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魔法契約の代償

 師匠から貰った魔法の種。

 これを鉢植えに詰めた土の中へと埋めて、水やりの代わりに魔法をかける。


 三日で種が芽吹き、土の上に氷のような霜柱のような芽が出た。

 七日で霜柱のような芽が嵩を増し、ねじれ、一本の茎のようになった。

 十日でまぁるいつららのような蕾をつけた。


 花が咲けばいよいよ薬が作れる。

 日に日に増していく、達成感。


 もうあと少し、もうあと少しだ。


 頭の中は常に魔法の種のことでいっぱいで、ちゃんと花が咲くのかという緊張でずっと張り詰めていた。


 だからだろうか。


 その蕾が咲くのを心待ちにしていた僕は、ルーチェの身の回りで起きていた異変に気がつくのが遅れてしまった。


 思い返せば、種が芽吹いた頃から始まっていたのかもしれない。

 最初はとても些細なことだった。


 お気に入りだったマグカップが割れて、ルーチェがその破片で怪我をした。

 夕食用に買った野菜は大きな虫が喰っていて、食べられなかった。

 出かけた先で食べたお菓子が傷んでいて、ルーチェが体調を崩した。


 これだけならまだ良い方だった。


 デートをしようと街を歩いていたら、ルーチェの頭上に鉢植えが落ちてきた。

 朝の早い時間にパンを買いにいけば、柄の悪い男たちに絡まれる。

 最近災難続きだからとルーチェに留守番をさせて、僕が買い物に出れば、家にいたルーチェが空き巣と鉢合わせをする。

 空き巣はすぐ逃げていったとルーチェは笑っていたけれど、僕は生きた心地がしなかった。


 さすがにこれはおかしいと思った。


 何かが帳尻を合わせるかのようにルーチェの身に起きる災難に、ようやく僕が気がついたのは、魔法の種に蕾がついた頃。


 募る不安感に、僕はある夜、率直にルーチェに聞いてみることにした。






「ルーチェ、不安なこととか、僕に隠していることはないかい」

「どうしたの、急に」


 明かりを落として暗闇にした寝室。

 ベッドの上で、腕の中に愛しいルーチェを閉じ込めるように抱きながら、僕らは細々と言葉を交わした。


「最近よくないことばかり続いているだろう。不安にはならないかい?」

「そうね……でも大丈夫よ。私は平気。だってノエがいるもの。それより、ノエ。約束を覚えている?」


 僕の不安をルーチェは笑い飛ばして、さらりと話題を変えた。

 ルーチェのいう約束と言うものがどれのことか分からなくて考えていると、ルーチェはもぞもぞと動いて、不満そうな顔を僕の方へと向けてきた。

 わずかな月明かりでも輝くエメラルドの瞳が僕を虜にする。


「忘れてしまったの? 薄情な人ね」

「ごめん。君との約束がいっぱいありすぎて、どれのことだか……」

「あら、そうね。ノエとはたくさん、約束をしているものね。でも、私が聞いているのは一番最初の約束よ」


 ルーチェは手のひらを返すように機嫌をよくする。

 僕とルーチェの間には沢山の約束があった。

 二人で歩む未来に向けて、やりたいこと、やってみたいこと、沢山約束をした。

 でもその中で、最初の一つといえば。


「『君にカルクスの花を捧げてプロポーズをしてみせる』……この約束のことかな」

「なんだ、分かってるじゃないの。いけずね、ノエは」


 ルーチェが満足そうに瞳を閉じた。

 少し前なら僕はきっと、ルーチェのご機嫌とりにキスの一つも贈ってあげた。

 でも今はそれができないから、ぎゅうっとルーチェを抱きしめる腕に力を込めた。


「大丈夫、約束は守るよ。カルクスの花が咲いたら、君にもう一度プロポーズをする。ああそうだ、それから結婚式の準備も始めないといけないね。ドレスとエンゲージリングを用意して……せっかくだから咲いたカルクスの花をブーケに仕立てよう。魔法で少しの間なら枯れないようにすることができるから」

「ふふ、楽しみ」

「他にご要望はあるかい、僕のお姫様。一生に一度の結婚式だ。君が望むことならなんだって叶えてあげるよ」

「そうね……それなら、ね」


 ルーチェがゆっくりと半身を起こす。

 僕の頬を愛おしそうに撫でて、やがてその手を僕の顎へとかけた。


「ノエの唇を頂戴」


 ルーチェの深い、深い、緑の瞳の奥に、熱が灯るのが見えた。

 じっと僕を見据えるルーチェ。

 僕は喉の奥がからりと渇いた気がして、唾液をゆっくりと嚥下させた。


「……ルーチェ、それは」

「誓いのキスすら駄目っていうの? お願いだからそんなことを言わないで。きっとね、大丈夫よ。私、ノエときっとキスができるわ」

「大丈夫なんかじゃないよ。僕の唇に触れたら」

「災いが起こるのでしょう? でも平気よ、私にとっての災いはそんな大したことじゃないわ」

「どうしてそう言いきれるんだ」

「知っているからよ。ごめんなさい、ノエ。私、夜な夜なあなたの唇に触れていたの。……こうやって」


 ルーチェはそう言うと、僕の視界に影を落とした。

 そして、十数日ぶりの温もりを、唇に感じて。

 僕が魔法使いになる前までは毎日のように感じていた、愛おしくてたまらない甘やかな感触。

 僕が抵抗するよりも早く、身を起こしたルーチェは小悪魔めいた表情で笑った。


「最初は指をかすめさせて、段々と指で触れて、昨日にはかすめるようにキスをしたわ」

「……ルーチェ」

「怖い顔をしないで、ノエ。はしたない女だって思った? でもね、分かって。私、嫌なのよ。私、ノエに愛されたいし、愛してあげたいの。キスできないことが、とても悲しいの。不安になるのよ。あなたの心が私から離れていってしまわないか。こんな、厄介な病気持ちの女なんて本当はいらないんじゃないのかって、不安になるの」


 今にも泣きそうなくらいに顔を歪めたルーチェ。

 僕も身体を起こして、身体を震わせるルーチェを抱きしめた。


「ごめん。不安にさせた。でも、心臓に悪いことはしないで欲しい……。僕だって君にキスをしたい。君の病気が治ったら、次は僕のこの代償を返す方法を探しに行ってみようか」

「ノエ……」

「不安にならなくて良いよ、ルーチェ。たとえキスができなくとも、僕はずっとルーチェを愛している。そうじゃなきゃ、君のためにこんな場所まで来て、魔法契約をして、その代償を支払うなんてことしなかったんだから」


 キスの代わりに、伝われとルーチェを抱きしめる。

 小さな身体に沢山の不安を抱えさせてしまったことを深く反省した。

 所詮はキスも愛情表現の一つ。

 でも、その一つが欠けるだけで、こんなにも不安にさせてしまっていただなんて。


「……明日は何が起こるか分からない。僕も一日家にいるから、ずっと一緒にいよう。君に降りかかる災厄は、全て僕が退けて見せるから」

「ごめん。ごめんね、ノエ。勝手なことをして。呆れない? 嫌いにならない?」

「呆れないし、嫌いにならないよ。ルーチェこそ、こんな甲斐性無しな僕でごめんよ」

「ううん、私はノエがいいの。ノエとずっと一緒にいたいのよ」


 すんっとルーチェが鼻をすすった。

 あぁ、駄目だな僕は。

 ルーチェを泣かせてしまったらしい。

 僕はルーチェの背中をあやすようにゆっくりと叩く。


「おやすみ、ルーチェ。良い夢を」

「おやすみなさい、ノエ。良い夢を」


 僕らはずっと一緒にいるよ。

 不安は全て僕らの体温で溶かしてしまえ。

 ぎゅっと絡まるように眠った僕らは、災厄の始まりの夜を越え、朝を迎えた。

 種を植えてから十四日目。

 いよいよ蕾も膨らんで、花が咲くまでもう少しだったカルクスの花。

 その蕾が。

 ーーーまるで木の実が熟して落ちるように、ぽつりと土の上に落ちていた。


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