第26話 『クラウス白書』
その書物は、据え付けられた書架の裏側から発見された。
用いられた木材の一部が嵌めこみ式になっており、隠しスペースになっていたのだ。
発見は、偶然だった。『名無し』の魔女の居室を調査中にセルヴィの妊娠が発覚し、陣頭指揮の役目を私が引き継ぐことになった。その作業中、彼女が担当していた棚の区画からそれは見つかった。
――『名無し』の魔女の手記。
保存状態良好な他の書物とは違い、随分とくたびれた装丁をしていた。
推測するに、ふだんから手に取り、中身を書きつけていたのだろう。
用いられていたのは古代文字。他の書籍は機密保持上の観点から古代文字を使用していたものと考えられるが、この手記に関しては、他の誰かに読まれて恥ずかしい思いをしたくなかったからだと思われる。
「ねえ、これ借りてってもいいかな?」
引継ぎ作業を完了した当日、セルヴィからそんなお伺いを受けた。
身重の妻にこの場所まで通う無理はさせられない。どの道、家で静養している間は翻訳作業を進めてもらおうと思っていた。それなら興味のある書物から着手してもらった方がいい。
私が許可を出すと、セルヴィは嬉しそうにその手記を胸に抱えた。
陣頭指揮を執り始めてわかったことがある。
どうやらセルヴィと調査チームの面々の相性は良くはなかったらしい。
端的に言うと、セルヴィは書物の扱いが手荒く、その歴史的価値を正しく認識する彼らにとって常にハラハラものだったそうだ。調査員のひとりは、私に向かってこんなことを言っていた。
「クラウスさんは本を大事にしてくれて助かります。叶うことなら、私たちはここにある書物すべてに今すぐ防腐処理を施したいくらいなんです」
メガネをカチャリとやりながら言う彼に続き、他の調査員たちもうんうんと深い頷きを返してくる。その姿には気苦労の痕が偲ばれる。
いったいセルヴィが書物をどこまで雑に扱っていたのか気にならないではなかったが、それよりも眼の前の調査が先決だ。この件に関しては後で本人に問いただすとしよう。
調査は順調に進む。
そんな日々の合間に、自宅でセルヴィに話しかけられた。
「クラウス、この手記ってばすごいんだよ!」
「なにか新発見でもあったのか」
「うん……それも、超あなた好みのやつ!!」
もったいぶられると俄然興味が湧いてくる。
がっついて内容を問いただそうとするも、何故かセルヴィは煙に巻いてきた。
「楽しみは後に取っといた方がいいかもね~?」
「そう言わず、私にも教えてもらえないだろうか」
「少し考えてることがあってね……あ、でもひとつだけ教えてあげようかな」
「というと」
「『名無し』の魔女は、メリンダ王の身内」
「…………!!」
私は言葉を失った。それは、とんでもない歴史的価値を持つ大発見だ。
存在すら疑われていた伝説的な人物が、今に繋がる王の血族だとは……。
「もっと詳しく教えてくれないか!!」
「えぇ~? だからそれは、後のお楽しみだって」
「なら、ひとつだけ。それは確定的な事実なんだな?」
「『名無し』の魔女が、この期に及んで嘘吐くようなホラ吹きじゃなければね」
翌日、早速に私はこの報を王へと言上に上がった。
私の報告を、王は信じがたいといった表情を浮かべて聞いておられたが、王国内で五指に入る才媛であるセルヴィのお墨付きがあると告げると、眼の色を変えられた。
「それが真実だとしてだ。クラウス、君にひとつ頼みごとがあるのだが……」
勅令を恭しく拝命し、私はその場を後にする。
帰りの道すがら、己の内側から滾々と湧き上がるものがあった。
間近に控える新生ガルドラ王国千年祭にて、私に中央広場で特別講演をせよとのお達しが下ったのだ。
テーマはもちろん、『名無し』の魔女について。
王国史でも類を見ない活躍を見せた宮廷魔法使いにして名宰相が、現王に繋がる血筋の者であった。この事実は、文字通り千年王国を築いたメリンダ王の名声をさらに高めるばかりでなく、現王国をより盤石なものにするための基盤にすらなるだろう。
時間は一所には留まらない。川の如く流れ去り、やがて私は王都の中央広場にて、詰めかけた観衆の前に立つという栄誉に預かることになるのだが――。
その前に、我が妻セルヴィが着手した仕事について説明させていただこう。
『名無し』の魔女の手記を手ずから読み解き、彼女が辿り着いた真相とは果たしてなんだったのか。
その正体は、読者諸氏においては既にご存知のことだろう。
小説のかたちでの発表を持ちかけたのは、妻の方からだった。より多くの人たちに、よりわかりやすく『名無し』の魔女について知ってもらう。そのための手段として、彼女は手記に書かれた内容を整理、順序立てして、物語のかたちへと再構成した。
彼女も言っていた通り、初めての試みだ。
上首尾に終わったか知りたい気持ちも当然持っている。
その反応をここで受けられないのは残念だが、代わりにひとつ挿話を挟み込みたい。
妻の書いた小説は、今は亡きメリンダ王と、かつて王と同じ名で呼ばれていた『名無し』の魔女の、時を超えた友情を描いたものだ。
ただし、妻にとってそれはただの友情ではなく、それ以上のなにかを描いたものであったらしい。深夜、時折妻の書斎から奇声が聞こえてきたのは、執筆しながら2人の関係性に興奮していたからに違いないだろう。
一読して、勘の鈍い私にはピンとこなかった。
だが、読者諸氏には伝わってくれていると嬉しい。
さて、紙面も残り少なくなってきた。妻に倣い、報告書を小説の作法で書くという試みも最終段階に入ったということだ。
癒しの権能の暴走によって、世にも数奇な人生を送った『名無し』の魔女と、彼女の残した謎を追った私たち。ともに短くない時間を捧げた先に目的を達した者同士、今ならわかることもある。
それは、人は自分の存在証明を、どうしてもなにかに求めてしまうものだということだ。刹那的な快楽を貪って漫然と生きるには、我々人間という生き物は高度に過ぎ、人生は長過ぎる。それだけでは、きっと真に生きるには足らない。
私たちも、そして時を遡った場所にいる彼女たちも。
同じく、なにかになろうと必死に足掻き続けた上で、それを掴むに至った。
偉人と己を同じ尺度で比較しようなんて気はない。ただ、私は彼女たちに近づきたいとずっと願っていて、今は少しだけそれが叶った気がする。
謎はまだ残っている。『名無し』の魔女の真なる名前は明らかとなった。だが彼女がメリンダ王にどのような名で呼ばれていたかだけは、膨大な書物のどこにも記載がなかった。
ヒントがあるとすれば、書物の怪しい箇所にある黒塗りの部分だろう。魔法協会の解析によると、魔法効果を持ったインクによって塗り潰されており、下手にこそぎ落とせば書物ごと爆散する可能性があるらしい。
表面のインクのみを落とす魔法薬液を作るのに、いったいどれだけ時間が掛かるやら……私がまだ生きているうちに知れたら御の字なのだが。
最後に、仲間たちの今後について語りたい。
アレックス兄弟は、今も冒険者を続けている。王都でも指折りの前衛として健在で、2人併せて『アレックス兄弟団』の異名を持つ。私の領地にも何度か訪ねてきて、もう1度一緒に冒険しないかと誘われたものの、その都度セルヴィの邪魔を受け退散している。私の引き抜きを、バリーはまだ諦めていないらしい。
エテルナとはあれっきりだ。年若くもあり老成しているようにも見えるミステリアスな美女は、今もどこかで飄々と生きているのだろう。私の勝手な思い込みだが、数十年後の今際の際に、当時のままの姿で現れても不思議でないと思っている。打ち上げに使った酒場からは、エテルナの杖が見つかった。てっきり転移魔法で私の前から姿を消したと思っていたのだが、杖なしでそんな芸当はできないはずだ。大切な杖を置き忘れた理由も含めて、多くの謎が残っている。
ゾラの勇名は、遠く離れた私の耳まで届く。『ドラゴン殺し』の名声は伊達ではなく、周囲には常に彼女を慕う冒険者が集まっているようだ。最近は、ゾラと同じく体格に恵まれない年若の冒険者から、半ばつけ回されるかたちで弟子入り志願を受けているらしい。数日前に届いた手紙では、どうすれば穏便に諦めてもらえるかセルヴィに助言を求めてきた。酒に酔わせて置き去りにしてしまえ、との内容の手紙を妻が送ろうとしたため、私が全力で止める派目となった。
時は流れる。待ってはくれない。
私もいずれは年老いて、人生というステージを去ることになるだろう。
『名無し』の魔女を尋常ならざる存在へとならしめた癒しの権能。
その能力のすさまじさを、読者諸氏は既にご承知のことと思う。
彼女は寿命を超越した。世界の中心となった。我が王国に伝わる伝説的存在が、その伝説性を保持したままヴェールを脱いだ、それが今回の歴史的大発見の顛末だった。
メリンダ王が崩御し、新生ガルドラ王国を去った後の彼女の足取りについて、私たちが語れることはあまりにも少ない。
しかしひとつだけ、言えることがある。
それは古びた手記の中で、彼女自身が触れていたことだ。
『名無し』の魔女は、繰り返す世界を蝶の飛行になぞらえた。未来とは、彼女の死によって戻された過去の一点から、幾度も蝶を飛ばすようなものだと。ゆえに流れた時間が多いほど、未来の行方は千変万化し、まったく同じものは2つとして存在しなくなる。
だからこそ、断言することができる。
あなたがもし、私の書いた文書を読んでいるのなら、それは彼女がまだ、今もどこかで、生きていることの証となるのだと。
――この文書を愛する妻セルヴィと、生まれてきた娘メリンダに捧ぐ。
最後までお付き合いくださりどうもありがとうございました。
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