魔導騎士大会(1)
——朝が来た。わたしは寝室を出て椅子に座った。
いつものように食事をとり、トア様が定位置につく。新聞を受け取り、紙を取りに行く途中、昨日書いた紙が置いてあった位置が変わっていることに気が付いた。
……ユイナート様に見られた!? 端に逃げる方法を小さな字で書き出していたのを忘れて消すのを忘れていた。やらかした。
一気に気が抜けてだらしなく机の上でうつぶせになる。またユイナート様から酷いお仕置きを受けてしまう。そう思うと、今から身体がだるくなってくる。
「……逃げる方法なんて、一つも思いつかなかったのに」
トア様に聞かれたかもしれないけど、わたしは思わずそう呟く。窓から逃げる、お手洗いに行くふりをして隙を突いて逃げる、何とかしてトア様が部屋から出ていく機会を作る、等々。全て実行するのは不可能に近く、とっくに諦めた。まずトア様がユイナート様の命令よりも別の事を優先することはないだろう。
今も普段より彼はわたしの動向に注視しているような気がする。元より今日は逃げるチャンスがあるとユイナート様は気が付いているだろうし、対策しているだろう。
大きなため息が出る。魔導騎士大会が終わった後、ユイナート様がリゼッテル王国の賓客と夜会を行ったり、シェンド様とお話し合いをしたりして、彼が今日はわたしの部屋を訪れることがないことを願おう。そうなったら結局、別の日がもっと辛くなるのだけど。
「……トア様」
「どうかされましたか?」
わたしはトア様の深海のような瞳を見る。
「わたし、逃げませんから」
「承知しております」
絶対嘘だ。トア様はすました顔をしてわたしを見ている。彼は今日はわたしから目を離すことはないのだろう。わたしはもう一度大きく息を吐いた。
「よお、ユイト。久しいな」
ユイナートは声をかけられて後ろを見る。金色の髪が陽に輝き、彼と同じ紅い瞳をした青年がそこにいた。
「お久しぶりです、シド」
彼は微笑を浮かべてシェンドを見る。シェンドはそんな彼をジト目で見て、やれやれと首を振る。
「何だその胡散臭い笑顔は。気持ち悪い。何を隠している?」
「酷いことを言うのですね。今日は貴方を地に伏せるいい機会なのですよ」
「言うねぇ。上下をはっきりさせてやるよ」
ユイナートとシェンドは共に好戦的な笑みを浮かべ、周囲の空気がバチバチと音を立てる。各々の護衛騎士が彼らを止めることで、空気の振動は収まった。
「それじゃあ、今日勝った方がシェルミカの相手をするっていうのはどうだ?」
「は? シェミは僕のものです。何故貴方なんかに……」
「俺に負けるのが怖いのだな?」
「馬鹿なことを言うな。お前こそ僕がシェミを抱く姿を指をくわえて見ているといい」
再び二人の間の空気が揺れる。ユイナートはその顔から笑みを消し、シェンドを強く睨む。シェンドは余裕な笑みを浮かべながら彼を睨む。
そして二人は同時に後ろを向いて歩き出し、各々の待機場に移動した。
「ユイナート様」
待機場に着いた彼は別の人物から声をかけられ、後ろを向いた。シェンドよりも薄い金色の髪を伸ばし、蒼い瞳の美女がそこにいた。
「サラ嬢。どうかされましたか?」
ユイナートは優し気な微笑を浮かべる。サラは伏し目がちに彼を見上げた。
「大会、頑張ってください。わたくし、一番近くで応援しておりますから」
「ありがとうございます。とても心強いです。参加するからには、一番を目指しますよ」
不安げなサラの様子を見て、ユイナートは彼女の手を取り、その甲に口付けをした。
「貴女に僕の勝利を捧げます。僕の子供にも雄姿をみせるとしましょう」
そして甘さを含んだ笑みを見せると、サラは頬を赤く染め、彼を見た。二人はしばらく見つめ合い、ユイナートは彼女の手を離して目を逸らす。
「準備をしなくては。では、また後程」
「ええ。お気をつけて」
サラは儚く微笑んで彼に背を向けて去って行った。彼女の後ろには彼女専属の騎士が付いている。その二人の姿が見えなったのを確認し、ユイナートは傍に置かれてあった剣を手に取り、刀身に視線を移した。その顔には微笑が浮かんでいた。