第21話 『戦いを終えて ~バリー&シェーン~』
「……見間違いだったんじゃねえか?」
その言葉には、おいそれと賛同し難い。
考え込む私に向かって、シェーンが続けざまに言う。
「だってよ、俺は誰とも擦れ違わなかったぜ? ドアを開けたら、クラウスさんがひとりでテーブル前に座ってた。そいつをこの眼で目撃したんだ」
「しかし、私はたしかにエテルナと話をしていて……」
むう、と俯く私の眼前で、対面の席からシェーンが掌を振った。
「疲れが溜まってる、もしくはストレスって線もある。人間、心身の状態が悪いと時間に関する感覚が狂うっていうしな」
「そんな心当たりは……」
「あるだろ、1個」
指摘を受けて、思い出す。
エテルナとの話に夢中で、一時的に消えていた懸念を。
「バリーのことか……」
口に出すと途端に憂鬱な気持ちになるのだから、人とは不思議なものだ。
おそらく青褪めているであろう私の顔を見て、シェーンが相好を崩す。
「やっとこさ思い出してくれたみてえだな。事前に通達した通り、キレた兄貴は言葉じゃ止まってくれねえよ」
「一発は我慢しろ、か。嫌だなあ……」
「断りもなくあんたに命張られて、マジギレしてたからな」
私の見えないところで、いろいろとあったのだろう。
シェーンのどこか遠い眼に、苦労の跡が忍ばれる。
「既に部屋ひとつダメにして、引っ越しした。こっちはこっちでやれるだけのことはやったものと考えてくれ」
「ものに当たるタイプだったのか」
「当人がいないとそうなる。まったく、とんだ臨時出費だったぜ」
やれやれ、と頭を振るシェーン。
補填を申し出たが、そいつは俺らの問題だからと取り合ってくれなかった。
「賭けてもいいけど、俺が金を受け取ったら余計に怒るぜ」
「……そ、そうか」
せっかくレッドドラゴンとの戦いを生き延びたんだ。命は惜しい。
私はこれ以上の無理を言わないことに決めた。
「殴られるときは、歯を食いしばれよ。口の中切らないようにさ」
「嫌なアドバイス過ぎる。どうにか平和的に解決できないものだろうか」
「伝えた通りだ。あんたが一発食らったら、俺が止めに入る。殴ったっていう事実が付けば、頭冷やしたあと2度と持ち出したりしねえよ」
さすが兄弟冒険者。シェーンはバリーのことを知り抜いている。
となれば逆説的に、私にその運命から逃れる術はないということ……。
この件に関して考えるのはやめよう。荒事は私の趣味ではない。
「しばらくぶりになるけど、足の怪我の状態は?」
「順調そのものさ。来月には杖もいらなくなるんじゃねえかな」
「今日は盛大に楽しんでいってくれ」
「頼まれなくともさ。昼間にリハビリをしこたまやって、ちゃんと腹は空かせてきたしな……ここ、今日は貸切なんだって?」
酒場内に首を巡らせるシェーンに、私は頷きを見せる。
「水入らずがいいと思ったんだ。私たちは、こういうことをしてこなかったから」
「飲み会やる暇があったら、レッドドラゴンに攻勢掛けてたもんなあ……」
頬杖を突くシェーンの言い分が、思い出話に片足を突っ込んでいる風なのが微笑ましい。
あれからいろいろとあって、皆と会う機会を作れなかった。
シェーンは他の面々について知っていることがあるだろうか。
私は、目下のところ一番気になる人物について訊ねることにした。
「ゾラとは?」
「何度か会ったぜ。施療院にいた頃にはな」
「今は一緒じゃないのか?」
「若いからか知らねえけど、傷の治りが早くてな。まさかずっと軽傷だと思っていた俺が取り残されるとは思わなかったぜ」
シェーンの話によれば、ゾラは既に冒険者として復帰を果たしているとのこと。
「おお、そうだ。セルヴィも見舞いにきてたよ。クラウスさんと俺みたく手紙のやり取りじゃなくて、ゾラに直通で飲み会の話をしてったみたいだぜ」
そのときの様子だが、どうもゾラは緊張の面持ちで話を聞いていたらしい。
「変にかしこまらないでいいって、セルヴィも言ってたんだけどなあ」
「ゾラは生真面目だし、こういう集いは初めてだ。無理もないよ」
「つっても、肩肘張らず楽しんでもらいてえじゃねえか。初めてなら尚更によ」
私としても、シェーンと同じ思いだ。
ゾラがきたら積極的に声を掛けて、緊張を解いてやる必要があるな。
「ゾラの性格的に約束の時間より前にきそうだし、先に飲ませちまうって手もあるな」
「それだな。よし……マスター、エールを1杯」
注文すると、キンキンに冷えたエールがジョッキで運ばれてきた。
白く盛り上がる泡を見つめて、シェーンが瞳を輝かせる。
「うお、美味そうじゃねえか。俺が先に飲んじまいたいくらいだぜ」
「あとでいくらでも頼んでいいから、とりあえずこれはキープしておこう」
ジョッキをテーブルの脇に置いて、シェーンと飲み会の段取りについて話をしていると、キイというスイングドアが鳴る音がした。
きっとゾラだ。
私は身体ごと背後を振り返って、取っ手を握ったジョッキを掲げた。
「ゾラ! 久しぶりだな! まずは駆けつけいっぱ……」
私の言葉が、そこで途切れた。
外は夕暮れ。赤く染まる夕日を背負ってそこに立つシルエットは、屈強にして巨大。どう見積もっても背の低い女性のものであろうはずがなかった。
ジョッキを振り上げた体勢で石像のように固まる私を眼に入れ、そのシルエットの持ち主は遠慮なく酒場内へと押し入り、私の手から乱暴にジョッキをもぎ取ると、口元まで持ち上げてんぐんぐと音を立てて中身を嚥下した。
「あ、兄貴……なんで……!?」
シェーンもそこで絶句する。まさか遅刻常習犯であるバリーがこんなに早く姿を見せると思わなかったのだろう。
ジョッキを取り上げられ、手持ち無沙汰となった私はバリーの顔を見上げた。眼が据わっている。ご機嫌か不機嫌かで言えば明らかに後者寄りの表情だ。
ここは空振り覚悟で弁明を試みるべきか。
いや、それより先に飛んでくる可能性があるか。アレが。
ええい、ままよ。私は速攻で拳が飛んでくる可能性を視野に入れ、ぎっと歯を食いしばった。一発だ。一発殴られたらすべて終わる。でも、と心のどこか軟弱な部分が祈っている。痛くしないで。
泰然としていたバリーが身体を動かす。ヤバい。
私は身体を固め、眼を閉じて衝撃に備えたのだが――。
どうも、別の感触がした。
段取りでは、頬に拳による打撃が飛んでくるはずだ。しかし観念した私が今感じているのは、それとはまったく別個のものだ。身体全体を、なにかにがばりと包まれているようなこの感触の正体は……。
うっすらと眼を開ける。バリーの身体が私と密着している。
抱き締められている? しかし、何故?
「ば、バリー、これは……?」
「ブラザー!!」
私を抱き締めたまま、感極まった風にバリーが叫んだ。
ブラザー? ブラザーってなに?
身体を固めたままでいると、バリーが私の両肩を掴んで距離を取った。
「水臭えじゃねえか! それならそうと、先に言えっつうの!!」
「あ、いや……なんのことだ?」
「一丁前にすっとぼけやがって! このこの!!」
訳知り顔で肘で小突いてくるが、まったく心当たりがないのだが……。
呆気に取られる私を見て、自分が事情を聴かねばならぬの思ったのだろう。横からシェーンが割り入ってきた。
「兄貴、どうしたんだよこんなに早く」
「シェーンもきてたのか! 3人揃ってちょうどいいな!!」
「さっきから話が見えない。クラウスさんも面食らってるだろ」
「おお……そうか! 俺の口から直に話を聞きたいってわけだな!!」
ガッハッハと豪快に笑い、なにやら納得の様子を見せるバリーだが、当然のこと私もシェーンも心当たりなどあろうはずもない。
とりあえず2人とも見に回ることにすると、腕を組んだバリーが得意げに話を始めた。
「頭捻って、丸1日潰して超クールなのを考えてきたぜ。名付けて……『赤竜の兄弟団』!!」
ドヤってるところ申し訳ないのだが、なんの説明にもなっていない。
依然として呆気に取られる私たちを見て、バリーが得意げに片眼を閉じる。
「早めにきたのは、先に申請しとこうと思ってな。こっからなら冒険者ギルドは隣だし、なにかとちょうどいいだろ?」
「ああ、いや……」
「その……」
私たちは2人揃って言葉を失い、連動して場の空気も白ける。
さすがに不審に思ったらしく、バリーも片眉を上げた。
「て、あれ、なんだこの空気はよ……?」
「なあ兄貴」
私を一瞥し、頷きが返ってくるのを待ってからシェーンが声を出した。
この一瞬の間に、私がシェーンに話題を振っていい許可を出したのだ。
「昨日まで俺に、クラウスさんのことは絶対許さねえって言ってたよな」
「お? ああ……そんなことも言ってたっけか?」
「ちゃんと言ってたよ。ぶん殴って、余計なことした責任を取らせるって」
バリーの気が変わらないかと、私としてもヒヤヒヤものだ。
だが露骨に上機嫌でいられるのも、それはそれで気持ち悪かった。
「あんときは許可した覚えもねえ借りを作っちまったからな。だがまあ、これから返す機会なら山ほどあんだろ」
「それってどういう……」
バリーは私の顔を直視して、当然のように続けた。
「やるんだろ? 冒険者」
「は?」
「俺たちと組むために話を断った。みなまで言わなくても、俺にはわかってんだよ」
いや、こちらとしては皆目意味がわからない。
まさか訊ねておいて返答があったのに謎が深まる事態になろうとは。
「バリー、済まない。私には話が見えない。断ったってのはなにをだ?」
「そんなの決まってる。『名無し』の魔女の居室調査の話だ。風の噂で聞いたぜ、今はセルヴィが陣頭指揮を執ってるってよ」
――ズキリ、と胸の奥が激しく痛む。
今しがたバリーが語った話は事実だ。
私は『名無し』の魔女の居室を調査するチームから外れている。
しかし私自身の意志じゃない。やむにやまれぬ事情があって、泣く泣くそのポジションから身を退かざるを得なかったのだ。
ああ、思い返すだにあのときの絶望感が甦ってくる……。
私の瞳から光が失われるのを見たのだろう、バリーが表情を変えた。
「いったいどうしたんだ?」
「兄貴、クラウスさんのことなら俺から……」
気を遣って説明役を買って出るシェーンを、手で私が制した。
「構わない。私自身の口から語らせてくれ」
そう告げて席から立ち上がると、私はバリーの逞しい両肩に手を置き、真正面からその眼を見た。
「これから私の語る話を聞いてくれ、ブラザー」
私は肩を握る手と、両の眼に力を込める。
男同士、1対1。面と向かい合っての話だ。
ことの発端は、私たちがレッドドラゴンを倒したときに遡る。
満身創痍の仲間たちを救うため、私は王都の施療院へと走っていた。
救助隊を連れて戻ると、負傷の程度が大きい順に担架で運び出す。
たしかゾラ、バリー、エテルナ、シェーン、そしてセルヴィの順番だった。仲間の内で唯一助けなしに動ける私はセルヴィの付き添いに回り、彼女が無事に施療院の病室に辿り着くまでを傍で見守ろうとした。
しかして、その途上で事件は起きた。
担架から移動ベッドに乗せ換えられたセルヴィが病室に直行している最中、身なりのいい男性に背後から声を掛けられたのだ。
「……クラウスくん、これはいったいどういうことか」
その一声を受け、背筋に怖気が走る。
それは聞き知った声の持ち主だった。
思わず足を止めると、セルヴィの乗せられた移動ベッドが先に行ってしまう。
レッドドラゴンとの戦いに勝るとも劣らない緊張感が、場に漂った。
声を掛けてきたのは、身なりのいい壮年男性だった。その声音も、容姿も見知っている。形のいい髭の端っこの角度にすら見覚えがある。当然だ。彼はこれまで私と膝を突き合わせて何度も話をし、娘を頼むと面と向かって頭を下げた張本人であったのだから――。
そんな彼が、今は怒髪天を衝く勢いでその身に怒りを滾らせている。
事情を鑑みるなら、それも致し方ないと思えるだろう。
愛する娘を信じて預けた相手が、その娘を施療院送りにしたのだから。
「付いてきたまえ。少し、そちらの空室で話をした方がよさそうだ」
親指で病室を指差す、乱雑なその所作からもひしひしと怒りが伝わってくる。
アルヴァイン伯爵領の領主であるジェラルト・アルヴァインは、ひとり娘を溺愛していることで有名な御仁であった。
私は返答を待たずして先行するアルヴァイン伯の背をすごすごと追い、空室へと入ると、今しがたあったことを根掘り葉掘り聞き出された。
私の事業が頓挫の間際にあったこと、人員不足から私と妻も現場に参加していたこと、少人数でレッドドラゴンとの戦いを強行し、あわや全滅の危機に瀕したこと、ともかく全部である。
これまで私が隠し立てしていたことも含めてすべての事実を知ったアルヴァイン伯は、その場では品位も冷静さも欠かされなかった。しかし心中はどうであったかといえば、もちろんのこと私に対して怒っておられた。煮え滾る熔岩もかくやの熱量で怒っておられた。
彼は後日、王に私に関する苦情を正式に直訴した。
曰く、このような無謀な事業を公爵令息に許すとは何事かと――。
困られたのは王だ。親戚のよしみで好きにやらせていたものの、私がまさかそんな危ない橋を渡っていたとは知っておられなかったのだから。
それにアルヴァイン伯の手前もある。温厚な性格で有名な伯爵がこれほどまでに激怒している。非は明らかに私にある。となれば、心苦しいがなんらかの罰を下さないわけにはいかないだろう。
王は悩み、そして決断を下された。
その内容というのがつまり――。
「『名無し』の魔女の居室の調査隊から外れ、許可が出るまで自宅にて蟄居していろとのお達しだったのだ……」
嫌な記憶を掘り起こすのは苦痛なことだ。
心痛で改心を促すことが目的なら、これ以上ない効果を発揮しただろう。
「なるほどねえ……それで調査から外れて引きこもってたわけか」
私も、バリーも今は椅子に腰かけている。随分と長話になったからだ。バリーの前のテーブルにはワインのボトルが既に何本か置かれており、話の肴にグラスに注いで一気に飲み干した。
「せっかくあんたとパーティ組めると思ってたのに、俺の早とちりかよ。別に冒険者に目覚めたってわけじゃなかったんだな」
「ああ、だからバリー、私に気を遣うことはないんだ。殴りたいなら殴ってくれ。私にはそれだけのことをした自覚はある」
正直に言えば、このような事態になる可能性は予測していた。あの場で私が取った行動は、冒険者の誇りに触れている。正しい優先順位というものがあるとすれば、私はセルヴィを連れて階段に逃げるべきだった。
バリーの方を向き、きつく歯を噛み締める。
しかし当のバリーにやる気はなく、面白くなさそうな顔をした。
「やんねえよ。毒気が抜けちまった」
「だが、このまま手打ちというのは……」
「充分凹んでるやつを殴るのは趣味じゃねえんだ。だって元に戻らなくなっちまうだろ」
それは、そういうものなのだろうか。
思わずシェーンを見ると、肩を竦めている。
兄貴の好きにさせとけ、というジェスチャーなのだろう。
「災難だったな。施療院に、まさか親父さんが慰問に訪れてたとはよ」
「義父は疫病で家族を亡くされている。王都の最新医療に興味がおありだったのだ」
「それじゃ誰も責めらんねえな。偶然の賜物だ」
やれやれ、と頭を振って、バリーが私のグラスに酒を注ぐ。
「ま、飲もうぜ。嫌なことは飲んで忘れちまうに限る」
酒に救いを求めるように、私はそれを一気に飲み干した。
「お、意外にもイケる口だな」
「私はまだ居室に足を踏み入れてもいないんだ。私たちが8年もの時間を掛けて辿り着いた、あの場所に……」
グラスを差し出す。バリーは待ってましたと言わんばかりに酒を注ぐ。
私はそれも一気に呷って、咽喉元まで込み上げた想いを吐露する。
「わかっている。すべて私のせいだと。私がセルヴィを傷物にしてしまった。これが私に下されるべき正当な罰だというのも、わかっているんだ……」
「キズモノって言葉をそういう意味で聞いたのは初めてだぜ。飲め飲め」
バリーが、いやブラザーが注いでくれる酒が五臓六腑に染み渡る。
アルコールは、悲しみを溶かす溶剤だ。今の私に、もっと必要だ。
「ブラザー、夢だった。これは私の夢だったんだよ……」
「わーってるわーってる。あんたの夢の大きさなら俺も身に染みてる」
「くっ、うぅっ……魔女の居室、見てみたかった……」
「おいシェーン! こいつ泣き上戸だぜ!!」
思い返すに、傍目から見る我々は、さながら地獄絵図の如しであっただろう。凹んで号泣する男に、その隣で酒を注ぎつつ大笑いする男、そして対面に座って平然と2人の傍観に回っている男。
果たして、そんな最悪のタイミングで場に新たな人物が現れた。
「こんばんわーっ!! ……ってアレ、なんでクラウス泣いてるの!?」
あにはからんや、私の妻であった。




