第6話 『死に戻る迷宮追想』
ガルドラ王国最難関ダンジョン【天球宮】。
広大な王国国土に生じたダンジョンの中でも、極めて凶悪度が高いとされる。その理由は【天球宮】の別名にある。ダンジョン・オブ・メモリー。記憶迷宮と称されるその内部構造は、立ち入る人間によって千変万化した。
当時バゼット一行は、数ある勇者パーティの中でも有望株と目されていた。様々な土地へ赴き、数々の武勇を打ち立ててきた。私の村へ訪れたのも任務の一環だ。彼らには様々な魔物を相手取ってきた経験がある。
【天球宮】は、そんなバゼット一行の記憶を読み込んだ。
空っぽのダンジョン内に、一瞬にして魔物の姿が出現する。
これまでバゼットたちが戦ってきた魔物が、その棲息域や相性関係を無視して配置される。しかし秩序はある。バゼット一行が与しやすいと考える魔物ほど上層に、強敵と判断する魔物ほど下層に集中している。
「つまるところ【天球宮】最下層は、もっとも危険な場所だった」
村娘がバゼットに追放された場所は、小さな小部屋になっていた。施された封印により、外から魔物が侵入することはない。かといって、そこから一歩出れば、たちまちのうちに魔物が襲ってくる。
アークデーモン、グリフォン、レッドドラゴン……1匹で村落を壊滅することのできる名だたる魔物が、山のようにウジャウジャと湧いている。
「……そんなの、助かるわけがない」
娘は、絶句してからぼそりと呟いた。
想像よりも凄惨な状況だと理解したのだろう。
「勇者一行は、目的を達していた。ダンジョンの最下層にある宝物庫へは辿り着いていたからな。村娘を追放して、自分たちはポータルで地上へ帰還した」
ダンジョン内に残されたのは、憐れな村娘だけだ。
勇者一行の思い描いた地獄絵図が、眼の前にある。
「安全地帯で助けを待っていても餓死。これが計画的殺人であるなら、帰還後勇者一行は王に直訴して【天球宮】に封印すら施すだろう。お前の言った通り、これは奇跡に頼るべき状況だ」
むしろ、それしかないと言うべきか。
娘が、こくりと生唾を嚥下するのが見えた。
「……でも、あなたは生きてる」
「そうだな。私はアンデッドの一種じゃない。もっとも、この年恰好では説得力がないだろうが」
冗談はさておき、話を戻そう。
「結論から言えば、村娘は死んだよ。安全地帯で1週間耐えて、渇きを我慢することができなくなった。迷宮内でどうにか水を見つけて、それを持って舞い戻るつもりだったんだろうな。奇跡的に水はあったが、帰り際に背後から襲われた。ひとたまりもなかった」
しん、と静かになって、それでも言うべきだと思ったのだろう。
娘が、おずおずと口にする。
「……それでも、あなたは生きてる」
「ずっと生き続けているわけじゃない」
「どういう意味」
「魔物に殺されて……気づくと、村娘は勇者一行と一緒にいた」
険しい顔をした勇者パーティの面々に囲まれて、村娘は己の無能を罵倒されていた――。
「まさか、死に戻り……!?」
眼を丸くする娘に、肯定も否定もしない。
私は、起こり得た事実のみを述べることにする。
「困惑が、村娘を襲った。当然だ。死んだと思ったら元の場所にいて、かつての仲間に囲まれていたんだからな。混乱の極みから抜け出せぬ間に再び追放宣告を受け、村娘はまたしてもその場に取り残された。地獄の始まりだ」
魔女の条件。
それは、呪われていること。
「2度目は1度目とほぼ同じ道筋を辿った。取り残され、渇きに耐えかねて、自ら打って出た。結末も同様だが、今度は正面に出た。村娘が最期に見たのは、自らの頭を飲み込まんと開かれた、大きな魔物の咢だ」
3度目。
「泣きついた。それが必要だった。眼の前の人間たちが、自分を殺そうと考えているのはわかっている。それでも恐怖に打ち勝てなかった。謝罪し、訴え、涙を流し、自身に起こったことを理解してもらおうとした。苦し紛れの命乞いだと笑われたよ。言われるがまま靴を舐めまでしたのに、追放処分を取り下げてもらえなかった。村娘は、同じ結末をなぞった」
思い返せば、バゼット一行の助力を借りようとしたのは、せいぜい二桁回数の繰り返しまでだ。もはやこいつらにはなにを言っても無駄だと諦め、私はダンジョンの自力脱出へと舵を切った。
魔物を躱して上階を目指すのは、並外れた所業だった。
文字通り、死と隣り合わせの暗夜行路。
ともかく死んだ。死にまくった。痛みを感じる間もない即死もあれば、地獄の底のような苦しみに数日間苦しめられる死もあった。あまりの苦しみに途中で自死を選んだこともある。
ダンジョンの最下層にあったものは、バゼット一行が考える最悪の悪夢だ。
村娘はそれを、否応なく繰り返し経験させられたのだ。
「どうして、そんなひどいこと……」
「権能だよ。村娘を見出した勇者の審美眼は、皮肉にも正しかったのさ」
立ち上がり、私は書斎の隅に置かれた黒板を持ってきた。
古代語で書かれた魔導書を解読する際に使ったものだ。
そこにチョークで1本の縦線を引き、娘へと向き直る。
「この縦線を、過去から未来へ至る時間を表現したものと考えてくれ。今、この線上にひとつの点を書き加える」
私は縦線の上部、過去の根元より少し先にチョークで点を描いた。
「仮に点Bとするこれが、私が最初にダンジョン内で死んだ時間だ。それよりやや過去に遡った地点に、点Aが存在する」
私は点Bよりさらに上部の線上に点Aを付け足し、その横に点Bから点Aに向かう矢印を付け足した。
「最初の死で、村娘は点Bから点Aへと戻された。点Aは、私が勇者パーティを追放されるまさに直前だな。最悪なことに、ここはセーブポイントも兼ねてもいた。つまり……」
「あなたは何度もパーティを追放され、何度も迷宮内をさまよった」
そういうことだ。降りかかる地獄の種が、ここにある。
「どうして、同じ時間にばかり死に戻ることに?」
「おそらく権能が覚醒したタイミングだろうな」
「タイミング?」
首を傾げる娘に、ああ、と応じて。
「最初の死で、村娘の奥底に眠っていた癒しの権能が開花した。当人の命の危機に際し、力が発現するのはそう珍しいことじゃない。権能は死んだ村娘を補完するため、時間軸を戻そうとする。だが死の瞬間に戻せば、また魔物に殺されるのがオチだ。死の運命から逃れるには、もう少し前にまで戻らなければならない。そこで選ばれたのが――」
チョークの先で、地点Aをちょんと突き。
「ここだ。勇者パーティが村娘を追放する瞬間に戻し、彼らを説得してともに脱出を図らせるつもりだったんだろう」
「でも、それは」
感づいているところ悪いが、こっちで説明させてもらう。
「無意味だ。勇者一行は村娘に害意を持っている。よしんば彼女の言葉を全部信じたところで、置き去りにする決定に変わりはない。むしろ、地獄を味わい続けるのがわかって、喜ぶ可能性だってある」
「そんな……」
取って付けたような同情なんて必要ない。今更だ。
私は、先んじて娘に大事な教えを授けてやる。
「魔法は、万能じゃない。だからこうして、時折事故のようなことが起こる。自らに宿る癒しの権能は、村娘にとって制御不能なものだった。ダンジョン内で死ねば戻され、また追放の場面から始まる。あらゆるものにリセットがかかる中で、村娘の脳裏には、苦痛の記憶だけが堆積してゆく」
まさしく狂気の時間だ。
周囲を敵に囲まれ、人間は殺人者を除けば自分しかいない。
「狂ってしまうことは許されなかった。肉体に宿る権能の本質は癒し。狂えば狂う直前の記憶が脳に移植され、そこからリスタートする。勝つまで終われないゲームさ。村娘は、諦める選択肢すら取り上げられて、それに臨むしかなかった」
唾棄するように言ってから娘を見る。
意外なことに、その眼差しは真っ直ぐに私に注がれたままだ。
眼は逸らさない、ということか――。
「……でも、あなたはここにいるわ」
「そうだな」
「どうやって脱出したの」
「どうやって、か」
はあ、と盛大な溜息が零れる。
「実のところ、よくは覚えていないんだ。ただ死んで、死に続けるうちに思った。誰にも頼れない。頼るべきものもない。だったらいちから、全部自分でやり遂げないといけないってな」
協力者を得られる見込みはなく、奇跡に縋ることもできない。
まるで難攻不落の城塞に、手槍ひとつで挑むような無謀。
「必要だったものは、発明だよ。追放された村娘の眼前に存在しないものは、今までも存在しなかったものだ。車輪や歯車を再発明するように、村娘はいちからすべてを組み上げる必要があった。そして、自分の中の権能とも向き合った」
食い入るように見つめる娘が、問う。
「そこに答えはあったの」
「どうやらこの力は私が思っていたより頑固者でな。地獄のような繰り返しをやめさせることはできなかった。代わりに、だが――」
宙を見上げ、顎を下ろす。それから見慣れた書斎の光景をぐるりと見渡してから、告げた。
「書庫を見つけた」
「書庫?」
「ああ。ここや、お前が見てきた図書館塔のような巨大な書庫だ」
「ダンジョンの最下層に書庫があるだなんて話、聞いたことがない」
そりゃそうだ、と勝手に溜飲を下げる。
それは村娘の脳裏にしか存在しなかったものだ。
「暗喩のようなものだよ。言わばダンジョンに立ち向かい、死に続ける村娘の脳裏に兆した心象風景だな。参照できるものは己自身をおいて他にない。村娘は自分と、自分に兆した権能とに向き合い続けたんだ」
巨大書庫で、村娘は山ほどの書架から本を選び抜き出す。
死の経験と血文字で書かれたそこから、新たな学びを得る。
迷宮の地形、外敵の把握、その対処法、体捌き、足運び、魔力の流れ、呼吸のひとつに至るまで。村娘は、ひたすら己を環境に最適化しようと試み続けた。
地獄のような繰り返し。光明の差さない場所で、砂粒ほどの金を探すようなものだ。手に取ったところでそれが金とはわからない、つまり正解を正解とたしかめる術すらない状況での、無限回数にも及ぶ試行錯誤。
酸鼻極まる時間の奥底で、やがて村娘は掴むに至る。
それは確信だ。自分がもう、ここを出るに足る力を得たという確信。
「そして追放者どもは去った。村娘はひとり残された。自分の足で階上を目指し、労することなく地上にまで辿り着いた。夜風が肌に心地よい、星の瞬く夜だった。朝方には村娘の姿は消えていた。彼女はもう、新しい人生を生き始めていた」
今度こそ、私は己の半生を語り終えたはずだ。
久方ぶりに味わう、やり切った思いとともに顔を上げる。
……対面に座る娘が、ぐんにょりした顔をしていた。