勇者と魔王の最終決戦 その三 恋人ごっこ
【勇者と魔王の最終決戦 その三】
最悪だ。せっかく魔王のいる部屋を特定できるはずだったのに。なんとかしてあの場所にすぐに戻れないものか。私は名前も知らない男に腕を引っ張られて階段を駆け足で下りていく。彼の手は硬く、熱くて、握られていると恥ずかしくなってくる。
「あ、あの! どこに行くつもりなんですか!? 私にはしないといけないことが――――」
なんとかしようと声を荒らげ立ち止まった。彼は竜人種であり勇者の私を恐れる様子もなく、ジッと赤い瞳で見下ろすと、さっきまでの脅迫が嘘みたいに丁寧な言葉を切り返してくる。
「ごめんなさい。女性の人にこんな無礼なことをしたくはないのですが、俺にも事情があるんです。黙ってついてきてください。話はそれからです」
彼はぐいぐいと再び引っ張って移動を再開する。どうしよう。殺すべきか。剣を使わずとも角で首を穿けば人間ぐらい一撃で仕留められる。勇者らしくはないけど、この場所ホテルにふさわしい暗殺だ。
よし、いちにのさんで殺そう。魔王討伐を邪魔するやつは全員敵。悪の幹部。魔界将軍。死体は……茂みにでも投げればしばらくはバレないはず。
「……ふー」
私は大きく息を吸って、吐いた。深呼吸を二回。それから心のなかでカウントダウン。さん、に、いち――――。
「用件が終わればあなたの犯行は黙っておきますし、何かあれば手を貸しますから素早く移動をお願いします。なぜか……どうにも胸騒ぎがするので」
直前、彼はいきなり振り返ってそんなことを言った。今度こそ時間が止まりそうになる。尻尾と翼が強張って、びくりと全身が震えてしまう。……絶対にバレた。いや、バレていた。
なんで気づかれたの? 背中に目でもあるの? 私はキョロキョロと周囲を窺う。けれども階段、廊下にめぼしいものはない。冷静に考えたら言葉が通じてるのも違和感がある。
「怖がられたくないから教えます。俺の周りには目の見えないけど必ず護衛がいるんです。彼らが連絡して、君に対応する。それだけです。俺が対処に遅れたら、代わりに彼らが貴女の頭を撃ち抜く。だから大人しくしていてください。言語は……この世界で使われている翻訳機、俺の会社が作ったってだけです」
「もうこの世界嫌ぁ……」
思わず泣きべそが出た。――勝てない。勇者である私が、世界最強だったはずの私が……所詮井の中のドラゴンだったっていうの……? このホテルに来てからというもの、恐ろしい目ばかりに合っている気がしてならない。
私の心の傷は癒えることもないまま、彼に連れられて階段をさらに降りていく。地上よりもさらに下、地下へとだ。白い階段。一定間隔で蒼い炎が足元を灯す。
お師匠様が言っていた。勇者が地下に向かうとき、絶対に準備は怠るなって。地下は大体罠があるし、モンスターは一層強くなる。それに暗がり、逃げ場もない。
「あ、あなたは私をどうするつもりなの? ま、まさか……わた、私を……!」
「大丈夫。君は高身長だし、可愛い系っていうより綺麗系だから趣味じゃない。エルフィのほうが百倍素敵だ。それにさっきも言ったけど、女の人に手荒な真似をするのは本当に嫌いなんだ」
知らない女の名前を出されて完全否定されるとそれはそれで腹立たしけど、嘘を言っている気配もない。
やがて階段も終わって分厚い木製扉を開けた。瞬間、鼻につくアルコールと、どこかフルーティーな匂い。扉の向こうにあるのは大人びた雰囲気を醸し出すバーだった。やや暗い照明。シックな木材のカウンター。魔力の濃度が高い。バーテンダーはゴーストの類らしく、姿はそこになく、ポルターガイストによって職務を果たしていた。
「二名です。入れますか?」
(どうぞ。適当な席に)
頭のなかに直接声が響く。念話だ。けれど私達の世界にあるものと理屈が違う気もする。また別世界のゴースト類だろうか。頭の隅でそんなことを考えながら私は席についた。彼が隣に座る。椅子を引いてくれたり、細かいところで親切だ。
「お酒は平気ですか?」
「ええ、まぁ大丈夫だけど……」
何を緊張してるんだ私は。で、でも男の人と二人で飲むなんて初めてだでし……! 駄目だ。落ち着かないと。バーの雰囲気に呑まれてるだけ。私は勇者なの。魔王を倒すためだけの正義。
(こちらは第四世界のスパークリングと第八世界のリキュールで出来たカクテルです。甘口で、度数も低いので緊張も落ち着くかと。お二人とも恋人同士で?)
恋人!? 私が、この人と!? 私は半ば反射的に彼の顔を見つめる。確かに相貌は整っていて、女の人にモテそうだけど断じてそんな関係じゃない。なのに彼は照れ臭そうに頭を掻いた。
「ええ、まぁ……そんなところです」
「え? えっ?」
理解できずに言葉が詰まった。これじゃあ照れてるみたいだ。ううん、実際恥ずかしい。なんであんな嘘を? 頭が真っ白になっていると彼は耳元でそっと囁く。
「……これが俺の要求です。この店にいる間は恋人のフリをしてください」
「な、なんで私がそんなことを……!」
しないといけないの。反発しようと思った口を咄嗟に押さえる。これも全部魔王討伐のため。ふん、やってあげたらいいのよ。恋人のフリぐらい簡単だ。それで尾行を黙ってもらえるなら全然問題ない。むしろお釣りが返ってくるくらいだ。
(いやぁ、羨ましいですね。僕も幽霊じゃなければ恋人とか作ってみたいんですけどねぇ、あんまり楽しみ過ぎると成仏しかねないですし、辛いところですよ。はっはっは)
宙で酒瓶が揺れ、グラスに黄金色の酒が注がれる。恋人のフリ……恋人のフリ? 一体何をすればいいのか分からない。体を寄り添わせたり、ハグとかキスをすればいいのだろうか。そもそも私は彼の名前だって知らない。
「こ、こここ……この人ってとても強引で、こ、ここここ……告白のときなんて思い切り壁ドンしてきたんですよ」
咄嗟にさきほどの出来事に嘘を混ぜてそれっぽいことを言おうとしたけど噛み過ぎた。これじゃあまるで鶏だ。だって恥ずかしかったのだ。顔から火が出そうな気がして俯く。慌てていると尻尾が勝手に動いて、椅子の脚が軋む。
彼はそんな私を見て、何故か切なそうに微笑むと宥めるように背中を撫でる。けどそこ逆鱗がぁ! はうぅう……。
私が体を震わせてこそばゆい感覚を耐えるなか、彼は雑談を広げていった。
「一目見てピンときてしまいましてね。彼女しかいないって」
尾行してる竜なんて私ぐらいしかいないでしょうからね。この人は所作に乱暴さはないけど、弱みに付け込む最低男だ。
(仲睦まじくてとても良いですね。ああ、お名前を確認し忘れておりました。宿泊客でしたらお値段を引かせていただきます)
「コヅカハルトです。彼女がええと――」
「勇者よ。名前っぽくないかもしれないけど」
(名前っぽいなんて概念はないですよ。他の世界でもジョージの子供だからジョージジュニアだったり、川のある村に住んでるから村川だったりするものですから。かく言う僕は自分の名前を覚えてないんですけどね。まぁポルターガイストなりバーテンダーなりお好きに呼んでくだされば幸いです)
宙を浮いていたグラスはやがて私達の手元に降りてくる。透き通っていて、ちょっと強く握ってしまえば壊れてしまいそうな繊細さがあった。コヅカハルトはグラスをこちらに向けた。訳も分からないまま見様見真似をする
「乾杯」
「か、カンパイ」
カン! と、心地よい音が響いた。