勇者と魔王の最終決戦 その六 名もなき勇者
【勇者と魔王の最終決戦 その六】
聖剣は私の想いを反映して影を纏う漆黒の弓へ、【暗器フライクーゲル】へと姿を変えたままだった。狙いはとっくに定まっている。息を押し殺して、弦が軋むくらい力を、魔力を込めて、けれども誰にも悟られないように深い茂みのなかで全てを押し殺す。
異界の陽が沈んでいった。水面の奥へ、銀の輝きが落ちていく。思わず見惚れてしまうほど美しくて、だから目の前の光景が信じられない。
「……教えられてきたことと違う」
鏃が向く先に魔王がいる。どうしてかほとんどの魔力を失っていたが間違いない。後ろ姿を見るだけで本能レベルにまで刷り込まれた殺意が業火のごとく揺れる。憎き彼らは私と同じように日没に見惚れていた。ツアーが解散して、他種族がいなくなっていくなか、あの二人は呆れるくらい黄昏ている。
おかしい。彼らは魔族だ。破壊と虐殺のために生まれた悪魔。醜悪な姿に穢れた血をもって活動する生物の枠から外れた神の失敗作。彼らが何かを共感し、綺麗だとか、美しいだとか、そんな想いを持っちゃいけないのだ。
「……私は勇者。勇者は魔王を、魔王を……!!」
意識が一点に極まると息が荒くなる。最高のチャンスなのに射れずにいた。手が躊躇っている。なぜ? 私は世界のために使命を果たさなきゃいけないのに。力ある者の、選ばれた者の責務を果たさなきゃ……そうだ。殺せ。殺せ。殺せ。狙い澄ましている。あとは手を放すだけだ。
「……魔王。正々堂々と戦いたかった」
無意識のうちに呟いて目が潤んだ。心臓を貫こうと全てを殺意で塗り固めて――撃とうとしたそのとき、魔王が不意にこちらを振り返る。……まさか勘付かれたの?
けど私はすぐに安堵できた。気付かれたわけじゃない。一人の少女が砂浜に歩いてきたのだ。いままで集中しすぎてまったく気付けなかった。少し周囲に意識を向ければ小さな足音は容易に聞こえて、白いワンピース姿と金の髪を海風に靡かせる女の子を見る事ができた。
「……泣いてる」
少女は小さく嗚咽しながら赤らんだ瞳を何度も擦っていた。なんで彼女は一人で泣いているんだろう。迷子? それとも異種族の姿が怖かった? 親御さんは? あの子も一人? 考えが巡っていく。
迷子なら私が案内してあげる必要があるし、今ここで殺せばまだ幼い少女には精神的にショックかもしれなくて……ううん、そもそも、魔王達が泣いている人間の小娘を何もしないなんてことがある?
あり得ない。彼らは人間のことなんで虫と同等かそれ以下だとしか思ってなくて、あんな小娘一人が泣いていたら、間違いなく殺される。尊厳を踏み躙られて純潔を穢されたうえで血肉を貪られる。
「……助けなきゃ」
思い立って踏み出しかけた足を理性で堪える。――――まだ私が気付かれていないならここは出るべきじゃない。魔王が攻撃の仕草を見せたら助ける。そうじゃないなら確実な機会に魔王を仕留めるべきだ。
「どんな手段を使ってでも……魔王を、魔王を……!」
言い聞かせた。体を巡る血が逆流している気がした。胸が重く苦しくて、我慢できそうになくて竜尾を抱えた。こうでもしないと尾が地面を打ってしまいそうだった。
「クロノディアス、移動するぞ」
魔王達が動き出した。それもあの少女のほうへ歩み寄っていく。――攻撃の動作はない。魔力を込める様子もなく、穏やかな足取りで近づくだけ。撃つべきか? ……彼らは一体何をしようとしている? 通り過ぎるだけ? けどその割には気にし過ぎている。二人の冷徹な双眸は確実に少女を視界に入れている。なら……なら……一体なにを。
「おい、小娘」
魔王はついに声をかけた。女の子は華奢な肩を震わせて二人を見上げる。魔王達には敵意も悪意もなくて、むしろ私の仲間だった人たちみたいな空気を纏っている。
見ていると、私のなかで魔王が何者かが分からなくなっていく。吐く息が震えた。ダメだ。魔王は悪逆非道でいてくれないと、私は正義で、悪は魔族で。存在すら許されなくて。
「家族はどうしたんだ。全く嘆かわしい。これをやるから泣き喚くな。貧弱な種族なのだから不用意で一人で出歩くな」
魔王は砂に膝をつけて少女の手に半ば強引に菓子包みを握らせた。ホテルの部屋にあったものだ。気持ち悪いくらいしたり顔を浮かべて、凍刻のクロノディアスと顔を見合わせる。
「喜ぶがいい。小娘。魔王様に声をかけてもらい、まして甘美なる至高の品を譲受したことをな! ……魔王様、わたしの分は……?」
「もう食べただろうが。行くぞ。もうすぐ祭? パーティ? が始まる。多くのホテ――――」
もはや彼らの声が頭に入らなかった。脚の力が抜けて地面にへたり込む。聴覚がぼやけている。五感を疑った。……信じられない。魔王が、人間の少女を泣き止まそうとして菓子を渡したどころか心配までした? なんで? なんで彼女にだけは優しくしたの? 私の国を滅ぼしたのに。私の仲間を殺したのに。
「……なんであの子は殺さなかったの!?」
ゆらりと、私のなかで殺意の黒炎が今再び燃え上がる。なんで? なんでなんでなんでなんで!! 頭がぐちゃぐちゃになっていた。吐息に黒炎が混じる。瞳孔が際限なく細くなる。
怒りが、憎しみが、絶望が渇きをあげて叫ぶ。
「なんで私を助けてくれなかったの!」
エゴだ。あの子が殺されていたらきっと同じことを思っていた。私は私じゃなくなりかけている。今までだったら何も考えずにあの子の前に立ちはだかれたのに。私は魔王を殺す機会を恐れて見殺しにしようとしたんだ。
「何が、勇者よ……。なにが……! なにが!」
聖剣が形を維持できずに黒い粒子となって亜空間に消える。途方もない喪失感が手元から全身にかけて広がる。薄々理解していたの。戦争に正義も悪もない。勇者なんて都合のいい洗脳で……でも、でも私には分からない。
ずっと教えられてきた。魔王を殺せばすべてが終わる。皆が喜ぶ。皆って誰? ううん、もう誰かなんてどうでもいい。魔王を殺す以外の生き方を私は知らないから、魔王を殺さない限り、一生この身を雁字搦めにする運命の鎖はほどけないから。
「次は殺す。パーティに行くって言ってたわね。都合がいい。ふふ、アハぁ……!」
よろけながら立ち上がった。両翼を扇ぐ。感情が底冷えていくのに反して、なぜか涙が瞳を潤ませる。
――――勇者なんてどうでもいい。復讐でもない。恨んでいるわけじゃない。私だって沢山殺した。死体の山を作って、血の狼煙をあげてきた。……ただ私は行くべき道が魔王殺し以外分からないだけ。だから殺す。
「なんか、スッキリした気分だわ。こんなに清々しいのは初めてかも」
この世界に来てよかった。重なり合った屈辱と敗北の向こう側。私は私を理解した。でも勇者じゃないなら、私は何者なんだろう。
自分の名前が思い出せなかった。




