機械仕掛けと世紀末潜入捜査員その一 4 ホテルの基本
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機械なのに、いや、完璧な機械だからこそワタシは彼の言葉が許せなかった。
――――接客なんて六歳のガキにできる。
その台詞が頭のなかでリピートされて、壁を殴り壊してしまいたいほどの衝動に駆られる。
常に誠実。基本に忠実。段取り八分。背中に目。求められるものは単純なものほど難しい。機械のワタシですら完璧を超える仕事はつねに苦心の向こう側にある。それなのに……あんな奴に…………。
支配人の言葉に乗せられて了承してしまったが、ワタシがどうこうしたところで彼に出来ることなんかない。情報、知識。それらを全て積み重ねて初めてお客様の前に立つべきなのだ。
けど不用意にイライラする必要はない。もうすぐ四十分だ。これで彼が無能を晒してくれればワタシは適当な理由をつけて彼を職務から爪弾きにすればいい。支配人には怒られるかもしれないがホテルのためだ。爆破しようとする輩だってワタシが捕まえればいい。武装はいくらでもある。
「バロン・フォールズ。時間です。もちろん全ての用語、文法は覚えましたよね?」
覚えられるわけがない。ワタシは確信しながら扉を開ける。彼は半裸だった。その時点でとやかく言ってやりたいが、それ以上に返事もせずに、涼しいはずのこの部屋でだらだらと汗を流して一心に絵を描いていた。辞書を見ている気配はない。
さらに異常性を追記するなら部屋の機材が勝手に動かされて、ワタシの火器探知器が異常な警告をデータベースに送り付けてくる。……この男はワタシが見ない間に沢山のトラップも設置したらしい。
「バロン・フォールズ! 何故あなたは制服を脱いでお絵かきに興じている?」
声を荒らげて名前を呼ぶと、彼は始めてこちらを向いた。立ち上がって、ジッとこちらを睨みつけてくる。
「そりゃお前が無茶振りするしてくるから打開策だ。最低限の言葉は覚えた。あとはこの絵でコミュニケーションを取る」
彼は自慢げに下手くそにもほどがある絵を一枚二枚とワタシに見せつけた。確かにこれならば、お客様に協力を必要とさせるが何も伝わらないなんて最悪のことはない。――――創意。悪く言えば妥協だし、良く言えば打開だ。
ホテルマンに必須である能力は一応あるらしい。
「早く汗を拭いて服を着なさい。身だしなみと清潔を怠ることは許しません。それとこれ、翻訳機です。その下手くそな絵がなくとも交流は可能です。渡したいのでトラップを全て解除しなさい。何故そもそもこんな危険なものばかり……」
粘着爆弾系統にグレネード。その他もろもろ。窓を開けたら作動するものや、ワタシがあと一歩部屋に踏み入れたら作動するものまである。危険すぎる。
「警戒は巡らせるべきだと思ったんだ。俺が来たことを察知して敵が暗殺に出るかもしれない。だからまずは罠を巡らせた。……そっちが質問したんだ。俺も聞かせろ。翻訳機があるなら何故あんな山積みの辞書を渡したんだよ」
バロンはワイヤーや生体電気作動回路等を改宗しながら敵意の眼差しを向けてくる。なぜって? 嫌がらせに決まってる。いや、正確に言えば翻訳機で賄えない細かい部分を学んでほしくもあったが、それなら辞書なんて使うのは遠回りだ。
「あなたの応用力をテストさせてもらいました。まぁ、評価C-と言ったところでしょうか? しかし間違ってもお客様が使う道や扉にあんなものは仕掛けないでください。絶対にです」
ワタシが警告するなか、彼は制服を身に纏った。思ったより様になっていた。死の灰に染まったような爺臭い髪色は気にくわないが、反抗的で生命力のある紫の瞳は綺麗だ。体格も良いからか、黒いスーツとよく似合う。
「このホテルは特殊な立地にあるためあまり客は来ません。逆に言うと働き手になる存在も少ないです。そのため他の世界であれば別の職業であろうコンシェルジュやフロントクラーク……もろもろの仕事を全て出来なくてはなりません。また、お客様同士のトラブルなどを止めるために武力的な技術も必要です」
お客様のなかには鋭利な牙や爪のあるものや、超科学の武装に身を包んだ者、魔術の才能を持つ者なども多い。暴力沙汰を犯した時点で出禁だが、彼らを止めるには力もいるのだ。
「武術の教授はいらん。それよりもそのフロントなんたらだののマニュアルを寄越せ」
「仕事のマニュアルはありません。機械操作などについてはワタシが仕事のさいに説明します。しかしこれを胸に刻むくらい読み耽りなさい」
ワタシは『異次元ホテル行動基準――さすが異次元ホテルと言われるために』を手渡す。彼はぱらぱらと流し読みして、功利主義的な情報が無かったからか首を傾げた。
「なんだこれ……挨拶は明るく真面目に? ガキかよ。革命指導軍のプロパガンダだってもう少しマシなこと書いてるぞ」
――挨拶は信頼と感謝の現れ。元の世界で挨拶すら出来ない状況下の人だっている。そういったお客様のために明るく真面目に挨拶をする。大切なことだ。ガキに理解できることではない。ガキなのはバロンの方だ。
「あなたにはぜひ謙虚と感謝の項を見て欲しいものですね。読みながらついてきなさい。ワタシがあなたへの説明をしている間、客室係の方にフロントクラークを任せきりにしてしまっているので急ぎますよ」
早く仕事に戻って彼に謝らないといけない。駆け足でロビーのカウンターまで向かうと穏やかな匂いがフロア全体を包み込む。
「カノン……。彼がソの潜入捜査員?」
切り傷に火傷痕。全身にまで巡る歴戦の証拠を顔に刻みながらも文句のつけようのないくらいスーツを着こなし、甘い香りを浮かべるのは客室係長兼フロントクラークと他五つの仕事を担当するフレイル・フルネームだ。
「潜入捜査員でも仕事をするからにはこのホテルのホテルマンです。バロン、自己紹介をしなさい」
呼びかけたが彼はジッとフレイルのことを凝視して沈黙した。赤い瞳を、癖のある赤髪を、筋肉質な腕を、そして傷跡を見てニヤリと笑う。
「どうも。バロン・フォールズだ。向こうの世界では治安維持隊総隊長をしてる。まぁ、悪いやつを取り締まったり反逆者を処分とかだな。にしてもあんた強いな。見たら分かるぞ。殺し慣れてる腕だ。目つきだ。隠しきれてない」
「オレはフレイル。君の言った通り……前職は勇者のパーティでバーサーカーをしていた……。今は、カタギに……戻った、つもりだ」
「勇者? バーサーカー?」
バロンが困惑を露わにして距離を取る。当然だ。彼の世界では魔法使いも竜騎士もない。これで少しは世界の多様性を察するはずだ。助けを求めるようにちらちらと見てくる彼に、ワタシは意地悪な笑顔を浮かべて彼の手首を掴んだ。
「さぁ、仕事を再開しましょう。機械の使い方を教えます。お客様がどんな人物、いえ、どんな存在であろうとホテルは歓迎するものです。必死になり過ぎてその基本を忘れないようにしてくださいね?」
「あ、あぁ……それぐらいもう理解したとも」
「あぁじゃなくて……はい!」
「はい!」
声はハッキリ。ピッチコントロールを怠るな。基本中の基本だ。まぁ、声でコンタクトを取る種族も意外と少ないのですが。