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望むもの


「貴女が僕の言葉で涙を流した時、僕はとても嬉しかったのですよ。ちゃんと僕の存在を、貴女に刻めていたと実感ができました。ですがまだ、僕のことが分からないようですね」


 未だ、何が起こっているのかが分からない。目を白黒させていると、彼は柔らかく目を細めた。


「気分が悪いです。貴女から常にあいつの魔力を感じますから……。すぐにそれを上書きして、僕の魔力を注ぎ込みたい。抱いたらきっと貴女の記憶も多少は戻るのでしょうが、その前にこの空間も破られてしまうでしょう」


 彼の紅い瞳を見ていられなくて視線を逸らすと、顎を掴まれて強引に目を合わされた。


「……腹立たしい。貴女を支配しているのは僕だけでありたいのに……」


 その瞳が近づいてきて、唇が重なる。後頭部を抑えられて顔を動かすことができず、息ができなくて苦しくなって彼の胸元を押すと、片手で器用に手首を掴まれて拘束された。深く舌が絡み合い、呼吸が喰われて唇の端から唾液が零れてくる。


「足りない。こんなものでは、足りない。今すぐ抱いて、貴女が泣いて僕に請う姿が見たい」


 顔に熱が集まり、身体の奥が刺激を求めている。そんな体の変化を気づかれたくなくて目を強く瞑ったが、逆効果だったようだ。彼は笑みを深め、繋がった透明な線を手で拭った。


「貴女も、僕を求めてくれているのですね。まさかとは思いますが……求めているのは僕ではなく、あいつということはありますか? その場合、僕は貴女をぐちゃぐちゃになるまで抱くことになりますね。今は無理だとしても……」


 わたしの身体はびくりと震える。彼は穏やかに微笑みながらわたしの頬を撫でていたが、ふとその紅い瞳が鋭く光った。


「……思っていたよりも早かったですね」


 彼はそう呟いて、わたしから視線を外す。彼に強く抱きしめられたと同時に、空間が震えたような衝撃が走った。


「穴だらけの雑な空間魔法。こんなの、無駄でしかない。お前、シェルミカから離れろ」


 セシリオ様の声だ。わたしを抱きしめている彼は少し身体を動かしただけで、どんな顔をしているのかは分からない。今も、余裕げに笑みを浮かべているのだろうか。


「貴方の空間魔法も、単純で見極めてしまえば簡単に攻略できますよ。それに、シェルミカは僕のものなので、離れる必要もありません」

「離れないなら、その手を吹き飛ばしてでも離れさせてやる」


 彼の隙間から見える、セシリオ様の身体から目に見えるほどの白い靄みたいなものが噴き出て、紅い瞳が淡く光を発している。離れていても肌がぴりぴりとするほど鋭い力。


「貴方がここで魔法を使ったら、シェルミカにも攻撃が当たりますよ」

「当たらないようにすることくらい、簡単だ!」


 セシリオ様に対抗するように、わたしを抱きしめる彼からも同じように力が溢れ出る。一発触発というのはこういう状態なのかと現実逃避のように思っていると、わたしの脳内に、声が響いた。


『——いは?』

「……え」


 魂の奥底から響き上がってくるような声。わたしは周囲を見渡したが、誰が声を発したのかは分からない。


『——汝が望む世界は?』


 今度は、はっきりと聞こえた。その言葉の意味を考えるよりも先に、わたしの目の前は真っ白に染まった。




◇ ◇




 ノースリッジ公国との前線での争いが終わった後、アルテアラの王城にて。シェンドは金糸のように清らかな金髪を揺らしながら、ため息を吐いた。


「酒が飲みたい。あいつ、戻ってきたら覚えておけよ。部屋が埋まるほどの酒を贈らせる」

「お疲れ様です、シェンド王子。こちらお酒ではありませんが、紅茶をどうぞ」


 彼は紅い瞳を動かして視線を上げる。紅茶を彼の前に置いて微笑むミハイルを見て、彼は再び大きな息を吐いた。


「俺がアルテアラの王子になったみたいだな。この場所に馴染みすぎている」

「そうですね。ユイナート殿下が貴方様の姿を見たらきっと、驚かれるでしょう」

「あいつのことだから、『おや。シドはアルテアラの職務も完璧にこなしてくださるのですね。ではこちらの残っているもの全て、貴方にお任せしてもよろしいですか?』とかいい笑顔で言って、俺に全ての仕事を押し付けてどこかほっつき歩きそうだがな」


 シェンドはそっくりな物真似を披露し、何度目かになるため息をついた。彼は椅子にもたれかかり、天井を見る。


「アルビー達は先に戻ってきたし……あいつ、生きてるよな」

「ユイナート殿下の強さは、私もよく知っています。あの方はそう簡単にやられませんよ。やられた分は倍返し、いや倍返しなどでは生ぬるい。そういうお方です」

「俺も知ってるよ。あいつを本気で怒らせる恐ろしさはよく知っている」


 過去を思い出すように目を瞑った彼の耳が、微かな声を捉えた。


『——』

「ん?」


 彼は体を起こし、周囲を見渡す。


「何か言ったか、ミハイル」

「いいえ、何も」


 シェンドとミハイルは顔を合わせて首を傾げる。シェンドは紅い瞳を瞬き、気のせいだったかと視線を書類に戻し……。


『——汝が望む世界は?』


 再び声が聞こえた時、彼の意識は白い光と共に包まれ、深く沈んた。

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