第25話 『過ぎる今日、来たる明日』
新生ガルドラ王国千年祭。
街並みは人の手によって、日々刻々とその姿を変えてゆく。
王都におけるその営みが加速したように思えるのは錯覚じゃない。
今や建ち並ぶ建築物は飾り付けられ、街路樹の類もドレスアップし、行き交う人々の顔にも笑顔が目立つ。その最大の理由といえば当然、開催を1週間後に控えた新生ガルドラ王国千年祭である。
華やかな佇まいは、噴水のある中央広場周辺で大輪の花を咲かす。
出店や見世物小屋、大道芸人たちが早くも祭りの雰囲気を彩り始めている。
浮かれきった街。いつもなら、その光景を横に見るだけだったかもしれない。
しかし今日は、私たちにとっても祝福すべき1日に当たっていた。
「それじゃあ、かんぱ~い!!」
自宅でセルヴィがグラスを掲げ、私もそれに自分のグラスを重ねる。
揺れるグラスの中身を、セルヴィは一息に飲み干した。
「かあ~!! やっぱりコレよね!!」
「これよねって……まあいいか」
少し心配な気分を持て余しつつ、私も自分のグラスを呷った。
今、私たち夫婦は自宅でささやかなパーティを開いている。つい先日、『名無し』の魔女の居室の調査が完了した。このパーティは、いわばその打ち上げのようなものだった。
「クラウスとこの日を迎えられたのは嬉しいけど、できればゾラとも一緒に祝いたかったわね~」
「多忙な冒険者の身だから、仕方ないよ」
岩礁ダンジョンの攻略を終えたゾラは、今は別のダンジョンの踏破に臨んでいるらしい。
「さすがは『ドラゴン殺し』。そういえば、クラウスが名乗るように説得したんでしょ? いいところあるじゃない」
「私のアレをトドメというわけにはいかないからな……」
それに、私はもう2度と冒険者の真似事はしない。
レッドドラゴンとの生死を懸けた戦いも、徐々に思い出となってゆくだろう。
「おや? おセンチになるには早過ぎると思うんですけど?」
「そうだな。私たちの8年間はそう簡単に風化しない」
言うなれば、毎日がドラゴンブレスの日々だった。セルヴィの言う通り、あのインパクトが早々に思い出に変わるわけがないか……。
「調査チームの打ち上げって、たしか昨日だったよね? あなたが幹事で取り仕切るって話だったけど、なんであんなに早く帰ってきたの?」
夫の帰りの遅さより、その早さを不思議がる妻。
世間的な潮流と逆行する価値観ではあるが、今はそこに触れない。
「調査員全員の希望を取って、酒抜きで飲み会をやったんだ」
「え!? お酒抜き!? そ、そんな飲み会があっていいものなの……!?」
椅子を引き、大きなリアクションで驚きを表明するセルヴィである。底の知れぬうわばみである彼女にとっては大きなカルチャーショックなのかもしれないが、一応の理由ならついている。
「最新の学説で、アルコールが脳の組織をわずかに破壊すると判明したらしい。調査員の多くは大学所属の研究員だったから、自らの優秀な頭脳が弱体化するのを嫌ったのだろうと思う」
一端の理由を説明しても、セルヴィは驚愕の表情をしたままだ。
「いや、ないって……あり得ないよ、絶対」
「そんなにおかしなことか?」
私が調査員たちの肩を持つと、セルヴィは表情そのままに私を見た。
「だって飲み会でお酒飲まずになにしろっていうのよ」
「それは……貴重な専門的知見を数多く拝聴する機会を得たが」
「それ単なる学会じゃない! 断じて飲み会じゃないよ!!」
こっぴどく否定された。企画した幹事の身としては少し悲しいが、なかなかに楽しい飲み会だったと個人的には思うのだが……。
「わかった! メガネどもの話はもうやめ!」
「メガネどもって……」
明哲の徒になんたることを。
いやまあ、たしかに私を除く全調査員は、何故かメガネに白衣を着用していたが……。
「ええと、じゃあセルヴィの方の進捗は?」
「大枠はできたって感じかな。あ、でも千年祭前にクラウスには見せるよ」
「楽しみにしておくよ」
「初めてのことでどうにも勝手が掴めないけど、やりがいはあるのよね」
このところのセルヴィは、『名無し』の魔女の調査チームを外れて、自宅の書斎で執筆作業に当たっていた。新生ガルドラ王国千年祭に際して、絶対に外すことのできないパズルのピースである。
「歴史的大発見が、最後の最後だったらロマンチックだったのにね~」
「残念だけど、現実はそういう風にはできてないよ」
「ひょっとして、レッドドラゴンとの戦いで使い果たしちゃった?」
「訂正する。そういう見方もできるな……」
セルヴィの指摘に、思わず考え込んだ。
正しく背水の戦いだった。一手違えば、全滅していたのは私たちだ。
「クラウスの方はどんな感じ? 書くための時間、そんなに取れてなかったと思うけど」
「まだ着手してないけど、草案なら頭の中に」
「さっすが優等生は違うね」
「セルヴィみたく長く書く必要もないしな。それに、内容のインパクトなら一言で伝えられる」
伝説的人物だった『名無し』の魔女の存在。王城のどこかにあると言われる居室の在り処が判明し、納められていた書物の数々によって、晴れてその実在が証明されることとなった。
「歴史の基盤を揺るがす大発見だからな」
「へー、じゃあクラウスも英雄視とかされちゃうかもしれないね?」
「しかし、残された謎もまだある……」
考え込むと、対面からセルヴィがデコピンしてきた。
「また出た。あなたの悪い癖」
「……あ、ごめん」
私は額を抑えた。こういう場でも構わず思索に耽ってしまう。
呆れられても仕方がないが、慣れたものでセルヴィはご機嫌なままだ。
組んだ両手の上に顎を置いて、笑顔で私を見ている。
「千年祭が終わったら、この借り家ともお別れだね」
楽しげに言ってもらっているところ申し訳ないが、新生活への期待より現生活の気ままさの方が名残惜しい。思わず溜息が出た。
「晴れて領主生活か……」
「うふふ、年貢の納めどきだねえ、クラウスくん」
「勘弁してくれ。王にも同じことを言われたんだ」
脳裏に、あのときの光景がよぎる。王に、アルヴァイン伯。私が散々迷惑を掛けてきた両人から、眼に見えるほどの圧を掛けられた。
今回ばかりは、逃げられそうにない。
「王領地の一部を切り崩して安堵されたから、常に王に見張られているような状態だしな」
「あたしの実家からも近いしね~。領地収入が落ち込んだりしたら、お父さんが血相変えてお叱りにやってくるかも」
「本気でぞっとしないな……」
体感として、さあっと私の頭から血の気が引く感じがした。
「そうナーバスにならないでよ。全部あなたに任せきりにするつもりなんてないんだから」
「そうは言ってもだな……」
抗弁しようとした矢先、セルヴィがなにかに気づいたような声を出す。
「どうしたんだ?」
「あたし今、チョコレートの口になっちゃったかも。持ってきてくれない?」
「自分で……いや、私が持ってこよう。どこにある?」
「あたしの書斎に袋で置いてある。書きもののお供に摘まんだりしてたんだ」
太るぞ、との文言が口先まで出かけたが、女性に体重の話はご法度だろう。
それに、だ。
おそらく私の心象は正しくない。
「じゃ、取ってくるから」
「いってら~」
手を振るセルヴィに見送られて、私は部屋を出た。階段を上がり、書斎に辿り着くと、書きもの机の上にそれらしき物体を発見する。
「これか……なんと言うか、デカいな」
袋を手に持つと、ずしりとした重量感がある。健康上あまりよろしくはないのだろうが、執筆の際になにかを食べたくなる経験は私にもある。
部屋に戻ると、セルヴィがニコニコ笑顔で出迎えてくれた。
「これこれ、これがなきゃ始まらないわよね~」
ガサガサと袋の中身を漁るセルヴィに、私は思わず。
「執筆中に摘まむのは構わないけど、量は考えてほしいかな」
「わかってますって。よし……君に決めた!!」
特別ドデカいチョコの欠片を取り出して、ご満悦そうだ。
「いや、だから量を……」
「それよりクラウス、もう1度仕切り直して乾杯しない?」
小言に被せられて、私は思わず頭を振った。
だがまあ、せっかくの打ち上げだし無礼講か。
「ああ、そうしようか」
「やった。じゃあ今からあなたの分の飲み物も入れるわね」
両手でボトルを持ち、私のグラスにとくとくと注いでくれるセルヴィ。
準備を終えると、先に満たされていた自分のグラスを手に持った。
身振りで私にも準備を促し、それからグラスを掲げて――。
「それじゃあ改めて、かんぱー……」
「セルヴィ」
私は即座にグラスを下げた。それから首を振る。
それを見たセルヴィの顔に、一筋の冷や汗を見た。
「ダメだって、前にも言っただろ」
「ええと……なんの話?」
小首を傾げてシラを切ってくるものの、その反応なら見越している。
「こんなこと言いたくはないけど、お酒はダメだ」
「お、お酒じゃないよ? この瓶を見て。ぶどうジュースだって……」
「私がいない間に、私のボトルから入れた。君の手管はもう何度も見てる」
むすっとして眼を細めると、今度はセルヴィの方が心底困った顔をした。
「1杯だけ……ううん、一口だけでいいの! そしたらもう飲まないから!!」
「残念だけどアルコールは少量でも毒だって証明されてる」
「いや、でもさ。ほ、ホラ、男の子ならお酒くらい子どもの頃から飲むよね?」
「女の子かもしれないし、それは関係ないよ。男の子にだって毒なんだから」
真剣な顔で、じっと見る。理屈というよりも私の迫真さに気圧されて、うぅと呻っていたセルヴィが白旗を上げた。
しぶしぶとグラスをテーブルに着地させると、随分とご無沙汰になっていることに唇を尖らせた。
「ちぇっ、あたしも年貢の納めどきかぁ……」
「大事な時期だし、元気に産まれてきてほしいんだ」
「わかりましたよ~。良き妻として、ここは素直に引き下がります」
指先でグラスを押しやるのを見て、私はようやく人心地つけた。
セルヴィは懐妊している。当然のこと初産だ。
私の肩にも未知の重圧が圧し掛かっている。
「人の親になるって、なんだか実感湧かないな」
「私もだよ。でも、これで少しは夫らしくなれるのかな?」
「あたしは妻で、母になるわけだね。しかし、クラウスがお父さんかあ」
「似合わないかな。やっぱり」
「ううん……あなたもあたしも、きっと今に相応しい存在になれるよ」
それは太鼓判と言うわけではなかったし、私もセルヴィも大人として拙い。
歴史探求に身を捧げるような人間は、心に童心を飼っているものだ。
でも、この事業ももうすぐ終わる。私は領主となり、セルヴィは母となる。
そしてなにより私たちは、新たに産まれてくる命の守り人となる。
お酒を諦めたセルヴィが新たなグラスにジュースを入れ直し、掲げ持った。
私もまた彼女に倣い、今度こそ自分のグラスをちゃんと掲げる。
「それじゃあ、大人になったあたしたちと、生まれてくる赤ちゃんに」
「ああ、乾杯するとしよう!」
涼やかな音色を立ててグラスが重なり、これから訪れることになるしあわせの予感とともに、私たちはその中身を飲み干したのだった。




