第15話 『名も無き魔女の伝説』
我が国には、多くの伝説が遺っている。
中でも建国の祖、メリンダ王に関しての文献はとりわけ多い。その理由としては、現在まで続くサマリー朝の開祖であるのもさることながら、純粋に人々が英雄譚を好むからなのだろう。
平民の生まれながら勇者として魔王を討ち、世に平和をもたらした人物と言えば、たしかに聞こえがいい。その功績は彼女の呼び名にも表れている。
曰く、勇者王メリンダ。千年の長きに渡って続く我が国に平和をもたらした、新たなる王。王国記に記された歴代王の中で未だに1、2を争う人気を誇っているのも、なるほど頷ける話だ。
ただし今回、私が扱うのはメリンダ王についてではない。
その腹心として王国を支え続けた『名無し』の魔女についてだ。
古き歴史の常として、史実には伝説が混入する。これまで『名無し』の魔女に関して、歴史学者が深く踏み込まなかった理由がそれだ。明け透けに言ってしまうならば、実在が怪しい人物ということになる。
その最たる理由は、名前が残っていないことだろう。
王国に対して多大なる貢献、功績を残した人物としてそれはあり得ない。
出所の怪しい伝説では、一応の説明がついてはいる。
『名無し』の魔女は、メリンダ王以外に自らの名前を呼ばれたがらなかった。
この、呼ばれたがらなかったという程度に関しては諸説ある。周囲に人がいる状況ではメリンダ王にすら役職で呼ばせていたとか、他の者にはそもそも名を知らせていなかったというのは有名な通説だ。
事実の信憑性を無視すれば、ユニークな挿話も見つかっている。
あるとき、王が他国の王子の来訪を受けた。その際、王子が『名無し』の魔女を呼び出し、王の面前でその名を呼んだという。たちまちのうちに怒髪天を衝いた『名無し』の魔女は、王子に向かって完全無詠唱で攻撃魔法を乱発し、あわやその命を奪いかけたのだそうだ。
さすがにこれは度し難い。事前に密偵を使い探りを入れられたとはいえ、他国の要人を手にかけようとするなど、一国の宰相として暴挙も甚だしい。
おそらく完全な虚構か尾ひれのついた話なのだろうが、この挿話には興味深い顛末が付随している。
『名無し』の魔女の魔法攻撃に際し、王がその身を挺して他国の王子を守ったというのだ。そしてこのときの出来事がきっかけで、王はその王子を伴侶として迎えることになったという。
史実では、王の迎えた王配は隣国の第二王子であり、このよもやま話と矛盾しない。政略結婚とも恋愛結婚とも言われる2人の馴れ初めが真実にこの出来事だったかを裏付ける文書は見つかっていない。
ただひとつ言えるのは、この隣国の王子は旧ガルドラ王族の遠縁に当たり、この結婚により旧ガルドラ王族の血が新王国にもめでたく回収されたということである。
本題に入る前に、旧ガルドラ王国について付記しよう。
魔王を討ち、王都へ凱旋したメリンダに、旧ガルドラ王国の王は王位を禅譲した。継嗣がおらず、病魔に身体を蝕まれていた旧王には、もはや王として民を導く重責を担う力が残されていなかった。
旧王の決断は正しく、この王位禅譲により国が割れる事態を未然に防ぐことができた。王座に就いたメリンダ王は『名無し』の魔女を宮廷魔法使いの座に就け、のちに宰相職も兼任させる。名を改めた新王国は、彼女たち2人の二人三脚体制でスタートを切ったわけだ。
『名無し』の魔女の部屋は、王宮内で王の部屋のすぐ隣にあったとされる。伝聞形なのはご存知の通り、その場所が定かではないからだ。王の許可の下、これまで幾度となく王宮内への立ち入り調査が行われたが、その部屋は終ぞ見つかることはなかった。『名無し』の魔女が伝説上の人物として軽く扱われてきた理由がそこにはある。
このまま伝説上の存在として眠り続ける可能性もあった。
だが、そうはならなかった。隠し扉が発見されたからだ。
世紀の大発見は9年前、現王が王宮内の石造りの廊下のある箇所から光が漏れているのを見つけたことに起因する。
呼びつけた家臣にも、宮廷魔法使いにも、その光は見えなかった。執務の疲れによる幻視かと思った王が寝所へ戻ろうとしたとき、一粒種の王女がそれを見た。壁の隙間から漏れ出る光は、王の血族でなければ見通せなかったのだ。
のちの魔法学的調査により、これはある種の結界だと判明した。『名無し』の魔女が施した結界が、千年もの月日の経過によりその効力を失い、当時そこに入ることのできたメリンダ王の血族にのみ視認できるようになったというのだ。
これは、まさしく大発見だった。当時の王国内のどこにいても噂は耳に入ってくる。とある名門大学で歴史を学んでいた、私の耳にすら入ってきた。悠久の歴史が紡ぐロマン。『名無し』の魔女の伝説。その正体を突き止める適任者は、私を置いて他にはいないと確信した。
こうして私は、大学を中退した。
親に泣かれ、親族会議が開かれ、魔女裁判もかくやの責め苦を受けた。
しかし私は止まらなかった。何故ならば確信があった。呼ばれていると。それは私の思い込みだけではなく、私の内側に脈々と流れる高貴な血が先導しているようにも思われた。
第1次内部調査は、私の大学中退から半年後に行われた。
王は、困っていた。私が歴史マニアをこじらせていることは聞き知っておられただろう。がしかし、このような暴走をするとまでは思っておられなかった。
大学を中退し、次期公爵の座を捨て、しかし友好的な親戚たっての頼みを無下にすることもできず、やむなく王宮内を調査することを私に許可してくれたのである。
裸一貫の私に、伝手は存在しない。
王もそのうち諦めるだろうと思われている。
私は致し方なく冒険者ギルドを頼り、腕に自信のある猛者たちを募った。私の依頼は所謂ところの貴族案件と呼ばれ、一般冒険者たちには敬遠される類のものだったが、運よく同好の士と呼べる一流冒険者たちを雇うことに成功した。
王の近衛騎士団監視の下、我々は該当の石壁を調査した。
程なく、パーティの魔法使いが魔力の漏出元を特定する。
石壁の内側に埋め込まれていた魔石、それがこの結界の大本であるらしい。おそらく血族にしか解けぬ封印だろう。そう判断して私が魔石に触れると、あにはからんや壁に切れ目が走ってスライドした。
私の正面に、地下へと続く階段が俄かに姿を現した。
近衛騎士団も、冒険者たちも固唾を飲んでその先を見守っている。
一同の頭には同じ空想が浮かんでいた。
つまるところ、この先に『名無し』の魔女の居室がある。
我々はいったん引き返し、入念な準備を整えた。見慣れない地下へと続く階段とはつまり、ダンジョンの入り口であるのが定石だ。それ相応の装備と物資を持たずに侵入することは、自殺行為にすら思われた。
翌日、我々は連れ立って階段を降りた。それは長い長い階段だった。滞留する魔力によって空間が歪曲しているのは明白であり、控え目に言ってもこの結界を仕掛けた人物はとんでもない使い手だと推測できる。
1時間ほど階段を降り続けて、我々はようやく開けた場所に出た。
そして全員が、度肝を抜かれることになる。
なんとそこには、レッドドラゴンがいた。
ドラゴン種は王国から耐えて久しい。一説には絶滅したとの見解もある。
よもやこんな場所で出会おうとは、誰も夢にすら思わなかっただろう。
しかし眼を凝らせば、それは錯覚だとわかる。
ドラゴンに見えたものは、それを模しただけの石像だった。
石像は、背後に扉を守るよう配置されている。かなりの大きさを誇るが、腕に自信のある冒険者たちの総力をもってすれば、動かせないほどではなかった。
私は彼らに指示を出し、ドラゴンの石像を動かそうと画策した。がしかし、ここで最大のアクシデントが起きる。全員が片側に集って石像を押そうとした矢先、石の皮膚に魔力の光が伝導し、まるで生きているかのように瑞々しい艶と色彩を回復したのだ。
いや、それは比喩ではなかった。それは生きていた。赤い鱗のレッドドラゴンは我々が手に力を込める直前に動きだし、獲物を発見したときそうするようにゆるりとこちら側へと向き直る。
そして我々は一様に、薄暗闇にぼうっと赤熱する赤い光を見た。
「ドラゴンブレスだ!!」
冒険者のひとりが叫び、全員が弾けたように散開する。
警戒が間に合ったというより、運が良かった。レッドドラゴンの口から吐き出された第1波に、誰も巻き込まれずに済んだ。我々が階段のすぐ傍まで引き上げると、レッドドラゴンは再び扉の前に鎮座し、その場で石と化したのである。
今思えば、逃げ帰るべきだったのかもしれない。対龍戦を試みた冒険者など、この数百年の間1人として記録にない。我々とてそうだ。他の大型モンスターならいざ知らず、ドラゴンを倒すノウハウに通じた者は誰もいなかった。
しかしここまできて諦めるわけにもいかない。私は警戒する冒険者たちを説得し、ともにレッドドラゴンへと再接近した。
「湿りし大気よ、鋭き氷槍と成りて、彼の者を貫け……アイスニードル!!」
帯同する魔法使いに遠距離から弱点属性魔法で攻撃させたが、無駄骨に終わった。氷槍の接近を感知して皮膚を石から戻したレッドドラゴンが、尻尾を振り払うことですべて叩き落としてしまったからだ。
「なら近接で!」
「一気に、叩く!!」
兄弟で前衛をやっている名のある冒険者に、ドラゴンブレスの溜め時間を利用して斬りかからせる。連撃が入ったように見えたが、そう見えただけだ。レッドドラゴンの固い鱗を引き裂くには至らない。
「はああああっ!!」
髪をポニーテイルに結った女冒険者が跳躍し、脳天に大槌による両手打ちを見舞う。兄弟の連撃に気を取られたレッドドラゴンが唸った隙を衝き、それは見事に急所を打ち抜いたが、首を俯かせただけ。現状における最大火力攻撃が通じず、我々は一気に敗走を図った。
「私の一撃が、まるで通じない……」
階段を駆け上がりながらショックを受ける彼女の一言は、あまりにも印象に残ることとなった。




