝が変えたい過去は』

『汝が得たい力は』

『汝の願いは』


「……っ、頭が、おかしくなる……」

「……暴走していますね。まともに聞いていたら、精神が壊れますよ」


 シェルミカを抱きしめ、片手で頭を押さえるセシリオの隣に立ち、ユイナートは宙を睨みつけた。彼の声は変わりないが、その顔には僅かに汗が滲んでいる。


「僕が望むものは、シェルミカです」


 彼は突然そんなことを言い出し、ついに頭が狂ったかとセシリオは目を瞬く。そんなセシリオを嫌そうに見てから、彼は再び声を上げた。


「望むものを言えば、叶えていただけるのですか? 今の願いは、元の世界に戻ることです。この別空間ではなく、せめて過去と同じ世界に戻してください。欲を言えば、現実に戻りたいものです」


 彼の声は虚無に消える。仕方なさそうに首を振って、彼は先程生成した氷の剣を構えた。


「ならば、僕がここを壊しても文句は言わないでくださいね」


 ユイナートの周囲に風が吹き、魔力が流れ出す。セシリオはシェルミカに害がないように彼女を包み込み、彼の斬撃が放たれるのを待った。腹立たしいが、彼の力は本物。高次元すぎるあの過去世界と比べると天と地ほどの差がある弱いこの場所は、彼であれば破壊できるだろう。


 ……どうやら、そう思ったのはセシリオだけではなかったようだ。


『——止めよ』


 はっきりと、声が聞こえた。先のような声の奔流ではない、はっきりと聞き取れる声。


「おや。ついに姿を見せましたか」


 剣の構えを解いて魔力も収めたユイナートが見る先には、先程までいなかったはずの人物が立っていた。


 存在が認知しずらい、というのだろうか。そこに何かがいるのは分かるが、薄れているようにも見える。はっきりと分かることは、その存在が純白のローブを纏い、漆黒の髪を持つということ。顔は、ヴェールで隠されているかのようにこれまた認知できない。


「貴方は一体?」

『——我は主に従う者。汝らに主の御言葉を届けにきた』


 その存在——神の従者はそう言った。言った、という表現は適していないかもしれない。頭の中に声が響いてくるのだから。


「へぇ。神の従者、ということですか。初めまして。今までずっと姿を見せてこようとしなかった神々関連の方が、どうして今頃姿を見せようと思ったのですか? シェルミカが理由ですか?」


 呆然とするセシリオと違い、ユイナートは始めから予想していたかのように従者に対応した。彼は異常な圧に臆することなく質問を続ける。


『——我は主ではない。それ故、汝らの前にいる』

「よく分からないですね」

『——愛子(まなご)に主の声が届かぬ。汝らの仕業であるか』


 従者の視線がシェルミカに向けられた気がして、セシリオは思わず彼女を守るように抱きしめる腕に力を込めた。


「知りませんよ、そんなこと。貴方達の問題でしょう。それより、この世界のことについて教えてください。この世界は神がつくったものなのですか? 僕達はどうやったら元の世界に戻れるのですか?」


 ユイナートは質問を止めない。セシリオが体を強張らせているので、彼が従者の相手をするしかないのだ。


『——ここは汝らが望む世界。主が創造し、我が管理する。汝らが戻るのは、主が認めた時のみ。汝らは己の声に耳を傾けよ』


 その言葉と共に、従者の存在が薄れていく。空間が歪んで色が溶けていく中、いつの間にか傍に来ていた従者が一瞬だけ、シェルミカの頬を優しく撫でたように見えた。


「気まぐれですね。僕達の前に姿を現した理由も、いまいちはっきりしていない。……平気ですか?」

「え? あ……、うん」


 訓練場の芝生の上に戻った彼らは、一通り自分やシェルミカの体を確認して、息を吐いた。


「何があったのか、何を言われたのか、よく分からなかったですよ」

「……僕も。ぼーっとしていて、夢みたいな瞬間だった」


 セシリオがシェルミカの顔を眺めて心を落ち着かせている間、ユイナートは指を顎に当てて深く考え込む。


「結局、主の言葉とは何なのですか」


 彼は小さな声で呟いた。

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