第6話 辺境伯家の待遇
――……。
「リリアナ様」
私の名前を呼ぶ声にハッとして目を開けた。
いけない、完全に寝落ちしてしまっていた。
窓の外を見るとすでに陽は沈んでいて、真っ暗になっていた。
「リリアナ様、入室してもよろしいでしょうか」
初めて聞く女性の声に、私は慌ててベッドから降りた。
「ど、どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのはメイド服を着ている女性。
私よりも少し年上で、肩くらいまで伸ばされた赤い髪。
とても綺麗な女性で、私に優しく微笑んで一礼する。
「初めまして。奥様のお世話をさせていただきます、ネリーと申します。これからどうぞよろしくお願いいたします」
優しそうな女性で、笑顔が素敵な人だ。
伯爵家ではエメリ夫人が家に来てから、自分の身の回りの世話は全部自分でやっていたから、執事やメイドの方にやってもらうことはほとんどなかった。
久しぶりにメイドの方にお世話になるということで、少し緊張してしまう。
「こちらこそよろしくお願いするわ、ネリー」
「はい、よろしくお願いします。夕食はダイニングルームでご用意しておりますが、よろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。とても楽しみだわ」
「ありがとうございます。夕食の前に一度、リリアナ様の身支度をしてもよろしいでしょうか?」
「えっ、あ、はい……よろしくお願いします」
そういえば何時間寝ていたのかわからないけど、ベッドで眠っていたから服が乱れてるし、髪もボサボサだ。
もとからボサボサなのに、とてもみっともない姿を見せてしまった。
「はい。お風呂は隣の部屋にあるものと大浴場、どちらをご利用しますか」
「大浴場があるの?」
「はい、ございます。そちらをご利用しますか」
「……いえ、夕食まで時間もなさそうだし、隣の部屋のお風呂でいいかしら」
「かしこまりました。すぐに準備いたします」
「ありがとう」
久しぶりにちゃんとしたお風呂に入るので楽しみね。
伯爵家で最後にお風呂に入ったのなんて覚えてないわね、聖女を落第してからは一度も入ってないかも。
部屋に備え付けられているシャワーしか浴びさせてもらえなかったし、水圧がすごい弱いしお湯も出なかったので、身体をただ洗うだけのもので、癒されるものではなかった。
お風呂の準備をしてもらい、隣の部屋へと移動する。
とても広いわけじゃないが、普通にお風呂としては広い部屋。
湯船も大人が余裕で足を伸ばせるくらいの大きさはある。
「狭いお風呂で申し訳ありません」
「これが、狭いの……?」
それなら大浴場というのがどれだけ大きいの?
サッと入って夕食を迎えると思っていたので大浴場を選ばなかったが、やっぱり選べばよかったかもと少し後悔した。
「お手伝いいたします」
「ありがとう、ネリー」
メイドのネリーに服を脱ぐのも手伝ってもらったのだが、なんだか慣れていないのでとても恥ずかしい。
全部服を脱いで鏡を見たのだが、やはり私はとても細い。
健康的な細さではなく、病弱と思われるくらいの細さだ。
顔も化粧で誤魔化しているが肌艶が悪い。
こんな容姿で辺境伯家に嫁いできたというのが恥ずかしいくらいだ。
私のか細い身体を見ても顔色一つ変えないネリーは、私を椅子に座らせて手際よく髪や身体を洗ってくれる。
はぁ、すごい気持ちいい……。
人に身体を洗ってもらうなんて何年振りだろう。
ネリーの力加減がとても心地よく、さっきまで寝ていたのにまたこのまま眠ってしまいそうになる。
夢心地でいたら洗うのが終わったようで、湯船に浸かる。
「はぁ……」
「湯加減はどうでしょうか」
「最高ね、気持ちいいわ」
「それはようございました」
ネリーは笑みを浮かべたまま、湯船から出ている私の手を取りマッサージをしてくれる。
さっきも髪を洗ってくれる時に頭皮マッサージをしてくれていたが、ネリーのマッサージは本当に気持ちいい。
あぁ、これは本当に、贅沢が過ぎるわ。
「こんな贅沢な扱いを受けていいのかしら」
「リリアナ様は辺境伯夫人となる方なのですから、このくらいの扱いは当然かと思います」
「ふふっ、偉くなった気分ね」
私の言葉に、ネリーはより一層笑みを深くした。
「気分ではなく、リリアナ様は高貴な身分の方ですよ」
「そういえばそうだったわ。こんな扱い、久しぶりに受けたものだから」
ネリーは私の言葉に少し首を傾げたが、何事もなかったかのようにマッサージを続けてくれる。
はぁ、本当にずっとお風呂に入ったままマッサージを受けていたいわ……。
さすがにそんなわけにはいかず、十分後にはお風呂から上がり、身支度を済ませた。
髪を乾かすのも魔道具のドライヤーというものがあって、ネリーが乾かしてくれた。
いつもは自然に乾くまで待ってたけど、ドライヤーで乾かすとすごいサラサラになった。
すごいわ、こんな魔道具があるのね。
そして綺麗なドレスを着て、ダイニングルームへ。
夕食は広いダイニングルームの中、一人で食べることに。
どうやらシリウス様はまだ仕事で、執務室にいるようだ。
私も伯爵家では多くの仕事を任されてたからわかるが、ご飯はしっかり食べないと力が出ないはずだ。
仕事の効率も下がってしまう。
私は伯爵家では仕事をしないとご飯がなかったし、何かしら理由をつけられてご飯抜きで仕事をしていたら効率が下がって、さらにまたご飯抜きになるという悪循環があって大変だった。
だからこそご飯の大切さはわかっているのだけど、シリウス様は大丈夫かしら。
夕食は伯爵家で食べたどの食事よりも豪華で素晴らしいものだった。
ステーキはとても分厚く大きいのに、ナイフを落とすだけで切れるかのように柔らかく、口の中に入れたら肉汁が溢れる。
付き合わせである野菜は茹でられていて、野菜本来の甘みが出ていた。
シチューもとても濃厚で、野菜にも味が染みている。
デザートもあり、冷たく甘い桃のシャーベット。
全部が美味しすぎて、食べる手が止まらない。
伯爵家で豪華な食事はお父様が帰ってきた時に食べていたが、この食事はそれ以上。
しっかりマナーを意識して食事をしていないと、淑女にあるまじき速さで平らげてしまう。
だけどそれじゃもったいないし、レイやネリーが見ているから、しっかり味わって食べる。
「んんっ……美味しい……!」
思わずそう声を出してしまい、レイとネリーが笑みを浮かべたのが見えた。
夕食を食べ終え、自室へ戻った。
最初は量が多いかなと思っていたが、本当に美味しすぎて全部食べてしまった。
お腹が膨れて少しだけ苦しいが、これはとても幸せな満腹感ね。
シリウス様に「聖女は嫌いだ。だから君を好きになることはない」と言われて、少し不安だった。
ここでもまた伯爵家の時のような扱いを受けるのではないか、と。
だけどそれは全くの杞憂だったみたいだ。
いや、もしかしたら一日だけで、明日からは全く違う生活を送らせられるかも……。
そう思いながらベッドに入ったのだが、その考えはすぐに中断させられる。
「あぁ……夕方も眠っていたのだけど、このベッドは本当に、気持ちいいわ……」
伯爵家でも私は寝るのが好きで、得意でもあった。
とても硬い敷布団を床に敷いて寝ていたのだが、私はそんなところでもすぐに寝ることが出来た。
つまりベッドが最高級なものになると、どうなるのか。
もう、それは……一瞬で寝てしまうということだ……。
ああ、この幸せがずっと、続けば……おやすみなさい……。