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月光


 あまり気は乗らないが、周りを鑑賞しつつイリスの姿を求める。

 フロアの中央には人が集まり、ダンスを楽しんでいる。誰もかれもが派手な色彩のドレスや存在感のあるスーツを着込んでおり、場を包みこむ楽団の演奏が高級感を付け足していた。

 その周りには休憩と間食のために用意されたテーブルと椅子が、踊る者たちを囲むように配置されている。ダンスをするのには広めのスペースが必要なため、休んでいる者の方が多かった。仮面越しに談笑をしている人もあれば、静かに食事をとる人もあり、または誘いを待つ者もいる。

 割と回りが早いのか、次々と舞踏の輪に加わっては抜けていった。一通り見たところでは、イリスを確認することができない。

 今まで流れていた落ち着いた雰囲気の曲が変わって、早足の曲調になった。

 それに影響されてか、人々も腰を上げ始める。見渡しやすかった会場は立ち上がる者たちで遮られた。

 一瞬、イリスのような面影を見たような気がして、ロートは目を凝らす。

「くそ……こう人が多くては……」

 思うように直進できない。急がば回るべきなのだが、見失わないためにもまっすぐ通りたかった。

 しばらく抵抗を試みたものの、恰幅のいい貴族たちの体形に阻まれ、あきらめた。小走りで大きな円を描きながら、師匠を発見しようと視野を広めに保つ。

 無礼なやつだと冷ややかな視線を送られたが、ロートは気にしなかった。

「――いてっ!」

 遠くを傍観するばかり、近辺への注意が散漫になっていた。

 小柄なロートはぶつかった拍子にしりもちをつく。ドレスからはみ出た脚は透き通るようで、女子のそれと比べても負けないほどだった。

 床にあたった拍子に痛めた腰をさすりつつ、立ち上がるとそこには見知った顔があった。

「ジャ、ジャックさん……どうしてここに?」

 元から大きめの蒼い瞳をさらに開いて、ロートは驚きをあらわにする。対するジャックは自然に整った顔の中に、軽い好奇心の焔をちらほらと見え隠れさせていた。

 相変わらず場違いな茶のコートを着込み、この世に苦労なんてないと言わんばかりの呑気な笑みを浮かべている。おそらく、この場で唯一仮面をつけていない人だろう。

「おや、お嬢さん! どうして俺の名前を知っているんだい?」

 ロートは自分が非常にわかりにくい格好をしていることを思い出し、声をひそめてジャックの耳にささやいた。

「実は――僕です。ロートなんです。わけあってこんな服を着てますけど……」

「ええ!? まさか君がロート君だなんて!」

「そ、そんな大声で叫ばないでください。男であることは秘密なんですから」

 ロートの心配をよそに、よく響く声で暴露されてしまった。あわてて制止するが、何事かと視線が集中する。眼だけ覗いたいくつもの仮面が同じ方向を向いていると、得体も知れず不気味だった。

「それより、何故ここにいるんですか? たしか師匠の財布を探していたような気が……」

 哀れなことに、ジャックはイリスに嵌められて本人の懐にある財布を探しに行っていたはずだ。それがどうして舞踏会にいるのか。

「あきらめた」

「それは駄目でしょう!」

 あっさりと言ってのけたジャックに、ロートがつっこむ。だました方も悪いとは思うが、途中で宣言を取り消すというのもよくない。

「冗談だよ。本当は、まだ探している途中なんだ」

「あ……そうですか」

 多少なり罪の意識を感じながらも今更ウソでしたとは言えず、適当に相槌をうった。疑うことをしないジャックの心に、眩しさを覚える。

「で、その時サラとかいう子に誘われてね。舞踏会と言うから、楽しそうだし、来てみたというわけだよ」

「あれ、でも……女性しかだめだと聞いたのですけど」

「いや、そんな話はしていなかったと思うよ。現に、俺もここにいるわけだしね」

「そうですよね……」

 たしかにその通りであった。ならば、サラの言ったことは嘘だったというのだろうか? いったい、何故? 何のために?

「にしても――よく似あってるねえ、そのドレス。そこら辺の子たちよりもよっぽど綺麗なんじゃない? いったいどんな化粧品使ってるのかなあ。教えてくれない?」

「そんなものは1滴も使っていません! というより、それは本当に嫌みですよね! ねえ!?」

「化粧じゃないの!? じゃあ――どんな食生活を?」

「……もういいです……」

 泣きそうになるロートを不思議そうな瞳で見つめるジャック。彼に悪気はない。

「ところで、師匠を見かけませんでしたか? 探しているんですけど、なかなかいなくて――さっき居たと思ったらジャックさんとぶつかって見失ってしまったんです」

「ああ、それなら――」

「知ってるんですか?」

「いや、全くわからない。すまないね」

「それよりも思わせぶりな前振りに謝ってほしいです」

 

 なんだか疲れてきたロートはジャックから離れて再びイリスを探すことにした。きょろきょろと辺りをくまなく見回すが、なかなか発見できない。

 音楽が変わったせいもあるのだろう。立ち上がって踊る者が増え、その分休憩している人が少なくなった。前曲は流れていても心地よい程度だったのだが、どうも耳に入ってきてしまう。音楽の影響は大きいな、と改めて思った。

 ジャックに邪魔をされる前に、イリスとおぼしき人影を見た場所に行ってみた。既に人の姿はなく、誰も乗せていない空っぽの椅子だけがぽつんと置いてある。

 やはり人違いだったのかと諦めかけたその時。トントン、と肩を叩くものがあった。肩のはみ出た服装なので、触れた部分がくすぐったかった。

 誰だろう、と少々驚きながら振り向く。

 思わず声を上げそうになった。深紅のドレスに、大きく開いた胸元が妖艶さを強調している。紫色の艶やかな長髪が流れるように波打っていた。間違えようもない、イリスである。

 街に入った時に強奪まがいのことをして手に入れたけばけばしい仮面をつけていて、素顔の時と同じように人目を惹いていた。

 いかにも目を引く衣装と打って変わって、その声は控えめだった。

「あんた、ロートでしょ?」

「わかっているのなら確認しないでください」

 ふてぶてしく答える。

 イリスが見つかったのはうれしいのだが、ジャックとの遭遇のせいでいささか不機嫌だった。イリスが小声なのもジャックに原因があるようだ。

「あいつに見つかるといろいろ面倒だからね……ロートも隠れてなさいよ」

「いえ、さっき思い切り会ってしまったんですけど」

 こそこそと移動し、中央から遠ざかる。ジャックの気配はなかったが、それでも声は幾分か小さめである。

 知ってるわよ、と吐き捨てて。

「あいつの声でロートが居るってわかったんだから。ま、どうせあたしを追ってきたとかでしょ」

 誰のせいだと思っているのか。いつまでたっても待ち合わせ場所に姿を現さなければ、心配するのは当然だろう。

 そう思ったが口には出さず、肩をすくめるのだけにとどめた。苦々しい表情もセットで付いている。

 街を歩けばほとんどの人が振り向くであろうその容姿に、苦汁をなめたような顔は妙な感じだった。

 もう一人の美女が、なにかを言おうとして。

 突然、それまでこんこんと尽きることなく広間を満たしていた音が止んだ。それに驚いた人々も動きを止め、代わって静寂があたりを覆う。

 落差が大きすぎて、なにか異様な雰囲気だった。一体、次に何が起こるのか。

 楽団のいる、少しせり上がった舞台の端から、一人の少女がハイヒールの音を響かせて登場した。すうっと息を吸い、己を見つめる無数の目と対峙する。

「みなさん、今日はお越しいただきありがとうございます。私、サラ・アンリ・ハーレット=セリナが代表して、お礼申し上げます」

 ロートのものとはまた違う、装飾の多い純白のドレスを着こみ、髪を複雑に結っている。何段かに束ねられた黒髪はもはや芸術的といっても過言ではなかった。

「残念ながら両親は体調が優れないとのことで、私が代役を務めさせていただきます」

 堂々とした喋り方に、どこからか拍手が飛ぶ。それにつられて他の者が呼応し、またたくまに手をたたく音が会場を支配する。

 拍手の鳴りやむのを待って、サラが再び話し出す。

「急なことでしたので、カンニングペーパーを作る間もありませんでした」

 何人かが大きな笑い声をあげ、ざわざわと。それ以外の人も静かに笑った。

「なので、私の話は短めに切らせていただきたく存じます。みなさん、どうぞ楽しんでいってください」

 代表者の挨拶としては、すこぶる少なかった。

 通例ならば興ざめするほどに長くてつまらない話が延々と続く。当然、話しているのは権力者であり勝手な行動をとるわけにもいかず、参加者は辟易するのだ。

 そんな意図をくみ取っていたのか、はたまた本当に何も話すことができなかったのか分らないが、とにかく異例の事態であることには変わりない。

 サラの姿が袖に消えるのを皮切りに、一気に騒々しくなる。その一角に、ロートとイリスの話し声も交じっていた。

「あれで良いんですか? 短すぎるのも逆に失礼になりませんかね」

 いつの間に取ったのか、手に持ったサンドイッチをつまみながら半分ほど独り言のように呟く。夕食は取れそうにないので、この機会に済ませるつもりだ。

 パンは柔らかく、中に詰まった瑞々しい野菜とハムもロートの舌を楽しませた。

「いいんじゃない? 音をたてないように食事するのも大変だから助かったし」

 この二人、照明が落ちた瞬間に移動をはじめ、両手に食材をつかんでいた。こうでもしないと、冷たい視線が突き刺すのだ。貴族の世界もいろいろと堅苦しい。

 イリスが持っているのは同じくサンドイッチ。

 こちらはチーズと鶏肉が使われており、濃厚だった。

「問題はそこですか」

 ピントがずれている。

「いいのよ。物事なんて解釈次第なんだから。今の短さだって、悪く考えれば単に面倒くさいから省略しただけかもしれないけど、よく考えればあたしたちのことを思ってでしょ」

 絶対違う、と思ったが口には出さなかった。言えば頬をつねられるか何かされたに違いない。

 最期の一口をほおりこんで、リスのように懸命に口を動かす。通りかかった拾者から飲み物をもらって飲み下すと大きく息をついた。

「あー、美味しかった」

「同感です。実にいい味でした。この後に晩餐でもあれば最高なのですけど、そういうわけにもいかなそうですね」

 あくまで踊るのが目的である。

 何と言っても舞踏会であるから、そこまでのごちそうは期待できない。ましてや、ロートたちに踊る気は毛頭ない。

 イリスの居場所を追ってきただけであり、招かれたとはいえ長いこと居続ける理由もさして見当たらなかった。そろそろ潮時であろう。

「帰りますか」

「そうね」

「……やけにあっさりしてません? てっきりもうちょっと食べてから、とか、詰め込んでから、とか言うもんだと思っていましたけど」

「…………あんた、あたしのことをどう思ってるのよ」

「特に何も」

「それもそれでムカつくわね――、まあいいわ。引き揚げるとしましょう」

 少しだけ目を細めてから、イリスが言い放った。

 足を踏み出した時に、あ! とロートが思い出したように声を上げる。

「この服を返してきます。ローブを返してもらわないといけませんし」

「あー、いってらっしゃい。あたしは先に戻ってるから」

 片手をひらひらと振りながら去っていくイリスの姿を見ながら思った。

――あのドレス、本当に貰っていく気なのだろうか……。おそらく、サラは貰っていいと言ったのだろうが、実際に持ち帰るのはどうにも図々しい。

 絶対あのような大人にはなりたくないな、ということを再確認して駆け出そうとする。その瞬間に、踏みつけた裾が体を圧迫し盛大に転ぶ。

 幸いなことに誰にも気づかれなかったようだが、なんとなく照れ笑いを浮かべながら内心で舌打ちした。やはり、慣れない服は着るものでない。

「僕は女じゃないのに……」

 何の所以でこんな苦労をしなければならないのか。

「そういえば――」

 一筋の考えが脳裏に走る。

「いや、まてよ……。そんなことは――」

 もしサラが、男であることを知っていたのなら。

 それを見抜いた上でドレスを着せていたのだとしたら。

「まさか――」

 背中を一筋の冷たい汗が流れた。


「ふーん。あそこが例の……」

 漆黒の闇が支配する中、小さな篝火だけがうかがえる。

 大きく開かれたその瞳は、照らされて明るくなった場所をじっと見据えている。入口だけが姿を現し、その奥までは覗くことが出来ない。

 最後に一瞥して、音もなく去る。

 その後に残った風は、月光を切り裂くだけであった。


いつもお愛読ありがとうございます。

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