第9話 大嫌いじゃなく、嫌い
「んん〜……!」
リリアナ嬢の料理も男の俺と同じくらいの量なので、やはり多い。
しかしリリアナ嬢はとても幸せそうな表情で、どんどん食べていく。
食事のスピードは少し早いが、特に汚らしくはない。
むしろ貴族らしく所作がとても上品で、見ていて気持ちがいいものだ。
俺はいつも執務室で食べていたので、所作などはあまり気にしてなかったのだが、彼女と一緒にいるとしっかりしないといけないと引き締まる思いだ。
リリアナ嬢は美しい所作で食べるが、とても嬉しそうで幸せそうな笑みで味わっている。
「とても美味しそうに食べるのだな、君は」
「……はい? あっ、はしたなかったでしょうか?」
「いや、そうじゃない。ただ単純にそう思っただけで、美味しそうに食べる姿を好ましく思っただけだ」
……好ましく?
私が、聖女に対して、好ましく思った?
何を言っているんだ、私は……。
「そうですか? ですがそれなら、料理が本当に美味しいのが理由です。筆舌に尽くし難いほど美味しいので、食べるのがとても幸せなのです」
「……ああ、それは見ていてわかるよ」
「見ていて、ではなく、ご一緒に食べているのですから、シリウス様もどうかその幸せを味わってください」
「幸せを、味わう?」
「はい。食事はただの栄養補給ではなく、とても幸せで素晴らしいものです。ルンドヴァル辺境伯家の食事は特に素晴らしいので、料理人の方にとても感謝しております」
「そうか、それはよかったが……」
「はい、ですからシリウス様もぜひ、形だけで食事をするのではなく、料理一つ一つを味わってみてください」
優しい笑みを浮かべながらそう言われると、無下に断ることは出来なかった。
さっきまではいつも執務室に持ってこられた食事を食べるように、何か考え事をしながら食べていた。
執務室では仕事のことだが、今は目の前のリリアナ嬢について考えていた。
しかし今、しっかりと食事に向き合い、一つ一つ味わう。
魚のムニエルは香ばしい匂いが素晴らしく、口の中に入れると匂いと共に旨味が爆発するようだ。
新鮮な野菜はシャキシャキしていて、かかっているドレッシングも甘辛く野菜の旨味を引き出している。
「……美味いな」
思わずそう呟いてしまった。
夕食をちゃんとこのダイニングルームで食べたのは、いつぶりだっただろうか。
前に座るリリアナ嬢を見ると、俺の食べる姿をまるで見守るように微笑んでいた。
その目が、顔が……思い出させる。
こんな聖女に、落第した聖女に――母を、重ねてしまうとは。
しかしそれも当然なのかもしれない。
俺の母も、聖女だったのだから。
母を思い出させるリリアナ嬢に、嫌な気持ちが湧かないというのもおかしいことだ。
「シリウス様、また考え事をしながら食べてませんか?」
「っ、なんでわかるんだ」
「だってさっきまでは頬を緩めて食べていらっしゃったのに、今は眉を少しギュッとして難しい顔をしながら食べてましたから」
「ギュッとって……」
面白い擬音語を使う人だ。思わず笑みが溢れた。
「……ふふっ」
「? なぜ今、笑ったのだ?」
「いえ、なんでもありません」
俺の方を見て笑った彼女だが、またすぐに食事をし始めた。
俺のことを見守っていた彼女だが、やはり食べ始めると幸せそうな顔をする。
俺もまた食事に集中し、味わいながら食べる。
他の貴族との会食などでこうして食べる時もあるが、その時はいろいろと仕事のことなどを話しながら食べるので、食事を気にせず喋ることが多い。
しかし今は、全くの逆だ。
二人で対面して食べているのに、どちらも食事に集中してほとんど喋らない。
喋ろうと思えば喋れるが、今は食事に集中したい気分だ。
無言で食べているのに全く気まずい雰囲気がない。
本当に不思議な女性だ、リリアナ嬢は。
聖女なのに、聖女らしくない。
もしかしてそれは、落第したからなのかもしれないが。
夕食を終えて、執務室へまた移動した。
いつもの流れで執務室に来てしまったが、正直やる仕事は特にない。
まあ明日の分の仕事を少し確認しておくか。
それと……。
「レイ、リリアナ嬢に怪しい動きはなかったか?」
執事のレイにそう問いかけた。
彼女は一応、隣国の聖女だ。
今までルンドヴァル辺境伯家は隣国の聖女を嫁にもらうことがあったが、過去に一度だけスパイの真似事をする聖女が来たことがある。
危うく国際問題になり戦争に発展しかけたことがあるのだ。
おそらくもう隣国もそんなことはしないだろうが、万が一のことを考えて監視をしないといけない。
「いえ、特にありません。本日はメイドのネリーと共にルンドヴァル辺境伯家、領地について勉強していました」
「そうか。まあその勉強が終わり次第、服などのオーダーメイドを作るためにデザイナーを呼んでおけ」
リリアナ嬢はここに来る時、ほとんど服を持ってきていなかった。
多少持ってきていたようだが、ほとんどが既製品だった。
貴族の令嬢として、普通はありえない。
やはり彼女は伯爵家では、相当な扱いを受けていたのだろう。
……本当に、イラつくことだ。
「かしこまりました。では明日、デザイナーを呼びます」
「ん? 勉強が終わったら、と言ったが」
「はい、本日で終わったようです」
「なに?」
領地や辺境伯家の勉強を、一日で終わらせた?
社交界などで堂々と振る舞える辺境伯夫人になるためには、それ相応の知識が必要だ。
俺がずっと側にいられるわけじゃないから、社交界で一人の時にいろいろと領地のことなどについて質問も受けるだろう。
その時にしっかり受け答えが出来るように勉強してもらう必要があったのだが、それを一日で終わらせた?
「本当に終わったのか? 領地について質問されても答えられるように出来るまでだぞ?」
「はい、物覚えがとてもいいようで、テストをしても全部軽く答えられたようです。念の為、また後日にテストをするようです」
「そうか……いや、まあ早く終わったのならいいのだが」
遅いよりはずっといいが、何にしても彼女は優秀だな。
聖女なんて国に大事に育てられているから、そういう勉強を疎かにするものだと思っていたし……実際そうだったのだが。
「それとリリアナ様は予算管理などの計算も出来るようで、今日軽く見せた領地経営の予算管理の書類について、間違っているところを見つけて訂正したようです」
「……彼女は、どういった教育を受けてきたのだ?」
物覚えがいい、というだけじゃないだろう、それは。
予算管理の計算などそう簡単に出来るものじゃないし、理解していないとただ数字が並んでいるだけのようにしか見えないはずだ。
それを軽く見ただけで理解して、間違っているところを指摘した?
「わかりませんが、リリアナ様は聖女としてだけじゃなく、他のところでも優秀なところがあるようです」
「そうか……ん? 聖女としてだけじゃない? どういうことだ、彼女は聖女としては優秀どころか、落第した聖女だったはずだ」
聖女としては役立たずという噂だった。
実際に落第したようだし、魔法も満足に使えないのだろう。
「いえ、それが……昨日、リリアナ様を出迎えて馬車でこの屋敷に来る最中に魔獣に襲われまして」
「ああ、そうだったらしいな」
「その際、一人の騎士が怪我を負いました」
「なに? それは報告を受けていない。それに治療室にも怪我人は来なかったと聞いたぞ」
「はい、騎士が怪我をしたのですが、リリアナ様が治したのです」
「なんだと!?」
思わずそれを聞いて立ち上がってしまった。
そんな報告は受けていないし、リリアナ嬢は聖女としての魔法を普通に使えるのか?
「申し訳ありません。シリウス様が聖女の力が嫌いと私は知っておりましたので、伝えるのが少し遅れました」
「……そうか。まあそれはいい。だが本当にリリアナ嬢は魔法を使えるのか?」
「はい、とても素晴らしい魔法でした。魔獣の牙で貫通した腕の怪我が完璧に治り、魔毒すらも浄化していたようです。しかも一回の魔法、つまり混合魔法で」
「っ……それは、本当なのか?」
「はい、間違いありません。私とジル隊長がこの目でハッキリ見ています」
それは、予想以上にいろいろとマズい報告だ。
俺は聖女としての力を必要としていない、いらないから「役立たずの落第聖女」であるリリアナ嬢を選んだのだ。
それなのに、回復魔法と浄化魔法の混合魔法を使える?
しかも全治数ヶ月の怪我を一瞬で回復させるほどの強力な魔法を?
これでは落第聖女である彼女を選んだ意味がない。
いや、まずなぜ彼女はそこまで強力な魔法を使えるのだ?
回復魔法も浄化魔法も満足に使えないのではないのか?
しかし……そうか。
「リリアナ嬢は、怪我をした騎士に魔法を、使ったのか」
「はい、私やジル隊長は止めようとしたのですが、それを振り切って」
「……そうか」
確かに俺は聖女が大嫌いだ。
だが俺は、彼女のような聖女は、大嫌いではない。
ただ、嫌いだ。
なぜなら彼女みたいな聖女は、俺の母上を思い出させる。
早死にする、タイプだ。
だから、嫌いだ。