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『名無し』の魔女のものがたり  作者: ソーカンノ
第1部 メリンダ編
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第3話 『元治癒魔法士のセカンドライフ』

 丘の上の雑木林に、居を構えようと思った。


 漂ってくる潮の匂いはまだ濃い。ここからは故郷の村を見下ろせる。その先の、眼を突き刺すほどの蒼色を放つ大海原だって一望できる。


 人目を憚る理由はなかった。究めた結界魔法を応用すれば、館程度の大きさの建築物を隠蔽することなど造作もない。


 ただしそれとは別の、大きな問題が生じている。私以外の誰にもその存在を知られていない館を、いったい誰が作るのだろうか。


 この設問にはいくつかの回答がある。


 手早いところでは、街に赴いて職人を集める。彼らに私の館を建造させ、完成したら皆殺しにする。無論のこと却下だ。


 私はもうひとつの、手遅い方の手段を取ることにした。建築の設計からなにから、いちから勉強して自らの手で館を建造する。こうすれば誰にも存在がバレることはないし、殺人を犯す必要もない。


「普通は第3案、職人に口止めすればいいんだろうけど……」


 なにせ暴力的な不自由のあとの、暴力的な自由だ。

 掬えど尽きない膨大な時間を埋めるための、暇潰しでもある。


 最初の3年間は、基礎的な勉強に費やした。

 地盤を固めたのちは、栄えた街まで赴いて、建築ギルドで丁稚の役をやる。


 女だてらに9年勤めあげ、親方勢の聞こえもよくなってきたところで職を辞し、目的の場所に舞い戻ってきた。


 魔法で木々を伐採し、材料を集め、計画書通りに館を建造する。


 豪邸といっていいほどの館が完成の日の目を見たのは、私が勇者パーティを追放されてから、実に20年もの月日が流れた後だった。



★★★



 内装には強いこだわりがあった。


 特に書斎だ。四方を天井に達する書架に囲まれ、山ほどの魔導書が納められていなければならない。


 魔導書集めを円滑に行うには、金を稼ぐ必要がある。つまるところ、なにも問題はないということだ。私には金稼ぎのための、かつて取った杵柄があった。


 地方貴族、それに都市の門閥貴族といった中間富裕層。


 彼らは独自のコミュニティを持ち、私のような存在を重宝してくれる。不治の病に侵された隠居老人、馬車事故で余命いくばくもない当主、決闘ごっこで命を失いかけている憐れな放蕩息子、お産で死にかけている不貞の貴婦人……。


 命は、容易に金になる。私は自らの権能を用い、彼らのことを有償で癒して回った。噂には尾ひれがつき、私はその尾ひれ以上のことをやるだけでいい。仕事と金は、いくらでも懐に舞い込んでくる。


「あなたが、ミス・アマンダですかな」

「ここでは、その名で通っておりますわ」

「噂通り、いやそれ以上にお美しい御方だ。それに、とてもお若く見える」

「光栄ですけど、淑女に年齢の話は不躾でなくて?」

「いやはや面目ない! 場も温まってきたところで、さっそく仕事のお話なのですが……」


 偽名は、コミューンによって使い分けた。


 勇者バゼットに追放されてから、50年の月日が流れようとしている。あまりに長い期間、容姿に変化が見られない者は、魔族や妖魔の線を疑ってかかられる。一所に長居することはできない。


 国中を巡って資金を稼ぎ、購入した魔導書で書架を埋めてゆく。

 眼に見える進捗は、私の心に深い満足感を与えてくれた。


 だからだろうか、最後の1冊を納めたとき、私の眼から自然と涙が零れた。

 ひとつの終焉は、同時に新たな始まりをも意味するものだ。


 これから先、私は新たに定めた目的に向かって邁進してもいいし、なにもしなくてもいい。眼の前には、またしてもあの暴力的な自由の大海原が広がっている。


 数日考えて、私は――期限付きで隠遁生活を始めることにした。



★★★



 丘の上からは、崖下の風景がよく見えた。


 黄昏て、いたずらに思う。生家はもう絶えているだろう。父にとって私はひとり娘だったし、旅立つ前に母は亡くなっている。遅まきのきょうだいが増えることはなかったはずだ。


 今は平穏で、静やかな村。

 ずっと順風満帆だったわけじゃない。


 この200年の間に2度ほど海賊に襲われ、1度は戦火に巻き込まれた。大禍があっても人の姿が絶えず、村としての体裁を維持し続けているのは、漁をするのに適切な、豊かな場所だからなのかもしれない。


 庭園で紅茶を嗜み、魔導書のページを繰る。


 最近は、日がな一日こうしている。魔導書の解読には時間がかかる。昔、集めることにかまけて一切読んでこなかったものを、少しずつ切り崩すのが最近の日課だ。コレクションを作っているときにはまったく考えていなかったが、よい時間潰しになった。


「……よし、と」


 2か月ほどの時間をかけて、また1冊の解読を終えた。魔導書を閉じると、館のある雑木林から結界の縁に出て、故郷の村を眺める。


 結局のところ、魔王は討たれた。


 魔王討伐の任を成し遂げたのは、バゼット一行じゃない。聞いたこともない名をした、まったく違う勇者だ。彼らは魔王領へ赴き、魔王を倒すと、その武勇伝は王国内を駆け巡り、全土で伝説となっている。


 彼らの物語に、バゼットの名前は出てこない。書物換算で7冊にも渡る旅路のどこにも、そのような名前の勇者がいた記録はない。魔王軍の勢力が増し、王は討伐のため勇者を募った。他の勇者志願者たちとともに、その一文の中に十把一絡げにされてしまっている。


 故郷の村にも、勇者一行の記念像がある。おそらくは訪れ、なにがしかの善行を成したのだろう。


 変装し、村に降りて確認してみたことがある。私のいた勇者パーティと同様に、勇者、魔法使い、戦士、斥候、それに治癒魔法使いというバランスの取れた布陣だ。成し遂げた彼らと、成し遂げられなかった私たち。銅像に刻まれた彼らの年齢は、旅立った当時の私たちとさして変わらない。彼らは選ばれて、私たちは選ばれなかった。物事は得てしてそういうものだが、人々は成功者にしか興味を持ったりしない。


「私たちの銅像が、立つことはない……」


 勇者の偉業は永劫に残る、というわけでもないらしい。

 私が彼らの像を確認してから50年、王国内でいくさの嵐が吹き荒んだ。


 勇者一行の4人の銅像は破壊され、跡形もない。


 人同士の争いの原因は、言ってしまえば奪い合いだ。魔王軍の脅威が去り、平和が前提となった世界は、富を巡って争いを始める。私の故郷も略奪の憂き目に遭った。復興と荒廃とを何度も繰り返し、その度に人が戻ってきたり、また逃げ去ったりする。


 館で魔導書を読む生活は変えなかった。今さら彼らに手を貸そうなどとは思わない。崖下の風景は崖下の風景でしかなく、積極的に手を入れたりしない。それは自然を眺める気分に近しい。


 醜い、愚かしい争いは、人間社会に定期的なリセットをかける。積み上げてきたものを薪にくべ、また1からのやり直しを余儀なくさせる。文化や文明の発展は遅々として進まず、村は私が旅立った当初となんら遜色ない、むしろそれよりひどい様相を呈し始めていた。



★★★



 眼の前の男は、いったいなにを笑っているのだろう?


 五十絡みの品のいい男が、こちらに愛想笑いを浮かべている。身なりは上等だが、貴族が身につけるほどの価値はない。観察を続けていると、男は人工的に笑んだまま話しかけてくる。


「金貨20枚でお譲りいただけますかな?」


 その一声に、私ははっとする。

 近頃はどうも、商談の最中にも物思いに沈むことが多くなった。


「……20枚、ですか」


 確認を取ると、ゆっくりと頷く。

 どう考えても安過ぎる。


「こちらの宝石は大変な値打ちものです。他所ならば金貨10枚と交換できましょう。しかし、私どもならその倍額を用意できます」


 いかがですかな、と笑みを深めて男が促す。

 世間知らずの貴族令嬢の、首を縦に振らせたいのだ。


 魔導書の解読を始めて、わかったことがある。

 この世界に現存する魔法は、万能じゃない。


 例えば鳥に代表される、家禽の類に変身する魔法。一見、情報を得るための隠密行動に最適かと思われるが、そうでもない。変身中は脳までミニマムサイズに縮んでしまうため、人の姿に戻った際に記憶の混濁が見られる。鳥の眼で得た情報は、使いものにならないということだ。


 同様のことが、今も起きている。宝石店の奥の間で、宝石商人と対面している私の外見は、バゼットに追放されたときとまったく同じ年恰好だ。


 外見年齢を変化させる魔法は、ついぞ見つけることができなかった。今の私は、化粧と服装という原初的なやり方で、自分の外見年齢を引き上げている。とはいえ、齢17の少女がいくら背伸びしてみたところで、大人の男には侮られるのがオチというものだ。


「20枚では、心許ないですわ。私はこの地のことをよく知りませんもの」

「いえいえ、充分ですよ。この街は治安もいいですし、物価だって安い」


 大馬鹿者が、と頭の中で罵倒する。

 この街の物価は、王国内でも1、2を争うほどに高い。


 ガルドラ王国に他国から訪れた子爵令嬢、リディエル。それが今の私の名だ。偽名を名乗るとき、私はいつも別の人生の中にいる。


 けばけばしい白粉で年を誤魔化す、胡散臭い治癒師の扮装はここではできない。情勢が悪くなり、以前の稼業を続けるわけにはいかなくなった。戦争と貧困、飢えと病が牙を剝き始めたこの時世に、いたずらに人々を癒して回れば聖女として担ぎ上げられてしまう。


 持参した宝石を布で包み直し、宝石商人の視界から隠した。


「別のお店の方にお話を伺ってみますわ」

「なにをおっしゃいます! 由緒正しき当店以外でなぞ、足元を見られますぞ!」


 私は微笑んで、頭の中で逆のことを思った。

 足元見てんのはどっちだよ。


 正直に言えば、値段に頓着はしない。こいつが金になりさえすれば、今日の目的は達成される。今の私なら、こんな石ころ1日で10ダース用意できる。


 ただ、癪に障った。眼の前のこの男。私の5分の1ほども生きていない子どもに、吹っかけられている事実が気に食わない。


「金貨40枚、それが最低ラインです」

「そ、そんな無法な」

「では37枚」

「む……30枚」

「34枚」

「33枚、これ以上はお出しできません」


 まあこんなところだろう。目算で言えば金貨30枚が相場だ。3枚は、こいつの勉強料としてもらっておいてやろう。


「では金貨33枚でお願いします。よき商いとなりました」


 私はニッコリと笑み、男の額から冷や汗が流れるのを見た。



★★★



 年に数度、私は館から離れた街へ赴く。


 主たる目的は、資金と物資の調達。寿命という概念を超越した私も、生きる上で為すべき仕事のすべてから解放されたわけじゃない。滋養のあるものを食し、快適な場所で寝起きし、適度に身体を動かす。これらの条件が満たされて初めて、充実感を覚えることができる。


 館に戻った私は、帰りに服飾店で購入した黒のドレスに着替えた。鏡台の前に立ち、魔法でシックな出で立ちに似合う黒髪へと髪色を変化させ、庭園の椅子に腰かけて赤ワインの瓶を開ける。


「……これで、リディエルはお役御免ね」


 交渉の場から解放されて、もうご令嬢らしいマナーもへったくれもない。グラスにワインをなみなみと注ぎ、テーブルの上の読みかけの魔導書を閉じる。


 しばらくワインを嗜み、立ち上がって結界の縁へと歩んだ。


 吹き上がる海風が、下方から髪を弄ぶ。崖下の村は、優雅な午後を過ごす私とは雲泥の状況だ。かろうじて村の体裁は保っているものの、恐れていたことが起こった今、いつ廃村となってもおかしくない。


 人が、人間がずっと恐れていたこと。

 魔族の領土で、新たな魔王が生まれた。


 名だたる魔族諸侯を打倒し、跪かせた勢いそのままに、魔王は人間の生存圏へ進撃を開始した。タイミングとしては最悪だ。かつて魔王とその配下である魔王軍に一致団結して立ち向かった人々の心は、相次ぐいくさにより千々にバラけて、疲弊してしまっている。


「今度こそ、人は滅ぶかもしれないな」


 衰退する様を肴に、グラスの底に残ったワインを飲み干す。

 呷った状態から頭を戻した瞬間、ある違和感に気づいた。


「子ども? ……いや、そうでなく」


 村落の端から、誰かがこちらを見上げている。あり得ない状況だ。私が自分の棲み処に張った結界は、人の眼から内側を不可視にする。歴史に名だたる大魔法使いでもない限り、中を見透かすことなど不可能なはず。


 しかし、だ。その子どもは、たしかにこちらを見ている。

 私の居場所を透過して、なにか別のものを追っているわけでもない。


 いや、それどころか私自身の姿を眼に入れている。

 同じ姿勢でじっと凝視して、片時も眼を逸らすことはない。


「見えて、いるのか……まさか?」


 一歩後ずさる私の姿もまた、その子どもは目撃したことだろう。

 これは、歴然とした脅威だ。私には対処する必要がある。

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