第13話 『命名』
全景を眼に入れるのは、どれほどぶりになるだろうか。
名と姿を変え、街に赴き丁稚から始めた。職人として手腕を発揮できるようになるまで根気強く修業した。やがて一人前と呼ばれるようになったところですっぱりと職を辞し、この雑木林に舞い戻って自らの手で館を建造した。
すべては遠い昔の話で、私の余生の始まり。
私は、この館を終の棲家にするつもりだった。
いいや、きっとそうなっていただろう。
隣に並ぶ、こいつがここにこなかったら。
「こうして見ると、本当に大きなお屋敷だねえ……」
山を眺めるよう手をひさしにし、首を上げて天辺までを見る。
私以上に感じ入るところがあるらしく、娘はほうと吐息を漏らした。
「魔導書が、世界にどれほどあるかわからなかったからな。スケール的には上級貴族の邸宅を目指した。もっとも、現存する魔導書の数は私の想定を上回っていたようだが」
お蔭で、新たに図書館塔の建築に着手する派目になった。
怪我の功名と呼ぶべきか、当時のいい暇潰しにはなったが。
物言いに圧倒されたのか、娘がおずおずと切り出す。
「魔導書の解析や修得って、ものすごく時間がかかるんでしょ?」
「日がな一日読んでいればすぐだよ。どうせやることもないしな」
「参考に、中くらいの長さのものでどのくらいかかるの?」
「振れ幅は大きいが、平均を取るなら……まあ、半年ってところだろう」
「半年!?」
ギョッと飛びすさるオーバーリアクションにも、ようやく慣れてきた。
「あ、あたし半年も同じ本なんて読めないよ!? 絶対飽きる!」
「若いお前はそうだろうが、私は暇潰しのプロみたいなもんだからな」
「魔女子さん、すごい……」
こいつに尊敬と畏怖の入り混じった眼差しを向けられると、逆になんだかムカついてくることが今わかった。
「それより、本当に村に戻らなくていいのか? 今生の別れになるかもしれないんだぞ」
館を去れば、私たちはそのまま旅に出る。館内にいたときも確認を取った。だがこいつは、それは大丈夫だからとまともに取り合わなかった。
「要らぬお節介だが、知り合いには会えるときに会っておいた方がいい。人生の無常さに対する理解なら、私の右に出る者はそうはいない」
正直、もう少し強く言い聞かせるべきなのかもしれない。私の後悔。見れなかった父さんの顔。結局のところ、最大の親不孝だったと今では理解している。
娘は俯き、顔を上げて、確信を持って首を振った。
「……魔女子さんありがとう。でもいいの。みんなとのお別れなら先に済ませてきたから」
「そうか」
苦笑する娘から視線を逸らし、もう1度館を見る。
こいつは最初から、死ぬつもりでここにきた。だから全部済ませてきた。その行動に関しては愚かな私よりも余程賢い。
「生きていれば、今度会えるのは魔王を倒したあとになる」
「うん、そうだね……そうなるといい」
しみじみと頷く娘の正面に回って、私は顔を見た。
瞬間的に娘が驚いた顔して、次いで頬を朱に染めた。
「い、いきなりなにっ!?」
「いや、なにって言われても……」
今後の方針について話そうとしただけだが、今のなにかおかしかったか?
「契約を交わしたあとにも思ったんだが、お前なんだか様子が変だぞ」
「へ、変……かな?」
「ああ。なんだか急に落ち着きがなくなったというか、キョドってるというか」
私の見立ては間違ってはいない。そのはずだ。
現にこいつの私に対する態度は、あれからよそよそしくなっている。
「だって……魔女子さんの顔、すっごくキレーだから」
「はあ!?」
意味がわからなすぎて思わず叫ぶと、わたわたと両手を振り回して娘が否定してきた。
「ああ! いや! 違うの、そういう意味じゃなくて……なんだか現実感とか全然湧かなくってさ」
「というと?」
「夢見心地っていうか……これって想像の中でずっと思い描いてきたことだから」
私の時間とこいつの時間は違う。こいつは、7年もの時間を私に会うために費やしてきた。そして今この瞬間の、2人で旅立つ光景を思い描いてきた。
なるほど、たしかにそれは夢だったのかもしれない。
ただし、眼を開けたまま見る夢だ。
それはそうとして、さっきからのこいつの様子に思うところもある。
「なんだか、恋する乙女みたいに見えるぞ」
「あ、それ言い得て妙かも。あたしにとって、魔女子さんはずっと憧れのおねーさんみたいなものだったから」
ビジネストーク以外で、本音で褒めそやされるのには慣れていない。
背中がむず痒くなる感覚を払うように、突き放した口調で告げる。
「言葉の綾だ。気にするな」
「は~い」
「間の抜けた返事をするな。今度は今度で、緊張感が足らないぞ……」
早くも頭が痛くなり、指先でこめかみを揉む。
ともあれ、娘が調子を取り戻したことだし、そろそろ頃合いだろう。
満を持して、というわけではないが訊いておくべきことがある。
「旅立ちの前に、済ませておくべき事柄を済ませておこう」
「え? でもそれはさっき魔女子さんが……」
「それだよ。それを修正しようと言っているんだ」
きょとんとして心当たりがなさげなのは、気づいているのかいないのか。
もしくは麻痺しているのか。昨日から私がなにも言わなかったからか。
溜息を吐き、この鈍感なのか敏感なのかわからん娘に言ってやることにした。
「私はまだ、お前の名前すら聞いてないだろう」
「名前……そっか! ずっと魔女子さん呼びしてたから気づかなかった!!」
だろうな、と完全に納得する。
「お互いタイミングを逃してしまったが……どっちから名乗る?」
「提案なんだけど魔女子さん呼びじゃダメ? 頭の中でずっとそう呼んでたから」
「ダメに決まっている。じゃあ、お前から言え」
ゴネられる前にイニシアチブを取って、さっさと済ませておくべきだな。
命じた私が待ちの姿勢を取ると、娘は深く深呼吸して――。
「あたしの名前はメリンダ。メリンダ・サマリー」
メリンダ・サマリー、私の――。
驚きは悟られただろうか。いや、それより早く二の句を継いだ。
「由来は」
「え?」
「名前の由来くらいあるだろう。ないのか」
「ええっと、あるけど……」
「聞かせろ」
おずおずと頷く。こちらの様子を窺う眼つきになっているのは、おそらく私の放つ雰囲気があまりに真剣だからなのだろう。手元に視線を移し、指折り数え始める。
「たしか、あたしのひいひい……いくつひいが付くかわからないくらいひいお爺ちゃんの、初恋の女の人の名前だったはず。全然他人ってわけじゃなくて、近所に住んでた従姉のお姉さんだったんだって。小さい頃に面倒を見てもらって、それが縁で好きになったって言ってたよ。とってもやさしかったって」
従弟か。その線は考えていなかった。
記憶の箱を紐解けば、遠い昔にそんなことがあった気がする。
「サマリーという姓も、お前の本家のものじゃないんだろう」
「なんでそこまでわかるの? ひょっとしてそれも魔法だったり?」
「似たようなものだ……で、どうなんだ」
「それは」
娘の話は、私の想像を上書きした。こいつの遠い祖先は私の従弟で、かつての私が足繫く通っていた親戚の家の子どもだった。
朝早くに家を出発し、日暮れまで漁に出かける両親の代わりに、物心がつくまで面倒を見た覚えがある。当時の私によく懐いてくれた、手のかからない子どもだったと記憶している。
彼が成長し、ひとりで留守番もこなせるようになったあと、私はバゼット一行に連れられて村を出た。彼らに付いて諸国を旅し、【天球宮】の最下層でパーティを追放された。気が遠くなるほどの死に戻りを経てダンジョンを脱出した私は、故郷に帰って父さんに私自身の訃報を伝えた。
初耳だったのは、ここからだ。私という娘を亡くした父さんは、親戚宅から従弟を引き取った。両親は流行り病に罹って早逝し、父さんには跡継ぎがいない。地元の漁師の間で頭領のような役柄を果たしていた父さんは、彼を自分の後釜に据えようと思い立ったようだ。健気で努力家な彼はその期待に応え、サマリー家の一員としてその姓を名乗るのを許されることとなった。
「すっごい昔の話だし、細部とか事実と食い違ってるかもだけど」
とは娘の談だが、口伝にすればおそろしいほど現実と矛盾がない。
こいつの家系にとって、私の家に招かれたのは誉れ高いことだったのだろう。
「……魔女子さん?」
「ああ、いや。少し考えごとだ」
気づけば、腕を組んで物思いに沈んでいた。
つまるところ、綻びはそこにあったのか。
こいつは私にとって遠い親戚で、薄いながらも血縁に当たる。そして私は、この長きに渡った隠遁生活でひとつの真理に辿り着いている。それはつまり、魔法とは万能ではないということだ。
魔法の心得もなく、修練した経験もない。そんなこいつが、崖の上の私の姿を捉えることができたのは、ひとえに血の繋がりゆえなのだろう。同じ血が流れているという事実こそが、私の敷いた結界魔法に対する耐性に繋がっていたに違いない。
「次は、魔女子さんの番だよ」
またしても物思いに沈みそうなところを、その一声が引き上げた。
「名前、なんて呼んだらいい?」
「…………」
無言で娘を見る。迷っているわけじゃない。
ただ、適切ではないと思った。メリンダはこいつの名前だ。今の私に相応しいとは思えない。かといって、過去に名乗ったことのある名前を持ち出すのも違うような気がする。アマンダ、リディエル、ミザリー、ベラ、エミリア、ポーリー、デイジー、ルージュ……どれも1度きりの外出のために作った、1度きりの名前。この世界に対して私が吐いてきた嘘そのものだった。
少し考えて、私は妙案を思いつく。
「そうだな。私の名前は――」
「名前は?」
「とにかく、たくさんある」
期待に眼を輝かせていた娘が、ガクッと前につんのめる。
「た、たくさんって、いったいどのくらい?」
「たくさんだ。身バレするわけにはいかなかったからな。適当にでっち上げていろんな街に出かけての繰り返しだ。本名だって、もう忘れてしまったよ」
むーっとジト眼がぶつかってくる。
さすがにこの言い訳は少し苦しいか……。
だが、妙案はここからだ。
「だから、お前が名付けろ」
「え?」
「聞こえなかったのか。自分の名前すら忘れた『名無し』に、お前が名を与えるんだ。それが勇者としての最初の仕事だ」
私は少し見上げるようにし、娘の肩に手を置く。
信頼の証として。仲間の証として。名前を頂くならこれ以上のものはない。
娘は少し考える。親になる前に、誰かの名前を考える機会なんて持ったことがないのだろう。真剣に考えて、頭の中で模索し、私というずっと夢想してきた存在に適切な名前を生み出そうとしている。
「じゃあ、こんなのはどうかな? あなたの名前は――」
眼を瞑って、耳に入れる。
吟味するように、音色に浸る。
娘が思いついたのは、少し不思議な響きを持った名前だった。だが悪くはない。それをこいつの口から聞くと、まるで遠くで風が鳴っているような涼やかな心地を味わえる気がした。




