第9話 『魔女の正体』
冬の正座を見るのが好きだった。
凪いだ水面に、ボートを浮かべる。
寝そべって、満点の星空を眺める。
教えてくれたのは、父だった。
こうすれば星がよく見えるよって。
村から少し離れた、浜辺。人工の灯りから遠ざかれば、星々が送って寄越す光は鮮明になる。月は真昼の太陽のように輝き、ふだんは隠れて見えない星も、その存在をにわかに誇示し始める。
ダンジョンを出たとき、辺りは闇に包まれていた。
季節は冬の入り。息を吐くと、夜気に白く残って消える。
これからの展望を考えようと、空を見上げたのを覚えている。
特に理由があったわけじゃない。それは遠い過去の習慣の続き。
星座を、作っていた。それは私オリジナルのもので、一般に流布しているものとは違う。都会では眼に見えない、か弱い光の星を繋いで様々なものに見立てる。私は、私の作った星の世界で、自分を星のお姫様になぞらえていた。
実に、子どもっぽいロマンチシズム。
……ふと、違和感を覚えた。
ダンジョンという牢獄から外に出て、私にはうだるほどの自由があった。
目的は特にない。なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。
だがその前に、やるべきことができた。たしかめるべき仮説ができた。
必要なものは誰にも知られぬ館と、現存するありとあらゆる魔導書――。
「……どの道、人目からは離れるつもりだった」
比較的新しい思い出を紐解くと、自然と自嘲の笑みがこぼれた。
「ダンジョンを出た時点で、みなの知る村娘はもういない。当時の私は、どこに置いても浮き上がる異邦人のようなものだ。外見年齢とかけ離れた精神性には、きっと私を知る誰もが違和感を覚えずにいられない。だったら、最初から彼らとは離れておいた方がいい。自衛のためにもな」
訣別の理由は、お気には召さなかったか。
娘は真剣な表情で、私の顔を見つめ続けている。
「……私には、そうは思えない」
「人の本質は、孤独にはないと?」
「人は人と繋がることで生きていけるものよ」
「人の定義が、今の私に当て嵌まるのならな」
禅問答はいい。話を戻そう。
私は、魔導書の納められた書架を見回してから言った。
「人の営みから脱した私には、自由があった。どれだけ浪費しようと尽きぬ暴力的な自由だ。魔導書集めは暇潰しの一環だったが、私にとっての実益も兼ねていた」
「どんな目的があったの」
「なに、本に人が求めることと変わらない。調べものさ」
ダンジョンを出て、初めて夜空を見上げたときの違和感。
それが思い過ごしなのかどうか、確かめたかっただけ。
「ここには、現存するありとあらゆる魔導書が存在する」
「え?」
驚きに眼を瞠るのも無理はない。文字通りすべてがあるのだ。
私の過ごした時間の長さに、娘の想像力が追いついていない。
「私は、そのすべてを解読した。つまり修得し身に着けたということだ。魔法体系、術式構造、魔力の流れ。言わばちょっとした研究だな。そうして私は、結論付けるに至った」
「……なにを」
眉根を寄せる娘に、少しもったいぶってから告げる。
「時間を操作する魔法は、存在しない」
息を呑むのが見えた。次に、なにを言おうとするのかも。
「そんなはずない……だって、あなたはダンジョン内で何度も死に戻った。癒しの権能が、あなたをセーブポイントまで連れ戻していたはずでしょう?」
そうとも、私自身が体感した事実は揺るぎない。
あの地獄を、嘘やまやかしとは言わせない。
私は幾度となくあのダンジョンで死に、甦った。しかし――。
「星座だよ」
「え?」
「ダンジョンから脱出した夜、私の見た星座が違和感の正体だった」
唖然と口を開け、何度も瞬きする。
真意の伝わらない娘に、私は補足を入れることにした。
「出来合いの、古くから伝わる星座しか知らなければ、きっと辿り着くことはなかっただろう。しかし私は、自分で星座を作っていた。月以外の灯りを持たない、田舎の澄んだ空気の中でしか見られない、か弱い光の星々。それらを繋いで、いろんなものに見立てていたんだ」
それは罪のない、無邪気なお遊び。
独自の星座が、星のお姫様の物語を、彩る。
「星座のいくつかが、結べなくなっていた。本来星のあるべき箇所に闇が広がり、まったく別の箇所に新たな光が生まれている。この現象にどう説明を付けるか、悩んだ末に私はひとつの仮説を思いついたんだ」
言葉を区切って、娘を見遣る。
顔色が青褪めて見えるのは、当時の私と同じ仮説を立てたからだ。
「癒しの権能の……効果範囲」
「正解だ。それはこの世界のすべてに及ぶ」
そう、文字通りこの世界のすべて。
つまりその外側に位置する、星々までは届かない。
「私が死んでも、時間は流れ続けていた。時が戻って見えたのは、そのように見せかけられていただけだ」
「でも、そんな事態どうやったら起こせるっていうの」
「簡単さ。世界を1度終わらせればいい」
娘が息を呑んだ。
まるで時間が停まったかのように、動かなくなる。
「私が死に、勇者一行が追放するタイミングまで時間が戻る。それは事実じゃない。先に言った通りさ。魔法は、万能なんかじゃない。望んだ絵図を実現させるために、迂遠な方法を取ることだってある」
もし、私が永劫の繰り返しから抜け出せず、ダンジョン内を彷徨い続けることになったなら。
宇宙はいずれ寿命を使い果たし、消滅していただろう。
死に戻りは、時間を遡っていたわけじゃない。癒しの権能は、私が死んだ瞬間にこの世界を抹消し、まったく同じ世界を作り出していた。そして――。
現実は、変わらない。起こったことは、もう戻せない。
だから私は、選ぶことにしたのだ。この現実に対する、私なりの解釈を。
「これでわかっただろう。お前の眼の前にいる、魔女の正体が」
気圧される娘に、さらに脅しつけるよう告げた。
「――滅びの魔女だ」