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『名無し』の魔女のものがたり  作者: ソーカンノ
第1部 メリンダ編
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第7話 『あなたに』

 少し、いやかなり不本意な反応だった。


 同情しろとも、感動しろとも思わない。私にとってそれは、文字通り過ぎ去った過去のお話だからだ。だがこの反応はなんだ。口の中に無理矢理渋いものを突っ込まれたような、泥沼に落ちて全身ずぶ濡れになったような、なんとも言えない表情は……。


 おそらく私は、ジト眼になっていたのだろう。慌てた様子で娘が手を上げ、ブンブンと振ってなにかを打ち消そうとする。


「……いや、あのね、これは違くて」


 違うってなにがだ、思わずそう突っ込んでしまいそうになる。


「すべて語ったはずだ。次はお前の番だ」

「ちょ、ちょっと待って!」


 睨みつけると、バツが悪そうにして。


「……言うから、待って」

「正直にすべてを話した。この上、お前は私になにを要求するつもりだ?」


 厳密には、すべてじゃない。けれど村娘の味わった地獄は紛うことなき本物だ。2度と思い出したくない記憶を掘り返し、語って聞かせたのは最大限の譲歩だと言える。


「あの、語ってくれた魔女子さんの話に不満があるわけじゃないの。ただ、ちょっと引っかかりがあって……」

「引っかかり?」


 この期に及んで逡巡する娘に、「言え」と視線で促す。


「なんで魔女子さん、復讐しなかったのかなあって」

「なに?」

「ああ、いや、これも違くて! なんだろ表現が難しいな……別に血が見たいとか皆殺しにしろとか言いたいんじゃないの。ただあなたがされたことを考えたら、少しくらい勇者パーティの人たちにやり返してもよかったんじゃないかと思って」


 チラチラとこちらの反応を窺う、娘。

 私は溜息をこぼした。その視点は、しばし失念していたものだ。


「やられた分はやり返せ、か」

「……悔しくないの?」

「悔しいさ。いや、悔しかったさ」


 言い直してから、続けた。


「なあお前、村娘がどれだけの期間ダンジョンにいたかわかるか」

「えーっと、わからないけど……」

「だろうな。私にもわからない」


 ずるっ、と娘が椅子からずり落ちるのが見えた。


「でもこれだけは言える。その時間は、村娘がこれまで生きてきた人生より何倍も何十倍も、いいや何百倍も何千倍も長いものだ」


 時間の悠久は、事実の指摘だけでは伝わらないだろう。補足する。


「村娘にとって、朝に眼が覚めて太陽を見るより、命尽きたあと追放者たちの顔を見る回数の方がずっと多かった。日の出や日の入りに文句を言う人間はいない。それは現象だからな。追放者たちも同じだ。あいつらは村娘にとっての現象になってしまったんだ」


 出先で雨に降られて、天気を恨む人間がいるだろうか。

 今日は運がなかったと諦め、数分後には別のことを考えている。


「村娘にとって、そいつらにやり返すことは意味のないことだった」

「でも、そんなの……」


 納得のゆかない顔を見せている。

 瞳を動かすと、インテリアの船の模型が眼に入る。


「お前、後ろにある船の模型を見てみろ」


 娘が首を巡らせるのを待って、私は口を開く。


「あの船を、村娘自身だと考えてみてくれ。17年前に作られた船だ。それは今はまだ健在に見える。しかし時間が経つにつれ、船を構成する部品は徐々に老朽化してゆく。使えなくなった部品を順次新しいものと取り換えてゆくと、やがては最初の船に使われていた部品がすべて失われ、新しいものと完全に置き換わってしまう」


 息を継ぎ、娘が捻った首を戻すのを見てから続けた。


「さて、すべての部品が置き換わったその船は、最初にあった船と同じものと言えるだろうか」


 娘は難しい顔で考えを巡らした。


「同じものだとも言えるし、同じじゃないとも言える……決められないよ」

「そうだな。これはパラドキシカルな状況だ」


 首を振って、別の表現を用いる。


「お前は、昨日のお前と同じか?」

「え? ……うん、同じだと思うけど」

「じゃあ1月前は」

「今よりちょっと若いかもしれないけど、ほぼ同じじゃない?」

「なら1年、2年前。いや、10年前ならどうだ」

「それは」

「そういうことだよ」


 私は自分の足を組み直し、茶菓子を指で摘まんで左右に揺らした。


「ダンジョンにいた私の脳には、常に新しい情報が注ぎ込まれていた。死と、苦痛と、そこから得た新たな学びで更新され続ける記憶だ。死ねば世界は元に戻る。権能によって、私の肉体もセーブポイントに戻される。だけど頭の中身は更新されたままだ。そしてそれは、どこまでも更新され続ける」


 ふう、と吐息を吐いて、私は茶菓子を菓子受けに戻した。


「まったく皮肉な話だ。癒しの権能は私を補完しようと肉体を蘇らせ続けているのに、その行為が却って私を違う存在へと変質させていったんだからな。80の老人にとって、0歳の赤子の自分は別人も同然だ。私にとってもそれは同じ。自分の生きた人生の、数百分の1にも満たない頃の自分を、己自身だと到底思えなくなってしまったのさ」


 権能がメリンダの恒常性を維持しようとすればするほど、彼女の中身は別人になってゆく。その理屈は、こいつにだって理解できたはずだ。


 なのに娘の表情からは、険が抜けていない。

 しばし逡巡を見せて、思い切ったように口を開いた。


「それでも、だよ。その子は、あなたにとってもっとも近しい他人でしょ」

「……お前」


 狼狽えたのには、理由があった。

 こいつ……怒ってる?


「村娘って言い方、ずっとしてたのには理由があったんだね。同じ自分だと思えない。ダンジョンの中で過ごした時間が、あなたを変えてしまったから」

「ああ、だからこの話はここで終わり――」

「終わりじゃないよ」


 キッパリとした断言。

 自分よりも遥かに長く生きている私に向かってだ。


「あたしは、あたしの知る誰かがいじめられてたらムカつくよ。あなたは違うの?」

「違っていたから、追放者を見逃したはずだ」

「それも違うと思う。だって、あなたはそんな人じゃない」


 思わず唇を噛んだ。知った風な口を利く!


「お前が私のなにを知っている」

「そりゃあ……なにも知ってないけどさ……」


 俯く。反省しているというよりは、言葉を探している感じで。


「でも、それはあなたも同じでしょ。魔女子さんだって、あたしのことはまだなにも知らない。だからあたしの言うことを、本当に間違いなのか完璧に判断することはできないはずだよ」


 本当に、この期に及んで煽りに煽ってくれる。だが逆に冷静になれた。

 ここまで大見栄を切ったからには、こいつももう逃げることはできない。


「そうか。なら言ってみるんだな。どうして私の言っていることを、お前が嘘だと断じたのか」


 腕を組んで睥睨するように見ると、見下しを跳ね付けるような強い視線と出会った。


「その前にひとつだけ聞いてほしいんだ。あたしは――」


 息を止め、吹っ切るようにして。


「あなたに、殺されたかった」

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