機械仕掛けと世紀末潜入捜査員その一 2 ホテル到着
『異次元ホテルへようこそ! 当ホテルは多数の次元と繋がっており、様々な世界からお客様が訪れます。見たことがないような異世界の芸術や美食。夢のようなの体験。快適な時間を約束しましょう』
目が眩むようなフラッシュが消えたとき、そんなボイスメッセージが隣で響いた。いや、そんなことよりもなんだこの場所は。
俺はみっともないくらい目を見開いて周囲を見渡す。本物の植物を生まれて初めて見た。本で見た椰子の木が伸びていて、かと思えば見たこともないくらい巨大でカラフルなキノコも生えていた。
木の根からは顔ほどの大きさをした深紅の花が甘い香りを漂わせながら狂い咲いている。晴天の太陽が痛くない。暖かな光を俺にくれる。湿度はやや高いが過ごしやすい程度。涙が出そうだった。
「な、なんて場所だ……」
驚愕を隠せなかった。目の前のホテルとかいう建物へ行く道で気絶するんじゃないかってぐらい心臓が高鳴っている。色とりどりの蝶が飛んでいる。鳥の囀りが常に聞こえる。樹木にしがみ付いている蟹がミンミンと鳴いている。
もしかして俺は死んだのか? いや、偉大なる父が俺を送り出したのだ。それはないな。とにかく進んでみよう。そう思って、俺は警戒を張り巡らせたまま足を進めていく。そしてまた、すぐに度肝を抜かれた。唖然として口が閉じれない。
「水の無駄遣いだ……。死刑じゃ済まない」
存在だけは知っている。プールだ。巨大なプールが川のように伸びていた。滝が絶えず流れている。パラソルにビーチテーブル。
……言葉にするだけなら簡単だ。けど巨大なキノコがその役目を果たしていたり、はたまた半透明のスライムのようなものが置かれていたり、俺の知識からかけ離れていた。俺の世界にとってのパラソルが置かれてなかったら理解すらできなかっただろう。
……ああ、頭が痛くなりそうだ。ここが本当に異世界なのだと訴えんばかりに日光浴をする蜥蜴人間と蝙蝠のような翼を生やした頭蓋骨。生きているのか? あの頭蓋骨に生えた翼は物理学的にどう見たって機能しない。理解できない。
「お、落ち着け俺……。怪しまれないようにしないと。とにかくホテルへ向かうんだ」
自分に言い聞かせるように独り言をしたのは初めての経験だった。この仕事で増えるだろうなって、確信が出来た。
ホテルなる建物へ入ろうとすると扉が勝手に開いた。電気の無駄遣いだ。端的に言って頭がおかしい。エントランスは吹き抜けで天井が高く、エアコンとシーリングファンが涼しさを保つ。……吊るされている水晶が証明代わりになっているのか? なんのエネルギーで動いている?
考えても仕方ないことにまで思考が巡っていく。屋内にまで植物と、噴水があった。……いや、水か? 何故か紫色で少しドロドロしているように見える。だが快適でゆとりある場所には間違いなかった。
……少なくとも、俺のいた世界では到底叶わない環境だ。
「この環境だけでも死刑何回分だ……」
思考が追い付かない。ホテル内には普通の人間の姿をした者もいるが、髪が蒼だの緑だのと奇怪なのばかりだ。それによく見れば耳が長かったりする。そもそも全身甲冑だったり、呪術師のごとく獣の骨を頭に被っている者、無骨な銃を携帯する全身パワードスーツだったり。
けどそれだってマシなほうだ。かたや、長靴を履いて二足歩行の猫と宙を泳ぐ鮫が鞄片手に会話しているし、絶え間なく蒸気を垂れ流す機械が赤いモノアイを煌めかせながら、虹色の円錐体に四本の触手が生えた怪物と謎めいた交信を取っていたり、ピンク色のゴリラと目玉の怪物が恋人同士のようにイチャついているのだ。
……気が狂いそうだ。多分、クスリ打ったやつらが見てる幻覚とかはこういう世界だろう。呆然としていると、カウンターから一人の少女がとてとてとこちらに歩み寄った。殺気の類はない。犯罪者特有の後ろめたさも感じない。おそらく健全な存在。
彼女は黒くスラリとしたスーツを着ていた。肩の辺りまで伸びてふわりとした銀の髪を揺らし、蒼紫の双眸で見据える。けどその瞳の光は自然のものじゃなかった。呼吸がわずかに嘘臭い。おそらくだがアンドロイド。俺の世界じゃ人類の敵だ。そんな彼女が声をかけた。
「第七世界からようこそお越しくださいました。こちらの世界ではワタシのような機械でも、あなた様の休息をサポートする存在ですのでどうかご安心を。水も無料ですので、ごゆっくりしてください。チェックインは狭間時計で十五時から行っております」
そう言って彼女は深く一礼する。気品ある仕草だった。第七世界? 狭間時計? 水が無料!? 待て。冷静になれ、俺よ。この従業員は俺を客だと思っている。
「チェックインまであと二時間ほどございます。お暇でしたらそこのソファにどうぞ。ただいまウェルカムドリンクをお持ちいたします」
「ま、待て! ドリンクは飲んでみたいが俺は客じゃない。このホテルの管理者? 支配人? と話がしたい」
慌てて肩を掴んでそう説明した。彼女は刹那困惑したがすぐに営業スマイルを浮かべる。より丁寧な物腰でわずかに距離をとられた。
「何用でしょうか?」
「あんたが支配人なのか?」
「いいえ、しかし用件をお尋ねしないと基本的にお通しすることができませんので」
「極秘重要案件。このホテルの存続に関わることだ。ひいては俺のいた世界の危機にもなる。、重要度で言うならば国家戦力における核技術と同等。だから来た」
普通の宿でこんなこと言ったって悪戯と思われて終わりだろう。けどこの異質なホテルではやはり話が違うらしい。彼女は打って変わって深刻そうに陰を差した。
「ではこちらへ付いて来てください」
カウンターの奥、応接室へと案内された。シックな木材の壁……いや、違う。木材に似せた金属だ。触ると冷たく硬さを感じる。床に敷かれた赤い絨毯は普通だ。様々な世界から客が尋ねに来るのだろうか、椅子の種類が異様に多い。
異世界の写真らしきものもいくつか飾られていた。見たこともないような巨大な構想建造物が乱立しているもの。フィクションにしかいないようなドラゴンの群れが映ったものなど、さまざまだった。
「少々お待ちください。すぐに支配人を呼んで参ります」
アンドロイドが部屋を後にすると穏やかな静寂が包み込む。……一体だれが、何の目的でこんな場所に爆破予告を出したのだろうか。調べるべきことが多すぎる。……すでに宿泊している客のリストにホテルマン達の素性。これからこの世界に来るかもしれない客共。
容疑者が多すぎる……。彼女とは運よくコンタクトが取れたものの、他の客らに言語が通じるとも思えない。やはり困難を極める任務になるか。
けれども俺はビッグファーザーにこの仕事を任された責任者なのだ。きちんと行動しなければなるまい。
そう自らを律していくつかの椅子にさっそく盗聴器を細工する。作業を早急に完了させて席についたが、座り心地が良過ぎて不安になった。俺の世界の椅子は全部鉄くずで出来ててギィギィうるさいし固いし小さい。
「やや、お待たせいたしました」
素っ頓狂な男性の声。ガチャリと扉が開いてさきほどの女従業員と支配人らしき人物が部屋に入ってくる。人物と言っても、彼女は機械な上に、支配人に至ってはあまり人間の形をしていない。
二メートルゆうに超える高身長で腕が四本。腰周りからは触手が数本うねうねと蠢いている。顔は純白の仮面で隠れていた。視界を得るための穴も見えない。そのくせにスーツだけはビシっと着こなしている。
アンドロイドが椅子を引くと彼も腰を下ろした。容姿には驚かされるがビッグファーザーに選ばれた代表者が俺なのだ。怯むわけにはいかない。偉大なる父の名誉が掛かっているのだから。むしろ堂々とした態度で接するのだ。
「初めまして。俺はバロン・フォールズだ。ビッグファーザーの命令でこの世界に来た。まどろっこしいことは嫌いなんで単刀直入に用件を言わせてもらうと、この世界? を爆破するという予告が届いた。だから犯行が行われる前に事前に犯人を捕まえる協力をして欲しい」
ピシリと空気が凍りついた感覚。滲み出る緊張を抱いたのはアンドロイドのほうだ。機械のくせに一丁前なリアクションをしてくれる。反して、支配人のほうはあまり驚きを示さなかった。
しかし不意に、ああ! と思い出したように手をポンと叩くと、彼は楽しげに触手をうねらせる。
「そうかそうか。君がバロンか。ビッグファーザーから話はよく聞いてるよ。君の活躍ぶりに感謝していたよ。観察眼と武術の才能を特に買っていた」
やはり俺は期待されてこの任務に当てられたのだ。しかしこんな素晴らしい話が聞けるとは思わなかった。ああ、ビッグファーザー。愛してる。
頬が緩んでしまいそうになって、俺は思わず両手で叩いた。新しい場所に来て、しかも直々の任務を受けて浮かれてしまっていた。
「その話はあとでじっくり聞きたい。どんな風に言ってたかをもっと詳しく。……ゴホン! それで本題に戻るが調査協力を――――」