小麦色の怪人
「家を買う。広い家だ」
上手で、豪介がつぶやいた。
「ファーストクラスで旅行したいな~」
下手では、花蓮が目をキラキラさせている。
「私は月に行きたいですね」
もう一人。俺達三人が座るカウンターの向かい側、センターの立ち位置、この店のオーナー兼バーテンダーである角井さんが素敵なバリトンを響かせた。
花蓮と豪介と三人で、学芸大学にあるバー『Blue Reef』に訪れたのは、天丼賞まで十日を切った、肌寒い週末の夜だった。
花蓮が友達から教えてもらったとかで、俺や豪介も今や常連の素敵な店だ。
バー然としたシックな佇まいに、BGMとして潮騒が流れている。
落ち着きながらもお洒落な雰囲気が漂うカウンターに、ようやく大人の仲間入りをしそうな俺達が、揃ってやってきた次第だ。
「宝くじが当たったらどうする?」
という、お決まりのネタを振ったところ、一人を除いてお決まりの答えが返ってきた。
何を考えているか分からないバーテンの角井さんは、あまり感情の伺えない細い目をして時々こういう事を言い出す。
角井さん…宝くじが当たったくらいじゃ、月へは行けねぇですぜ。
それともゾゾッとする社長の時事ネタに掛けてるんですかい?
「高い買い物して、使い切ると終わりか……それなら貯金かしら?」
またしても花蓮が現実的な事を言っている。
「世界の珍しい魚を釣りまくるのもいいかもな」
豪介の趣味は魚釣りだが、そんな夢があったとは。
「………」
角井さんは黙ってグラスを拭いている。心なしか目が笑っているように感じられる。何を考えているのか分からないが、きっと素敵なイマジンなのだろう。
俺がなぜこんな話題を振ったかは言うまでもない。
先週見た動画のせいだ。
小心者の俺が、慌ててコメント文を元に戻したのも言うまでもない。
その後に続く未来も元通りになった時、俺が乙女みたいなポーズで床に座り込んでいたのも言うまでもない。
「もっとリアルに想像してみてよ。大金が舞い込むんだ。甘い汁に寄ってくる奴もいるぜ」
俺が聞きたいのはその先だ。その後の人生が狂っていくような時に、どうやって振る舞えばいいのだ。
「あ?翔太は宝くじあたったとして、そんな下らない事を考えるのか?」
「夢が無いわよね~?」
「………」
豪介と花蓮にはディスられた。角井さんの目から笑いが抜けた。
俺は燻製香の強いウイスキーを水割りでグイと煽り、聞き入る三人を見回した。
「例えばさ、宝くじで一等当てるだろ?で、まあ色々とリッチな遊びをするじゃん?そうするとさ、庶民とは感覚がずれていくと思うんだよ。貧乏人を無意識に見下すような。そうなると、恨みを買って暴漢に刺されたり、ブラックジャックみたいな外科医からは手術して貰えなくて死ぬ。それでも宝くじに当たりたいか?」
俺が抱える悩みをみんなに聞いてみたかった。
もちろんmodの事は伏せた上で、一般論としてボカして聞いてみた。
我ながら、鬼気迫る調子になってしまった。
それくらい、花蓮達と俺とでは心の余裕に差があった。
「それならいらない。俺は長生きしたい。それよりお前、少し変だぞ?大丈夫か?」
男前の豪介らしい答えだ。俺の様子はやっぱりおかしいのだろう。心配されてしまった。
「殺伐とした生活はイヤ。好きな人と、慎ましく生活できればそれでいい。でも、近場でもいいから旅行には行きたい」
花蓮からはほのぼのとした答えが返ってきた。俺の様子を見て真剣に答えてくれたようだ。一部隠しきれない願望が混ざっているのはスルーしよう。
「ブラックジャックは大金を払わないと手術して貰えない設定なので、翔太さんの話とは逆ですね。それと、宝くじと病気は別でしょう。不摂生しなければ、金持ちのまま大往生できますよ。」
角井さんもグラスを拭く手を止め、低音を響かせてくれた。
おっしゃる事はごもっとも。例えの出し方を間違えたかもしれない。
関係ないが、一回りも年下の俺にもしっかりした敬語を崩さない角井さんは、やはりプロのバーテンダーだと感心する。
みんなからの感想はこんなところだ。
角井さんがちょっと気になる事を言っていた。ブラックジャックの例えとは別の部分だ。
競馬で当てる未来に、どこかで人間ドックを受けるイベントでもトッピングしたら、あるいは寿命は元に戻るかもしれない。
その後、たわいもない話に終始した結果、お支払いが結構な額になってしまった。大金を得ていない俺には、バーでの飲み代もそれなりにエグい攻撃なのだ。
そういえば、酔っぱらった豪介がまた学の話でグズグズしだした。生きていれば、学と一緒に飲みたかったとか言って、最後はデロデロと泣いていた。
花蓮はそんな豪介を優しく介抱していた。
やっぱり花蓮っていい子だなぁ。
◇◇◇◇◇
学芸大学のバー『Blue Reef』から家に帰り、俺は悶々と考えた。
普段であればほろ酔い気分の楽しい週末なのだろうが、気分は晴れなかった。
率直な意見をくれたみんなには悪いが、今の俺の悩みが解決したとは言い難い。
宝くじ当選からのその後の人生という一般論と、俺が感じる焦りとはまるで別物だろう。
何せリアリティが違う。
主人公が自分っていう映像が持つ説得力はすごいからな。あの感覚は、modの動画を見た者にしか分からないと思う。
素人の成金に密着取材したバラエティーを見ているような。主人公がどんどん変節していく様を見せられるような。自分が溶けていって、別の形に再結晶していくような。
主演男優は佐藤翔太。迫力満点のライブ映像だった。
ハッピーエンドとは言えない死に方が待っているのも、競馬で大勝する未来を躊躇させる。
それでも、容易には諦められない額なんだよな。
二レースに賭けるだけで二十八億だもんな。じゃあいいや…とは簡単にいかない。
赤坂のマンションすごかったもん。ハッピーエンドで大金を得たいからさ、そりゃ本気で悩むよ。
しかし、この焦燥感は経験したことないレベルだ。
天秤に乗ってるのが、どちらも俺の人生なんだから。
こんな伝説級のチートツールを指していうべきではないかもしれないが、動画の主人公の頭の中までは覗けない所がmodの欠点だ。
思考が字幕で出たりするといいのにな…。
いや、無理か。
案外人間なんて、四六時中高度な思考をしてるわけじゃ無くて、欲望に任せた反射だけで生きてるのかもしれないからな。
『腹減った』とか、『眠い』とか、『あの女の子かわいい』とか、三大欲求ばっかりが字幕で表示されるなんて…。ああ、見たくはない。
非言語の思考もいっぱいあるだろうから、なかなか都合よくいかないだろうと勝手に解釈したりする。
ともかく、散財する俺はどんな顔をしているのか、時折映る鏡の中の表情からは脳細胞の活動は読み取れない。
ある日の車の助手席には、フジコちゃんみたいな見知らぬ女が乗っていた。花蓮に内緒でフジコちゃんと会う俺は、どんな気持ちだったのか。
買い替えた服を見て、それを着た俺は何を感じたか。まさか似合っているとでも思っていたのか。
古い服は躊躇なく捨てたのか、それとも何かしらの躊躇はあったのか。
敢て評価するなら『着せられちゃった人』それが高級ブランドで固めた姿をmodで見たときの俺だ。
華やかな人脈に、良い印象を持たなかったのはなぜだろう。
周りが俺という個人ではなく、俺が持つ金を目当てにしているからだろうか。
付き合いの浅い人と多く会うようになった割に、会話が予想通りに進んでばかりだからか。
上滑りな人間関係に見えた。そんな人達と毎日を接していた俺は楽しかったのだろうか。
有象無象がヌルヌルと寄ってきていた。
ブランド品をねだってくる女や、怪しげな投資を持ちかける身なりだけは立派な男、連帯保証人に判を求めたのは愛嬌はあるが目の笑っていない男。
その都度、揉めたり騙されたり諦めたりしていたが、目をドルマークにして寄ってくる人を俺は見抜けなかったのだろうか。
まさか、彼らのおべんちゃらを真に受けて、本気のいい気になっていないだろうか。
いや、まさか。
だって、バレバレじゃん。見れば分かるじゃん。
本人だけ分かってないなんて、裸の王様そのものじゃん。
あ~あ。痛いな、俺。
高級外車と花蓮のツーショットを見ることは出来なかった。
別れる時も、俺はちゃんと花蓮の話を聞いていなかった。
泣きながら別れ話を切り出した花蓮に、関係ない話題を振ったり、スマホのアプリを操作してみたり、俺がスポンサーになって設立したモデル事務所の女の子にメッセージを送ったり。
こんな奴は屑だ。
花蓮と別れるシーンは、人間失格な読了感だった。
それと、とても気に食わなかったシーンがあった。極めて個人的な趣味の問題と付け加えよう。
経済紙の表彰式でタキシードに着替える場面、白のガウンを脱いだ鏡の俺は……ちょっと気持ち悪かった。
肌がどんどん黒くなっているのは分かっていた。まあ、たかだか肌の色と思ってましたよ。
自宅の日焼けマシーンに入っていたし、ビーチリゾートに年の半分くらい通ってたからね。
その、こんがりと小麦色で、茶髪に金髪混じりで、ピンクのもっこりパンツを穿いた男は、鏡に向かってニヤリと笑顔を作った。
笑った歯は不自然なくらい真っ白だった。
まるで妖怪みたいだ。
modを見ていた俺は鳥肌が立ったよ。頭頂部にある妖怪アンテナも立ったかもしれない。
俺ではない誰かに見えた。
それとも、こんなのが潜在意識では理想像なのか?
高級ブランドのポロシャツを着た時、無駄に襟を立てているのが我ながらウザかった。ポロシャツの襟を意図的に立てているのは何故なのかと問いたい。
翔太さんは率先して襟を立てていた。今の俺の趣味とはかけ離れたセンスだ。
話を小麦色に戻そう。
それは微かに原型を留めていた。
俺が加藤鷹のコスプレをしたか、鷹さんが俺のコスプレをしたか。
ほぼ鷹と言って差し支えない、ピンクのもっこりパンツを穿いたその姿には、僅かに俺の面影があった。
俺は決して鷹さんが嫌いなわけではない。むしろ尊敬すらしている。
だけど、なんつうか…好きになれない。
未来の俺がノリノリでコスプレしてるようには…見えなかった。
今と違うとして、受け入れらるかは内容次第だ。
こんな風に嫌いなタイプにメタモルフォーゼしていたらどうだ?
ぶっちゃけ、いけ好かないのだ。
ギャグでもなければこんなキャラメイクはしない!
俺は通販会社のコールセンター担当だが、鷹さんを目指してこの業界に入ったわけではないのだ!
動画の中の俺は、今の自分だったら絶対に選ばないコスチュームでプレイしていた。
コスプレと見紛うばかりの鷹っぷりで、日常をプレイしていた。
同調したり、共鳴したり、共感したりできる要素が無い。
ズバリ、絵ヅラでアウトだ!
自分自身に共感されないとなると、動画の中の俺は、それを見ている俺と同一人物なのか?
俺とは違うナニカなのか?
……分からなくなってきた。
刺されるとか、脳腫瘍の早期発見とかは、角井さんが言ったように注意すれば避けられるかもしれない。
だけど、小麦色でニヤニヤ笑いながら、平気で花蓮を泣かせる俺は、いずれ誰かに刺されただろうし、人道的な医師のトリアージでは下位に退けられてしまうだろう。
未来の俺は、屑に成り下がった自分に気付いていたのだろうか?
……それでも、これは自分の未来だ。
身贔屓の極みだが、言い訳させてもらいたい。
普通の日本人はあまり使わないけど、英語で屑野郎は『バスタード』っていうらしい。
本来は庶子や私生児という意味なんだけど、画面の中のバスタードは、俺がmodに産ませた庶子みたいに思えるんだ。
だから、これは佐藤翔太を代表して言い訳させて欲しい。
小麦色になっていくのと時を同じくして、かわいそうなイベントも多かった。画面からも強烈なストレスが伝わってきた。表情は見えないけど、悲しい経験だったと思う。
同窓会に誘われた事があった。俺は飲み会に誘われれば、滅多な事ではノーと言わない男だ。
modの中の俺は暇なので、特に断る理由も無く同窓会に出席した。
肌もミディアムに焼けていた俺は、服装の高級さも相まってか、同窓会で格好のおつまみになった。
最初は話題をぼかしていたが、三次会まで進んだカラオケボックスで、資産が数百億円にまで増えていると言ってしまった。
あれだけ飲んでいれば、本人に意識はほとんどないだろう。
だが、その話はグループメッセンジャーでクラス中に広まった。
同級生達の目の色が変わるのに多くの時間を必要としなかったのは言うまでもない。
すごいよ。群がってきた人達が言ってきたこと。
誰だって騙されるような上手な嘘や、小学生以下の稚拙な嘘、リアルな生活苦まで、それこそ百通りだったから。
小麦君にも流石に金目当てだって見抜けたみたい。旧知の同級生の態度が急変するんだから、もうバレバレ。
当然、modを見てる俺も知っている奴らばかりだったからね。
見ていて悲しくなったよ。
暫くの間は、荒れた感じで一人で飲むシーンが多くなる時期があった。
しょうがないと思うよ、実際に百人くらいの同級生がひっきりなしにお金の相談をしてくれば誰だって荒れるよ。
最初は気前よくお金を渡たした。同級生の役に立てて、純粋に喜んでいる節もあった。
すると、次々に同級生の中からセコビッチやドワルスキーが現れた。
金目当ての同級生の中には、あからさまに俺を騙してきた奴がいた。なので、俺はそいつからの投資話を断った。すると、そいつは逆切れして、あの手この手で嫌がらせをされた。
その経験から、俺は金目当ての話は上手いことトンズラするようになった。付き合いの悪い男と呼ばれるようになったが、俺のボヤッキーも少しは収まった。
大半を寄せ付けなくなったが、それでも熟練の詐欺師の術に涙を呑む日もあった。
次第に、身分の保証された人間とだけしか交わらず、当たり障りの無い話でパーティーの時間を潰す男が出来上がった。
さて、いけ好かない佐藤翔太が誕生したのは、果たして彼だけの責任と言えるのか、それとも欲に塗れた人生が生み出した魔物なのか。
持つ者を不幸にする首飾りの如く、抗えないような呪いを連想した。
分不相応な金を持った一人の凡人が、魔力の虜になっていくようだ。
選択を間違わずに進んだとしても、小麦色の嫌な奴が生み出されるだろう。
本人に自覚が無いまま、人間性が失われていく。
そこが怖い。
そして、忘れてはいけないシーンがもう一つ。動画の中で俺を刺した男。あいつは、modを知っているかのような口ぶりだった。
部屋に荒らされた様子は無かった。耐火金庫に入ったmodを一直線に盗んだようだ。それは、計画的な犯行を示唆している。
ネズミ顔の男は、どうやってチートツールの所在を探し当てたのか。
往年の俺は有名人だったから、不自然な投資をして気付かれたか?
だが、不自然に大金を手にしただけで、人知を超えたmodという答えに至れるだろうか?
それならば、最初からmodという存在を知っていたのか?
modを手にした人間が、やらかしそうな行動に網を張っていれば?
俺にとって有益な道具だ。盗まれて簡単に諦められるような代物でもない。
気を引き締めねば。
考えても分からない事だらけだが、警戒するに越した事はないだろう。
とにかく、あの未来は阻止しなければいけない。
慎ましいながらも長生きで温かみのある人生か、経済的には豊かだが殺伐として短命な人生か、どちらがいいかは……自分の胸に聞いてみるしかないんだろうな。
人に相談しても答えは見つからない。これはそういう類の選択だ。
未来に進む道は俺が選ぶしかないんだ。
Blue Reef の角井さんが初登場です。
このお店、このマスターは本作で唯一、実在の場所と人物です。
ご本人には了解を得ております。
ほんっっっっとに良い店です。
このお店のブラッディメアリーを飲むと、他店で注文する気が無くなるくらい美味しいのでご注意ください。