『白い人』(1)
朝いた騎士達は皆いなくなっている。昼間はいつも人がいる騎士訓練場にも、今は誰もいないようだ。彼らは戦争に赴いているのだろうか。
雨が降る窓の外を眺めていると、何かが動いた気がした。
目をよく凝らして見ると、それは動物ではなく人の形をしていた。その人影はこちらを一瞬見た気がしたが、すぐに姿を消した。不思議に思ったが、確認する術はないので、わたしは本に視線を落とした。
次の日もその人影はあった。白いローブを身にまとったその人は、フードを深く被っていてもわたしを見ていることが分かる。
わたしが瞬きしている間に、その人はいなくなる。昨日と同じだと本の続きを読もうと下を向いたその時。
「……君は、ここに囚われているの?」
窓の外からわたしを見つめる、白い人に声をかけられた。わたしは驚いて、思わず本を取り落とす。
わたしから見て、この人の視線はわたしと同じ位置にあるように見える。でも、この部屋は一階ではないので、本来であれば有り得ないことのはず……。先日ユイナート様が使った浮遊魔法と同じように、ここまで飛んできたのだろうか。
目をさ迷わせ、何も言えないわたしを見て、その人はゆっくりと首を傾げた。フードがあるので、正しく言うならば傾げたように見えた。
「もしかして、君が愛姫かな」
声の質からして、白いローブを着込んだこの人は男性だと分かる。それは分かっても、彼の言う『愛姫』がどういう意味かは分からなかった。
「……あ、あなたは誰ですか?」
わたしはなんとか声を出す。彼はしばらく黙っていたが、彼が手を伸ばしたのでわたしは思わずびくりと体を揺らした。
そんなわたしを気にせず、彼は窓の格子に手をかざす。この格子は誰でも消すことができるのだろうかと逃避のように考えていると、格子が消えて彼はふわりと部屋の中に入ってきた。
見ず知らずの人が部屋の中に入ってきた動揺で、わたしは手に持っていた本を彼に向けて投げつけてしまった。彼は片手でその本を受け止め、小さく笑う。
「ふふ、本を投げつけられるのは初めてだよ」
「え、あ……ごめんなさい」
わたしが謝ると、彼は再び笑い声を漏らした。そして、彼はゆっくりとフードを上げる。
透き通るような白い髪に、透明感のある紅い瞳をした彼は、人形のように整った顔をしていた。笑っているように見えるが、そこには何の感情も籠もっていないのだと一目でわかる。ローブの色も合わさって、彼を表現する最も適した言葉は『白い人』だと思う。
彼は透明な目をわたしに向け、微笑みを見せる。
「僕はセシリオ。君は?」
セシリオと名乗った彼は、さらりと髪を流しながら首を傾げた。彼から出る雰囲気はふんわりとしていて、実態をとらえることができないような、夢のような心地がしてくる。
「わたしは、シェルミカです」
簡単に名前を答えるのは良くないかもしれないが、知られても得な問題はないかと思ったので、わたしは自分の名を名乗った。
「シェルミカ」
彼は吟味するようにわたしの名を呟き、何やら考える素振りを見せた。わたしはぼんやりと彼を見つめながら、今の状態がかなり危ないものなのではないかと思い始める。
彼がその気になると、わたしは簡単に殺されるのではないのだろうか?
「……あ、あなたの目的は何ですか」
せめて、相手の目的くらいは知りたいと、わたしは勇気を振り絞って尋ねた。彼は口元に笑みを浮かべたままなのが、恐怖を誘ってくる。
「僕の目的は今達成されたよ」
そう言って、彼はわたしの頬に手で触れた。薄い手袋が付けられていても、冷たい手だ。
そして、じっとわたしを見る彼の紅い目に、どこか既視感を覚えた。ユイナート様の目と、似ている気がする。
「セシリオ様の目的は、わたし?」
「うん。『月華の王子』の愛姫であり、弱点」
わたしの頬にあった手が、首元に添えられる。首元に冷たい感触がして、体の芯から凍っていく心地がした。殺される、と思って思わず目を閉じる。
「……ふふ、殺しはしないよ。怖がらないで」
変わらない笑みを浮かべながら、彼はわたしから手を離した。首元の圧迫感がなくなり、少し安心する。それでも、完全に安心できるわけではない。
あまり怯えるところを見せたくないので、気を張って彼を睨む。しかし、彼はそんなわたしを、愛玩動物を見るような目で見た。
「酷い人だよね、ここの王太子は。君の自由をこんな形で奪うなんて」
セシリオ様はわたしの手元に目を向けた。手につけられた錠を見ているのだろう。自由を奪われているのは確かなので、わたしは何も言えずに俯いた。
……そういえば、彼はどうしてここに来れたのだろう。本来、王城の敷地に入るには許可が必要だと思うのに、彼が許可を取っているようには思えない。
わたしが考え込んでいる間、セシリオ様は興味深そうに部屋の中を歩いていた。特に目新しいものはないと思うのに。
それに、彼はいつまでここにいるつもりなのだろう。
「僕、暇なんだ。このままここで時間を潰そうかな。戻っても仕事が増えるだけだし」
セシリオ様は、そう言って椅子を引いて座った。このままここにいられても、わたしの精神がすり減らされていくだけだ。
「セシリオ様のお仕事は何なのですか?」
返答を期待してはいないが、彼は案外普通に答えてくれた。
「簡潔に言うと、僕の仕事はボスの命令を聞いてそれに従うことだよ。組織内では大層な目的があるみたいだけど、それは正直どうでもいいんだ」
セシリオ様は指の先に白い炎を出している。魔法を見る機会が少ないので、わたしはその炎をじっと見ていた。
今の彼の言葉、かなり突っ込みどころが多い気がする。トア様やカイト様のように、仕える主に対する忠誠を持っていないことや、所属している組織の目的をどうでもいいと言うことなど。
食い入って話を聞くつもりはないけど、彼には別の目的があるのかもしれない。
「君と話すのは楽しいね。お偉い人に媚びを売る必要がないのは、気楽かもしれない」
人間離れした容姿を持つセシリオ様は、ユイナート様と似た瞳を細めて、感情の籠もっていない笑みを浮かべていた。




