第10話 その頃、伯爵家では
リリアナがバシュタ伯爵家を出て行ってから、一週間ほど経った。
役立たずの落第聖女がいなくなっただけ、特に何も変わらない――はずだった。
「くっ……!」
聖女の学校に通っているセシーラだが、授業の実践訓練で苦労していた。
汗だくになりながら魔法を発動しようとしても、出来ない。
「セシーラさん、どうしました? ここ最近、魔法の発動速度が遅いですし、効果もすごく下がっています」
教官の女性に淡々と注意される。
「それにもう魔力切れですか? 今日もそこまで魔法の回数を放っていないはずですが」
「い、いえ、まだ出来ます……!」
「いえ、もう結構です。席にお戻りください」
「……はい」
息を切らしながら、教室の席に座るセシーラ。
周りにいる他の聖女候補の女性達が、クスクスと笑っている。
「セシーラ様、どうかしました? 最近、とても調子が悪いようですが」
「回復魔法も浄化魔法も効果が下がっていますし、出来る回数も半分以下ですね。何かありましたか?」
言葉だけを聞くと心配しているようだが、それを言った聖女候補達は口元が歪んでいる。
今までずっと成績一位で調子に乗っていたセシーラが落ちぶれていくのを見ていて、とても楽しんでいるのだろう。
「っ、別に、何もないわ。ちょっと調子が悪いだけで、すぐに戻ります」
「あら、そうですか。それならいいのですが」
「セシーラ様のお姉様みたいに落第しないよう、頑張ってくださいね」
「っ! 失礼します」
セシーラは授業中にもかかわらず、教室を出て行った。
本当は許されることではないが、成績一位のセシーラは許されていた。
しかしその勝手がいつまで許されるかはわからない。
学校の裏に来て、一人で悔しそうに顔を歪めているセシーラ。
「くっ、なんでこんな一回の魔法で魔力をいっぱい持ってかれるのよ……!」
もともと聖女の魔法はとてつもない魔力を使う。
普通の魔法使いが使う魔法より、数倍の魔力は使われてしまうのだ。
今までセシーラは人よりも数十倍はあった魔力量で、ゴリ押しで魔法を発動させていた。
魔法理論などをしっかり学んで頭の中でそれを構築しながら発動すれば、少しは魔力を抑えて発動出来るが、セシーラはそれらを学んでいない。
セシーラはようやく、リリアナから奪っていた魔力量の凄さ、重大さを知った。
「お姉様のあの無駄に多い魔力は、私だからこそ使えたのに! お姉様は本当に、いてもいなくても、私の邪魔ばかりする!」
もともと平民だったエメリ夫人の娘のセシーラ。
貴族と平民だったら貴族の方が魔力が高い傾向がある。
むしろ平民の中ではセシーラは魔力が高い方だ。
しかし聖女に選ばれるのは、貴族の娘だけ。
その中でもリリアナは並外れた魔力量を持っていた。
だから奪ったのだ、自分の母親が新しく伯爵夫人になったからその立場を利用して、リリアナから全てを。
魔力も、聖女の立場も、家での立場も、全て。
そして危ない辺境伯領に嫁いでいって家からいなくなり、ようやく邪魔者がいなくなったと思ったのに。
「くそっ……!」
伯爵令嬢に相応しくない言葉を吐いてから、セシーラは教室に戻った。
その頃、バシュタ伯爵家では……執事が頭を抱えていた。
「なんだこれ、どうやって財政予算案を作ればいいんだ……!?」
執務室で大量の書類を目の前に、苦労しながら頭を掻きむしる。
リリアナがいなくなってから財政予算の管理などを、エメリ夫人は執事に適当に任せた。
しかし執事はそんなことをする職業ではないし、全く習ってもいない。
執事長である者がとりあえずここ一週間ほどやっているが、どれだけ時間をかけても上手く出来ない。
「なんでここの予算項目がどれだけ計算しても合わないんだ? 数字が一致しない、どこで抜けている? この書類の山から、ここの予算の数字を探さないといけないのか!?」
人の身長分くらいある書類の山が、数個ほどある。
その中から探さないといけないなど、地獄すぎる。
本当ならしっかり引き継ぎが出来ていれば、こんな大変な作業にはならなかった。
しかしこの仕事の重要さを知らないエメリ夫人が、リリアナに引き継ぎの時間を取らなかったのが原因だ。
「無理だ、これは……どうすれば……」
ここ一週間でやつれてきた執事長がそう言った時、執務室のドアが開いた。
入ってきたのはエメリ夫人と一人の男。
「お、奥様、財政管理の予算案ですが……」
「まだ出来てないの? はぁ、執事長がそんな雑用が出来ないんて、本当に役立たずね」
「っ、申し訳ありません……」
頭を下げる執事長だが、心の中では怒りに震えていた。
(こんなの専門的な知識が必要で、財政管理が出来る家令がいないと出来るわけがない……! リリアナお嬢様や前夫人が特別なだけで、普通の人が出来るわけがないだろう!)
そう思っても伯爵夫人には楯突くことは出来ない。
「奥様、そちらの方は?」
「ああ、そうね。貴方の代わりにこの雑用の仕事をしてくれる人よ。名前は……なんていったかしら」
「覚えていただかなくても結構ですよ。私みたいな雑用の仕事をやる人物なんて、奥様の記憶に入る価値もありませんよ」
「あら、そう? ならいいわ。執事長、貴方の代わりに彼にこの仕事を任せるから、貴方は用済みよ。本当は解雇くらいしたいけど、執事の仕事に戻りなさい」
「ちょ、ちょっとお待ちください! 奥様、財政管理の仕事はとても重要なもので、それを伯爵家の人間じゃないものに任せるなど……!」
「うるさいわね! 貴方じゃ出来ないのでしょう!? この方は雑用の仕事が得意っていうから任せるのよ! 文句があるのかしら!?」
「で、ですが……」
「もういいわ、貴方は解雇します。今日中に荷物をまとめて出て行きなさい」
「っ……かしこまり、ました」
もう何を言っても無駄だと思い、バシュタ伯爵家に長年勤めた執事長は解雇を受け入れた。
「じゃああなた、任せるわね。一応私が判子を押さないといけないから、書類が出来たら私の部屋に持ってきて。適当に判子を押して通しておくわ」
「かしこまりました。完璧な書類を作ります」
「ええ、任せたわ」
エメリ夫人はそう言って執務室から出て行った。
山ほどある書類を見て、雑用の仕事を任された男はニヤリと笑う。
「ふふっ、馬鹿な貴族はこうも扱いやすいとはな、逆に怖いくらいだ。さて、仕事をするか」