旅路
二人の男女が、連れあって歩いている。といっても、別に恋人同士なわけではない。
さほど広くはない道の左右では、うっすらと茂る林が視界をさえぎっており、迷うことはなそうだった。
女の方は、腰まで届く鮮やかな紫色の髪をしていて、その上誰もが振り返るような美人である。ただ歩いているだけでも、なにか注目を集めるようなオーラがあった。生れついた時から持っているカリスマ性なのだろう。
背はそれほど高いわけではないが、隣にいる小柄な少年よりも顔半分くらいは大きい。名前をイリスという。横にいる少年ロートの師匠である。
ロートはといえば、髪を覆っているフードの下から周りを珍しげに眺めている。彼の旅路での様子はいつもこのような感じである。はじめて見るものばかりで、興味が絶えないといったところだろう。
「ねえ」
唐突に、イリスが言葉を発した。
「なんですか」
「あんた釣りしたことある?」
「釣りですか――記憶にないですね」
とロートが答えた。イリスは視線を道の向こうにやると、
「餌はできる限り魅力的に見せること。それから狙った獲物を逃がさないこと。この二つ以外に何かコツがあると思う?」
「そうですね……」
あごに手を当てて考え込むロートに向かって、イリスは静かに答えを言った。
「網を用意しておくことよ」
彼らの目的地、グラナートまでにはまだ少々の距離があり、通行人の姿もそう多くはない。たまに、馬車に乗った商人が見境なしに声をかけてくるだけである。そういう場合、軽く受け流して歩みを止めることはないのだが、例外もある。
「こんにちは〜。ちょっとお時間良いですかね。おや、驚いた! これまた大層美しい方で……」
商人特有の愛想笑いを浮かべながら、イリスに話しかける。後ろの半分は、半ば本気の言葉であるのだろう。
ちらり、と。イリスとロートはお互いの目を合わせる。ロートが小さく「やれやれ」と呟いた。
「どんな商品があるのかしら? 見せていただけます?」
イリスが上品な口調で、興味を持ったようなそぶりを見せる。大げさに喜んで見せて、商人は馬の後ろにある棚のついた屋台に二人を連れていった。
「こちらなどいかがでしょうか? あなた様にふさわしい、最高級のジュエルでございます」
そういって、親指ほどもある透明な石を取り出す。イリスはそれを太陽にかざしながら、微笑を浮かべている。実に宝石の似合う女性だ。透き通るような美しさと、神秘的な雰囲気がお互いを惹き合っているのかもしれなかった。
ロートも、一回り小さいサイズのものを取り出し、しげしげと見つめている。赤い宝石の裏側を覗いたり、コツコツと叩いてみたり。太陽に透かすとくすんだ光が童顔に降り注いだ。
「これ、お値段はいくらかしら?」
「いつもなら、500000円ほどでございますが、その美貌に敬意を表して特別に400000円とさせていただきます!」
「あら、口がうまいのね」
ほほほ、と口元を押さえて小さな笑い声をあげる。ロートは背筋に悪寒が走るのを覚えた。
「そんなことはございません。本当にお綺麗でいらっしゃる」
たしかに、お世辞でなくてもその台詞は通用するだろうな、とロートは思った。そして、標的が自分に変わらないうちにフードを目深にかぶりなおす。彼も一応イリスの連れである。いつ話題を振られるかわかったものではなかった。
「そういわれると、悪い気はしないわね」
これは嘘ではない。人間、褒められればうれしくなるものだ。ただ、イリスは舞い上がらないだけの自制心を持ち合わせていた。
「さあ、どうなさいますか?」
最後のひと押しとばかりに、商人が口調を強めた。気の弱い人なら断りきれない圧力がある。急に目つきが鋭くなり、言葉の裏には武器で脅しているような圧迫感を秘めていた。
だがイリスは特に気にとめた様子もなく、キラキラと光るそれをもてあそんでいた。
「師匠、そろそろ終わりにしませんか。早く行きましょうよ」
少年の手にあった宝石はいつの間にかなくなっており、空いた両手は頭からかぶったフードの淵を握りしめていた。商人の眼には、ロートの仕草がまるで駄々をこねる子供のように映った。
イリスは諭すように、
「ロート。旅は楽しみなさいって、いつも言っているでしょう。もし忘れたのなら、今一度教えてあげてもいいけど……」
と言って、弟子に顔を近づけた。妙にニコニコしているのが実に怖い。
「わかりました! いえ、わかってます! だから、教えてもらわなくていいです!」
ロートが即答する。心からの叫びだった。
「そう……残念ね」
小悪魔のように口元を少しだけ緩めて、ロートに笑顔を向ける。紫の髪が顔にかかったので、手で払った。一つ一つのさりげない動作に、優雅さと気品さがうかがえる。女神に祝福されたとしか形容のしようがない、完璧な外見だった。
ロートはこれ以上何も言わなかった。心なしか、顔色が悪い。紫の女神はその整った顔を上げると、弟子のフードをがっしりとつかんだ。
「へ?」
そして、思い切り手を後ろに引いた。見事なまでにピンクな髪があらわになる。
「あわわわっ! な、何するんですか師匠!」
恨みと焦りの眼差しを送りながら、あわてて髪を隠す。イリスはというと、嬉しそうな視線をロートに送り返していた。いたずら成功。そんな言葉が表情に浮き出ている。
アヤメ色の長髪も珍しいが、ハスのように自然なピンクをした髪はさらに稀だ。目つきの変わった商人はしめたとばかりに、ロートに顔を向けた。嫌な予感が電流のように全身をめぐっていく。
「そちらのお嬢さんも、大層可愛らしくて――」
ロートの耳が、ぴくりと反応する。イリスが笑いをこらえながら見ると彼の表情は引きつっていた。口元がひくひくと動いていて、痙攣を起こしかけている。
「いま、なんと?」
「い、いえ……可愛らしい、御令嬢だと……」
ロートのただならぬ雰囲気に商人が口ごもる。その額には、先程まではなかった冷や汗が流れていた。小さな体躯のいったいどこから氷のように冷たいオーラが湧き出ているというのか。
「御令嬢? 僕が?」
「僕」という一人称を聞いて、商人が安心したように胸をなでおろす。なんだ、そんなことかと思ったのだ。しかし、ロートの放つまがまがしい威圧感はなくなってはいなかった。むしろ切っ先を鋭く砥ぎ、威力を増したほどだ。イリスはロートの様子を見てにやにやしている。
こうなることを予想してフードを取ったのだろう。確信犯だ。
再びロートが口を開く。
「面白い冗談ですね。あははは」
乾いた笑い声。中身が何もこもっていない。
少しずつ後ずさり始める商人と、目を輝かせながら傍観しているイリスが好対照だ。
鳥がバサバサと音を立てて飛び去っていった。
「あれ? 笑わないんですか? せっかくこんなに面白い話なのに」
「は……ははは……」
ほぼ命令するような、有無を言わせぬロートの言葉に、力のない声を上げる。
それを聞いて、更にロートの目が鋭くなった。
「笑ってんじゃねえよ!」
「いや、あんたが笑わせたんでしょうが」
冷静なイリスの突っ込み。ロートはそれを無視して、商人に詰め寄った。
――じりじりと、追い詰められていく。道端の木に背中がぶつかって、もう逃げられないことを悟ると、商人は大声で怒鳴り散らした。
「野郎ども、やっちまえ!」
「ようやく出てきたか……。さあ、ロート。やっておしまい!」
わらわらと、道のわきにある林からどう見ても用心棒ではない、いかつい顔をした男たちが手に手に斧を持って姿を現した。それを見て、イリスは楽しそうにロートに命令する。
実のところ、ロート達が話していたのは商人などではなく、山賊だった。長年の経験で、ひと目見るなり看破したが、一般人だったら有り金を巻き上げられていただろう。ただ、最近は山賊も賢くなっていて、まずは偽物の商品を破格の値段で売り付け、売れなければ武力をもって脅し取るという手法を使っている。
この方法ならば、人を襲う回数も少なくなり、街の騎士団などに目をつけられる可能性が低くなる。その上、罪も詐欺だけで、強盗よりははるかに罪が軽くなるのだ。これを利用しない手はない。
ロートは放っておいて、無視しようとしたのだが、イリスの性格からして無駄なことは知っていた。だから、仕方なく芝居に付き合っていたのである。途中から、本気でつぶしてしまいたいと思っているが……。
「師匠……手加減しなくてもいいですよね」
鋭い眼光で、敵を睨みつけながらロートが訊く。イリスは、そんなのわかるでしょ、といわんばかりの表情で、手をひらひらと振った。
「動機はともあれ、いいわよ。ただし、あたしは手伝わないから」
「どうしてですか?」
「あんたが戦っている間に、こいつを締めあげて金のありかを吐かせなきゃなんないの。最近ちょっと財布の中身が苦しいし、新しい服も新調したいしね」
「まあ、そういうことなら……僕一人でやりますよ」
この二人の生計は、ほとんど山賊からの強奪で成り立っている。元は盗んだものなんだから、それを奪ったところであんまし変わんないでしょ、というのがイリスの持論だ。良い人に使われてお金の方も幸せでしょう、とも。
それに、山賊退治は地元の住民の助けにもなる。だから、お咎めはない。
「あ、そうだ。ボニタ・ソニオ貸してくれませんか? その方が早く片付くと思いますけど」
ロートが、腰にある柄だけの剣をまさぐりながらいった。
――ボニタ・ソニオ。イリスの愛用する銃である。接近戦から、超長距離狙撃まで使用者の用途によって万能に変化する。全体が闇夜のような漆黒に染められており、打ち出される弾は銀に輝く。射抜かれたものは、痛みもなく最期の夢を見るのだ。美しい、夢を。
「いいわよ。その代り、ノイテを頂戴」
「あれ、使うんですか?」
「脅すのにはそっちの方が迫力でるでしょ。ソニオ使っても価値がわからない人には無駄だし」
――イニフィント・ノイテ。ロートの愛剣である。普段、刃はなく、使用者の魔力によって形成される。その長さは使用者次第であり、伸縮自在だ。
応用すると槍にも斧にもなる。そして、当然その大きさも自由に決められるのだった。
「それもそうですね。じゃあ」
平和なことにこの世界には銃という概念が存在していない。武器といえば、もっぱら剣と弓、そして己の拳くらいだ。だから見たこともない武器を突き付けられてもなんの恐怖も湧かないし、なにより間が悪くなる。あの気まずい雰囲気と言ったら……。
ロートとイリスは、お互いに自分の武器を投げ合うと、行動を開始した。白昼に舞う刃と銃が交差して――。
こんな美人が近くにいたら――みんなデレデレなんだろうな……。




