第5話 初対面、そして契約
「すごい大きいわ……」
ルンドヴァル辺境伯家の屋敷に着いたのだが、その大きさに圧倒された。
屋敷を囲う壁はとても高くて分厚く頑丈そうで、どんな魔獣が来ても破れなさそう。
馬車で門をくぐると、庭が見えたのだが、強固そうな城とは違いとても美しい花々が咲いていた。
こんなにも素敵な屋敷、城に住んでいらっしゃるのね、シリウス様は。
屋敷の中に入り、レイに応接間に案内される。
ここでシリウス様と会うようだ。
どんな方なのかしら。
噂では「聖女が嫌い」と公言する人、と聞いたけど、それ以外の情報は全く聞いていない。
私は社交界に全く出ないので、もちろん会ったこともない。
もっとセシーラとかに聞いておけばよかったわ。
しばらく待っていると、扉をノックする音が聞こえた。
緊張で胸が張り裂けそうだったけど、すぐに「どうぞ」と声をかける。
「失礼する」
そう言って入ってきたのは、落ち着いた風貌の男性だった。
長身で私よりも頭一つ分ほど高く、体躯も鍛えていらしてるのか堂々として肩幅も広く、端正な顔立ちで、鷹のような鋭い目が私の姿を捉えていて、少し威圧感を感じる。
光り輝くような銀色の髪を真ん中で分けるように上げていて、センターパートで綺麗な額や目がよく見える。
二十六歳と聞いていたけど、確かに容姿はそのくらいの感じだが、歴戦の騎士のような風格があった。
私は立ち上がりカーテシーをする。
「お初にお目にかかります、シリウス様。私、リリアナと申します」
家名を言おうか迷ったが、これから辺境伯家に嫁ぐのだから名乗る必要はないだろう。
「ああ、俺はシリウス・アルメン・ルンドヴァルだ。楽にしてくれ」
初対面でこれから結婚するというのに、とても軽い挨拶を済まして、ソファに座った。
「遠路はるばる、よく来てくれた。まずは感謝を述べよう」
「いえ、こちらこそルンドヴァル辺境伯家に嫁ぐのは、とても光栄に思っています」
「……そうか。今回、俺が君を選んだ理由は知っているか?」
「ルンドヴァル辺境伯家が代々、ラウリーン王国の聖女を妻にしているから、と聞いております」
「ああ、そうだ。聖女は魔獣を祓ってくれる存在として有名だから、魔獣が出るこの辺境伯領は代々、聖女を妻にしてきた。しかし俺はもう、聖女なんて必要ないと思っている」
まさか聖女である私を前にして、そんなことを言うとは。
まあ私は役立たずの落第聖女だし、正式な聖女とは言えないかもしれないけれど。
「すでに魔獣の被害はほぼゼロで抑えられていて、聖女の仕事はない。だが領民も辺境伯家が代々、聖女を妻にしているのを知っているからか、私に聖女の妻がいないことが不安だったようでな」
「そうなのですね」
「だから今回、君を選んだ。失礼ながら君は聖女として落第したと聞いている」
「はい、その通りでございます」
「聖女を妻にして領民の不安を取り除け、さらには聖女の力がなくても大丈夫だということを見せられる、ということだ」
なるほど、とても合理的だ。
本当ならシリウス様は、聖女を妻になんかしたくなかったのだろう。
聖女が嫌いというもあるし、すでに聖女がいなくても領地は守れるとここ数年、証明しているから。
しかし代々聖女を妻にしてきた伝統もあるし、領民の不安もあるので、仕方なく聖女を妻にすることにした。
だけど聖女の力は使わずに領地を守っていきたい。
シリウス様にとって「役立たずの落第聖女」である私は、妻にするにはうってつけだったわけね。
「かしこまりました。聖女としてのお力は必要ないということですね」
「話が早くて助かる。聖女の力を借りることはないだろう。まあ君はもとより聖女の力はないと聞いているが」
うーん、落第して役立たずと呼ばれていたのは事実だけど、実際は聖女の力は十分にあると思う。
だけどそれを言ったら「やはり君はいらない」と言われそうだ。
「それともう一つ、これが今回の結婚の契約書だ」
結婚の、契約書?
シリウス様が懐から出した紙を受け取り、読んでいく。
「知っていると思うが、今回の結婚はバシュタ伯爵家とルンドヴァル辺境伯家で交わした契約だ。契約書の内容を確認してくれ」
「……はい」
そんなこと、全く知らなかったのですが。
契約書を見ると、いろいろと今回の結婚についての決まりがいろいろと書いてあった。
『今回の結婚において、ルンドヴァル辺境伯家はバシュタ伯爵家に一億ゴルド払うこと』
『跡継ぎを作るための性行為は月に一度に限る。ただし都合があれば断ってもいいこと』
『三年以内に跡継ぎが出来なかった場合、養子を取ることを検討すること』
『互いに相手を愛さないこと』
他にもいろいろとあったが、私が目についたのは特にこれらだった。
……私はやはり、伯爵家に売られたのね。
薄々わかっていたことだが、やはりそうだった。
そこまでショックを受けることはない、もともと私はお父様やエメリ夫人に期待していなかった。
期待もしていなければ、失望することもない。
そこはもういいのだが、残り三つの契約事項だ。
跡継ぎを作るのは辺境伯家にとって大事だ。
三年以内に跡継ぎが出来なかった場合、養子を取るというのもわかる。
だけどその行為を月に一回、しかも契約内容に組み込むのはどういうことだろう。
そして最後の項目、「お互いに相手を愛さないこと」とは、一体なんだろうか。
「質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ」
「性行為を月に一回というのは、どういう意図があってのことでしょうか」
私の言葉に少し眉を顰めるシリウス様。
もしかして私がそんな言葉を使ったことに驚いているのかしら。
だけどこれはとても大事なことだし、しっかり聞かないといけない。
「意図、か。それは最後の事項にもつながってくるが、俺は聖女が嫌いだ」
シリウス様はハッキリとそう答えた。
無表情のままだけど、どこか怒りや憎しみがあるような雰囲気だ。
彼は過去に、何があったのだろうか。
「だから俺は君を好きになることはない。だから君も、俺を好きにならないでいい。というよりも、好きにならないでくれ」
「……そうですか」
そこまで言われたら仕方ない。
私はシリウス様のことを何も知らないから、もちろん今は好きじゃないのだけれど。
結婚するからにはしっかり理解し、知っていこうと思っていた。
もちろん彼のことを理解し知っていくのは大切だが、好きになってはいけない。
それについて、期待はしない方がいいということね。
もともと何かに期待することはあまりしてこなかったので、そこは大丈夫だろう。
「かしこまりました、この契約書の内容で問題はありません」
まあいい夫婦になれなくても、少しくらいシリウス様と仲良くなれれば嬉しいけど。
「ではサインを」
すでにシリウス様のサインはしてあるようで、私はその下にサインをした。
シリウス様の字は意外と綺麗で、しっかり業務作業をしているということがわかった。
「……よし、ではこれで失礼する。何かあったらメイドや執事に伝えてくれ」
「はい、ありがとうございます」
シリウス様は契約書を受け取り、どこかばつが悪いような顔をしながら出て行った。
その後、私は執事のレイに案内され、用意された自室に入った。
そこはものすごく広く豪華な部屋で、入った瞬間に目を見開いて立ち尽くしてしまった。
天蓋付きの大きなベッド、これだったら寝返りを打っても落ちることはなさそう。
白と赤を基調にした家具は上品で、美術品のような美しさがある。これを本当に使っていいのかしら。
窓からは裏庭が一望出来て、前庭と同じかそれ以上に広く、綺麗な花々が咲いている。
後で行ってもいいのかしら?
「ではご夕食になりましたらお呼びしますので、それまでごゆっくり」
「ありがとう」
レイが去った後、私はベッドに腰掛ける。
わぁ、本当にすごい柔らかい。
馬車の椅子も柔らかかったが、ベッドはそれ以上だ。
寝転がってみると、自分の身体がベッドに埋まって溶けていくのではないかというほど、寝心地がいい。
掛け布団もとてもふわふわしていて、それでいてすごいあったかい。
ああ、ヤバい、瞼がすごく重くなってきた……。
馬車での長旅で予想以上に疲れが溜まっていたのか、私はそのまま目を瞑って眠りに落ちて……。