第20話 『戦いを終えて ~エテルナ~』
机の上で2枚、彼女が金貨を滑らせた。
私は眉根を寄せてそれを見る。数を間違った覚えはない。
ここは冒険者ギルドに併設されている酒場だ。他に客のいないここで、私はエテルナと面を突き合わせて最後の取引を行っていた。
「通例通り、1枚1枚数え上げたはずだが?」
「存じておりますわ。その上で、多過ぎる分を返却するということです」
エテルナはニコっと笑んで相好を崩すものの、腑に落ちない。
私は突き返された金貨を、再び指でエテルナの側に押しやる。
「君は命懸けでセルヴィを守ってくれた。約束の報酬に危険手当を上乗せしている。決戦の場で君が言ったことだ。私は覚えている」
じっと顔を見ると、エテルナは頬に手を当てて、考える素振りを見せる。
「それも存じております。そういえば、セルヴィさんは一緒ではありませんの?」
「妻は調査隊の仕事に掛かりきりでね。最近は顔を合わせる時間もない」
「あらまあ」
どこか嘘臭く大仰に驚いて、次に穏やかな微笑みを湛えて。
「それじゃあ、奥さんとも久方ぶりの再会ということになりますわね」
「同じ家に住んではいるんだがな……っと、やはりこれは君が」
流されそうになるのを踏み留まって、私は話を本題に戻した。
机の手元側に戻された金貨を眼にして、エテルナが首を振る。
「受け取れませんわ」
「どうして? これは正当な報酬のはずだ」
「正当であるとおっしゃるなら、なおさら受け取るわけにはまいりません」
再び指先で、エテルナが金貨をこちらに返す。
その上で、私の顔を直視して続けた。
「理由を申し上げましょう。これは危険手当です。ただし私のものではなく、クラウスさんご自身のもの。もしあの場で、あなたがレッドドラゴンと相対してくれていなかったら、私は今頃こうしていられなかったかもしれませんもの」
触れられたくない箇所にある事実を、理詰めで持ち出してきた。
その指摘を素直に受け入れるなら、私としても苦しくなるのだが……。
「ならば、これは私の気持ちということにしてもらえないだろうか?」
「申し訳ありませんけれど」
「功労者を蔑ろにしたら、妻に叱られてしまう」
「それではご内密に」
同情を誘っても折れてはくれない、か。
私は諦めて金貨を袋に戻すと、口を縛って懐に戻した。
約束の時間まで少しある。私は最後の歓談をすることにする。
「エテルナ、繰り返しになるが少しだけでも顔を見せてくれないか。みんなもそれを望んでいると思うんだ」
取引のあとに間を置かず交渉とは、私もまた気の利かない。
エテルナは、こちらも静かに首を振って断りを入れる。
「残念ですが、大勢で騒ぐのは得意ではないのです」
「顔見知りしかいない。2か月前にレッドドラゴンと戦った面子だ」
「でしたらなにか……荒事の匂いがしますわね?」
ドクッ、と心臓が跳ねる心持ちがした。
こちらの事情を見透かした? いや、そんなわけが……。
どちらにせよ隠し立ての意味はないか。私はコホンと空咳を入れる。
「あっても、少しだけだ。私の頬が腫れるか腫れないか」
「命の恩人に何事かあれば、私も動かないわけにはまいらぬでしょう」
「勘弁してくれ。そういうんじゃないよ」
心底困って首を振り、素振りで白旗を上げた。
エテルナは手を口元に運び、クスッと笑んだ。
「冗談です。殿方同士の事情に顔を突っ込むほど野暮ではありません」
「私たちは8年も一緒にいた。なあ、本当に少しだけで構わないんだ」
エテルナがどのような人物か、結局ところ私は最後まで掴みかねていた。
それでもこの喜ばしき場に、彼女にいてもらいたい気持ちに嘘はない。
だってあのとき私たちは、ともに命を預け合った仲間だったんだから。
「……8年、ですか」
エテルナは何故か、少し寂しげな表情をした。
「少し変な質問をしても構いませんか」
「え? ああ」
「クラウスさんにとって、この8年という時間は長いものだったのでしょうか?」
すべて思い返してみるまでもない、私は即座に頷いた。
「長かった、とても。果てがないとすら思ったよ」
「レッドドラゴンの魔力が尽きる保証はありませんでしたものね」
エテルナの言ももっともだが、それ以外にも様々な心労があった。
報われる保証のない事業に従事するのは、本当に辛いことだ。
エテルナはテーブルに置かれたカップを手にし、紅茶で口を湿した。
「クラウスさんは、このような思考実験をなさったことはありませんか。時間に関する感覚は人それぞれに、個人差があるものだと」
「それは、どういった意味なのだろうか?」
そのような質問を受ける意味が思い浮かばず、率直に訊き返す。
エテルナは、どこか寂寞とした光をその瞳に湛えて話を始めた。
「例えば1年という時間の尺度を想定してみてください。これは乳幼児にとっては生まれからのほぼすべての時間ですが、齢80を迎える老人にとっては人生の80分の1でしかありません。であれば、両者の感じる時間感覚はまったくの別物となるのではないでしょうか。具体的には、乳幼児にとっては長く、老人にとっては短いものだと」
それは、そのようなものかもしれない。エテルナの持ち出した極端な例でなくとも、私自身の体感として似たような経験は所持している。
未だ成長過程にあった十代の頃の1年と、成人を迎えてから費やした1年とでは、その時間感覚に大きなズレが生じている。
「エテルナの主張には正しさを感じるよ」
「ご賛同いただき幸いですわ」
「だが済まない。私には君がなにを言いたいのかがよくわからない」
言い終えてエテルナを、正面から見た。
見た目は今の私より若々しく見える。しかし彼女が放つ雰囲気はやはり独特だ。正しい表現ではないかもしれないが、どうにも年齢不詳な印象を受ける。
「そうですか……そうですよね」
納得したように2度繰り返し、再び紅茶を口に運んだ。
「私にとって、あの8年は短かったのです」
「え?」
冗談か? いやしかし、そんなことを言う意味が……。
ソーサーにカップを戻すと、エテルナは浅く呼吸した。
「常人とは、少し変わっているのかもしれません。元々、故郷でも周囲から浮いていた側の人間だったので」
「いや、そんな……」
「フォローなど構いません。これは自己分析の範疇なのです」
割りきって、自らをそう捉えているというわけか。
変人の自覚を持った変人、というやや失礼な表現が思い浮かぶ。
「あなた方のことを見ていました。この事業に参加した人たちの中には様々な人間がいましたけれども、総じて皆さんは一生懸命でした。苦痛も、苦労も共有し、偉大な事業を進めるための礎へと勧んでなろうとする。その実直な姿に感銘を受けなかったと言えば嘘になります。ただ――」
エテルナは先を言うべきか少し悩んでから、吹っ切るように告げた。
「私は、その輪に完全に入ることはできなかったように思うのです」
浮世離れた印象はあったが、疎外感を感じていたのか。
なんと言ったのものだろうかと、私は頭を悩ませる。
「……申し訳ないが、私にはそのように見えなかった」
「きっと気づかなかったのです。目立たぬようにしておりましたので」
「君の感覚は、本当にそこまで我々の感覚と違っているのだろうか?」
もう1度質疑を行うと、「はい」とエテルナが深く首肯する。
「光陰矢の如し、という言葉がありますわよね。私にとって、王城地下で過ごしたこの8年は、矢の一射にも等しい時間だったのです」
主張の真偽よりもだ。罪悪感。そんな文言が思い浮かぶ。
ひょっとしてエテルナは、自分の感覚に後ろめたさを覚えている?
「クラウスさん?」
「いや、済まない。ちょっと考えていて……」
「混乱させてしまったのでしょうか? 申し訳ありません。別れどきなのに」
気落ちしたような声音で謝られて、私も気まずくなってくる。
どうしたものかと気を揉んで、素直に胸の裡を開くことにした。
「エテルナ。私は君の事情を知らない。その上で聞いてもらいたいんだが」
「はい」
「私は君を、他の最後まで残ってくれた者と同じく大切な仲間だと思っている」
「…………」
しばしの間、沈黙があった。
表情は変わらないが、エテルナがらしくなく驚いたのだと、空気で察する。
「それでは、ダメなのだろうか」
「いえ、ダメとかそういう問題ではなく……」
「そうか。ならば厄介だ。君の迷いを払拭したかったのだが」
八方手詰まりとなり、思わず頭を抱えた。
くしゃくしゃと髪を搔き回して、どうにか捻り出す。
「逆に、ひとつ質問させてもらって構わないだろうか」
「もちろん構いませんが……」
「君はこの8年と私たちのことを、すぐに忘れてしまうんだろうか?」
はっ、となにかに気づいたような表情を見せて。
それからエテルナは静かに、しかし力強く首を振った。
「……絶対に忘れたりしませんわ」
私の胸にも少し、安堵の心地が戻ってくる。
やっぱりそうだ。エテルナは私が思っていた通りの人間だ。
ミステリアスで時に考えが見えないけれど、根は仲間思いでやさしい。
「だったら、なにも問題なんてないと思う」
「あの、それは……」
「君は変わらず私たちの大切な仲間であり続けたと、私は思っている」
瞬間、エテルナの瞳に見たことのないような光が灯った。
それは錯覚で、気のせいだったのかもしれない。
だが次の一声はたしかに、私の耳にはしゃいで聞こえたのだ。
「それって、慰めではありませんのね?」
「本音だよ。嘘を吐くのは得意じゃない」
王の前では何度か吐いたが、ノーカウントでいいだろう。
「やはりあなたは、少し似ていますわね」
「似ている?」
「ええ、実は……そうですね。あなたのように、私も胸襟を開かなくては」
独り言のように呟くと、楽しげな様子で前屈みになる。
「前に、私があなたの心意気に共感して、この事業に参加したと口にしたことがありましたわよね」
「ああ、王城の地下階段で話してくれた」
「理由は、それだけじゃなかったんです」
首を傾げると、エテルナはもったいぶらずに答えを告げた。
「あなたの顔に、面影を見たからです」
「面影? いったい誰の?」
「私のとても大切な人」
エテルナの瞳が、過去のしあわせな一点を見つめる。
彼女の穏やかで、こんなに満たされた表情を見たことがない。
「もう、会えない人」
「そうか」
選ぶ言葉の持ち合わせがなく、私はただ首肯する。
エテルナの瞳はまだ、過去の思い出の只中にいる。
「幸福な時間が去ったとき、人は喪失感を覚えるものです。悲しみに打ちひしがれて時を過ごすうち、やがて悟るようになる。あれはしあわせな夢だったと。私にとって彼女と過ごした時間は、そういった類のものでした」
エテルナの語る夢。それは過去にのみ存在する夢。
未来を見据えて、レッドドラゴンに挑んでいた私のものとは違う。
「私の顔は、そんなに彼女に似ていたのか?」
「はい……と言いたいところですが、近づいて確認したら、あまり」
「期待に沿えず申し訳なかったね」
「そんな言い方はありませんわ。だって今、こうしていられるんですもの」
ポットから紅茶を注ぎ、砂糖を入れて掻き混ぜる。
洗練された、優雅な所作だ。終えると、エテルナは再び私の顔を見た。
「在り方は似ている。雰囲気もそう」
「失礼でなければ伺いたいのだが、彼女はどんな性格を?」
「前向きで天真爛漫。誰とでもすぐに友人になってしまうような人でした」
「この流れで言うのは申し訳ないが、私からすごく遠くないか……?」
学生時代は教室の隅っこが定位置で、授業中休憩時間を問わずに誰とも話さなかったのが私だぞ?
「表面上の性格はそうかもしれませんわね。けれど、クラウスさんにもご納得いただける共通点がひとつ」
「というと?」
「頑固者で、こうと決めたことは必ずやり遂げる意志の強さを持っていました」
なるほど、と少し腑に落ちる。
こんな無謀な事業、私以外にやろうなんて輩はきっと出なかった。
それをやり通したのだから、少しくらい胸を張っていいのかもしれない。
「このタイミングで言うのもおかしいかもしれないが、私にも少しエテルナのことがわかった気がするよ」
今まで理解に務めなかったわけではない。だけど時間がなさ過ぎた。
やっと余裕ができたと思ったらお別れだ。
まったく人の人生というものは忙しない。
「あら? では私のこと、どのように思われていましたの?」
「独特の雰囲気を纏った、ミステリアスな女性だと」
「では、ミステリアスついでに……」
こほん、とやや演技的に空咳を入れて。
「これは占いや易の一種のようなものとして聞いていただきたいのですが、常々私と『名無し』の魔女とは通じる部分が多いと思っておりました。彼女がどうしてあのようなダンジョンを作ったのか、少し感じる部分があるのですが、よければお聞かせいたしましょうか」
エテルナなら、と思う。もしかしたら到達しているかもしれない。
『名無し』の魔女の想いに共感できていても不思議じゃない。
好奇心を刺激される。私は、知的欲求にはめっきり弱いのだ。
「それは是非ともお聞かせ願いたいね」
「では……」
雰囲気を平常のトーンに戻し、エテルナが話し始める。
「まずは目下の矛盾からいきましょうか。もっとも、この事業の発起人であるクラウスさんなら既に気づいておられるでしょうけれど」
いきなり水を向けてきたが、試しているわけじゃない。
初歩的な事実確認だ。
「『名無し』の魔女は、何故王城内に自らの居室を残したのか。そして何故その前に、レッドドラゴンなどという強大な番人を置いたのか」
口にしてみると、私たちの挑戦した状況そのものが矛盾となる。
エテルナの眼鏡に叶う内容だったらしく、静かな口調で先を続ける。
「王国への多大なる貢献、伝説的な挿話の数々を持つ割に、『名無し』の魔女はあまり素性を知られておりません。現にその存在すら架空のものだと怪しまれていた。この二項が両立している状況とはつまり、『名無し』の魔女が自覚的に王国内から自らの存在を抹消しようした証拠ではないかと思うのです」
正直、その線は私も疑ってはいた。
興味深い意見に、思わず唸る。
「全能の魔法使いにして、全知の宰相。そう呼ばれた彼女なら、自らの痕跡を完全に抹消することも可能だったと?」
「ええ。そして、途中で止めてしまった」
中途放棄? いや、そう考えるのが自然か。
でなければ、『名無し』の魔女の居室が現存しているはずがない。
「俗説では、『名無し』の魔女はメリンダ王の崩御とともに王国を去った」
「痕跡の抹消は、そのタイミングで行われたに相違ないでしょう」
「しかし止めた。この変節の理由はいったいなんなのだろう」
顔を上げて、エテルナを見た。
心当たりがなく、答えがほしかったからだ。
これで最後だと理解しているだけに、出し惜しみはない。
「人か魔か」
「それは……『名無し』の魔女の正体に関しての話だな」
「信じがたい逸話が多過ぎますもの。魔の眷属であることを疑われるのも仕方ありません」
とここで、エテルナは私の顔を直視した。
「ちなみに、クラウスさんはどちらだと思われますか?」
「私? 私は……」
答えは決まっている。問題は切り口をどうするか。この場で遺恨など残したくない。エテルナが納得できるように伝えたいと思った。
「人だと、思う」
「根拠は?」
「彼女に纏わる挿話は信じがたいものが多い。ただ……」
「ただ?」
「魔の眷属なら、密偵を使って名を盗み呼びした王子を許したりしない」
珍しくもエテルナが日に2度目の驚きを示して、それから――。
「ふふっ。その意見には私も賛成いたしますわ」
「それに、彼女が魔の眷属なら王国はこんなに繁栄しなかった」
「千年王国、ですか。長く続きましたからね」
長く、という言葉を彼女の口から聞いて、少し安堵する私がいた。
「ここからは私の当て推量になりますが」
「構わない。君の意見を言ってほしい」
期待感が、私をせっつかせた。
「メリンダ王と『名無し』の魔女とは、最期まで昵懇の仲でした。王の最期を見届けて、彼女の中に厭世観が生じたのかもしれません。ある伝説によると、彼女は寿命を超越した存在だったと聞き及びます。しかしそれは彼女だけ。周囲の人たちを、彼女と同じにする術までは持たなかった」
私は頷く。エテルナは『名無し』の魔女について相当に詳しい。
私の収集した『名無し』の魔女の風説とも、矛盾はない。
「人の世に虚しさを覚えたのかもしれません。どうせ死ぬなら、と」
「では、彼女は人間社会から離脱するために、痕跡を消そうとしたのだろうか」
「最初はそうだったのだと思います。しかし……」
置いた間で、エテルナはなにか考えた風だった。
「取りやめた。痕跡の完全な抹消を諦め、自らの居室に魔法と仕掛けを施した」
「それは、なんのためなのだろう」
「上手くは言えませんが、おそらく……」
じっくりと言葉を吟味して、それから。
「忘れられたくなかったのだと思います」
「矛盾しているね」
「そうですね。気の迷いのようなものだったのでしょう。どちらとも」
私は思った。
結局のところ、『名無し』の魔女はメリンダ王を喪って悲しかったのだ。
「居室の発見を是としなかったわけでないなら、何故レッドドラゴンのような番人が必要だったのだろう」
「あれは強大な敵でした。いかに『名無し』の魔女といえど、設置には苦慮したことでしょう」
壁の封印は1000年もの長きにわたって保たれてきた。
綻びは王の血族にしか見つけられない。
その上で、あれほどの守護者が必要な理由とは――。
「純粋に、試練のつもりだったのではないでしょうか」
「試練か。なるほど、私たちは1000年にわたって平和を享受してきた」
「メリンダ王の治世から、世界は随分と様変わりしました」
まるで自分の眼で見てきたことのように語られても、不思議とエテルナの口調からは不遜さは感じられない。
「平和な時代に、あのような生物は似つかわしくありません。割にも合わない。1000年前に生きた人物の居室が発見されたとして、その中身を暴くために多大なる犠牲を払う必要があるのなら、本来それは捨て置かれるべき謎なのです。けれど――」
とここで、エテルナは言葉を切って。
「いつか、誰かに見つけてもらいたかったんじゃないでしょうか。自らが生きた証を。そのために、『名無し』の魔女は答えを残したような気がするんです」
エテルナはそう主張する。
その主張の正しさを担保してくれるものは、現状なにも存在しない。
しかし感情論としては、重みを伴って私の胸に迫った。
「私のような愚か者がやってくるのを待っていたんだな」
「あくまで仮説ですが。それと、クラウスさんは愚か者ではありません」
「この事業のために、爵位も領地も失ってしまった。私は、ではなんだと?」
「勇者」
大仰な呼び名に驚き、私は一瞬だけ絶句した。
微笑しているが、冗談で言ったのではない。エテルナは私の眼を見る。
「平和な時代だからといって、勇者が生まれない謂れはありません。いいえ、むしろ平和な時代にこそ、そのような気質の持ち主がきっと必要なのです。決して最適な方法ではありませんでしたし、多大な時間も掛かった。それでも、あなたはやり遂げた。それがすべてでしょう」
静かに紅茶を口に運び、ソーサーに戻して言葉を紡ぐ。
「これは想像ですが、封印が解かれたあとも、『名無し』の魔女は人々においそれと真実を明け渡す気はなかったのではないでしょうか」
「つまりそれは、レッドドラゴンの存在か」
「人が打倒するのに、あれは強大過ぎる相手でした」
この事業に費やすほぼすべての時間は、レッドドラゴンとの戦いに充てられていた。
エテルナの言い分には、納得するほかない。
「あと100年、いいえ300年は多めに見積もっていても不思議ではありません。文明が発展し、武芸や魔法が洗練され、あの巨大な龍を易々と倒せるようになって初めて、人々は真実を知るに至る。その時間の流れを大幅に短縮し、真摯な情熱と知的好奇心をもって真実に辿り着いた。人々が、彼女の想像の上を行った。そんなあなたの姿をどこかから見たら、きっと彼女はこのように思うのではないでしょうか」
エテルナが言葉を切った。瞼を閉じて、開く。
百面相のように、その顔に兆す表情は今までのものとまたしても別物だ。
「『私の負けだ』と」
およそ人が浮かべるような表情ではない――。
反射的に、そんな印象が脳裏に過ぎる。
しかし今考えることじゃない。そろそろ頃合いだった。
引き留めたのは私なのだから、別れの言葉を切りだすのも私だろう。
エテルナに最低限の礼儀を果たそうと口を開きかけたそのとき、背後でスイングドアが軋んだ。バリーか、シェーンか。頭の中で当たりを付けて振り返る。
出入り口には、シェーンがいた。以前は歩くのに2本必要だと言われた杖が1本になっている。レッドドラゴンとの戦いで負った傷は順調に回復しているようだ。
「エテルナ、そろそろ――」
首を戻し、別れを切り出そうと思った。
エテルナは既に、そこにはいなかった。
その姿は、忽然と消えていた。




