誘惑(2)
「ボス! シェルミカが……え、シェルミカ! ここにいたの! ボス、勝手に連れて行かないでよ。せめて、僕に言ってから……」
空間の魔力が歪み、白髪の青年が勢いよく姿を現した。彼は周囲を見渡して、目的の人物を見つけてほっと息を吐く。しかし彼は紅い瞳を鋭くさせて、彼の上司を睨んだ。上司は目を瞑りながらも彼の顔をまっすぐと見て、首を振る。
「私が連れてきたわけではありません。愛姫が自分から、ここに来られたのです」
「シェルミカが、自分から?」
「そうです。セシリオ、貴方の管理の方が杜撰なのではありませんか?」
上司の言葉に、彼は首を傾げる。彼の視線は、彼女に向けられている。
「部屋からは出られないようにしていたはずなんだけど……。僕が最後に出た時も、ちゃんと鍵はかけたよ。僕が認めない限り、扉は開けられないはず。そもそも、外に出たいと思わないように躾したんだけどな……」
「神のお誘いがあったのでしょう。愛姫の様子は、どこか酩酊しているように見えました。そう考えたら、扉が開いたことも納得がいきます」
「かみさまがシェルミカを呼んだから、鍵を破られた、ってこと? 確かに、僕の魔法を破れるのはかみさまかボスくらいしかいないけど……まあ、いいや。シェルミカ、連れて帰るね」
セシリオが彼女の傍に近寄ろうとすると、上司は静かにそれを止めた。彼は不満げに上司を見る。
「もう少し待ちなさい。彼女が祈りを捧げているところです。やはり、愛姫は素晴らしい。神は彼女に絶えずお声をかけていますが、どうやらまだ彼女には聞こえていないようですね」
「冒涜者のせいだよ。あいつの魔力が、シェルミカを侵してる。でも、もうちょっとで消せるから安心だ。これで、シェルミカは僕のものになる」
「貴方のものではなく、神のものです。貴方のものになるのは、全てを終えてからですよ」
セシリオはじっと彼女の背を見つめる。神に祈りを捧げる彼女の姿は美しく、今にも神々の世界に連れていかれるのではいか、と不安を覚えるほどだ。早く彼女に触れて自分の世界に引き込みたいと考えながらも、上司の前であるため彼は本能を抑える。
そして、祈りを終えたのだろうか、彼女はゆっくりと立ち上がった。その視線が、彼らの方へと向けられる。可愛らしい目が、瞬いた。
「……セシリオさま?」
「シェルミカ。一人で勝手に部屋を出ちゃだめだよ。僕、心配したのだから」
「……ごめんなさい」
しゅん、と彼女は目を伏せて落ち込む。セシリオは紅い瞳を和らげながら、彼女に近づいてその頭を優しく撫でた。
「今回は、許してあげる。でも、次はないからね。もし次、君が僕に何も言わずに部屋を出たら、お仕置きだ。そうだね……一週間、毎日君をベッドから起きられないくらいまでぐちゃぐちゃにしてあげる」
微笑みを浮かべながらしっかりとくぎを打つと、彼女は目を伏せたまま体を震わせ、再び「ごめんなさい」と述べた。彼はその様子を見ながら、満足げににこにこと笑みを浮かべる。
「今夜はもう遅いから、戻って寝ないと」
「はい」
こくりと頷いた彼女が足を動かそうとすると、その身体は不安定に揺れた。セシリオは軽く抱きとめて、彼女を横抱きにする。
「シェルミカ、ふらふらじゃん。こんな状態で一人で外を歩くなんて、危ないよ」
「……はい」
消えてしまいそうな返事。彼女はうとうととしており、その頭を彼の体に寄せている。彼が頬に手を添えると、彼女は頬を擦り寄せてぼんやりと彼を見上げた。
「僕を誘ってる?」
「セシリオ。明日もするべきことは多いのです。早く戻って、愛姫を休ませて差し上げなさい」
「……はぁい」
彼は彼女の頬から手を放して彼女を抱え直し、軽く上司に頭を下げてから扉に足を動かした。彼はその足で彼女の部屋まで戻り、そっと彼女をベッドに横たえる。
「シェルミカ」
「セシリオ、さま……」
大層眠いのだろう。彼女はほとんど目を閉じながらも、彼の名を呼ぶ。彼は笑みを零しながら、ベッドに腰かけて彼女の頭をそっと撫でた。
「お休み、シェルミカ。良い夢を見られるといいね」
このまま君を抱いたら、またボスに怒られる。そう思った彼は、彼女の唇ではなく額に口づけをするだけで我慢をした。




