実行(2)
廊下は人気なくとても静かで、わたしの足音だけが響く。誰かにこの音が聞こえないか、常にどきどきと心臓の音がなる。ずっと部屋に閉じこもっていたせいで、とにかく体力がない。ちょっと歩いただけで、息が切れてきた。
壁に背を預けて少しの間息を整えていると、話声が聞こえてきた。その声は、わたしに近づいてきている気がする。冷たい汗が額を流れ、口から心臓が飛び出てしまうかと思ってしまう程、心臓の音がうるさい。
「……すか。分かりました、確認してみますね」
足音は一人分だけど、こちらに来ようとしている人は誰かと話している。何とか隠れられないか周囲を見渡し、一か八かで花瓶が飾られている土台の後ろに体を滑り込ませた。
「あれはそう簡単に壊せるものではありませんよ。……ええまあ、見つけ次第対応しますけど、私は戦闘要員じゃないのですよ?」
できるだけ体を小さく丸め、その人が離れるのを待った。聞いたことがある声だけど、今は姿を見られるわけにはいかない。目を瞑ってばれないことを祈っていると、足音が離れていくのが分かった。
近くの部屋の扉が開けられ、廊下に響いていた足音が聞こえなくなる。わたしはそっと顔を出して、その人がいなくなっているのを確認した。ほっと息を吐いて、体を起こして立ち上がる。
フードを深く被り直して、目的の部屋の場所を確認し、足を一歩踏み出そうとした。
しかし、首元に冷たい感触がして、ぞわりと全身が泡立った。
「——動いたら切ります」
凍ってしまいそうなほど冷たい声だ。喉がきゅっと締め付けられ、何が起こっているのか理解するのに時間がかかった。
わたしは今白いローブを着ている。フードも被っているので、ミハイル様はきっとわたしだということに気が付いていないのだろう。
「王城に侵入を許してしまうなんて、王族の権威が落ちてしまいますよ」
「王族が未熟で悪かったですね」
ミハイル様の言葉に、違う人の声が返ってきた。その声の主に驚いて、わたしは思わず彼の名を呼んでしまう。
「ユイナート様?」
背後でミハイル様が驚いたのが気配で伝わってきた。そして、首元の冷たい感触がなくなる。わたしが首を動かそうとしたら、フードが外されて視界が開けた。
「シェルミカ様。どうしてこんなところに……」
「シェルミカ、無事ですか!」
ミハイル様とユイナート様の声が被る。ユイナート様はこの場にいないけど、まるでこの場にいるように声が聞こえる。ミハイル様が手に魔道具を持っているので、これで通信しているのだろうか。
「今外を歩くのは危険ですよ。私と一緒に、お部屋に戻りましょう」
ミハイル様は、目を和らげて穏やかに微笑み、手を差し伸べた。わたしはその綺麗な手をじっと見つめるだけで、その手を取ろうとしなかった。彼は首を傾げて、不思議そうに目を瞬く。
「シェルミカ様?」
「……シェルミカ、僕の声が聞こえますか? 今、外は危ないです。貴女は部屋にいてください」
ユイナート様がわたしを諭すように優しい声を出した。こちらの状況を見ていないのに、わたしがミハイル様の手を取らなかったことに気が付いたのだろうか。普段のわたしなら、ユイナート様の言葉に従って部屋に戻っただろう。
でも、今のわたしは、普段のわたしとは違った。
「……ごめんなさい」
わたしは手を強く握りしめ、ぎゅっと目を瞑る。そして、この場から逃げるために背を向けようとした。
「お待ちください、シェルミカ様!」
ミハイル様に肩を掴まれ、正面を向かされる。彼はわたしの瞳をじっと覗き込んで、小さい声で呟いた。
「……精神作用を受けている」
彼はわたしの顔に手を触れようとした。その近づいてくる手が恐ろしく大きく、鋭く見えて……。
『部屋に戻ったら、君は囚われたままだ。あいつはいつか君を捨てるのに、そのままでいいの?』
落ち着いた低い声が頭の中に響いて、気が付いたら、わたしの視界は真っ暗になった。




