第8話 シリウスから見たリリアナ嬢
俺が今回、聖女として嫁に選んだのは、隣国のラウリーン王国で噂が流れていた、「役立たずの落第聖女」だった。
聖女は十五歳で選ばれるのだが、しっかりと教育を受けるために三年ほどかかる。
よほどのことがなければその三年で落第することはない。
聖女は数が少ないし、回復魔法が唯一使える存在で貴重だからだ。
長い歴史の中でも、聖女に選ばれて落第したのなんて片手で数える程度だろう。
だがそれでも、隣国で落第した聖女が出たという噂があった。
俺はその人物が好都合だと思い、執事のレイに調べさせた。
リリアナ・ユル・バシュタという伯爵家の令嬢。
妹も聖女らしいが、そのリリアナという令嬢が落第した聖女だと調べがついた。
伯爵ということで身分も辺境伯家に嫁ぐには悪くはない。
すぐにバシュタ伯爵に声をかけ、リリアナ嬢を嫁にもらえないかと話をした。
思ったよりもスムーズに話が進み、すぐに決まった。
おそらく「役立たずの落第聖女」と嫌な噂が流れていたので、嫁の貰い手がほとんどいなかったのだろう。
聖女なら普通は貰い手など引く手数多だ。
どの貴族でも聖女を嫁にしたいと思うだろう。
だがリリアナ嬢はどうやら俺以外から声が全くかからなかったようだ。
それも好都合だと思い、ルンドヴァル辺境伯家に嫁いでもらった。
正直言うと、本当に期待はしていなかった。
それだけ嫌な噂が流れているのだから、性格も破綻していて、嫌な女なのだろうと考えていた。
しかし聖女なら誰でもよかった俺は、よほどのことがない限り受け入れようと思っていた。
だから初めて会った時は、いろいろと拍子抜けをしたものだ。
『お初にお目にかかります、シリウス様。私、リリアナと申します』
礼儀正しい貴族の令嬢という印象を受けたが、それ以上にか細いと感じた。
顔は痩せすぎているのか頬が少しこけていて、カーテシーをした時に見えた手首や足首は肉が全くなく、皮と骨という感じだった。
貴族の令嬢にしてはありえない、食事をまともに出来ていない貧民のような雰囲気があった。
いや、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。
俺がバシュタ伯爵と手紙で契約内容のことについて話していたのだが、「聖女が嫌いだから愛さないし、嫁も自分を愛さないでいい」という契約を普通に受け入れていた。
普通の娘を愛している父親なら、そんな契約内容は激怒することだろう。
ここで俺はリリアナ嬢が伯爵家で愛されていない、と確信を得た。
だが最低限、普通の生活を伯爵家で送っているとは思っていた。
社交界でリリアナ嬢が全く顔を出さないのは「役立たずの落第聖女」と呼ばれているから、娘が傷つかないように配慮しているのだと思った。
だがリリアナ嬢の様子を見ると、どうやら違うようだ。
伯爵家でまともに食事を出されてないし、社交界に顔を出さないのはおそらくバシュタ伯爵が自分の娘を恥だと思っているからだろう。
「……くそが」
どこにもいるのだな、そういうクズみたいな親は。
息子や娘のことを自分の所有物のように扱い、愛さない親だ。
しかしリリアナ嬢はそういう扱いを受けていたとは思えないほど、強い女性のようだ。
俺が契約内容について確認したところ、全く動じた様子もなく頷いた。
契約のことを口にした時、リリアナ嬢の反応から見るに、その契約も知らずに嫁いできたのだということがわかった。
だから不安だったのだが、俺の説明でどういう契約内容なのかすぐさま理解したようだ。
とても賢く、強い女性だ。
リリアナ嬢が聖女だから俺は嫌いだが、「役立たずの落第聖女」という名前さえなければ、引く手数多の女性だっただろう。
だから俺は聖女が嫌いだが、リリアナ嬢には嫁いできてもらったからには、優しく接しようと思っていた。
少なくとも伯爵家で食事が出来ずに痩せこけないよう、しっかり食べさせるために料理長に命令しておいた。
頬が少し痩せこけているが、しっかり食べてもう少しふっくらしたら、上品で美しい顔立ちとなるだろう。
瞳も澄んだ海のような深い蒼色で、亜麻色の長い髪もしっかり整えれば、美しい女性になることは間違いない。
だから飯をしっかり食べさせるように指示を出したのだが……なんで私まで、リリアナ嬢と同じように、ご飯を食べさせられているのだ?
「はぁ……」
そんなことを考えながら書類仕事をしていたら、手元にある書類が全部終わった。
「レイ、次の書類は」
「いえ、本日分の書類仕事は片付け終わりました」
「なに? 本当か?」
いつもなら夜遅くまでやっているはずだが、今はまだ日が暮れたくらいの時間だ。
今日の書類仕事はそんなに少なかったか?
いや、いつもとそこまでの差はなかったはずだ。
そういえば今日は休憩時間を取ることがあるのだが、それがほとんどなかった。
集中力が途切れて仕切り直すために軽い休憩を取り入れていたのだが、今日はそれがなかったのか。
「ふむ、俺も書類仕事にようやく慣れてきたということか」
「違いますよ、シリウス」
「……主人のことを敬称なしで呼ぶのは感心しないな、レイ」
「おっと、これは失礼。朴念仁の主人には敬称なしでいいものかな、と思いまして」
ニヤッと笑いながら言うレイ。
こいつとは小さい頃からの知り合いで、こういう主人と執事の関係になったから敬語で話すようになったが、二人の時はこうして昔の名残で呼び捨てをすることがある。
「朴念仁? なぜ俺がそんな呼ばれ方をしないといけない?」
「本当にわかりません? 今日はしっかり集中出来た理由が、いつもと違う理由が」
「……ご飯のことか」
「そうですよ」
確かに朝から食事をしっかり食べてお腹が満たされた状態で仕事に取り掛かったのは、久しぶりかもしれない。
だけどこうも違うものなのか?
「シリウス様、仕事を早く取り掛かりたいと言っても、食事をしっかりしないことには効率が悪くなって本末転倒です。これを機にしっかり食事をしてください」
「……ああ、気をつけよう」
本当に食事一つでここまで変わるものなのか疑わしいが、とりあえず朝ご飯は食べることにしようか。
「言いましたね?」
「ん? ああ、朝ご飯はしっかり食べるさ」
「いえ、朝ご飯だけじゃありません」
「ん?」
「仕事もひと段落ついたので、ちょうどいいですね。これから夕飯の準備に入ります」
ああ、そういえばこの時間は夕飯時か。
いつも深夜に執務室に持ってきてくれるように頼んでいるので、忘れていた。
ん? 待てよ、夕飯時ということは……。
まさか、と思いながらダイニングルームへ向かう。
「シリウス様、お仕事お疲れ様です。本日はご夕飯はご一緒に出来るのですか?」
「……ああ、そうだな」
やはり、リリアナ嬢と一緒に食事をすることになったようだ。
別に一緒に食事を取りたくないわけじゃないが、彼女と一緒だと何か居心地が悪い。
席について食事を食べ始めるが、いつもの夕食よりも量が多いな。
料理長め、俺じゃなくリリアナ嬢の食事量を増やせと言ったはずなのだが。